小夜子の居眠りとレンジの試合
真剣を使った時点で、例年ならば反則負けとされていたはずだ。
聖蓮尼がその程度で止めることなど無い。彼女は退魔師の命など吹けば飛ぶものと知っているからこそ、そうしない。
『第二試合に移ります』
粛々と、次の試合が始まる。
小夜子は刺されたチャイナ服を再生させて、席に戻っていた。
「お嬢様、お見事でした」
隣に控えていた若松が言えば、小夜子は嫣然と微笑む。
「なかなか面白い男であったわ」
小夜子が何かを考えているということが、若松には分かった。
段階が、一つ進む。
小夜子が時間を認識しようとすれば、体内の制御が外れてしまいそうになる。それでも、少しだけ知覚できた。
「若松よ、お前はもう大丈夫じゃ。わらわと出会ってしまったしの……。もはや、そなたの未来は覆した」
「お嬢様、いったい何を」
常ならば言葉をそのまま受け取っていた若松が、怪訝な顔をした。どこか、今の小夜子は違う。
「兄上め、どうやってこれを処理しておるのか。時間とは厄介なものじゃ。若松よ、鳴髪小夜子の連絡先は知っておるな」
未来の断片を読み取れば、別の未来で確定した魔王小夜子からの浸食がある。
「へい、たまにラインで連絡をしております」
「わらわが変われば、アレを頼れ」
若松が小夜子を見る。歯を食いしばるような、そんな顔だ。
「なぜ、そのようなことを」
「わらわと共にあった若松であれば、できるはずじゃ。頼むぞ」
幽かな笑みは、小夜子に似つかわしくないものであった。
「かしこまりました」
「うむ、少しだけわらわは眠る」
小夜子は目を瞑り、自嘲する。
弱くなった。
若松と出会ってから、人といることを楽しんでしまった。【悪】であろうとしていたのに、いつの間にかこの世を好きになっていた。
小夜子は自らの内側に集中する。もう決めたことを実行するために。
ふと、ギャル谷や天野朱音、オタ丸のことが頭をよぎる。
友達など、どうして作ってしまったのか。
小夜子のこととは無関係に、トーナメントは進行する。
花ケ崎レンジは生まれついて【悪いモノ】であった。
臨月で死した母親の死体から産まれている。
死産自体は有り得ることだが、腐乱死体から這い出したというのだからまともではない。
山深い山村で、レンジは育った。
土葬の慣習が今も残る限界集落で、忌み子として祖父母であるという老人に養育された。
実際には、何度も山に捨てられたが死ななかったため、仕方なく軒先に置いていたというものだ。
十二歳になるまで、レンジは学校に通ったこともなかった。
「ユーレイのオッサンとか、山にいるなんか毛だらけの兄ちゃんに色々教えてもらってたから、言葉はヨユーだぜ」
それを不幸だとか寂しいだとか、特に気にしたことはない。
村人には見えない奇妙なものはいつも隣にいたし、山の中にいる妙なモノたちは自分の仲間だと知っていた。
山に置き去りにされても、猪や熊がレンジを守った。それが本当にただの動物であったのか、今となっては知る由も無いことだ。
殺すことすらできない忌まわしい子供、それがレンジである。
レンジは、妖物によって村が壊滅するまで、そんな暮らしをしていた。
数百年前から続いた人食いの因習から生まれた妖物は、人食い鬼の一種である。数十年前に退魔師が封印を施していたのだが、何かの拍子で解けてしまった。
人間が造り出してしまった最悪の鬼は、村人を喰らう。
レンジが生きているのは、人食い鬼を逆に喰い殺したからだ。
その後、村の様子を察知した警察に派遣された退魔師がレンジを保護する。そして、紆余曲折を経て退魔師専門学校へと放り込まれた。
ブレザーの制服を脱いだレンジは、第四試合に配された。
第一試合はなかなか衝撃的だったが、小夜子を見ての感想はツエーとカワイイである。
「よっしゃ、勝ったらデート!」
クラスメイトは呆れたような視線を向けている。レンジの立ち位置は、孤児の退魔師で、タフさだけが取り柄の落ちこぼれだ。
『第四試合、花ケ崎レンジくんと火香原蛍火さん、前に』
レンジが校庭に出ると、退魔十家が一つ火香原家の長女、蛍火が腕を組んで待っていた。
火香原蛍火は生まれついて赤い髪を持つ少女だ。
長身で、モデルのような体型。強気な性格が顔に出ており、女子生徒から人気がある。お姉さま風の少女であった。
火香原の名前が示す通り、火香原一族は火を使う。
人体発火と呼ばれる現象を自在に使用する、生まれついての魔人。
「おい、オチコボレ。お前は棄権したら? 死んじゃうから」
蛍火はゴミでも見るような目でレンジを一瞥する。
「デートがかかってるんで負けられねえっス。それに、セイレンニって人もなんでもアリみたいなこと言ってたし」
レンジは頭を軽く下げて挑発めいたことを言う。しかし、それは本心そのままで、それ以上の意味は無い。
「あっそ。後悔しないでよ」
「ウッス」
『第四試合、始め』
聖蓮尼がマイクを通して告げた瞬間、蛍火がレンジに肉薄する。
口づけを交わすくらいに顔を近づけた蛍火は、その口から炎を吐き出した。
燃え上がるレンジの頭部。
勝負あり。そう誰もが思っただろう。
「あっつ。マジであっちい」
レンジのどこか能天気な叫び声。喉を焼かれて、そんな声を出せる人間はいない。
「はは、タフさがウリでしょ? ほら、参ったって言いな」
「ヒヒ、あっついけど、こんなんじゃあ別に」
レンジは言いながら、本気を出すために自分の右目に指を突き刺した。燃え盛る頭部をそのままに、眼窩を抉って脳にまで指を入れる。
「……なんだコイツ」
まともではない。
危険を察知した蛍火が距離を取る。
「あースイッチ、スイッチ。脳のこの辺りにぃ。あった!」
瞬間、強烈な瘴気がレンジの全身から放たれた。
それは、観客の退魔師たちが青ざめるほど濃い地獄の気配。
「本気出すの久しぶりだけど、やっぱりいいなァ。ちょうど、頭もあったまったしさァ」
レンジの全身から溢れる黒い粘液。
粘液が身体を包み込んで流れ落ちた時、レンジは黒い鎧をまとう怪物へと変じていた。それは、退魔師の常識からしてもあまりにも異質な姿である。
「変身した!?」
蛍火は驚いた。そんなことができる術など、聞いたことがない。
レンジの姿はあまりにも奇妙だ。
特殊部隊の装備にも似たプロテクターが全身を覆っていて、頭部はどこか機械的なフォルムのフルフェイスヘルメットのようにも見える。しかし、口元だけは牙の生え揃う爬虫類じみたものへと変じていた。
「へへへ、本気出していいって言うからさァ。久しぶりにこれになったけど、アタマがサクっとしてきたよ。スッキリしてクリアな気分だぜ」
「どうせ見掛け倒しだろうがっ、オチコボレぇっ」
蛍火は両手に炎を出現させて、レンジに肉薄する。手加減は一切無い。
こんなものが見かけ倒しなはずがない。言葉とは裏腹に、それを分かっているからこそ、恐怖に打ち勝つため、最大の炎をもって挑む。
「ゴチンと行くぜえっ」
石をも溶かす温度の炎に対して、レンジは徒手である。大振りのパンチが、炎を掻き消した。
蛍火はそれを紙一重でかわしている。
退魔十家は名ばかりではない。傲慢な振る舞いもあるが、それは実力という担保があるからこそのもの。
「なめんなっ」
そう叫ぶ蛍火は、レンジを危険な相手であると正確に認識していた。
変身前の炎ですら殺しかねないものだったが、頭にくらって平然としている怪物が相手だ。ここまでは予測の内。
プロテクターのような部位は焼き切れない可能性が高い。ならば、唯一露出している口から内部を燃やす。
懐に飛び込み、怪物の口に右の手刀を叩き込む。
「美味そう!」
相当の速度で放った手刀を、レンジは見切っている。そして、口を大きく開いた。そのまま手刀に噛みつくつもりだ。
予想通り!
蛍火は右手を捨てるつもりであった。そうしないと、負けるという確信がある。
全身に満ちる霊力全てをこの手刀に集中させる。石をも溶かす炎を口から流し込み、体内を焼き尽くすのだ。
「焼け死ねや!」
噛みつかれた蛍火の腕に走る激痛。痛みを意に介さず炎を放出させて、勝ったと確信した。
その証拠に、怪物の動きが止まる。
レンジの胴体と頭、鎧らしき部分の隙間から炎が漏れ出ている。体内を焦熱地獄にされて、生きていられるはずがない。
レンジの顎が開いて、蛍火は腕を引き抜く。
「オチコボレ呼ばわりして悪かったよ。あんたが強かったから、だから、殺さないと勝てなかった。ゴメンね」
身体から炎を漏らして立ち尽くすレンジに、蛍火はそんな言葉をかけた。傲慢な物言いだが、それの意図するところは純粋な称賛である。
「まだ終わってねえよ。人間を食ったらダメだって思い出した」
蛍火は目を見開く。
相対する怪物は体内を焼かれて平然と生きている。
言葉も出せず、身体も動かせない。逃げようとしても、この距離では無理だ。炎も意味をなさない。何をしても死ぬ。
蛍火はこの瞬間、自らが死んだと理解した。
怪物が動く。
蛍火は目を見開いたまま、立ち尽くすことしかできない。何をしても死ぬと悟った時、意思に反して身体は硬直する。
怪物の大きな手が、とんと蛍火の胸を押した。
蛍火はその場に尻もちをつく。そして、口をぽかんと開けたまま、レンジという名の怪物を見上げた。
「オレの勝ちでいいか?」
あ、生きてる。
蛍火はそう思いながら、問いかけに返答をする。
「うん」
幼子のような顔で蛍火はレンジを見上げていた。
そうしていると、蛍火は己の身体が熱くなっていることに気づいた。
右手からの出血がひどいけど、気にならない。レンジの牙による噛み傷の痛みは、どうしてか甘い。
じわりと、身体の芯が溶けるような。
『花ケ崎レンジくんの勝ち』
聖蓮尼が宣言すると、レンジは「ひゃっほう」と飛び上がって喜ぶ。恐ろし気な怪物がやるそれは、どこか間抜けだ。
尻もちをついたままの蛍火はそれを見て、胸がどきどきとしていることに気づいた。
「わたし、ヤバい。頭、ヘンになっちゃった」
今すぐ、力づくで組み敷かれたい。噛みつかれながら、交合したい。
火香原蛍火は、怪物に恋をする。
「ねえっ、えっと、レンジっ」
「ヒガハラだっけ? なんだ」
「あんたさ、彼女いるの?」
「いねえよ! でも、勝ったらマミヤサヨコちゃんとお食事デートだ! ぜってー優勝する。そんでもって勝利のメイクラヴだぜ!!」
蛍火も小夜子のことは知っていた。
観客の中にいる小夜子を見やれば、パイプ椅子に座ってうたた寝をしているではないか!
係員に助け起こされた蛍火は、一人で歩けるからとその手を振り払う。そして、小夜子を睨みながら医務室へ向かうのであった。