小夜子? と小夜子と別人の小夜子
聖蓮尼がしたのは、宮内庁への電話であった。
神が出たと言ったところで、調査だけで急いでもひと月はかかる。それでは全員死ぬだけだ。
そういうこともあり、裏口からの連絡である。
貸しのある役人と自衛隊関係者に連絡して、霊的国防兵器の限定使用を許可させた。
どうせ対策を考える時間など無い。できるのは戦力を揃えて迎え撃つだけだ。
退魔十家にグループラインで連絡したところ、まとめ役の返矢左京はすぐに連絡をしてきた。
聖蓮尼に十分ほど愚痴った後、必要な人員の手配に乗り出す。なかなかできる男であった。
聖蓮尼は少し迷ったが、特例として組合の会合に出席する小夜子にも連絡を入れた。彼女にだけは、電話連絡である。
どういった真意があるか聖蓮尼には不明だったが、小夜子がアプリでの連絡を嫌がっているため固定電話で通話を行ってのものだ。
盗聴対策だとしたら、用心深すぎると言ってもいい。
彼女に似た妙なモノが朱音に取り憑いていることも考えれば、黒幕だったとしてもおかしくないだろう。
聖蓮尼にとって、小夜子は面白い相手である。しかし、どうにも何かありそうで怖い部分があるのも事実だ。
電話には下男であるという少年、若松が出た。しばらくして小夜子へと変わってくれた。
『もしもし、聖蓮尼か。こんな時間にどうなされた?』
「前回の会合以来ですか、間宮さん。本題ですが、どうにもよくないモノが仕掛けてきたので、助っ人を集っています」
『ほう、聖蓮尼ほどのお方が人を呼ぶとは、名前も言えぬような相手か?』
「相手は神道系で、かなりルーツに近いものです。報酬はわたしに貸しを一つ。いかが?」
電話口で、小夜子が微かに笑ったのが分かる。
『悪くはない。しかし、助っ人は呼べんかもしれんな。さっきから、妙な偶然で水道が止まるわでな。わらわを足止めしておる。神の仕業であれば、それと関わりある者しか集わぬかもしれん』
聖蓮尼は舌打ちをした。
都市伝説的な怪談などでもあることだが、移動しようとしたら車が壊れるといった、偶然の重なりによる妨害だ。
霊の仕業であれば、力技でどうとでもなる。彼らは妖力を使っているだけだからだ。しかし、神などを相手にするとなれば、移動中にあり得ないような交通事故に、【偶然】あってしまうということも考えられる。
霊や妖物であれば、その偶然は妖力で引き起こす魔法のようなもので対抗手段がある。
神がやるそれは違う。本物の偶然だ。
確率操作とも呼べる奇跡に対して、人間は抵抗できない。
「それがありましたか。失念していました。関わりあるモノとなると、この全盛期を過ぎた私と、ひよっ子だけ。隠し玉はありますが、上手くいくかは五分ほどでしょう」
『ほほほ、流石は聖蓮尼じゃ。五分と言えるとはの。しかしな、今、わらわの【目】で見た。これで、わらわにも縁ができた。出向こうぞ』
「心強い。では、参られた暁には、腕によりをかけて御馳走しましょう」
小夜子はよく食べる。どれだけ怪物であっても、その嗜好に限って嘘であることは考えられない。美味しそうに食べるのだから、そうだと聖蓮尼は確信している。
『それは嬉しいことよ。ものはついで、若松めに精進料理なぞ教えてたもれ。おっと、忘れるところじゃった。他に呼ぶのであれば、この一件に一切の関わりがなく、この程度の偶然を打ち破れるものを呼ぶとよい。十家ではなくとも、聖蓮尼ならば心当たりもあろうよ』
聖蓮尼はにたりと笑んだ。
小夜子の言う通り、何人かいる。色々と問題があるが、確かな者は二人。一人はその犯罪を黙認しているという仲である。
「間宮さんはお若いのに聡明ですね。私も現場を離れて年月が過ぎました。そこまで頭が回らぬとは、錆付いたものです」
『いやいや、それもへそ曲り神がやる目晦ましの一つじゃろう。では、わらわもなんとか間に合うように行くよ』
「お待ちしております」
通話はこれで終わった。
隠し玉がこちらに来るのを、相手は絶対に止められない。これは確実だ。必殺の霊的国防兵器が一つ。アレが来るのを止めるなど、鬼神にはその存在故に不可能だ。
聖蓮尼は寺の本堂に戻ると、薬師如来像の前でスマートフォンから電話をかける。
不出来な妹弟子にして、師匠殺し。
奇しくも、間宮小夜子と名前だけは同じ。
その名を鳴髪小夜子という。
聖蓮尼は最もやりたくない手段で、鳴髪小夜子を呼ぶことに成功する。
性犯罪者と陰口を叩かれる鳴髪小夜子の一番の泣き所。そこを攻めて交換条件で恩を売るのだ。
「厄介事を手伝えば、お前と、……あの彼氏の結婚を認める。私が後見人にもなってやる」
開口一番、聖蓮尼はそう言った。電話口で、鳴髪小夜子は「今すぐ行く」と返事をするなり通話を切った。
聖蓮尼はなんともいえない苦々しい表情になった後、大きくため息を一つ。
「背に腹はかえられんか」
やりたくねぇ~。これが聖蓮尼の本音である。
なんとも妙なことになった。
ここに小夜子という名前の者が三人も、一つは明らかに妙な存在ではあるが、集うこととなる。
「そこに、おるな」
『ほほほ、聖蓮尼殿は見破られるか』
半透明で幽鬼のように立つ間宮小夜子。朱音に取り憑いている小夜子を模した何かであった。
「まだ、瓜子姫からは離れられんようだが、お前は何だ? 間宮さんに似ているし、存在は同一に見えるが、薄い神気と何か分からんものがある」
最初、どこぞの古い何かが小夜子を模しているものと思ったが、どうにも違う。
間宮小夜子を模すなどということは、不可能だ。あれは、それくらいの異常であると聖蓮尼は理解している。
『わらわは影のようなものじゃ。朱音めが小夜子とスマートフォン? で共に写真を撮ってな、わらわはそこから生じた姿写しの影よ』
写真は魂を抜かれる、明治時代の迷信にもあった。だが、それだけでここまでのバケモノは生まれまい。
「瓜子姫の力に関係しているようですね」
ここで、聖蓮尼は口調を改めた。敵ではないというのであれば、間宮小夜子にするのと同じように接しようと決めたからだ。
『わらわも元はヒルコの海に漂う意思なきもの。瓜子姫と共にある姿写しで、影として生じたものじゃ。偽物という言い方はして欲しくはないのう』
「間宮さんともなれば、影だけでそうなってしまうのも道理ですね。……しかし、一つ腑に落ちんことがある。影殿よ、どうして瓜子姫の身体を乗っ取ろうとした?」
朱音からその話は聞いている。
身体を貸せと言った後に、力を開放しろと助言したと。
『アレを流し遣るにはそれしかないからじゃ。それ以外にあると思うかや?』
聖蓮尼はここで影とやり合うか迷った。
敵か味方か、判然としない。しかし、三人の小夜子が揃うという異常な状況で一つを欠くというのは、どうにも良い気がしない。
三、という数字は神秘数字の一つだ。術師ではない聖蓮尼にとっては聞きかじりでしかないが、こういった時に偶然などというものは無い。それは経験で知っていた。
「今回は預けておきましょう。しかし、邪悪な企みであれば」
『ほほほ、影でしかないこの身じゃ。わらわでは聖蓮尼殿に対抗できぬ』
やっぱり、斬ってしまおうか。
薙刀は無いが、守刀は懐に忍ばせてある。
この距離ならやれないことはない。と、聖蓮尼は逡巡した。
彼女は気づいていないが、ここぞという時に勘に頼ることこそが、聖蓮尼を世代最強にまで押し上げた一因だ。
今となっては、当時のことを知る者も減った。
聖蓮尼は少し迷った後に止めておくという結論に達する。それが良いか悪いかは後になれば分かることだ。これも御仏の思し召し。
この時、この一件の中心人物ともいえる朱音と誠士は半壊した食堂で向かい合っていた。
そろそろ寝ろとは言われていたが、血族の一人が足を失って病院に搬送され、もう一人は死んでしまった誠士としても、忸怩たる思いで寝るなどできない。明日には父である竹一郎もやって来る。
朱音にとっては、訳の分からない一日だ。理解できる範疇は超えている。変化が大きすぎるというのに、これに慣れているかのような感覚すらあった。
「天野さん。その、なんだかめちゃくちゃなことになって」
誠士はそこまで言って口ごもる。
妖怪に襲われていた女の子を助けたら、その正体は瓜子姫で、とんでもない強い妖怪が出てきたと思ったら、今度は神まで敵としてやってきた。
「わたしも、訳が分からない。でも……」
生まれながらに感覚だけはよく覚えている。いや、瓜子姫には代々に渡ってその死が受け継がれてきた。
瓜子姫の物語自体は、よくある民話だ。
瓜から生まれた美しい瓜子姫。都の貴人との婚約が決まる。
そこへ、お姫様を騙して食い殺そうと天邪鬼という鬼がやってくる。誘いだされて、憐れな瓜子姫は食い殺された。
天邪鬼は瓜子姫の皮を被って姫になりすまし、貴人がよこした花嫁の輿に乗る。
一部始終を見ていた烏が「瓜子姫の乗る輿に天邪鬼を乗せた」と忠告したことで、天邪鬼は正体を見破られ、貴人の家来に打ち殺される。
「誠士くん。わたし、瓜子姫なんだよ」
朱音は不思議な気持ちだった。
瓜子姫という民話はさっきスマートフォンで調べて、ようく理解できた。
物語の結末は、瓜子姫が殺されないものもあって、烏がすずめになることもある。
調べていて、その話の全てのバリエーションが「あ、わたしのことだ」と朱音は受け入れていた。
「その、俺は鬼なんだ。敵のはずなのにな」
「違うよ、誠士くん。天邪鬼はあのケモノの顔した神様のこと。わたしの身代わりになって、アレと戦ってくれるひとも、鬼みたいな人だったから混ざっちゃったの」
神の悪意から瓜子姫を守るため、姫に化けた護鬼は身代わりに輿に乗る。そして、ケモノ女を迎え撃とうした。しかし、それを見破った第三者である鳥によって作戦は失敗に終わる。
結果、瓜子姫は殺される。
瓜子姫の物語は不穏な結末や、後味が悪いものが多い。発祥に近ければ近いほど、残酷な死に方をしている。
「何度も、繰り返したんだよ」
朱音のそれは、独り言のようなものだった。
「じゃあ俺は、ずっと守っていたのかもしれないな」
「違うよ。誠士くんとわたしは、今日初めて、出会ったの」
誠士の見る朱音の瞳はきらきらと輝いていて、見つめ合っている内に、自然と唇を重ねていた。
不可視の存在である小夜子の影は、戻った際に鉢合わせてしまって、非常に居心地が悪い。
こやつら、人の家、しかも寺でおっぱじめるつもりではなかろうか、と心配したが流石にそういうことにはならなかった。
『……これはこれで気まずいものじゃな』
影の言葉を聞く者はいない。
翌日、早朝に自衛隊の諜報部隊と宮内庁の役人が荷物を届けにきた。
必殺の霊的国防兵器の一部である。これを借りるのに、聖蓮尼は大きな借りを作った。今までの貸しを全て差し引いても、である。
寺は半壊した上に、安泰な生活を維持していた権力者への貸しまで失う。
人生は修行場というが、尼であろうと御仏に文句の一つも言いたくなろうものだ。
トーストにハムエッグ、サラダという朝食を済ませた後、早速儀式を執り行う運びとなった。
寺の本堂で、誠士と朱音も同席して、聖蓮尼は儀式の準備を行う。
本堂に恭しく持ち込まれたのは、大人ほどの大きさの桐箱である。
中に何が入っているのか、それは聖蓮尼も知らない。だが、このままで儀式をすれば呼べることは分かっている。
これには、今上陛下のお許しが必要だ。それを得るのに、全てを使ったと言っても過言ではない。
専用の祝詞を上げれば、桐箱が震え始める。大気の鳴動と地鳴りの後に、それは無から突如として顕れた。
「麻呂を呼ぶとは、いかなる大事か」
日本国民なら誰しもが知る陣羽織と、桃の鉢巻をつけた美丈夫。そう、日本昔話に語られる桃太郎その人である。
「桃太郎卿、お応え頂きありがとうございます」
聖蓮尼が深々と頭を下げる。
「良い、許す。ここにある残り香だけで、あいわかっておじゃる」
桃太郎はじろりと誠士を見た。
「ふむ、この子供が今代か。小童よ、名乗れ」
誠士はごくりと息を呑み込んだ後、口を開いた。
「ち、道反誠士と申します」
「ふむ、瓜子姫のための護鬼か。では、……鬼の太郎というのはよろしくない。やはり、ここは桃太郎としておこう。お前を、その名に恥じぬ男に鍛えてやる」
「は、どういうことですか」
桃太郎はにやりと笑う。
「天に、お前が選ばれた。今代の桃太郎でおじゃる。返事はどうしたッ」
これには聖蓮尼も驚いた。
「はっ、はい」
勢いで誠士はそれを受け入れた。この時点で、道反誠士は鬼の血を引きながら、鬼退治を宿命とする桃太郎へと変生したのである。