小夜子、推して参る
感想いつもありがとうございます。ここで御礼申し上げます。
思う所があって返信は控えていますが、全て読んでおります。
無数の天邪鬼共はそこまでの相手ではない。
竹一郎と聖蓮尼という二人であればの話だが、十分に対処できる範囲である。
道反竹一郎は現代に蘇った鬼そのもの。武器といえば鋼鉄の金棒で、それを振り回すだけだ。単純な運動エネルギーだけで、天邪鬼という強力な妖物を肉片に変えてしまう。
聖蓮尼といえば、薙刀を振り回して首を刈り取る。舞いのごとき優美さで、血が舞い散るというものだから、現役のころから何一つ衰えていない。
桃太郎卿は剣を抜いて天魔雄と共に天逆毎へと向かっていた。
誠士は因縁の手長足長と対峙している。
天叢雲剣は、結局のところ誰も手にできなかった。
天魔雄の手を焼くほどの神宝は、桃太郎卿をも拒絶し、誰も触ることすらできない。仕方ないので、地面に突き刺して朱音を守る結界の代わりとしている。
混戦という有様だが、ここには近接パワータイプしかいないのだから仕方ない。
誠士と手長足長は、睨み合いから始まった。
「姉者よ、喰いそびれた子供じゃ」
「くふふ、母様より叱られたのもこやつのせいじゃ。今度こそ喰ろうてくれるわ」
誠士は対魔加工の施された学生服姿で、やはり無手であった。対する手長足長は、以前と同じように弟鬼が姉鬼を肩車しているという立ち姿である。
結局のところ、桃太郎卿との修行は実戦と世界からのバックアップに慣れることでしかなかった。
桃太郎という役割を引き受けることで、誠士には世界が味方する。
「後がつかえてる。早くかかってこい」
「言うたな、小童めが。生きながら腸を引き裂いてやるわ」
姉鬼である手長の白目と黒目の反転した瞳が、殺意に燃える。
誠士が先に動いた。
足長にはとらえられぬ歩法で接近し、その大きな顎を手の平で打ち据えた。人間相手には脳を揺らせるだろうが、足長の強力な骨格には通じるものではない。しかし、徹った。
「が、なんで」
足長には信じられるものではない。ただの一撃で、平衡感覚を失って膝をつくなど、強力な妖物である足長にも初めての経験だ。
「お前の骨格は見えた」
誠士は続けて拳を足長の左目に打ち込んだ。妖物の肉体の中にある流れを乱す、如来活殺の初歩にして秘奥。
足長は口と両目から血を吐いて倒れ伏す。
「なっ、弟よ。そんな馬鹿なこと、この程度で死ぬなんて」
誠士はちらりと天逆毎と斬り結ぶ桃太郎卿たちを見やる。あれなら、あの【嘯き】で前のように生き返らせるようなことはできまい。
「次はお前の番だ。おじさんの仇を取らせてもらう」
「弟よ、死んではいかん。痛いの痛いの、とんで、なぜ飛ばんのじゃっ」
死した後に、肉体の痛みは無い。受けた傷を返し矢とする報復呪法は、対象が生きていないとその効力を発揮しない。
一族の仲間の仇。姉のように接してくれていた女からも、頼まれている。こいつらは誠士の手で倒さねばならない。
「お前もすぐ送ってやる」
「ぐぐぐ、許さんぞ。弟を一度ならず二度までも」
「知るか、命は一回だけだ」
言った誠士が繰り出した拳を、手長は弟の身体を蹴り倒して盾にすることでかわした。
「弟の身体を盾にするのか?」
「知ったような口を。母様がおれば、命など何度でも」
手長の長い腕を用いた薙ぎ払いが迫った。
触れただけで相手を破砕せしめる妖力のこめられた腕である。以前は恐ろしく感じたというのに、今は取るに足りぬやりやすい相手であると感じた。
今代の桃太郎という役割が、誠士の力を引き上げているから、触れることができる。
対妖物柔拳術【如来活殺】。かつて、世界の外より伝わったというこの技術は、古流柔術に似たものだ。
大地を身体の一部として、妖物を投げ落とす。運動エネルギーに霊力と正しくある世界の力を加えて妖物を内部より破砕せしめる。
「ぎいぃぃぃええぇぇ」
手長の悲鳴が響き渡った。
迫った手を体で受け止めた誠士が、身体を捻ってその腕を中ほどで折ったのである。常ならば、運動エネルギーで折られた腕などすぐさま復元しただろう。しかし、如来活殺による技は、へし折れた腕を腐食させている。
「なんだ貴様は。アタシの腕を腐らせるなんてっ。嫌っ、寄るなっ、バケモノっ」
返す言葉など無い。
誠士は手長に肉薄すると、恐怖に引き攣る顔面を殴りつけた。そのまま、首に手を回す。
「や、やめろ。そなたの式神になる。だから、殺さんでくれ。もう痛いのは嫌じゃ。母様に叱られるのも、もういやなんじゃ」
妖怪同士の力関係で、どのように酷い折檻があったか誠士には知れない。しかし、それを理由に生かして帰すことはできない。だが、その言葉を聞いてしまった。
手長は言霊を使う。必殺の痛いの痛いの飛んで行け、あれもまた言霊による強力な呪法だ。
同情と憐れの言霊に、ほんの一瞬だけ囚われた隙に、女鬼は母ゆずりの吐息を放つ。
「うっ、くそ」
すぐに気づいたが、微量であっても古い妖物のやるそれ。強力な効果をもたらした。
「アタシは不幸な女じゃ。母様には叱られ、知恵の足らぬ弟の世話をしてばかり、女の身を持て余しておる……」
手長の色気吐息が、誠士の理性に浸食する。
天逆毎の眷属である手長にとって、吐息の術はそのルーツに深く連なるものだ。故に、それは強力な一手となる。
手長は着物をはだけて、その豊かな乳房を見せた。
「ひひ、母親に愛されておらんのか。アタシと同じじゃないか。さあ、寂しい同士、よろしくやろう。こっちへ来い。暖め合おう。ほら、吸ってもよいし、好きにしていいのよ。優しうしておくれ」
その誘いには抗いがたく、胸元に吸い寄せられる。鼻先が谷間に届いて、女の匂いが鼻をくすぐった。
誠士は自分の顔に手をやって、その鼻を自ら折った。
目の前に火花が散るような痛みの後に、全身の霊力を回して、体内に入った色気吐息を外に出す。
正気に戻るが、それでも手長の全身から発散される色道の術で身体を縛られる。
「吐息を追い出したところで、もう遅いわ。ひひ、桃太郎の味を知れるとはな」
それが食欲か、それとも性的な意味であるかは不明だ。しかし、手長の嫋やかな無事である手が、誠士の身体に伸びた。
【わたしのだから】
背筋も凍るというのは、こういうものだろうか。
その冷たい朱音の声と共に、何か大きなものが誠士の間近を通り過ぎた。
「かっ、馬鹿な……、どうして、八束剣が」
ころりと転がった手長の首が、信じられぬという顔でそう言った。
誠士がはっとして振り返れば、天叢雲剣がブーメランのように回転しながら飛んでいて、天邪鬼共の首を狩りながら一周して朱音の目の前の地面に突き刺さるところである。
「助かった、のか?」
遠くで手を振る朱音に、誠士はうすら寒さを覚える。
『おい、道反誠士よ。わらわは影の間宮小夜子じゃ。いいから、これはなかったことにしておけ。絶対、このことは話題にしてはいかんぞ』
耳元で幽鬼の声が聞こえて、誠士は驚きながらも頷いた。
母親と同じものが、朱音にはある。女であれば誰にでもあるものなのだが、それを分かるにはまだまだ誠士は若すぎる。
聖蓮尼と竹一郎は背中を取られないように互いの背中を合わせる形で天邪鬼共を切り払っていた。
普通の退魔師からすれば手強い相手である天邪鬼だが、この二人には相性が良い相手である。
竹一郎は古い鬼の血が色濃く出ているため、天邪鬼のやる目晦ましの術や、右と左を誤認させるといった術は効かない。
「ええい、数が多いわっ」
聖蓮尼の手でくるくると自在に動く薙刀。それを、聖蓮尼は意識して振るっていない。彼女の戦いとは、ほぼ全てに技が無い自在の剣。
何かしようと考えて振っていないが故に、左右を誤認させるという術は聖蓮尼に通じない。そうなれば、竹一郎を敵に見せる術を使ってくるのが天邪鬼というもの。
昔話では、おじいさんとおばあさんを鍋の具材にして瓜子姫に食わすということをするが故の妖術なのだが、これも聖蓮尼には通じない。
「このカス共がっ、寺での狼藉三昧。その命で償えや」
聖蓮尼という人物に、それは効かない。
惑わし神の側面を持つ天邪鬼の術は、迷っている者の心につけこむものだ。元から迷いなど一切無い者に通じるはずがない。
天逆毎が率いる天邪鬼軍団にとって、最もやり辛い退魔師がここに集っていた。
当のケモノ女こと天逆毎は、桃太郎卿と天魔雄の攻撃をいなしながら、面白そうにそれを見ているという余裕ぶりである。
『カカカカ、つまらぬつまらぬ。これでは上手くいかぬ』
言葉の意味は逆しま。
「母上、今さらこんなことをしてどうする。神の時代などすでに失われた」
天魔雄が言うと、天逆毎はケモノの顔で侮蔑の笑みを浮かべた。
『天魔雄よ、あと少しでこの世は裏返る。伊邪那美めが閉じた黄泉平坂と地続きになり、我らの世が来る』
「そんなことがあってたまるか」
今になって、ようやく天逆毎は意味の通る言葉を吐いている。
神はもういない。いたとしても、全ては【あちら側】へ行った。
『我らはいるではないか。それに、流し遣られた叔父上はこちらを窺っておるぞ。だから、こうするのよ。逆しま逆さの逆柱』
天逆毎が言って、その手を振ると地面が揺れた。
地震ではない、地面を突き破って大きなものが顔を出した。
「む、このような術を遣うとは」
桃太郎卿が驚きの声を上げた。
地面を突き破って伸びたのは、石の太い柱であった。
「なっ、寺の敷地に何をしとるんじゃ」
聖蓮尼も怒りの声を上げる。
『天の御柱と対を為す地の御柱である。カカカカ、瓜子姫がおれば、ここで国産みもできようぞ。そうら、猛気をくれてやろう。地に充ちればここは常世となるぞ』
天逆毎が口を大きく開いて息を吐き出した。
強烈な瘴気混じりの毒息が吹き荒れると、天邪鬼共の死骸が再び立ち上がる。それには、手長足長も含まれていた。
「聖蓮尼、どうします?」
竹一郎がそう問うた。それは、超小型核弾頭を使うか否かの問いだ。
「お、おのれ、人の寺で地獄界顕現をやるとか、もう許さん。竹一郎、雑魚は任せたぞ」
聖蓮尼はすでに聞いていない。
竹一郎の知る限り、彼女は最もよくない状態にある。こうなった聖蓮尼はどうやっても止まらない。後先のことなど、完全に頭から抜け落ちている。
聖蓮尼が走り出そうとしたところ、地の御柱と天逆毎が呼ぶ石柱から、異常な音が鳴り響いた。
耳鳴りにも似たその響きにより、天魔雄を除いた皆の動きが止まる。
生ある者であれば、この音とこの瘴気によってまともに動くこともできなくなる。それが黄泉の国というものだ。
魂魄だけになるか、魂魄の無い人間か、それか異界の邪神でもなければ自在に動けようもない。
『常世の音じゃ。ここはすでに根の国ぞ。父上、この我を止めたくば、ここに顕れよ。そうせねば、天地の理は灰燼に帰すことになろうぞ』
「母上、もうやめろ。俺たちは、素戔嗚尊が吐き出したとるに足らぬモノだ」
神としての成り立ちからしても不明瞭な天逆毎。彼女の生み出した天魔雄も含めて、素戔嗚尊は神とも認めぬかもしれない。
根の国と繋げてここが地獄や黄泉の国になったところで、それで出てきてくれるとは思えない。
『父上のこと、そうなるじゃろう。ならば、呼び出せばよい。ここには天叢雲剣までもがある。さあ、父よ、ここに来られませい』
天逆毎は荒ぶる神格としての素戔嗚尊を呼ぶつもりだ。
「やめろっ、そんなことをしてなんになる」
天魔雄には理解できないだろう。彼は、すでに神ではなくなっている。朱音の母である冴子と出会ってしまったことで、神であることを捨てた。
『父上に恨み言を吐くのじゃっ。この我を誰も顧みぬ世など、壊れてしまえばよい』
天逆毎の性そのものである。
子供の我儘をやる神として、天逆毎はいる。父から捨てられた娘として、相応しいことをやるために、現世へと戻った。
ヒルコの海で、それを見ている者がいる。
じっと、それはこの様子を見ている。
足音がした。
山寺へと続く石段を駆け上ってくる足音だ。
「聖蓮尼、道に迷って遅くなりましたっ。鳴髪小夜子、ここに参上です」
レザーロングスカートとニットの上にトレンチコートを羽織った、場にそぐわないコーデで現れたのは鳴髪小夜子である。
『なんじゃ、ここで雑魚が増えたところでなんになる』
天逆毎が見たところ、ただの人間の女でしかない。その手には何の力も感じない普通の日本刀を持っているだけだ。
「おい、バケモノ。なんでここを地獄にしてる?」
鳴髪小夜子はそう言って、日本刀を抜いて鞘を放り捨てた。
『ふん、力の差も分からぬか』
「それがお前の自己紹介か?」
寺に充ちる瘴気など、鳴髪小夜子には慣れたもの。
かつて戦い抜いた地獄の未来にあった瘴気濃度は、こんなものより遥かに濃いものだ。
だから、鳴髪小夜子はこんな場所でも自由に動ける。むしろ、動きやすいくらいだ。
歩いて天逆毎に近寄って、刀を振った。
『は、がああぁぁぁ』
天逆毎の右手が切断された。
「首をやったつもりだったのに、腕が落ちるか。まあいい、死ぬまで斬ってればその内に死ぬだろ」
『き、貴様、この我の手をいともたやすく』
「は、棒立ちになってたら、そりゃあ斬るよ。それと、この柱を作ったのはお前か。このクソ柱、相変わらずうるさいな」
鳴髪小夜子は天逆毎に背を向けて、地面から伸びている地の御柱に歩み寄った。
そこにいる者たちは皆、鳴髪小夜子を見ていた。
天邪鬼の群れたちもまた、吸い寄せられたかのように彼女から目を離せない。
「きいえぇぇぇぇ」
絶叫のような気合の声と共に、白刃が振り抜かれる。
この場の誰もが知り得ないことだが、未来でこのような呪力の起点となるものを、鳴髪小夜子は破壊し続けてきた。だから、斬れる。あの日できたことが、ここで出来ないはずがない。
地の御柱は斜めに切れて、ゆっくりと倒れた。
「なんと鮮やかな」
桃太郎卿ですらも思いがけず発した感嘆の言葉が、いやに大きく響く。
柱が倒れると共に、瘴気は消えていく。
『ば、馬鹿な、人間がこのようなことをして無事でいられるはずがない』
神に所以あるもの、それを破壊すれば祟りがある。しかし、鳴髪小夜子にだけは適用されない。
すでに、何百というあらゆる祟りを受けてそれを撥ね除けている女に、それは意味をなさない。
「……これを作ったヤツを、ずっとぶっ殺したいと思ってた。どれだけの仲間がこれにやられたか、思い出したら腹が立ってきたよ」
地獄の未来で、幾多の死を乗り越えて生まれた悪鬼羅刹。
鳴髪小夜子が推して参る。