小夜子とギャル谷の雑談と若松少年の評判
いつもの日常に戻ったとは言っても、小夜子の日常は一般的には非日常である。
瓜子姫の一件では、学校の欠席をギャル谷の分も含めて公欠扱いにしてもらった。生徒たちに長野土産を配ったところ、間宮さんなら仕方ないよね、ということになった。
訪れるかもしれない【転校生】や主人公。
それらを待つためだけに普通科の高校に通っている小夜子は、いつも通りのお昼を過ごしている。
さて、先日過ぎ去ってしまったのだが、バレンタインデーというものがあった。
小夜子が突然そんなことを思い出したのは、重箱のお弁当の後にギャル谷がチロルチョコのきなこもちを食べていたからである。
「そんなじーって見なくても、チョコくらいあげるってば」
「失礼じゃな。チロルチョコにそんな味があったと知らんかっただけじゃ」
「あげるってば。箱で買ったし、いっぱいあるよ」
ギャル谷がくれた【チロルチョコきなこもち】は、比較的近年に発売された味である。90年代には無かったものだ。
パッケージからして当たりの雰囲気が漂っており、猛烈に食べたい小夜子であった。
「うむ、それでは頂こうかの」
懐かしいパッケージの方式はそのままで、包みを開けるといかにも「きなこでござい」というカラーのチョコが出てくる。
ぱくりと口に入れると、きなこもち、の名に恥じないきなこもち感。
本物とは別物、というフェイク感覚が極めて薄い驚異の完成度!
むしろ、一口目はきなこがくる。そして、しっかりとしたチョコ味が走り抜けた後に、中のむにむにしたゼラチン餅の食感が混然一体となっていつしか食べ終えている。
一粒で三度も美味しいチョコであった。
「どう?」
「んんんん、美味い。ギャル谷はきなこが好きなだけかと思うていたが、こんなにチロルチョコって美味くなっとったんじゃな!」
90年代のチロルチョコは駄菓子的な味に独特の魅力があった。令和となって、チロルチョコは駄菓子感を残しつつ進化している。
「いいでしょ。あーしも好きだよ」
きなこ味のお菓子はだいたい好きなギャル谷であった。
「それはそうと、バレンタインデーも知らん間に過ぎ去っておったのう」
「あん時、みどりんと魅宝ちゃんのことで大変だったし、しゃあないでしょ」
「はしたない言葉はやめよといつも言うておろうに。特に贈る相手もおらんが、終わった後はチョコが特売で売られるからの。あれが楽しみなんじゃ」
「サヨちゃんってお金持ちなのに、その辺りセコいよね」
「ほほほ、倹約は大事ぞ」
「あー、それで思い出したけど、若まっつんもあん時に大阪旅行してたっしょ。渡せなくてギャン泣きしてるコいたよ」
「何を渡すんじゃ?」
「そりゃあ、チョコでしょ」
小夜子はしばし固まった。
チョコ? と若松が結びつかない。若松はくどい甘さは好まない。和菓子が好きというシブい趣味をしていたはず。
「若松にチョコ?」
「バレンタインだし。サヨちゃん知らなかったの? 若まっつん、けっこう人気あるんだけど」
「にんき?」
「いや、だから、女の子に人気あるよ。あと男子にもだけど」
え、マジで? と小夜子は思った。
「そうなのかや。わらわ、知らんかった」
若松は気の利く男で従者ということもあり、私生活に立ち入ったことはない。 親がロクデナシなことは知っているが、それも小学生時代に全て解決したことだ。もう、あのロクデナシとは縁を切った。
「最初はケンカ番長だったから怖がられてたんだけど、なんか重いもの持ってたらすっと持ってくれたりとか、いじめられてる子を助けたりとか。えっとねぇ、他にも調理実習の時の腕まくりと前掛けがいいっていうのもあったかな」
独特の貫禄があるのは確かだ。
塩顔のおかげか、高校生に見られないというところもある。だが、そういう人気があるとは、小夜子もついぞ知らなかったことだ。
「ほう、あやつもなかなかやるではないか」
さて、当の若松だが、珍しくそばに控えていない。教師に呼び出されたとかで、席を外している。
「今、いないから言っちゃうけど、ほら、生徒会長の鷲宮さんっているでしょ?」
「ん、ああ、あの二年か三年かの、釣り目の女じゃな」
「そうそう。女の子人気一位のあの人も若まっつんのこと好きって噂。なんかね、近くのアホ学校あるっしょ、あそこのバカが因縁つけてきた時にさっと助けたとかって。マンガみたいなことあったらしいの」
「ほうほう、ちょっと面白いではないか。そこらのチンピラに若松は負けんじゃろうが、あやつもなかなか隅におけんものよ」
ギャル谷がニヒヒと笑う。
「そういうことなんだけど、若まっつんって、ほら、サヨちゃん一筋だから」
「ほほほ、わらわと若松はそういうんではないのう」
「あーしは知ってるけど、みんなはそう思わないってこと」
小夜子はくくくと小さく笑った。悪役笑いである。
「実を言うとのう、若松にはすでに予約がついとるんじゃ。あやつは受けるつもりは無いようじゃが、そこそこ大きなお話でな」
小夜子がそれをギャル谷に説明する。
この話に耳をそばだてている者がいるとも知らず、二人は話していたのである。
生徒会長室で、鷲宮沙織は部下からの連絡に、ぐぬぬと唸った。
この田舎町で最大級の名家が鷲宮家である。
市議会議員を輩出している地元ゼネコントップ鷲宮建築の一人娘、それが鷲宮沙織である。
釣り目で勝気な性格とビシっと通った背筋に長身。
成績優秀でスポーツもできる文武両道という絵に描いたようなお嬢様が、スマートフォンの画面を血走った目で見つめている。
斥候として放った生徒会書記からの連絡であった。
いつもは重箱が美味しそうという内容しか報告が無いというのに、今日に限って若松のことが話題に上がったとのことだ。
「ぐぬぬぬ、忌々しい間宮小夜子め」
生徒会室には鷲宮沙織しかいないのをいいことに、普段は絶対に見せないえげつない表情で独り言を漏らしていた。
「若松くんに、え、今どき、今どき縁談ってなに。東京の地下鉄関連のお嬢様らしいってどういうこと。どういうことっ、どういうことっ」
どうもこうも、小夜子に直に聞くしかないのだが、鷲宮家の一人娘たる沙織が出自の怪しい大金持ちの娘にへりくだるなど、矜持が許さぬ。
そのようなどうでもいい理由なのだが、彼女が若松にご執心であるのは、年が明けた一月まで時を遡る必要があった。
冬休みのことである。
仲の良い友達と初詣に出かけた帰りのことだ。
初詣をすませて、駅前で友達と別れて一人になったところを、酒臭い息の少年たち総勢五名に囲まれてしまった。
沙織も幾度か駅前で見た顔で、彼らは近所にある有名なアホ学校である轟高校の生徒たちであった。
今どき暴走族やらヤンキーを多く輩出する学区内の逆エリートたちである。
正月といえば飲酒、無免許運転、カツアゲという非常に分かりやすい連中であった。
鷲宮沙織は実にスタイルがよろしい。
だれが見ても分かる大きな胸にすらりとした体つき、気が強そうな顔も非常に良い。
そうなると、酒で気が大きくなったバカたちが放っておかないというものだ。
「ちょっと、やめてください」
「いいからつきあえよ」
絵に描いたような迷惑男にからまれる女の図である。
「ちょいと失礼しますよ」
そんな声と共に、小柄な陰が割って入った。
バカ高校の連中も何が起きたか分からなかっただろう。沙織の手をつかんでいた男は、崩れ折れて気を失っていた。
「おっと、こりゃあ飲みすぎじゃないですかい」
そう言って現れたのが、若松少年であった。
ツナギの上に革ジャンを羽織っているという奇妙な姿だ。地面にエコバッグを置いていて、そこからは餅米の袋が覗いていた。
「なんだお前っ、おいケンジ、どうしたよ」
「飲みすぎでしょうな。酒ってのは怖いもんです」
そう言った若松は、二人目の少年に密着するようにしながら拳を叩き込んだ。
見た目よりも遥かに重い一撃で、二人目も腹を押さえてうずくまる。
ようやく気付いた残る三人が凄んだり蹴ろうとしたりしたのだが、若松が放った拳が炸裂。驚くほど鮮やかに倒してしまった。
「皆さん、飲みすぎでぶっ倒れちまったみたいで。酒は怖いもんです。では失礼しやす。そちらのお嬢さんも、早く帰るのがよろしいですよ」
沙織はぽかんとしたまま、それを見ていた。
現実のこととは思えないような、颯爽とした立ち振る舞いだった。まるで、古い映画のような立ち去り方も、現実離れしている。
沙織がようやく現実に戻った時には、彼の背中は遠ざかって小さくなっていた。
パチンコ屋の隣にある小さな煙草屋、そこの婆さんが、パチパチと拍手をしているのが聞こえる。
「いつ見てもカッコイイねェ。岸田森かショーケンみたいじゃないかい」
婆さんは猿みたいな顔で笑いながら手を叩く。そうすると、灰皿にたむろしていたパチンコ屋の常連である中年から爺さんたちがニコニコ笑顔でうんうん頷いている。
「いつ見ても颯爽としてやがんぜ。あの野郎、あれで16のガキってのが信じられねえや」
ケンカを見ているのに通報もしない大人たちだ。
沙織はドン引きの人種なのだが、今はそんなことより気になることがある。
「あ、あの、あの人って」
沙織は気が付けば、彼らにそう尋ねていた。
「おや、知らないのかい。丘の幽霊屋敷に越して来た、大金持ちの間宮さんとこの若松クンだよ。あの男ぶりがいいんだよネェ。いつも商店街で買い物してくれてんだけどサ。早く大人になってウチで煙草の一つも買ってくれりゃあいいんだけどねェ」
煙草屋の婆さんが嬉しそうに言う。
そうすると、灰皿に集っている正月からパチンコに興じていたダメ大人たちが、口々に若松の話を始めた。
ダメ大人たちいわく、商店街では有名な好青年だとか。
派手な着物のお嬢様の下男で、何かとお世話をしているのだとか。
意外に読書家で、潰れかけた本屋では太宰治やら山本周五郎を買い求めていたとか。
無法者とのケンカは負け無しで、困っている人を見かけたら親切にしているとか。
近所の雀荘で、ヤクザの代打ちと勝負して勝ったとか。
昭和の任侠映画から抜け出してきたような評判である。
「若松くんっていうんだ」
鷲宮沙織、燃えるような恋に落ちた瞬間である。
人が恋に落ちる瞬間を見ていたダメ大人たちは、なぜか「うんうん」とうなずいていた。
そのようなことがあった鷲宮沙織なのだが、住む世界の違う人なのだろうと思っていたら、同じ学校でしかも下級生ということを冬休みが明けてから知ることになる。
そこから、沙織は若松を追いかけ始めた。
恋のなせること。そう表現すると聞こえはいいのだが、彼女がやっているのはストーキングだ。
一度は間宮屋敷まで行こうとしたのだが、なぜか近づこうとしたら道に迷うということで、一度もたどり着けていない。そして、学校内での若松は小夜子にべったりで話しかけることすらできない。
そういうことで、メガネがチャームポイントの生徒会書記の女の子に情報収集をさせている。その結果が今であった。
「ああああ、なんでなんで。絶対にイヤっ、なんにもしてないのになんでよおっ」
鍵をかけた生徒会室で鷲宮沙織は叫ぶ。
発狂している訳ではない。
人前ではどうしても素を出せないこともあり、完全防音の生徒会室で一人の時はストレス解消に思いっきり叫ぶことにしているのだ。
書記から続いて連絡があった。
スマートフォンには、今度の土曜日と日曜日に用事があってその縁談だか許嫁だかに会いにいくという情報が記されている。
間宮小夜子の知り合いなのだろうが、そんなこと許せない。
まともな思考回路であれば、ここで告白しに行くという選択肢がある。しかし、どうにも鷲宮沙織という女の子は、その点ではポンコツかつ陰湿であった。
一方そのころ、小夜子とギャル谷の雑談は続いている。
「ということでな、東京まで月一で行かねばならんのじゃ。地下鉄からの、地下世界へ続く横道があるんじゃが、薄暗いはじめじめしてるわで、ほんに気が滅入るというもの」
「サヨちゃん、週ごとに大冒険してて大変じゃない?」
「いやいや、この前のようなことは珍しい部類よ。大抵は事務仕事じゃからなァ。地下世界の屍食鬼たちも、歓待してくれるのは良いんじゃが、なんというか、……わらわの期待していたのと違ってのう」
「コーラと間違ってトクホコーラ買った感じ?」
「そうそう、その感じじゃ。間違ってないけど違う」
「あー、でもまあ、そういうもんじゃない。あーしも、中学の時に考えてたキラキラした仕事って、やってみたら全然だったし」
読モ稼業の地に足がついてない感じがイヤで、ギャル谷は地道なフォークリフトのバイトに切り替えている。
「現実は切ないものよな」
「サヨちゃんに言われてもなぁ」
そのようなことで平穏な日常が今のところ保たれていた。