小夜子とみんなの色々
退魔師は組合に所属している者とフリーに分かれる。
組合に所属している者というのは、妖怪退治や土地の封印などを生業とするが、フリーの退魔師は妖怪退治を主として拝み屋から占い師を副業として、時には呪詛を行う。
呪詛というのは、字面そのまま人を呪うことだが、特に組合退魔師とは敵対していない。
敵対する場合というのは、メディアに露出して妖物や退魔師のことを世間に暴露しようとしたり、総理大臣や尊き御方へ仇なす者のみ。
一般人が呪い殺されようと、ヤクザの手先になろうと退魔師はどうでもいいと考えている。
そういうことで、どっちがどちらより偉いというものではないのだが、互いを蔑んでいるという点では同じようなものだった。
色部が依頼したのはフリーの退魔師である。
金額はかなり取られたが、噂に違わぬ手腕を見せてくれた。
若菜姫の調査は滞りなく進み、人に成り代わっていた分身は中身だけを生け捕りにされている。
色部は事務所の一画に設けた隔離室で満足げに頷いた。
犬用ケージの中で、子犬ほどの大きさの蜘蛛が震えていた。
蜘蛛の下半身に、少女の上半身。
可愛らしい見た目をしているが、人の頭に入り込んで脳を喰らうバケモノだ。
『キィィ、キィキィ』
泣き声はどこか女性的な甘ったるいものだ。怯えているような素振りをしている。
「捕まると、知能を低下させるか」
分身の使い方としては良い方法だ。
危機を察した段階で知能を持たない低位の妖物へと変じさせることで、追跡させないようにしているのだろう。
「まあ、ちょっとした地獄になるが、我慢しろよ」
色部はゴム製のエプロンと手袋を嵌めて、顔にはマスクとゴーグルという姿。
伝統的な殺人鬼スタイルである。
むんずと若菜姫を掴んでケージから引きずり出すと、まずは注射を行う。
聖別された注射針で注入するのは、僧が清めた湧き水だ。この程度で死ぬものではないが、動きを麻痺させられる。
「よしよし、足は邪魔だから切り取るぞ」
園芸用の鋏で、蜘蛛の脚を一本ずつ関節の手前で切り落としていく。そして、人間に似た上半身部分の両手も同じく切断。
体液を失くして死なれても困るため、半田ごてで断面を焼き潰す。
切り落とした手足は、厳重な封印術の施された鉛の箱に入れる。切断した手足を自在に操る妖物もいるための対策だ。
慎重に慎重を重ねるのが、生き残る秘訣である。
作業台に若菜姫を寝かせて、その身体を鎖で縛りつけていく。
子犬ほどの大きさとはいえ、危険はある。舐めてかかれば、喉元に喰らいついてくるだろう。妖物相手に油断はしない。
縛る鎖は、二郎真君の力が宿る縛妖鎖。そのレプリカである。
1997年、香港返還の折、日本に渡ってきた道士から買い求めたものだ。日本と大陸系の妖物には特に効く。
「さあ、次の注射はいいものだぞ」
退魔師の伝手で買い求めた処女の生き血である。
子供の肝と心臓は手に入らなかったため、比較的手に入りやすい血液である。冷蔵庫に入れていた輸血パックから、注射器に移して若菜姫の舌に打ち込む。身体に入れるより、頭に直接が良い。
『く、ああ、なんと甘く美しいものか……』
妖物が人を喰らうのは、ただ栄養としたいだけではない。人間の希望や絶望といったものが、甘露となるから喰らう。
不毛の大地に水をが染み込むのと同じことだ。その後には何も残らない。
「脳機能が回復したな。さあ、お前の本体があるところを言えば楽になるぞ」
『言うと思ったか? ヒヒ、現代の退魔師は道理も知らぬと見える』
「今のお前は本体から切り離されている。分かっているだろう? 楽な方を選べ」
若菜姫はニタリと笑む。
少女のようなあどけない顔の面影はもう無い。ただの邪悪な妖物だ。
「帰ってくる前に済ませるか。今までの最高記録は63分だ」
並べた工具からペンチを手に取った色部は、そう言って若菜姫の一部をペンチで引き千切った。
妖物は知らないだろう。
拷問技術は文明の進歩と共にある。
妖物よりも、人間はあさましく邪悪な点で勝る。だから、妖物は人に勝てない。
47分後。
若菜姫は力無く泣いていた。
『もう全部言うた。もういやじゃ……』
飛び散った蟲の体液と、原形が三分の一も残らない若菜姫が言葉を絞り出している。
「持った方だよ。褒めてやる」
色部はそう言うと、青い液体が入った注射器を若菜姫に突き刺す。
ようやく死ねると、若菜姫は安堵の息を漏らした。
22分後。
若菜姫は目を覚ます。
縛り付けられているのは同じだが、身体は元通りだ。
あどけなさを残した美しい人間の上半身に蜘蛛の下半身。手足も切断されておらず、元に戻っている。
「目覚めたか」
『どうして、生きておる』
色部は空の注射器をちらりと見た。
「賢者の石を使った。とんでもなく値が張ったが、本当にあの状態から元通りとは、恐れ入ったよ。人間にはここまでの効果は無いらしいがね」
『た、助けてくれるのかえ』
「それはない」
園芸用の鋏が、蜘蛛の脚を切り落とした。
『な、なんで、なんでわざわざ蘇らせたのにっ』
「嘘だと困るからな。二回目で嘘をついていないか確認するんだ。お前を信用したいからだ。我慢しろ」
『ひゃ、やだ、やだあぁぁぁ、たすけて、なんでも言います。たすけて、たすけてください』
色部はマスクの下で苦笑した。
こうなっても、擬態でないと言い切れないのが妖物だ。だから、手心は無い。
34分後。
若菜姫の亡骸を念入りに刻んで鉛の箱に入れる。
これはすぐに処理せねばならない。
妖物に関わることの鉄則だ。何事も迅速に処理しておけば、後で困ることが無い。
「くるみが帰ってくるまでに済ませるか」
本当は、これにもくるみを同席させるつもりだった。しかし、今回は時間を優先して色部が一人で行うことにしていた。
初心者は怪我をすることもあるため、という合理的な理由がある。決して、くるみにこんなことをさせたくなかったという理由ではない。
若菜姫から聞き取ったことは、全て頭に入れてある。
色部は正確に暗記しており、記録を残さないことにしていた。幾つかの術で、記憶改竄への対策もある。
色部三郎という男は、三流の霊力で一流の仕事をする。
別の道を選んでいれば、よほど大きな成功を修めたことだろう。
毒蛇のように執念深く、鷹のように周到。
色部は優秀すぎる。それが原因で一人になった。
くるみの射撃訓練は上々の成果を収めていた。
公安警察の教官が感心するほどに、彼女の射撃は正確で基礎を忘れない。反復練習に対しての集中力も、異常なほどに深い。
「十家も、伊達じゃないってことね」
独り言を零して、女性教官は苦笑した。
退魔十家は民間人にしては権力を持ちすぎている。しかし、彼らは単体の切り札として役立つ面があるのは事実だ。
霊的な侵略行為というのは日々繰り返されており、それらへの対策は年々やり辛くなっている。
財政面で透明性が求められるこの時代、謎の予算を食いすぎる怪異対策に大きな予算は乗せられない。アウトソーシングが続いて、規模は縮小の一途を辿っていた。
そんな公安に、今日はくるみの他にも客人があった。
「なかなか仕上がっていますね」
僧形の女、年齢不詳の尼といえば聖蓮尼である。
「聖蓮尼、お久しぶりです。あなたが関わっているとは思ってもいませんでした」
「隠居したかったのですが、色々とありまして。それでも裏方に止まるつもりです」
楚々として微笑む聖蓮尼。
公安としても蔑ろにはできる相手ではない。なにしろ、特高警察時代からのご意見番ともなれば、無下にできようもない。
「若菜姫という妖物ですが、本当に生きていたのですね」
「ええ、厄介な相手ですが、私も出ます。公安の皆様は静観して頂ければそれでよいのです」
「聖蓮尼以外でしたら、そうもいきませんでしたよ」
「ふふ、今はただの尼でしかありません。退魔師組合でも厚遇してくれますが、名誉職でしかありませんし」
聖蓮尼は怪物の一人だ。
若い世代は知らないだろうが、彼女の人脈はまだ息づいている。そして、敵に回すにはあまりにも裏を知りすぎている。
関係者のほとんどは聖蓮尼の死を望んでいるだろうが、誰かが先走ればそれこそ無用な争いが生まれるほどに。
聖蓮尼は、一心不乱に射撃を行うくるみを見ながら口を開く。
「鳴髪家の調査書を頂けますか?」
「一つ、貸しですよ」
「公安の皆様にはよしなにお伝えください。この婆でよろしければ、力になりましょう」
女性教官は微笑むが、内心では真逆。
これの影響力が削がれることがないのは知れ切っている。江戸時代から生きているとか、様々なことを言われているのが聖蓮尼だ。
そんな噂話も、ほとんどが真実である。
聖蓮尼が公安に助力を求めている間に、小夜子もまた重要なピースを埋めるために大阪へ向かっていた。
蜘蛛の大妖怪、若菜姫。
江戸から明治にかけて出版された『白縫譚』という物語の登場人物である。
当時は今で言うライトノベルのような立ち位置の物語で、娯楽作品だ。
物語での若菜姫はヒロインとして描かれているが、実際の若菜姫というのは人間から蜘蛛の大妖怪へと変じた魔道士の末裔である。
土蜘蛛の巣穴に忍び込み、奈落に潜む蜘蛛神の寵愛を受けて蜘蛛の力を得た魔道士は、長らく世を乱したが、ヒダリ上人という大変に徳の高い僧に調伏された。
これが江戸時代初期のころであったという。
間宮小夜子は、ヒダリ上人の下に訪れていた。
場所は大阪梅田の地下街である。
しばらくぶりの大阪ということで、若松と共にやって来たのは梅田地下街である。
大阪ではキタと呼ばれ、最も大きな都市、梅田。その地下街は恐ろしく入り組んでおり、大阪人でも迷子になるということで有名だ。
広大な地下街は地元民すらも把握できていないとされ、梅田ダンジョンとも呼ばれている。
小夜子と若松は、美味いものの匂いに釣られながら、道を右へ左へ、存在しないはずの旧A-3番地下通路、通称・大阪地下世界へと赴く。
曼陀羅歩きという結界抜けを行うことで、大阪地下世界へと歩を進めることができるのであった。
「むむむ、じめじめしておるなァ」
小夜子は瘴気混じりの空気を吸い込んで、ふうと息を吐く。
大阪地下世界は、梅田地下街そのままだ。ただ、行き交うのは妖物や退魔師、魔道士といった輩である。
それぞれが店を開いたり、酒を飲んだりしている。
まともな人間などが迷い込めば、生きては出られない魔窟であった。
「こちらも地下東京と似ておりますから」
若松は慣れたもので、このような環境でも文句を言わない。
すれ違う妖魔たちは、ちらりちらりと小夜子たちを見やるだけで、襲い掛かるということはなかった。
比較的、人に友好的な妖物の住まう大阪地下世界は、関西の退魔師たちが認めた中立地帯であり、そこにヒダリ上人の住まう寺がある。
地下街のテナントを改造した寺は、電飾で明るい。看板には『寺』と一文字だけ達筆で書かれている。
自動ドアが開いて中に入ると、観音像があった。これは実に立派な木製で、現代の寺の仏像とは違い、どこか荒く彫られたものである。
「ヒダリ上人、おられるかや。間宮小夜子が参ったぞ」
「おるから、おあがりなさい」
「うむ、お邪魔する」
小夜子と若松が中に入れば、観音像の前に敷かれた緋毛氈に座すヒダリ上人が振り向いた。
僧形をしているが、一つ目に大きな口、白いつるりとした質感の肌には毛が一本も無く子供ほどの大きさの怪物であった。
「よう来なさったな。それ、茶でものむといい」
傍らに置いてあった急須から、二人の茶碗に茶を注いでくれる。
小夜子と若松は注がれた茶を一口。
二人とも噴き出した。
強烈な辛さの、唐辛子の汁であった。
「ごほっ、ぶぇっ、な、なんというもんを飲ませるんじゃ!」
「げぇふ、げぇっ、これは、かっ、からっ」
若松に至っては強烈な辛みに言葉にならないでいる。
「拙僧、悪戯が大好きでな。大阪の悪戯妖精とも呼ばれておる。許されよ」
魔人である小夜子ですら悶絶させる辛み。ただの唐辛子ではあるまい。
「ヒダリ上人よ、今回は流石に度を越しておらんか」
小夜子の声に殺気が混じる。
「うむ、辛み取りに食されよ」
差し出されたのは大福であった。
二人して手に取って、一口食べれば辛味がすっと消えていく。それどころか、体内にあった穢れが消えていくではないか。
何がしかの特殊な製法による、菓子というよりは秘薬じみた代物であった。
「う、美味い。ではないわ! こんなもので誤魔化されんぞ、ヒダリ上人よ。わらわ、あえて言わせてもらうが、毎回毎回このような手の込んだイタズラ、大人げないと思わんのか」
「だって、悪戯が大好きなんだもの」
ヒダリ上人は悪戯が大好きな坊主であった。
時の陛下より非公式ながら上人の位を得て、さらには人間を超越してなお残る悪癖が、大のつく悪戯好き。
「若松よ、そなたもなんとか言うてやれ」
小夜子が若松に言うが、返事が無い。
振り向けば、若松は無我の境地にあるではないか! この饅頭、小夜子ですらも回復せしめるほどの秘薬、そうなれば清いものであっても人間の若松には強すぎる。
「ええい、正気に戻れい」
小夜子が妖力を込めて若松の胸を押す。清い清浄な力を中和するための妖力であった。
「はっ、あ、あっしは何を、さっきまで仏様の遣いがいらしてたんですが」
「もう大丈夫じゃ。ヒダリ上人、どこまでイタズラすれば気が済むんじゃ!」
「なかなかの成功。満足しました。それで、今日は蜘蛛のことで来なすったかね?」
小夜子はうぬぬと唸った。
大変に徳の高い一つ目の坊主、ヒダリ上人は全てを見通している。
仏の力を借りたものか、それとも一つ目の千里眼で知り得たものかは分からないが、若菜姫の件で来たことはすでに知れているらしい。
「その通りじゃ。どうしてあれを調伏しなかったか、聞かせてもらうぞ」
ヒダリ上人は「ふうむ」とうなってから、自らも饅頭を喰らう。
僧というのは、どうしてこんなに掴みどころがないのか。
小夜子ですらも、苦手な部類であった。