小夜子と小夜子と池袋SZ
聖蓮尼の肩口に止まっている奈落の小蜘蛛は、はらはらしていた。
山寺の本堂で、夕方の明るい時間だというのに焼酎の一升瓶を片手に茶碗で酒を流し込んでいる聖蓮尼。
その目はすでに据わっていた。
「……あいつら、ここをどこだと思うておる」
以前、天野朱音たちの一件で破壊された山寺は改装中だ。
退魔師組合から補助金が出たこともあり、これを機に他の場所もリフォーム中である。
そういうことで、一時的に本堂で過ごしていた。
問題は、本堂の隅で巣穴のザリガニみたいにひっついている二人だ。
「大樹は、白無垢とウエディングドレスどっちがいい?」
「どっちもやりましょう。ドレスは、小夜子さんの好きなカワイイのにしてもらって」
結婚情報誌ゼクシィを片手に、年の差十二歳をものともせずいちゃつく鳴髪小夜子と篠原大樹である。
聖蓮尼はつまみにしている【ふわふわせんべい】を一枚取り、おもむろに傍らの練乳チューブをつかみ取った。
色とりどりのふわふわ煎餅に練乳を回しかけて、さらに一枚取ったふわふわせんべいでサンドする。
口に運べば、甘い美味しさ。ほぼ全て練乳味。
「甘いものが被ってしまいました」
この【ふわふわせんべい】、薄くて軽い口当たりだが味はほとんどない。小麦のうっすらした甘味があるだけだ。それ故に、何を挟んでも美味い。
練乳、マヨネーズ、ソース、だいたいなんでも合う。
「仕事優先ですけど、お金も貯めておきましょう。郊外なら家だって買えますし」
「小さい家でいいの。わたしたち二人なら少し広いくらいの」
それを、日本基準で小さな家とは呼ばない。
「お前たち、そういうのは二人きりの時にせい」
ずずず、と湯呑に注いだ焼酎を飲む聖蓮尼は、酒の力を借りてようやく言えた。イチャつく二人にイチャつくな、などという無理を誰が言えるだろうか。
「え、別に変な話はしていませんよ。聖蓮尼のお邪魔になるようでしたら、外に行きますが」
と、鳴髪小夜子が返答する。
外に行くや否や、先日購入したという軽自動車に乗ってホテルへ行くのは目に見えていた。
「鳴髪よ、大樹くんの親御さんにどれだけ無理を言うたか分かるか。仕事の間はお前とセックスはさせんと、この私が約束した。いいか、するなよ」
大樹は居心地が悪そうに目を逸らした。
鳴髪小夜子は平然と言い返す。
「無理を言わないで下さい。若い二人ですよ」
「大人としての自覚を持てと言っておる」
「聖蓮尼、お言葉ですが早めに結婚しておけば、より覚悟が決まるというものです」
「お前らは一人でもガンギマりだろう。そんなキレイ事では誤魔化されん。若菜姫さえ討伐すれば、鳴髪小夜子の格も上がって発言力も高まる。だから、その後にせい」
聖蓮尼の説得は続く。
どうせ止まらないのは分かっているが、若菜姫討伐の今だけでも合体を阻止すれば、親御さんへの言い訳にはなる。その後のことは、どうせ無理だ。
女盛りである鳴髪小夜子を止めるのは不憫そのもの。そして、男の十七歳はやりたい盛り。どうにもならん組み合わせである。
黙っていた大樹が口を挟んだ。
「内偵が済めば、すぐに突入します。それまでは、僕も小夜子さんもやることはないですよ」
確かに、今は待ちの時間だ。
「大樹はいいことを言う。聖蓮尼、わたしたちもパワーアップのために房中術をしないといけないので」
房中術とは男女の交わりを以って霊力を高める仙術の一種だ。非常に難しいもので、失敗すると男の寿命がびっくりするほど吸い取られる。
「この色ボケ! あれはそんな簡単なものではないわ!! もう許さん、今日は朝まで写経を行います。AMラジオだけは許可します」
先日、鳴髪小夜子の手に入れた若菜姫の居所だが、幾つかはすでにもぬけの殻。二つ残ったが、明らかな罠だ。
それはそれで向かわせてもよいのだが、今は慎重に調査中である。
退魔師組合に所属していないフリーの退魔師に調査をさせていた。
「そんな殺生な。聖蓮尼は人が悪い」
鳴髪小夜子は事情が分かっていながらそんなことを言う。
小さく息を吐いた大樹は、鳴髪小夜子に向き直った。そして、真面目な顔で口を開く。
「小夜子さん、くるみさんの様子を見に行っては如何ですか?」
女二人の顔色が変わる。
こんな妙なことを言い合っているのは、くるみの話題にさせないためだった。
鳴髪家というのは、最悪の家庭環境だ。
聖蓮尼も、今まで知りながら何もしてこなかったという負い目から、そこに踏み込めないでいる。
だというのに、少年がそこに踏み込む。
「大樹、知っていて言うのか」
鳴髪小夜子の声音にこわいものが混じる。触れてはいけない所に触れたが故の、冷たい痛みがある。
「……小夜子さん、僕の両親に挨拶した時、弁護士を入れた時もそうでしたけど、家庭が欲しいと言っていましたよね。仲が悪いのは仕方なくても、会ったら殺すなんて間柄はやめた方がいい」
「今さら、あいつらに言葉なんか届くものか」
「一回も届いたことが無いのは知っています。未来だと、恨み言も言えなかったでしょう」
鳴髪小夜子は泣きそうな顔をする。
聖蓮尼は空気を読んで、黙ってそんな二人を見ているだけ。
「小夜子さん」
大樹が、小夜子の頬に手を当てた。そして、口づけをする。
舌が絡み合う音に、聖蓮尼は額に手を当てて天井を見上げて「どうにでもなれ」と胸中で毒づいた。
「チューして言うこときかすとか、バカ」
言葉とは裏腹。
聖蓮尼は薙刀を振り回したくなったが、肩口の蜘蛛が耳たぶを引っ張ってそれを止める。阿吽の呼吸であった。
「大樹、お前は仕方ないヤツだよ。……聖蓮尼、少し様子を見てきます」
鳴髪小夜子はそう言って、颯爽と外に出かけていく。
買ったばかりの軽自動車で池袋まで出かけるのだろう。
「上手くいくといいんですが」
少しだけ照れたように、大樹はそんなことを言う。
「感心しましたよ、見事なドス恋ジゴロでした。大樹くん、写経の準備をしなさい」
「え?」
「写経の時間です」
その後めちゃくちゃ写経した。
聖蓮尼はそれを見ながら焼酎を飲み続け、夜は更けていくのであった。
鳴髪くるみと色部はスーパーで買い物をしていた。
食パンの好みについて何やら言い合っているのだが、結局のところくるみの好みを優先した銘柄を買うことになったようだ。
お夕飯におでんを作るらしく、おでん種を見繕っている。
その後はインスタントコーヒーに入れるクリープを買い物かごに放り込んでいた。
くるみは小さな身体の金髪少女で、地毛が生まれついての金色となれば、異国のお姫様のようである。
高級スーツを着こなしたエリートサラリーマンのような見た目の色部は、それを守るボディガートのようだ。
一人ずつであればただ目立つだけなのだが、二人揃って買い物などしていると異世界に迷い込んだような光景となる。
「色部さん、お刺身買っていい?」
「別にいいが、食い合わせが悪くなるのはよせよ」
鮮魚売り場に早歩きをするくるみは、嬉しそうだ。
あじの刺身とホタルイカなどを取ってくるものだから、色部も笑ってしまった。
「どっちか片方にしろ」
「ホタルイカ、色部さんも食べてよ。千葉産だし美味しいよ」
「……この程度の贅沢は別にいいが」
色部は食にこだわりが無い。
素人包丁はストレス解消のためで、何かに没頭する小さな時間を作るためだけに磨いたものだ。
気取り屋の色部である。
没頭できればなんでもいいのに、ソーシャルゲームなどではなく料理というプラス評価に繋がるものを選んだに過ぎない。
「決まりね。酢味噌より、ポン酢が好き」
くるみはそう言って笑う。
「ポン酢は、事務所にあったな。買わなくていいぞ」
「うん」
仲の良い兄妹にでも見えているのかもしれないな、と色部も小さく笑った。
家族のようなもの、色部はずっと昔に失っている。自分から捨てたものだ。
買い物を終えて、帰途につく。
夜闇にあってもぎらぎらと輝く池袋の雑踏を、二人で往く。
色部は懐を探って煙草を取り出した。パッケージの中には一本も残っていない。
「煙草、なくなったの?」
「ん、ああ。別にいいさ。禁煙しようと思ってたんだ」
「その方がいいよ。身体に悪いし、ガムの方が美味しいし」
「そうだな、その通りだ」
街の灯に照らされてながら、帰り道を歩む。
買い物を誰かとするのは、ずっと久しぶりのことだった。
鳴髪小夜子はそんな二人の後ろ姿を見て、声をかけることなどできないでいた。
パパ活少女とエリートサラリーマンの図で、ドン引いている。
「……どうしたらいいの」
「うむ、これでは声などかけようもないのう」
鳴髪小夜子の隣には、間宮小夜子がいる。
偶然に様子を見に来たのがかち合ってしまった。
互いになんとなく気まずい相手なのだが、気づかれてはいけないと完璧な隠密を行って、二人して見ていたというものだ。
「ええと、間宮があいつらを引き合わせたと聞いているが」
「まさか、十日程度でああなるとは、わらわの目をもってしても見抜けなんだわ」
「ああいうの、中学の時にマンガで読んだぞ」
「わらわも沢山読んだものじゃ。しかし、あれに割り込むのは無理というもの。小腹も空いたことであるし、どこかに食べにでもいかんか?」
「ん、まあいいか。何か食べよう」
そういうことになり、二人の小夜子は池袋の街を彷徨い歩く。
二人とも土地勘が無いため、適当に歩いて見つけた駅前のサイゼリヤに入ることになった。
間宮の小夜子はイカ墨入りスパゲティと青豆の温サラダ。
鳴髪の小夜子はミラノ風ドリアにハンバークステーキ。
とりあえずはお食事ということになり、なんとも弾まない会話が行われる。
やれ、まだ寒いだとかもうすぐ連休だとか、本当にどうでもいい話であった。なんとなく気まずいのはお互い様ということもあってか、盛り上がらない。
「……こういうの苦手だ。間宮、お前は魔王じゃないってことでいいのか?」
いきなり核心を突く鳴髪小夜子。
「うむ、本来はそうなるはずであったようじゃが、わらわは魔王などやらん。あんなもん、北斗の拳で言うたらジャコウみたいなもんじゃ。わらわは、やるならラオウになる」
「世紀末覇者になるのか? 全然分からないんだけど」
「えっ、分からん例えじゃったか。うむむ、簡単に言うと、あんな未来は願い下げじゃ。未来のわらわと今のわらわは別人ということよ」
「ふん、どうだか。お前、バケモノだろ。人間の割合はどれくらいだ?」
「遺伝子的には、およそ37パーセントというところじゃな。なかなかあるじゃろ」
鳴髪小夜子は少し考える顔になった。
「それ、ほとんど妖物だろ」
「わらわは異界邪神と深淵宇宙の異界生命の遺伝子があるからの。しかし、母親は人間じゃ。それではいかんか?」
「微妙だけど、まあいいよ。お前は殺せない相手じゃないしな。裏切るなよ」
「厭な言い方をしおって。それはこっちのセリフじゃ、悪鬼羅刹殿」
強い視線が交錯した瞬間、店員さんが料理を運んできた。
明らかに変な組み合わせの二人だが、池袋WGではよくあることだ。店員さんはこんなものに動じない。
「話し込んで冷めてしまってはいかん。頂くとしようかの」
「ん、そうだな。いただきます」
「いただきます」
二人とも、早く上品に食べる。
サイゼリヤの料理はみんな美味しい。
失礼な言い方になるが、何もかもが普通に高水準であり、どれを食べても美味しいのだ。高級なレストランとは違うとはいえ、その完成度は非常に高い。
特に、それを実感させられるのが【柔らか青豆の温サラダ】である。
「んん、この豆が柔らかくて良い。豆の味が活きておる。家では絶対作れんやわやわ感じゃ」
小夜子が言うように、柔らかい豆が異様に美味い。
煮込みすぎてグタグタになった柔らかさではなく、豆を美味しく調理した時だけの柔らかさである。
どぎつい味で誤魔化すこともできるというのに、あっさり味にしてあるところも良い。
「ファミレスってこんな美味しいのか……。今度、二人で来ないと」
友達がいない鳴髪小夜子は、こういう店でワイワイした経験が無い。そのため、ファミレスを避けていた。
実を言うと、サイゼリヤに入るのも緊張していたくらいだ。
ドリアにハンバークステーキという味が濃いものセットだが、しっかりと違いが分かる。
「むむむ、ハンバーグステーキというのもあったんじゃな。つい、サイゼリヤらしきを重視してパスタを選んでおったが、んんんハンバーグとはのう。なかなかやりおる」
人の食べ物はなんでも美味そうに見える。
「……ちょっと食うか?」
「それは有難いの。ありがとう。わらわのパスタを分けてやるぞ」
当たり前のようにシェアが始まった。
そこから美味い美味いと二人して言い合って、食事を終えた。
紙ナプキンで口元を拭いながら、すかさず店員さん呼出ベルを押して、間宮の小夜子はプリンとティラミスのセットを注文する。
鳴髪の小夜子も同じものを注文した。
「それはそうと、鳴髪殿には素敵な彼氏がおると聞いておるが」
「うん、とってもカッコイイんだよ」
急に顔が蕩ける鳴髪小夜子に、聖蓮尼が苦虫を噛み潰したような顔をしていたのはこれかと思い至る。
「ん、その、わらわはまだ付き合うているという訳ではないんじゃが、デートをした相手がおっての。経験者に話を聞きたかったんじゃ」
「えっ、マジで?」
「マジじゃ。ギャル谷はなんだかカッコイイことばっかり言うんでアテにならん。何が、それなりに一緒にいたら運命の相手と分かるじゃ。そんな都合の良いことがあったら、熟年離婚などなくなっとるわ」
「あ、それ、ギャル谷ちゃんに私がラインで言ったことだな」
「お、おのれ。あ奴め、人の言葉をパクりよるか」
「あの年頃は仕方ないだろう。年上だし、ここは私が相談に乗ろう」
【あちら側】より戻った魔人、間宮小夜子にも、今生の恋は分からぬ。
鳴髪小夜子に相談するなどというのは、誰もが分かる致命的な間違いだ。
「おお、それは助かる」
人は、過ちを繰り返す。