小夜子は遅刻して聖蓮尼組は全員集合
びっくりするくらい気まずい時間が経過している。
深刻すぎる親子の時間を横で眺めるという針の筵。
聖蓮尼と竹一郎は大人代表として、遠くで眺めている訳にもいかず、半壊した食堂で茶を飲んでいる。
父親が天魔雄という九天の王で、その母親から守るために自ら去って、それが間違いだと気づいて秘密兵器を持って娘を救いに来た。
天魔雄の視点ではそれなりにドラマチックな話だが、朱音からすれば今まで距離感が変に遠かった父親が、ある日突然に家族を捨てて出ていったら、助けに来たと言って一番大変な時に現れた、というものだ。
タイミングが悪い。
いやな言い方だが、もっと大ピンチの時なら嬉しさが勝っていたはずだ。しかし、この決戦前というところで急に来られて、今さら娘に距離を置いていた理由を説明されても、朱音に納得できるはずがない。
聖蓮尼は「退魔師の家でもあることです」なんて言ってみようかと思ったが、それがなんの慰めにもならないことを知っていたため、言うのをやめた。
「竹一郎よ、子供がいたらこういう時にどんなことを言うのですか?」
おはぎはまだ残っていたが、こんな重い空気の中でむしゃむしゃ食べていいものか。竹一郎も同じ考えからか、せっかく作ったおはぎの皿にラップを張っていた。
「私に聞かれましても。そうだ、今日は英気を養うということで、鍋でも作りましょうか」
「綾子がやらんから、お前が料理を作っているのですね。……電話してきましょうか」
「綾子のことを言い訳に逃げるのは卑怯ですよ」
竹一郎は退魔十家の中でも、かなりまともな人物だ。むしろ、妻の性格に難があるということ以外では、非常によく出来た立派な父親だ。
誠士の屈折した性格は、一族の中での派閥争いから端を発している。そこさえ除けば親子関係は良好と言っていい。
聖蓮尼は独身であるし、相当の偏屈者であることもあって、こういう話になると途端にイイ言葉が出なくなる。
「間宮さんでも、鳴髪でもよいから、速く来て欲しいですね」
二人とも、あの空気の読まなさという意味では、こういう時は頼りになるに違いない。できたら全てめちゃくちゃにしてほしい。
「……もしや、鳴髪小夜子が来るのですか?」
間宮小夜子については聞いていたが、アレが来るとは聞いていない竹一郎である。文句の一つも言いたくなっていた。
「言い忘れていましたよ。アレも呼んだ。戦力としては必要であるし」
「それはそうなのですが、我々は恨まれていませんか?」
他家のこととして、不遇な扱いを受けていたことを竹一郎も知っていて、何もしてやれていない。
鳴髪家が他家への嫁入りを極端に嫌うこともあって、たまに挨拶をするといったことしかしていない間柄だ。
「鳴髪小夜子は、そんなもの気にしてませんよ。むしろ、アレを見たら一族の誰かに嫁がせたいと考えるでしょう」
悪鬼羅刹そのものの鳴髪小夜子。あれを御そうという考え自体が間違っている。それは間宮小夜子にしても同じだ。
「そうですか……」
「それで思い出しましたが、あの無謀なお見合いは撤回しなさい。間宮さんは、道反家では無理ですよ」
どこの家にも無理だろう。
触らぬ神に祟りなし、としておくのがよい。
「そうですな。誠士には、もう相手がいるようですし」
「それは気が早いような気もしますが、若者には自分の道を決めさせてやりなさい。あなたの時とは時代が違います」
「聖蓮尼、それを持ち出すのはよして下さい」
「綾子がああなったのは、竹一郎も悪いのですよ。アレの王子様になってしまったんですから」
「そういうつもりはなかったんですよ、本当に」
大雑把に言うと、八歳年下の綾子の命を救ったのが、当時は非常に尖っていた竹一郎である。
当時、この面相にコンプレックスがあった竹一郎は、こんな自分にも懐く妹的な存在ができたのが嬉しくて構ってやっただけ、という心持だった。しかし、それがまさかああなるとは、予想だにしていなかった。
時は90年代の終わり。後に妻となる綾子は、妹ポジション年の差ヤンデレという時代を先取りする欲張りセットであった。
「放っておいた私にも責任があります。本当に、誠士がまともに育ってくれてよかった」
聖蓮尼は親戚のおばさん的な立ち位置だったこともあり、誠士の成長を喜んでいる。まさか、桃太郎を襲名するとは思ってもいなかったが。
「ん、聖蓮尼、鬼ヶ島が」
「おお、遂に修行が終わりましたか」
その気配に、天魔雄も朱音も気づいた。
ミニ鬼ヶ島より、返り血に塗れた桃太郎卿と誠士が帰還したのである。景色が歪み、強い瘴気と共に二人は姿を表した。
「戻ったぞ。ほう、なかなか珍しい客人でおじゃるな」
桃太郎は戻った瞬間に、天魔雄を見つけた。彼の宿命からすれば、鬼を見つけてこうなるのは必然と言えた。
「天野さんっ、そいつは鬼だ」
「あのっ、ちがうのっ、このひと、わたしのお父さん」
「……桃太郎卿に、今代の桃太郎か。今の俺は、味方だ。信じられんなら斬っていい」
天魔雄が言った瞬間、朱音がきっと父親を睨みつけた後に平手打ちを見舞った。
「そういうの、お母さんに謝った後にしてっ」
流石の桃太郎も、他の面々も驚いた。
この世に、天魔雄を打ち据える娘がいるなどと、思いもよらなかったのだ。
「はははははは、天魔雄よ、よい娘でおじゃる。お前がそこまで弱くなったのも、娘のためか?」
天魔雄は顔を歪めた後に、苦笑いを浮かべた。影のある男前な中年男がやるハードボイルドな仕草だ。ただの中年ではキマらないが、天魔雄がやるとキマる。
「家族のためだ。朱音、すまない。本当のことを言うのは苦しいが、こうすると決めた。お前たちのためなら、命は惜しくない」
真実を言うだけで、天魔雄の力を目減りしていく。それでも、並の妖物を遥かに凌ぐ。しかし、今の天魔雄は桃太郎には及ばない程度だ。
「ふっ、ははははははは、素晴らしい。麻呂の目をもってしても、ここまで世が面白く乱れていようとは。あの蠅声なすクソガキのせいか、それとも運命というものか」
桃太郎に何が見えているのか、余人には分からない。しかし、彼が爽やかに喜んでいるのだけは分かる。
「えっと、朱音さんの、お父さん、ですか?」
事情を把握していない誠士が言うと、天魔雄は露骨に顔を歪めた。
「キミにお父さんと呼ばれる筋合いはないっ」
これには竹一郎と聖蓮尼も苦笑い。
「お父さんっ、いい加減にしてっ。誠士くんはずっとわたしのこと助けてくれてたのっ」
「ぐ、う、そうか。娘が世話になった」
平然とした様子で言えるのは、天魔雄の性によるものだろう。あべこべであれば、どのようなことでも言える。
「ははははは、天魔雄よ、そなたも変わったのじゃな。麻呂の知らぬ内に時代は変わりゆくものよ。して、どうしてそのようなものを持ってきた」
桃太郎の問いに、天魔雄は皮肉気な笑みを浮かべた。
「随分と手に入れるのには骨が折れたがな。母を殺せるのはこれくらいしかない。壇ノ浦に潜って、波の下にある海の都から盗んできたよ」
「ふっ、天叢雲剣を天邪鬼が手に入れるとはの。まさに天晴とはこのこと。この桃太郎、憎き鬼であるそなたを誉めずにはおれぬ」
聖蓮尼は頭が痛くなってきた。
こちらはプルトニウムを手配したというのに、神もまたその世界では同じかそれ以上の神殺しを持ち込んできた。
「桃太郎卿と誠士、それに天魔雄殿は風呂にでも浸かって、汚れを落として下さい。私はその間に食事の支度をします。さあ、竹一郎よ、久しぶりに手伝ってもらいましょう」
「ははは、久しぶりですね。そのようなお手伝いというのも」
聖蓮尼と竹一郎は、台所へと逃げた。
とりあえずは何も考えずに、料理でもしよう。今が緊急事態でなければ、聖蓮尼と竹一郎はパチスロにでも行って無心にコインを入れていただろう。
このようにして、時は進む。
その後、食事をしてそれなりに気心の知れた感じもあり、二人の桃太郎は身体を休めた。
影の小夜子は出てこない。
聖蓮尼の見たところ、何かを隠しているのは彼女だけだ。
桃太郎と何やら因縁はあるらしいが、何を企んでいるのか。しかし、今さらになって影を消すために消耗しては、本命がどうにもならなくなるやもしれない。
二人の小夜子からは、今向かっているという連絡がきたきりだ。
辿りつくまでに死ぬなどということは無いだろうが、決戦に間に合うかは分からない。神が全力をもって邪魔をする二人、聖蓮尼にとっては楽しみでもある。
どれほどの怪物か、知りたいと常々思っていた。
時は来たる。
どのように登場するものかと思っていたが、流石は神と言うべきか。
分厚い黒雲に乗り、手長足長を含む天邪鬼の軍勢を率いてケモノ女が現れる。
「ううむ、流石は神といったところですね。各々方、準備はよろしいか」
聖蓮尼の号令で、戦支度を済ませた一同がうなずいた。
桃太郎卿が雑魚を全て片付けて天魔雄が本命を狙うか、それとも、桃太郎卿と天魔雄に本命を任せるか。それがまともな作戦だろう。
「祟り神に悪神、なにするものぞ」
僧兵姿の聖蓮尼は、薙刀を構えて息を吐く。
本命は神の首。とってみたいではないか。
それを言うならば、道反家の棟梁である竹一郎も同じく。今代の桃太郎である誠士もまた、朱音のために元凶を討ち取りたい。
「はははは、現代にも武者はおったか。つまらぬ時代と思っていたが、なかなか良きものでおじゃる。さあ、影の小鬼よ。そなたもそろそろ姿を見せい」
『流石は桃太郎卿、気づいていらしたか』
「クソガキめが。……なるほど、貴様は麻呂の会った者とは別か。敵を間違えるなよ、影」
影の小夜子は、幽鬼のごとくその場に姿を現わして、朱音を見た。
「力を貸して」
『朱音よ、わらわを生み出してくれた礼をせねばな』
黒い雲が降り立ち、ケモノ女が山寺の境内に立った。
『逃げも隠れもせんとは愉快愉快。瓜子姫を渡さば生かしてやるぞえ』
ケモノ女が言うのは、全てがあべこべの言葉だ。不快であるから皆殺し、そう言っている。
「母上、もはや母とは思わん」
『ふんっ、九天の王がそのような姿。母は嬉しいぞ、人のようになって』
息子に語る言葉ですらあべこべの天邪鬼。それが性だとしても、天魔雄にとっては辛いことだ。なぜなら、力を落とすことでその縛りは解けると知っているから。
「悠長に喋るなっ。そのお首、もらい受けるぞ、天逆毎」
聖蓮尼が名乗りを上げて言葉を遮る。こんな言霊で戦力を減らされてはたまらない。
『我が名を呼ぶ愚か者めが』
天逆毎。
素戔嗚尊の鼻息より生まれた娘。妻をめとらず一人で造り出したる、外法の娘。そして、あらゆる神話よりいなかったものとされ、天狗の祖ともされる出自の怪しげな娘。
天逆毎、天魔雄、桃太郎、天叢雲剣、瓜子姫、ここに必要な要素は全て揃った。
神話の時代にすら為しえなかった、神による境界の破壊。
生と死の軛を歪めるために仕組まれた魔戦が始まる。