聖蓮尼と三人目の小夜子の思い出話
退魔十家が一つ、鳴髪家。
雷神の血を引くという彼の一族は、代々に渡って雷を操る退魔術を継承してきた。と言っても、その術は遺伝形質依存式のため、実質的には一族の者にしか使用できない特殊能力である。
鳴髪小夜子は、その長女として生まれた。そして、十歳のころに廃嫡されている。一族から放逐されるまではいかなかったが、次期当主の座は才能豊かな妹へと引き継がれた。
雷神の術を一つもまともに使えないみそっかす。それが、鳴髪小夜子。
幼い日から冷や飯食いとして、術は使えなくていいから子供を産めと言われ続けた。
長女としての体裁を保つため、退魔剣のとある流派へ弟子入りさせられる。そこでも才能は並と言われた。
鳴髪小夜子は、人の顔を伺う卑屈な女の子として少女時代を過ごした。誰からも軽んじられる生活で、人格はより卑屈になっていく。
内向的で自分の世界以外見ることをやめた。
趣味は着せ替え人形とお裁縫。そして、ロリータファッションが好きな女に成長した。
身長は183センチと長身のため、着れる服が無いから自分で作る。それが人目について、ついには一族の恥とまで蔑まれた。
昨年、鳴髪小夜子が28歳の誕生日に、突然彼女は覚醒した。とは言っても雷神の術は相変わらず使えないままだ。
剣の師匠を訪ねた彼女は、開口一番に免許皆伝を寄越せと言い放ったのだ。
家柄だけで道場にいることが許されているとまで蔑まれてきた女が、突然そんなことを言うものだから、高弟は激怒する。
その時のことは、一年が経過した今でも業界の語り草。
罵詈雑言の雨の中で、鳴髪小夜子はじっと師匠である宇龍幻夜斎を見つめていた。
ロリータファッションではなく、今日に限って有名ブランドでシックにキメてきたし、美容室で整えた髪は今までの印象とは正反対の、怜悧さまでもを備えていた。
道場で正座して、師と十人からなる殺気立った高弟に囲まれて、汗一つかいていない。
誰もが、イメチェンで勘違いした馬鹿女と見ている中、師である幻夜斎だけが冷たい汗をかいていた。
何をどれだけ殺せば、こうなる。
幻夜斎は一線を退いたものの、彼の世代では最強の一角。そして、退魔剣術の中では有名な流派の継承者でもあった。
「お師匠様、冷や飯を食わせてくれた礼に、命までは取りません。その代わり、看板ごと頂きたい」
生来の卑屈さが顔に出ているような女であったというのに、今の彼女はまるで別人。
今の鳴髪小夜子は、まさに悪鬼羅刹そのもの。まるで別人、と評したがその表現すら生温い。
人が鬼になることを生成と言うが、今の鳴髪小夜子こそがそれだ。
「貴様っ、その口の利き方、後悔せいっ」
高弟の一人が激高し、正座の鳴髪小夜子の頭をカチ割ろうと木刀を振り上げた。
鳴髪小夜子はすくっと立ち上がりながら、振り下ろしの一撃を避けた。そして、高弟の喉元に手刀を突き入れる。
喉が潰れる生々しい残酷な音がした。
「話の邪魔をするな。間抜けのままでいると、すぐ死ぬぞ」
完全な殺し技を入れた後に言うことではない。喉を潰された高弟は倒れて痙攣しており、命に関わるものだというのは明白である。
「小夜子よ、何をしてそうなった」
幻夜斎の声は震えていた。
「お師匠様、あなたとそこの間抜け共では、未来は地獄になる。動くにはそれなりの看板が必要でして、ここをまずは頂くことにしました」
意味の分からないことではあるが、不遜そのもの。
「……」
幻夜斎は何も言えないでいた。
ここで剣を持てと言い放ったとして、勝てるか分からぬ。そして、何か言おうものなら、この悪鬼羅刹は言葉尻をとらえて勝負に追い込んでくる。
「お師匠様には冷や飯を食わせてもらった恩があるが、他は無かったな」
鳴髪小夜子がスーツの懐に両手を入れた。その瞬間、幻夜斎は後ろに飛び退いて、壁にかけてあった剣を手に取った。瞬時に抜き放って構えた時には、もう遅い。
「お前らはいらん」
彼女の両手には、自動拳銃があった。
ためらいも迷いもなく引き金が引かれる。高弟たちの身体に血の華が咲く。
「急所は外したが、病院に行かんと死ぬかもしれんぞ」
阿鼻叫喚の地獄絵図。
手や足はマシで、腹を撃たれた者もいる。正確無比ではないが、身体に当てることだけを意図した撃ち方で適当にやったという有様。
「なぜ、このようなことを」
「言ったでしょう。未来のために、です。さて、流石にこれでは恰好もつきませんし、木刀でお相手します」
先ほどの高弟が取り落としてそのままになっていた木刀を拾うと、鳴髪小夜子は大上段に構えた。
頭の上まで剣を振り上げるなど、まるで馬鹿にしたもの。芝居でやるような型に相対する幻夜斎は、人食い虎が顎門を開いたものと錯覚した。
「外道に堕ちたか」
「ははははは、地獄に正道など無し。お師匠様、全力でこられませ」
剣の道で、何より簡単に強くなる方法がある。
ただ、人を斬ること。
腕前が上がるのではない。斬れば斬るほどに、人間性が変わる。そして、人の斬り方を覚えていけば、その剣は妖しくなるものだ。まるで、吸い込むように人を斬れる剣となる。
今の鳴髪小夜子は、まさしく魔剣士であった。
「きいえぇぇぇぇぇ」
幻夜斎は裂帛の気合と共に横凪ぎの剣を放つ。
退魔用の技ではない。ただ、人を斬るための実戦剣術のそれである。
幻夜斎とて、剣客として生きた。弟子には言えぬ、人間同士の真剣勝負も数多く経験している。
対する鳴髪小夜子は、大上段の木刀を投げ捨てて、無手でそれに対応した。幻夜斎との距離を詰めて、くぐるようにして剣をかわすと、肉薄して殴りつける。
鼻先から始まり、爪先を踏みつぶされたかと思えば、腹、顔、脇腹、股間、全身を叩いてくる。
たまらず倒れた幻夜斎に鳴髪小夜子は馬乗りになった。
悪鬼羅刹はとどめとばかりに顔面を三度も殴りつけた。
折れた歯が飛び散る、凄惨な暴力。しかし、確かに殺してはいない。手加減というものが、そこにはあった。
「お師匠様、隠居なされませ。これで流派は終わりです。取り返したくば、鳴髪小夜子まで来いと伝えて下さい」
こうして、歴史ある退魔剣術の流派が一つ滅びることとなった。
名をあげようと鳴髪小夜子に挑んだ者たちもまた、半死半生にされて、気が付けば二十連勝。
看板を潰されたが故に、流派の名はもう誰も口にしない。
鳴髪家は慌てて小夜子を勘当したが、時すでに遅し。その悪名が広く知られた後であった。
それはもう、退魔十家という格を守るために鳴髪家は慌てた。
それこそ、ことの真偽を確かめずに、なぜか鳴髪小夜子を舐めたまま次期当主が懲らしめにいくほどに。
麒麟児と謡われた鳴髪家次期当主は、嫌っていた姉を雷で黒焦げにしてやろうと意気込んで、自身の勝利を疑いもせずに挑んだ。
結果は鳴髪家にとって、言わずもがな。
ボコボコにされて泣きじゃくっている次期当主が、駅前で警察に保護されるという結果になった。
顔面を中心に散々に殴られた後、地元駅前の交番に放り捨てられたという。
この一件が退魔十家の影響力を落とし、間宮小夜子が十家の会合に呼ばれるに至る遠因となった。
さて、この時に聖蓮尼は何をしていたかと問われれば、すでに尼となっており一線を退いて悠々自適の尼生活をしていた。
若い退魔師が来れば、それっぽく聞こえるいい感じのことを言って煙に巻き、定期的に振り込まれる今までの恩の働きからなる浄財で、通販に外食と早い引退を楽しんでいたのである。
御仏への信仰により、俗世を存分に離れていた。
剣の師匠のことを聞いた折には信じられないという気持ちもあったが、とりたてて鳴髪小夜子を非難する気はなかった。
退魔師たちの縦社会が息苦しいのは身をもって知っている。
同門とはいえ、すでに疎遠で袂を別ったようなものだ。それに、剣やら薙刀などに時間を費やしたことに対する後悔もあって、「力でメシを食っていれば、より大きな力にメシの種を奪われることもあるさ」という感想である。
それでも、卑屈でオトオドしすぎて挙動不審にまでなっていた女が、悪鬼羅刹のようになるというのは信じられないところではあった。
それはそれで関わる気もなかった聖蓮尼だが、ある日、警察から連絡があった。
身元引受人として呼ばれており、呼んだのは鳴髪小夜子である。
同門であり、子供のころは面倒を見てやった間柄とはいえ、十年以上会っていない。それなのに呼ばれた。
断ってもいいのだが、なんとはなしに興味があって、行ってやることにしたのだった。
鳴髪小夜子は未成年者との淫行で逮捕されていた。
なんでも、十六歳の男子高校生と会うが否や舌まで入れるキスをしたあげく、そのままホテルにしけこんで、することをした後に、男子高校生の家に赴いてご両親に結婚をすると報告。すぐに子供を作るとまで言い放ったとか。
「頭がイカレたのか、おのれは」
聖蓮尼は再会の挨拶の前にそう言った。
「いえ、この愛は真実です。それはそうと、来て頂いて助かりました」
そこから始まる、いかに二人の絆は強いものかという惚気。マジで殺そうかと思った聖蓮尼である。
とにかく、その一件は弁護士を入れてなんとかなった。
このボケたショタ食いに説教の一つでもかましてやろうかと思っていたが、こんなに堂々と愛を説かれるとは。さしもの聖蓮尼にも予想し得ないことであったという。
多少落ち着いたところで、弁護士には外してもらい二人で蕎麦を食いにいった。
特に名店という訳ではないが、寂れた町の商店街にある二代目の店主がちょっと凝った蕎麦を出す店だ。こだわりのコロッケ蕎麦というのが、いやに癖になる。
聖蓮尼と鳴髪小夜子はそろってこだわりのコロッケ蕎麦を注文した。そして、焼き海苔と佃煮なども注文して、酒をやることになった。
昼間に蕎麦屋でやる酒は美味いものだ。
「今は聖蓮尼と名乗っていらっしゃるのですね」
「この後もそれで通すつもりです。そんなことより、鳴髪さんは何をどうして変態に」
「ですから、変態ではありません。アレと出会ったのは三年後ですし、そうなるとこまでいったのはさらに四年後です」
焼き海苔を口に入れると、普通に美味い。日本酒は熱燗ならなんでもいいと注文していたが、白鶴のよくあるヤツが来た。
蕎麦屋の酒には甘口が合う。聖蓮尼はお猪口を空にして、手酌で注いだ。
「全く分からん。何を言うとるのだ」
口調も荒くなろうもの。
「うーん、信じられないかもしれませんが、七年後からタイムスリップ的なもので戻りました」
「で、バラ色の未来から脳味噌までピンクに染めて戻ったと」
「いえ、三年後には世界に地獄が溢れます。餓鬼やら牛鬼やら、クソ化け物があふれ出して社会は崩壊し、あの世とこの世の境がなくなるのですよ」
真面目くさった顔で鳴髪小夜子は言う。そして、直後にやって来たコロッケ蕎麦に箸をつけた。
「おい、食べる前は、いただきます、しなさい」
「いただきます」
蕎麦をたぐり、出汁に浸かったコロッケをほぐして一口。鳴髪小夜子の好みにあったようで、店員さんにご飯を追加注文した。
聖蓮尼もそれに倣う。
「うん、美味い」
この普通に美味い感じがいい。日常的な美味しさの美味いものというのは、なかなかいいものだ。
「いいお店を知ってますね。未来ではこんなの食べれなくなってましたよ。瘴気で汚染されまくって、そこらの食べ物など入れると生きながら餓鬼に変わるような未来です」
「それでは何も食えんだろうに」
「仕方なく、虫なども食べましたよ。あと、妖物の肉は処理をしたら食えます。どれも不味くて、最悪の未来でした」
聖蓮尼はさらにお猪口を空にして、二合徳利から酒を注ぐ。素面ではとても聞いていられない。対する鳴髪小夜子は、下戸のため酒をやらない。
「で、どうしてそうなった?」
「さあ、原因まではなんとも」
ともかく、ある日突然に世の中に妖物があふれ出して、社会秩序は崩壊した。
退魔師の筆頭格が、その原因であろう大妖怪九尾の狐に総出であたり敗北。その後、さらなる大決戦で死屍累々で狐を一時的に退けたら、今度は異界の邪神であるトイレの花子さんがやって来て、退魔師の勢力も崩壊した。
政府と自衛隊が生き残った木っ端退魔師を集め、適性のある若者を無理矢理に退魔師にして、軍を編成。絶望的な戦いを開始した。
「その時に、世話をしてあげたのですよ。アレは何年も生き残って、最後には副官にまでなってくれました」
悪鬼羅刹は、地獄めいた思い出だというのに、うっとりした顔になる。
「んん、ではお前はどんな立場になっていた?」
「旧軍の階級に改められて、最期は少佐です。上がくたばっての繰り上がりですけどね」
何年ものあいだ、鳴髪小夜子は戦い続けた。そして、限界の限界を超えて人類が壊滅寸前のところで、今上陛下が避難した京都に召集がかかった。
回天必至の大決戦の大作戦が始まったという。
鳴髪小夜子は大作戦の全貌も知らされず、ただ防衛の任についた。
「で、なんでタイムスリップすることになったのか」
「さあ、多分、その大作戦とやらの余波か何かでしょう。気が付いたら七年前で、タイムスリップ。……この場合はタイムリープ? してたってことです」
「めちゃくちゃな話すぎるだろうに」
とはいえ、その地獄で戦い抜いたというなら、悪鬼羅刹と化すのもうなずける。
聖蓮尼から見ても、鳴髪小夜子は人から人のままで鬼と成っている。やりあったら負けるかもしれないと思うほどに、こうして食事を共にしているだけで分かる。
「本当にここの蕎麦は美味しいですね。あ、店員さん、追加でカレーライス、じゃなくてカツカレーください」
「まだ食うんか」
「そりゃあ食べますよ。食べないと損ってものです」
ずるずると蕎麦の出汁を最後の一滴まで飲み干して、鳴髪小夜子はふうと息を吐く。
「で、タイムリープかタイムスリップか知らんが、お前はこれからどうする?」
「そりゃあ決まってますよ。そうしようとしてるカスを見つけ出して血祭りにあげて、彼と結婚します」
「……それ、相手は納得してるんだろうね、マジで」
「大丈夫、彼も戻ってたんで。それで、あの時できなかった続きをしたんですから。えへへ」
何を可愛く笑っているのか。
聖蓮尼はううむと唸ってから、その真偽に思いを馳せた。
どうしてか否定することもできず、そういうこともあって昨年に退魔師組合会合の調停役を引き受けた。
それからの一年で、聖蓮尼は間宮小夜子という魔人と出会う。さらに、神などを敵に回す一件にも巻き込まれることとなるのであった。
8年前の短編がここに活きるのであった。