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小夜子と出発トラブル

 その日、來見田(きみた)武彦(たけひこ)はもう死んでしまおうかな、などと思いながら歩いていた。


 彼は今年で三五歳になった。そして、何も為していない普通の社会人だ。

 一度は東京に出て漫画家になるという夢を追ったが、挫折。

 実を言うと、東京でなにもしていない。フリーター生活とパチンコだけの毎日で、どうにも行き詰って実家に帰った。そして、ごく普通に就職してこの田舎町で暮らしている。

 独身男ということ以外は立派な納税者で、悪人との付き合いも無いし見た目だって別に悪くない。ごく普通のどこにでもいる男だ。

 來見田武彦は、日曜日の朝を無駄に過ごしているなと考えながら、パチンコ屋への道を歩いている。


 十代から二十代は、漫画家という夢を追っていたということもあり、本をたくさん読んでいた。今から思えばそれもフリだったような気がしてくる。


 今は絵も描かないし本も読まない。昔から惰性で描いている絵をSNSにアップするくらいだ。趣味というほどのものでもないのに、人生を賭けているとSNSでは(うそぶ)いている。


 最初から何も賭けていない。


 今の生活にも満足している。

 仕事は順調で、会社の業績だって悪くないから、倒産の気配も無い。

 たまの休みはパチンコで潰すくらいの蓄えはある。

 よし、明日は開店から行くぞ。なんて息巻いていたのに、起きたのは10時30分。もう開店前の行列に並ぶこともできない。

 なんか適当な台は空いてんだろ、という気持ちでぶらぶらと駅前のパチンコ屋に向かっている。

 こういう時は、パチンコ屋の近くにあるお稲荷さんに寄り道することにしている。下らないジンクス。


 お稲荷さんに、勝てますようにとお祈りすることにしていた。


 ポケットには小銭が入っているし、今日もお祈りしてからパチンコという戦場に向かうのである。

 駅前の裏路地にある寂れたお稲荷さん。ポケットの中の三十二円を賽銭箱に投げ入れて、柏手(かしわで)

 お祈りしようとしたら、背後からクラクションが鳴り響いた。


「うわっ」


 驚いて声を上げたら、バイクが通り過ぎた後に、武彦の真横にタクシーが急停車していた。


「そこのお前、入らぬと死ぬぞ」


 タクシーのドアが開くと同時に、助手席に座る和装のコスプレ少女が言う。


「え、な、なに」


「若松、引っ張り込め」


「へい、ようがす」


 後部座席にいた塩顔の少年に、武彦は首元を掴まれてぎゅうぎゅうの車内へ引っ張り込まれる。


「サヨちゃん、ヤバいってなんか追ってきてるって」


 次の声は、タクシーの前方で停車しているバイクから聞こえた。ギャル風の女子高生が400ccにまたがっている。


「よし、行くぞ。ギャル谷や、先導を任せる」


「いいけどさ、バイト代ホントにはずんでねっ」


「わらわに任せておれ」


 バイクは爆音を響かせて加速していく。後部座席のドアが閉められた後、タクシーも急発進した。


「タクシードライバーよ、ナビの言うことは無視して前のバイクを追うのじゃ」


「前払いで貰ってるから言うこと聞くけど、修理代も払ってや」


 女性タクシードライバーが関西訛りで言う。

 武彦にとっては訳の分からないことだ。そして、なぜか拉致されている。全く状況がつかめない。


「ちょっと、キミらはなんなんだ。放してくれ」


「放したら死ぬというのに、何を言うとるんじゃ」


「え、死ぬってなんだよ」


 武彦の隣、ドアしかないはずの隙間から獣臭が突如として発生した。塩顔の少年を挟んで反対のドアにいる中年女性が「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。


「えっ」


『願いィ、聞き届けたりィ』


 真横にいたのは、釣り上がった目をした狐の顔であった。お稲荷さんにある石の狐さんとそっくりの顔をした、人間ほどの大きさの狐の頭である。


「ヒッ、な、なんだ」


 助手席に座る少女が後ろをちらりと見てから、口を開く。


「そこのお稲荷さんじゃ。どんな願掛けをしたか知らんが、そのままじゃと祟りで死ぬぞ」


「な、なにってパチンコに勝ちたいって」


「それはお前の願いではあるまい。心の奥に秘めたるお前の【欲望】をみせよ」


 武彦は少女の視線に射られた。

 文字通り、胸の中心を刺し貫かれたのだ。ただの視線で射られただけだというのに、身体の自由が奪われた。


「お、おれは、有名になって、尊敬されたい……。好きな漫画で、成功して、先生って呼ばれたい」


 武彦自身ですら言語化できない心の奥底にある自らの真実が、口を突いて出る。


「もっと根源にある【欲望】を見せい」


 武彦の原体験。

 小学生のころ、友達のお兄ちゃんのものだという大友克洋先生の【AKIRA】を読んだ。あれがあまりにも凄すぎて、親にねだって買ってもらった。

 夢中で読みふけった。意味の分からない部分もあったけど、とにかく凄いものだと感動して、これをやると、幼いながらに決めていた。


「おれもアキラみたいなのを描きたい」


 その願いは、長ずるにつれて、荒唐無稽だと自分自身が否定するようになった。


大請願(だいせいがん)、ここに聞き届けたりや。請願成就、請願成就』


 狐はそう言って、かき消えた。


「えっ、願い、叶うのか」


 和装の少女が「ほほほほほ」と(わら)った。


「何を言うておるか。お前があの稲荷に約束しただけじゃ。しかし大きく出たものよ、かの天才の如き作品を創り出すなどと」


「願いが叶うって」


 少女は美貌を歪めて嗤う。


「ほほほほ、請願というのはの、神に約束をするということ。お前、それを描かねば稲荷との約束を破ったものとして食い殺されるのう。ま、あのままではパチンコに負けただけで食われておったんじゃ。わらわに感謝せいよ」


「な、なんで、お祈りしただけじゃないか」


「神とはそういうもの。あのお稲荷さんは、まだ話が通じる部類じゃ。今日明日にせよというものでもないし、見たところ寿命も三十年はゆうにある。歩みを止めねば食われることもあるまいて」


 そんな馬鹿な。


「こやつはもうよい。そこで降ろしてやっておくれ」


 タクシーが停車して、路肩に武彦は放り出された。


「死にたくなくば、頑張るんじゃぞ」


 と、放り出される前に少女が言っていた。

 路肩で、武彦は呆然と去りゆくタクシーを見つめて立ち尽くす。


「なんだよ、それ」


 乾いた笑いを漏らして、武彦は辺りを見回した。

 駅前から少し離れた国道沿いだ。武彦も知っている地元の道である。この辺りには飲食店や、ホームセンター、家電量販店もあって地元民はよく知る場所だ。


「訳が分かんねえ」


 こういう時、あえて何も考えず日常に戻ろうとするのが大人というもの。

 この近所にもパチンコ屋があったな、と武彦が考えた時、背後から視線を感じた。

 振り向くと、少し離れたところに女物の着物を羽織った狐がいて、こちらをじっと見つめていた。

 獣臭が風に乗って、武彦の鼻をくすぐる。

 狐の隣を自転車の少年が通り過ぎる。そして、通行人であろう親子連れも通り過ぎていく。誰も、あんな異様なものに気づいていない。


『コーン』


 狐が大きく()いて、すうっと消えた。

 その声は周りにも聞こえたのか、皆が辺りを見回して怪訝な顔をしていた。だが、それだけだ。


「あ、あああ、描かないと。描かないと」


 消え去る前、狐と目があった。

 血走った瞳。動物でも、人でもない瞳。

 理屈ではなく分かった。約束を破れば近づいてくる。一歩、また一歩。アレが背後に来た時には、食い殺される。

 神への誓願とはそういうもの。人間同士でも、千本もの針を飲ませる。

 武彦は大型家電量販店に入って、ペンタブやペイントソフト、必要な機材を買い込んで家路を急いだ。

 漫画家にならないと、アレが来る。





 このようなことになったのには、理由がある。少し時を戻そう。


 さて、本来なら小夜子と道反誠士とのお見合いであった日曜日だが、早朝から小夜子と若松は移動の準備に追われていた。


 聖蓮尼からの連絡以降、突然水道管が止まるわ、石窯が割れるわ、炊飯器が壊れるわという不運が重なり、さらには敷地内で天然記念物のフクロ毒リスが営巣したとかで学者先生が調査にくるわで、バタバタしたまま準備すらできない毎日を送っていた。


 他にも、屋根瓦が落ちてきたり、切れた電線が目の前に垂れ下がってきたりもしたが、全て平気だったのでこちらは特に問題なかった。

 この程度で死ぬなら、小夜子など千回は死んでいる。


 毒リスの調査に来た先生には、庭の水道は勝手に使ってもよしということでうっちゃって、いつもの若松少年が運転するサイドカー付きバイクで移動しようとしたところ、サイドカーにも毒リスが巣を作っていて、追い出すのに苦労した。


 そうこうしている内に、バイトが急に休みになって暇だというギャル谷が突然訪ねてきた。

 忙しいけど大変だと立ち話をしていると、突然に異界の風が吹く。


 小夜子が鋭く見やった先、今度はバックトゥザフューチャーよろしくタクシーが虚空を突き破って間宮屋敷の庭園に現れる。


 流石の小夜子も、敵の手強さを知る。

 よほど小夜子に来てほしくないらしい。ここまで積んでくる相手となると相当だ。ついに【敵】が来たのやも知れぬと、覚悟を決めたほどである。


「うわわわ、なになに、マーティーとドクでも乗ってんのっ」


 ギャル谷は虚空を引き裂いて現れたタクシーを見て驚いている。当たり前の反応だ。金曜ロードショーがリアルに起きたら、驚くなというのが無茶な話だろう。


「到着です」


 タクシードライバーが言ってドアを開けると、青い顔をした中年女性、天野朱音の母親である冴子が外に出て、うずくまると嘔吐した。


「あっ、大丈夫ですか。あのクソ猫との峠道、やっぱりキツかったですよねぇ」


 申し訳なさそうに女性タクシードライバーが言う。


 あの走り屋の怪の後に、妙な景色の幹線道路に出てからは追走してきた首無し牛車(ぎっしゃ)との勝負になって、無論タクシーは勝った。


 その後、峠道に入りここを下ればようやく街に出るというところで、巨大な炎の車輪を操る猫人である火車(かしゃ)が勝負を挑んできた。

 下りの峠でドリフト勝負へとなだれこみ、無論、これにもタクシーは勝利して間宮屋敷に出たところである。


 異界で連続公道レースしている間に、現実世界では数日が経過していたなど、彼女たちに思いもよらぬことだろう。


「間宮さん、ご依頼通りです。ええとメーターは、超過料金は16万4,950円です」


「どうなっておるんじゃ。若松や、タクシーを呼んだかえ」


「お嬢様、呼んでおりません。……あっ、知らない間にアプリで特別手配されております」


 小夜子は「むぅ」とうなった。

 これも何者かの仕業かも知れんが、やることでみみっちいことこの上ない。しかし、地味に大金であるし、なんだか納得がいかない。


 若松が手配していないというのに、あの忌々しいスマートフォンのアプリとやらに小夜子が手配した履歴があるらしい。


「ううむ、納得がいかんが、支払わねばなるまいよ。若松や、わらわの財布を持て。クレジットカードがあったじゃろ」


 この程度の金額を渋るなど、悪の名がすたるというもの。


「へい、お持ち致します」


 そういうことになって、クレジットカードで支払った。

 ここで決済ができない、という【偶然】は起きない辺りが憎い。おのれ、疫病神めが。


「それで、よう分からんが、そなたは何者じゃ」


 狐につままれたという状況のため、騒ぐギャル谷は無視してタクシードライバーから話を聞いた。


 なんでも、小夜子がアプリでタクシー会社に特別手配したとか。わざわざ通話でタクシー会社と話をつけ、特別チャーターを行ったという。


 全く心当たりが無いのだが、小夜子の苦手なスマートフォンを隠れて使うなどなかなかの妖物でないと無しえぬこと。そして、どうにも悪意は感じない。


 冴子からも話を聞くと、どうやら聖蓮尼の一件に関りがありそうだ。


「ふうむ、少女が原因でと言うておったから、それが朱音……、おお。あの時の女の子じゃな。思い出したぞ。そうか、そういう(えにし)で集ったということか」


「あの、朱音の居場所、知ってるんですか」


 冴子は娘に会いたいと言う。母親なのだから、当たり前だ。

 小夜子にとっては、どうにもその辺りの情を出されると、ここで放り出すことができなくなる。

 前世の母とはもう会えぬ。別離というものを誰よりも理解しているからだ。


「私も、連れていって下さい」


「関係ないアタシが言うのもなんやけど、アタシからも頼んでええかな。あんなエグいレースでも、娘さんのこと心配してはったんです」


 タクシードライバーまでが加勢する。


「サヨちゃん、こんな頼まれて薄情は言っちゃダメっしょ」


 ギャル谷はとりあえず乗ってみたという様子。彼女の性格からすると、よく分からないが可哀想な者に助勢したというところか。


「ううむ、これも流れというものか。運命というなら、それもよかろう」


 小夜子も気づいている。天野冴子には、妙な神気の残り香があることに。


「ドライバーさんや、追加で仕事じゃ。わらわと若松のバイクについてきておくれ」


 そういうことになって、ギャル谷はここで不参加のはずが妙なことが起きた。


 若松が愛車のエンジンをかけようとするのだが、どうやってもかからない。昨日までは快調だったバイクがである。


「おかしいですな。お嬢様、こんなはずは」


「なるほどのう。相手は神か。わらわをどうしても来させたくないようじゃの」


 小夜子がサイドカーに乗り込むと、どうしてかエンジンがかからない。


「若まっつん、それじゃかかんないって。なんか、このコ、機嫌悪いみたいだし、貸してもらっていーい?」


 ギャル谷が言って、若松からキーを借り受ける。

 小夜子がうなずいたこともあり、興味深いという様子で若松もそれを見ていた。


「サヨちゃんはサイドカー降りてて。ええっと、多分、こうかな」


 ギャル谷がバイクにまたがって少しすると、エンジンからは快調な爆音が響き出す。


「なんだろこれ。側車に重みがあるとかかんない感じ? 変な感じだけど、外したらなんとかなるよ」


 ギャル谷の見立てに従って、すぐにサイドカーを外してみた。そして、若松がキーを入れるが、やはりかからない。


「んんー、なんか機嫌悪いねぇ、このコ。ちょっと貸して」


 ギャル谷がやると、多少時間はかかるものの、コツを把握するとすぐにかかる。


「ほう、乗り物の才能は流石じゃな。ギャル谷や、バイトが休みというておったな。少し、仕事をせんか?」


「なになに? 後ろに乗せる感じ?」


「この調子では、まともに目的地にも辿りつけんでな。ギャル谷よ、そのバイクで先導してたもれ。バイト代は弾むぞ」


 そこから小夜子とギャル谷でギャラの相談となり、一万円と食事で合意に至る。

 ギャル谷は、聖蓮尼らのいる山寺までバイクでタクシーを先導する。そして、小夜子たちはタクシーに乗って進む。そういうことになった。


 出発にあたり、神への対策として小夜子が直々に皆の穢れを清めた。

 古い神は穢れを嫌う。こういう場合、黒猫のジンクスが現実になることまで有り得る。


 そういうことで出発したのだが、地元の街を出るまでに化け猫のようなものがついてきたり、穢れの類いが吸い寄せられるように集ってきた。


 その程度、小夜子であれば一睨みで散らせる。そうしていたら、今度は進行方向でお稲荷さんが誤った請願に対して祟りをなそうとしている。

 こんなことを目の前でされたら、また穢れる。

 仕方なく、見知らぬおじさんを助けたという訳だ。


「この調子では、夜になってしまいそうじゃ」


 神を相手にするなど、面倒この上ない。

 花子さんのような異界のモノであれば、こんな回りくどいこともないのだが、これは神を相手にするなら避けられぬこと。


「あの子、やるやんか」


 タクシードライバーが前を走るギャル谷をそう評する。


 中型免許を所持してはいるが、普段は原付やバイトでフォークリフトを操る程度だというギャル谷。彼女はバイクを手足のごとく乗りこなしている。


「こいつは、自信を失くしちまいますよ」


 若松にしては珍しく、苦笑いと共に感情を出した。


「若松や、ギャル谷は乗り物であればなんでも乗りこなす才ある者よ。そなたはよくやっておる」


 聖蓮尼に小夜子が言ったことだ。


 何の関りも無く、偶然を打ち破れる者。

 人間には確かにそれがいる。退魔師であるかどうかなど、関係ない。

 彼らこそが、運命や未来のようなものに結末を定められた事象を覆すことができる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 良いお稲荷さんじゃないですか。 [一言] 大集合ですな。
[良い点] 金曜ロードショーがリアルに起きたら、驚くなというのが無茶な話だろう。 www
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