小夜子と若松とギャン泣き
鷲宮沙織が目覚めた時、目の前には明らかに人間ではない白い皮膚の奇怪な者たちに囲まれていた。
「な、なんですかあぁぁ」
こういう時、そんな言葉しか言えないものだ。
キノコ祭りを中断してやって来た屍食鬼たちは、困った顔だ。
そこへ、鎧姿のクマヒが現れる。
「ほお、人間の細作が来たと聞いていたが、小娘とはな」
「え、え、え、なんなのあなたたち」
沙織が言うと、隣で目を回していたメガネちゃんも起き上がって、「オギャアアア」とちょっと嬉しそうな感じで叫んだ。
「か、会長、凄いです。この方たち、海外ゲームのダークエルフですよ」
メガネちゃんがそう言うが、ゲームに詳しくない沙織はよく分からない。
「だあくえるふ? 何を言っているのだ貴様」
クマヒが苛立ったように言う。屍食鬼は眉が薄いため、険しい顔つきになると赤い瞳がきゅっとすぼまった凶相となる。
「ひゃあっ、地下に追いやられたハイエルフの末裔ですか!? わあ、ドロウタイプのダークエルフと出会えるなんて、感激です!」
メガネちゃんは海外ゲーム好きであった。
「一人いれば充分だな」
剣を抜くクマヒ。
反りの無い古代の様式で造られた直刀であった。屍食鬼の武者だけが持つ、土蜘蛛の剣。
「や、やめて」
クマヒが直刀を振り上げた時、沙織が割って入った。
こんなことに巻き込んでしまったのは、沙織のストーキングが原因だ。だからこそ、彼女は身を挺する。
「片方が生きていればいい」
酷薄な笑みを浮かべたクマヒがそのまま直刀を振り下ろす。
ぎゅっと目を瞑った沙織に放たれていた凶刃は、鈍い音と共に、彼の腕を切り裂いた。
「おっと間一髪。クマヒ様、そいつは納めて頂きますよ」
クマヒは目を見開いて、それを見た。
割って入った若松が、右手を入れて刃を止めていた。学生服の袖を切り裂いて進んだ刃は、骨に当たって止まっている。
「若松殿、なぜっ!?」
「いやはや間に合ってよかったですよ。観音経を巻いてなかったら、クマヒ様まで不義理者にしちまうところでした」
学生服の袖には、かつて【朱唇観音】を封じていたものと同じ法術を用いて、ヒダリ上人による観音経を縫いこんでいる。おかげで、刃は骨で止まった。
「な、なぜですか。こんな細作などに」
「いやいや、そいつは勘違い。お嬢様のご学友、それも素人さんにおケガなどさせちまったら、会わす顔がねえってもんです」
言いながら、若松は懐から取り出した紐で腕を縛っている。口と左手だけで手早く巻いて、きつく縛った。
「若松くん、どうして」
「どうしてもこうしてもねえですよ」
相当量の出血。
屍食鬼は人を喰らう鬼。その刃で受けた傷は、ここ地下東京で癒えるものではない。
その時、宙空が異常な力により歪み、空間を引き裂いて小夜子が顕れた。
「貴様ら、若松に何をしておるッ」
縮地を使用して瞬間移動した小夜子である。すぐさまクマヒの喉を掴み、片手で宙に持ち上げてそう言った。
「さ、小夜子さま、これは」
「これとは、どれじゃ?」
クマヒは弁明しようとしたが、手に力をこめた小夜子に喉を締め上げられて、そこから先は声も出せない。
小夜子の顔には禍々しい笑みがあった。
あまりにも美しい相貌が浮かべる笑みは、凍てつく地獄そのもの。
「お嬢様、こいつは事故です。あっしがケッ躓いて転んじまいまして、運悪くクマヒ様の剣に当たっちまったんで」
子供でも嘘と分かる若松の言葉。
「……ふん、なるほどな」
クマヒを放り捨てた小夜子は、うずくまる若松に近づく。
無言で見下ろした後に、斬られた手をつかんだ。
「ぐうっっ」
苦悶の声を上げた若松は、歯を食いしばってそれ以上の声をださぬよう耐えた。小夜子の細腕につかまれた腕は、白い煙を上げ皮膚がどろどろに溶けていた。
「若松よ、わらわはお前が優しいことを否定せん。しかしな、弱者の半端な優しさなど、醜悪そのものよ。手を差し伸べるのは優越感か? んん? 言うてみい」
若松が視線を下げた。足元に小さな蜘蛛がいる。
「ぐ、く……。お嬢様っ、もう言いました。ぐううぅぅ、そこの蜘蛛に驚いて、転んだンですよ」
小夜子が若松と睨み合って暫時。若松は口元に無理して笑みを作った。
「蜘蛛に驚いた、か。まあよいわ、今回は免じてやる。腕は半刻もすれば治ろう」
若松の腕を放した小夜子は、くるりと背を向けて、来た時と同じように縮地を用いて消えた。
ふうぅと大きく息をついた若松は、腕を確かめる。溶けていた腕から傷は消え失せているが、ひどく痺れて痛む。
「わ、若松様、クマヒのせいでこのようなことにっ」
クマヒは涙を流して若松に縋りついた。だが、若松はその手を、屍食鬼の姫の手をやんわりと払う。
「やりたくてしたこと。いや、転んじまっただけで」
「若松くん……」
状況をつかめていない沙織がつぶやく。
このような状況だというのに、沙織の胸は高鳴っていた。あまりにも、傷を負う若松の姿が愛おしい。
「説明致しますんで、ええと、生徒会長さん? どこか落ち着ける場所にでも、クマヒさん、どこか椅子のある部屋をお願い致します」
「は、はい。ただいま」
バタバタと駆けていくクマヒから若松が目を離すと、石畳から視線を感じた。ふと見れば、小さなハエトリグモに似た蜘蛛が、つぶらな八つの瞳で若松を見上げている。
「お前も巻き込んじまったな」
蜘蛛を優しくつまんだ若松は、壁の隅っこに移動させる。これで踏みつぶされることはあるまい。
沙織とメガネちゃんを連れて、クマヒの案内で客間として利用されているらしき部屋に入った。
妙に低い石造りの椅子があって、そこに腰を落ち着ける。
「若松くん、ここは……」
「ここは、地下東京の首都、石造りの都です。簡単に説明しやすよ」
怖がらせるといけないということで、まずはクマヒに席を外してもらう。
説明は、まずは退魔師と妖物というものが実際に存在するというところから始まった。
ここは東京メトロから入れる地下世界で、どのような地上の威光も届かぬ地底の奥底。
屍食鬼とは地底人で、人を喰らう怪物なのだが、間宮小夜子の支配下にあるということ。
頭がごちゃごちゃになるような話だ。
小一時間は話し込んでいただろうか。
メガネちゃんの琴線には触れまくっており、瞳をキラキラさせて「すごい」「帝都物語!」などという合いの手を入れているが、沙織の表情は暗い。
「あの、若松くんも、その退魔師なの?」
「まさか、お嬢様のお手伝いは致しますが、下働きなどしてるだけですよ」
小夜子との出会いは語っていない。ただ、世話になっているとだけ説明した。
「ごめんなさい、迷惑をかけて」
「偶然とはいえ、巻き込んじまったのはこちらです」
ストーキングの事実を知らないため、同じ学校の生徒が偶然居合わせて後をつけてきたものと勘違いしている若松。
街を歩けばグラビア女優にスカウトされるレベルの沙織を見て、自分のストーカーだと一目で分かれという方が無茶だ。
そこで、メガネちゃんが口を開いた。
「会長、若松さんに言いましょう。このメガネ、今まで黙っていましたけれど、もう我慢の限界です。言ってしまった方が気持ちも楽になります」
「えっ、でもでも」
「この巨乳が! かわい子ぶってんじゃねえですよ。女だったらぶちゅーっと言うんです! 今のままだと嫌われて口も利いてくれなくなりますよッ」
メガネちゃんの鬼気迫る形相と発言に、沙織は口をパクパクさせて二の句を告げない。
「わたしが言っちゃいますよ、いいんですか!?」
「よ、よくない。若松くんっ」
「ええと、男が聞くとまずい話でしたら席を外しますが」
若松は状況がつかめない。
沙織はそんな若松をじっと見た。愛しい人を見つめる潤んだ瞳が、意を決する。
「あの、わたしは、鷲宮沙織は……若松くんのストーカーですッ。ごめんなさい、あなたのことが好きで、でも勇気がなくて、ずっと後をつけてました」
メガネちゃんは、沙織の成長に思わず涙した。ハンケチを眼鏡の隙間に入れて涙をぬぐう。
「えっ、ストーカー……ですか? あの、お嬢様のストーカーをしてたじゃなくて」
流石の若松も、これには苦笑いでは済まされない。
「わたしっ、若松くんのストーカーなのッ」
鷲宮沙織、混乱の極みで一世一代の告白であった。
「ええぇ」
こんな時、どんな顔をしたらいいというのか。
若松はドン引きの顔をしたらいいか、それとも優しく対応するべきか迷ったものの、結果としてドン引きの顔が出た。
「本当に会長がすいません。最初はどこに住んでるとか、普段はこんな感じだとか、それだけだったんです。それが、こんなことに。でも、ゴミを盗むとかそういうことはしてませんし、させてません。会長はビビりなんで、後をつけてさり気なく同じお店に入ったりするのが限界でした」
息をつかせぬメガネちゃんの長広舌。
何をいうべきか、若松も混乱の極みにあった。しかし、何か言わねばならない。
「すいやせん。ストーカーは、ちょっと……」
思ったことを口に出してしまう。
どれほど大人びていようと、未だ、若松は少年であった。
「ぶぇ、うわああぁぁぁぁん」
ガチ泣きの沙織である。残念ながら、当然の結果だ。
その時、石造りの扉が勢いよく開かれた。
「ふふ、話は聞かせてもらった。若松殿、やはり地上の人間、ヤマト共は穢れに充ち満ちております」
勢いよく現れたのは、部屋の外で控えていたクマヒであった。言うが早いか、ずいと若松に詰め寄る。
「先ほどのご無礼、どのような責め苦を受けてでも償いましょう。ですがその前に、若松殿、先日から小夜子様にも申しておりました縁談の件です。わたしを、お嫁さんにして下さい」
「クマヒ様、と、突然何を言っているんですかい」
またしてもとんでもない発言が来た。今までやんわり断ってきたというのに、どうして腕を斬りつけた後にそうなる。
「先ほどの件で分かりました。小夜子様は地下東京の神、若松殿こそが地底の王に相応しいと! 婿入りなど必要ありません。わたくしがお嫁さんになって、たくさんの赤ちゃんを産みます」
若松は困った。
小夜子の従者となってから、これほど困ったことなど無いというくらいに困った。だが、ここは逃げられぬし、逃げてはいけないということは分かる。
「すいやせん。クマヒ様はお美しい方ですし、お気持ちは嬉しいのですが、結婚とかは考えておりやせん」
クマヒは、仁王立ちで滂沱の涙を流した。そのまま固まって十数秒。
「うぇ、うえええええん」
屍食鬼の未来まで賭けて求婚したクマヒ姫、ギャン泣きであった。
この流れを作ったメガネちゃんも、これにはおろおろするばかり。何とか慰めようと口を開く。
「あああ、お二人とも、素敵な告白でした。結果はどうあれ、想いを伝えたんです。これが青春です」
「うぇぇぇぇ」
「ひぎゃああああ」
この居たたまれない泣き声の輪唱。
泣きたいのはこっちだ、という言葉を飲み込める若松は、少年ながら人間が出来ていた。
メガネちゃんが、きっ、と若松に向き直る。
「若松さん、ここは、行って下さい」
「え、どこへですか」
「ここじゃないどこかなら、どこでもいいです! 早く、行って下さい」
内心で助かったと思いながら、若松はかける言葉もなく部屋を出た。
部屋のすぐ外には屍食鬼の女性たちが詰めかけていた。中の様子を伺っていたようだ。なぜか、若松は女性陣から微妙に睨まれている。
「失礼します」
そう言ってそそくさと逃げる。
なんでこんなことになってしまったのか。気が重い上に、小夜子にも顔を合わせにくい。
厨房に帰り着いた若松は、スーシェフ用の椅子に座ってふうっと息を吐く。
まったく、大変な目にあったものだ。
ふと、視線を感じて石造りの窓に目を向けた。
窓際に生えたキノコの上。一匹の小さな蜘蛛がいてじっと若松を見ている。
「さっきの蜘蛛かい。お前もキノコを食べたいんだな。エリンギ様の振舞いだぜ、遠慮せず食べな」
戯れに、そんなことを言ってみる。
小さな蜘蛛はぴょんと跳んで、若松の手の平に乗った。
「おっと、いきなり跳ぶとびっくりするだろ」
蜘蛛に語り掛けると、蜘蛛はじっと若松を見上げるばかり。
人懐っこい蜘蛛など初めて見た。
厨房の屍食鬼シェフたちの料理もそろそろ佳境だ。お飾りとはいえ、スーシェフ。現場を見回るくらいはせねば。遊んでいる場合ではない。
「ゆっくりキノコでも食いな」
蜘蛛を元いたキノコに乗せてやり、若松は仕事に戻る。
その背中を、小さく強壮なる蜘蛛が、じっと見つめていた。
一方そのころ、小夜子の事務仕事も終わりに近づいていた。
エリンギ様のキノコ祭りで大幅に計算が狂いそうなこともあり、このキノコは売り物にせず屍食鬼たちで消費せよと命じることにした。
元々、地底では蜘蛛神への捧げもので、屍食鬼が食べられるものではなかった。
小夜子がそのままかじって味見したところ、屍食鬼であれば問題なく食べられるし、妖物としての格を上げるほどの滋養である。
地上に出しても、退魔師やら妖物が混乱するだけで得は一つも無い。争いの火種だというなら食ってしまった方がマシだ。
「では、今日の仕事も終いじゃ。皆の者、今月もよく働いてくれたの」
屍食鬼たちが労いの言葉に平服する。
大げさすぎてしんどい。
ここは退魔十家の妙なプライドを見習ってほしいところだ。
ここからは宴会となるのだが、先ほど若松を叱ってしまったこともあって、小夜子としては少し気を遣う。
必要なことであったが、強く言いすぎた気がする。
「難しいものじゃ」
口には出さないが、小夜子と若松には確かな絆がある。この程度で崩れるものではない。それが分かっていても、気まずい時はある。