小夜子? と瓜子姫と眷属どもと
手長足長は災厄の化身であり、まつろわぬ神の零落した姿でもあり、神仙であるともされる。
ここに現れた手長足長は、角を持つ明らかな鬼だ。
本来ならば、兄弟、または夫婦としての姿だというのに、姉と弟である。
異形の鬼に対して、誠士は正面から相対した。
ちらりと朱音を確認すれば、彼女は部屋の端まで逃げていて、ぎりぎりで間合いの外だろう。山寺の食堂から逃げるにしても、出口までの途中にいる手長足長には隙が無い。
「さて、どれから喰らおうか。弟よ、そなたはどれがいい?」
「女じゃ。女がよい」
「さようか、ではそこの若い男をアタシが喰らおうか。残りは引き裂いて分けよう」
姉鬼の手長が、その長い両腕を振り上げた。いくつもの関節が連なる細腕は、両手を広ければ5メートル以上あった。
その手を交差させるように振るう。触れたものを破砕しながら、鬼の細腕が彼らに迫った。
並の退魔師ならそれだけで終わっただろう。しかし、彼らは鬼の血を引く道反一族。
女は猫のような身のこなしで避け、男は天井の梁まで跳んでその手をかわす。そして、誠士は振るわれた手の平に逆に飛び込んだ。
人の形であれば、壊し方も同じ。幾つも連なる関節はどうにも異様な形だが、手首から先は人間のものと変わりない。
まずは右の小指。手長の指は長く、まるで鋼鉄のような硬さだが、誠士もまた鬼の血を引く。全力と全体重をもって指をへし折った。
「きやあぁぁぁぁ」
姉鬼の悲鳴。
手というものは感覚が他より鋭い。その痛み、鬼であろうと耐えられまい。
「姉者の美しい手に傷をつけよったな」
足長は姉鬼を肩車をしたまま軽やかに跳ぶと、回し蹴りを放ってきた。
象ほどの太さの足である、誠士は床を転がってかわしたが、あんなものを受けたらひとたまりもない。
「忘れてもらっちゃ困るっスよ」
身体の構造が同じなら、急所も同じ。
道反の女は足長の股をすり抜けざまに、短刀で右足のアキレス腱を切り裂いた。並の妖物ならすれ違いざまに首を落とせる腕前の彼女をもってしても、人間であれば柔らかいはずの急所を裂くのが精いっぱいという有様だ。
それでも、急所を潰せた。
うめき声と共に、右膝をついた足長。そこに、道反の男が発砲する。
彼は視力が高いという以外は目が多いだけの、典型的な血の薄まった見掛け倒しの半妖だ。だが、三十年もの間、研鑽を重ねた射撃の腕は血の濃さと全く関係無い。
続けざまに三発。
右目、左目、眉間。正確無比に放たれた銃弾は、足長の両目を貫いて脳にまで達した。眉間は骨に阻まれて効果がなかったが、先の二発だけでも致命傷だ。
「アタシの弟になんてひどいことを! 許さんぞ!」
姉鬼である手長が怒気を発する。
「姉者、いてぇよぉ。いてぇよぉ。おろろおおおん」
赤い肌の鬼である足長が、子供のように泣く。
「可哀想に。なんてヒドいヤツら! いつものをしてやるからね。もう泣き止むんだよ」
「姉者、いつものやってやって」
手長の嫋やかな手が、足長の両目とアキレス腱を煽情的な仕草でまさぐれば、なんということ! 傷そのものが、まるで嘘だったかのように消え失せたではないか。
「痛いの痛いのとんでゆけぇ」
子供にやるおまじないだ。
手長の白い腕が、何かを投げる仕草をした。それは、道反の女と男に向けられている。
「二人ともっ、よけろっ」
誠士にだけは見えた。彼の目だけが、それを認識できたのだ。
必死の叫び空しく、その時には遅い。
見えない何かに当たった二人に、足長が負ったはずの傷が突如として現れる。
女は右足首が半ばから切断されるほどの裂傷。
男は人間の位置にある両目が弾けたあげく、何かが脳を破壊して後頭部にまで走り抜けて絶命した。痛みも感じぬ即死である。
「嘘っスよね……。叔父さんは、そんなの嘘で生きてる。術なんてまやかしっ。まやかしっ、嘘、デタラメッ」
道反の女は錯乱したのではない。言霊の呪禁を用いている。
呪法を無かったことにしようと言霊で叫ぶが、手長のそれはすでに完了した後の結果だ。死を禁じることなどできようもない。
「バケモノめ……」
誠士は息を吸い込んだ。
なんとしても朱音だけは守らねばならない。彼女を守ることこそが、この身に課せられた使命だ。
朱音はそれを見ていることしかできない。逃げるのがいいのだろうが、出入り口近くには手長足長がいる。
『アレらを助けてやりたいか?』
「できるの」
『影でしかないわらわには無理じゃ。じゃが、朱音よ、そなたならできる』
声の囁きは、まるで悪魔の誘惑のようで。
朱音の心をくすぐる。
「どうしたら、いい?」
『わらわに体を貸しておくれ。そうすれば、全ては何もかも元通りじゃ』
進退窮まった時に、一発逆転をあげるなんて話はだいたい嘘だ。自分で勝ち取るしかない。それも、すぐに結果の出ることで。
「どうするの」
『瓜子姫の力をもって、ヒルコの海にあれを流し遣る。手長足長を真似ておるが、アレはあやふやなものじゃ。今ならなんとでもなる。瓜子姫や、そなたが身体を明け渡してくれればよい』
朱音には、この声が本当にあの少女のものなのか、それとも全く別の何かであるのか、それすら分かっていない。ただ、今まで守ってくれたものだということだけを分かっている。
朱音が口を開こうとしたと同時に、部屋の引き戸が荒々しく開かれた。
「人の寺を好き放題しおって! 許さん」
聖蓮尼というこの山寺の主である尼だ。
薙刀を手に、袈裟の下に腹巻という鎧を着こんだ伝統的な僧兵スタイルである。
許さん、と言う前からすでに薙刀は振りかぶられており、そのまま手長の首を刎ね飛ばしていた。
宙を舞う、女鬼の頭。
板張りの床に血を点々と残して転がり、壁に当たって止まった。その顔は何が起きたか分かっていないという表情を浮かべたままだ。
「あ、姉者の首がとれちまったァ!?」
「お前が壁に穴を開けたかっ。業者を呼ばんと直せんような穴を開けおって! 貴様も死ねい」
まさに鬼の形相となった尼が薙刀を振りかぶる。
「よくも姉者を」
足長の蹴りが放たれる。怒りもあってのことか、凄まじい一撃である。
聖蓮尼は驚異の柔軟性をもってそれをすり抜けるように避けながら、足長にぴたりと寄り添うような体勢でその懐に入る。
「ふんっ」
気合一閃。
薙刀という長物が魔法のようにうねる。
疾風のごとく走る刃が、足長の大きな頭を鼻の上から横一文字に切断していた。
足長の身体は蹴りの勢いのまま、滑るようにしながら倒れ伏す。
「なんということをしてくれたッ。ほぼ建て直しではないか!」
怒りが治まらない聖蓮尼は、前のめりに倒れた足長の背中から、心臓の位置に薙刀の刃を突き立てていた。その後に、手長の身体を蹴って仰向けにすると、同じように心臓に刃を突き刺した後、腹にもに刃を刺しこんでいく。
退魔師であれば分かることだが、妖物は死ににくい。そのため、止めを最低でも三度は刺すという鉄則がある。
「せ、聖蓮尼、この鬼は」
「道反誠士や、あなたが原因でもこれは流石に怒りますよ」
自分の家を破壊されて怒らない者がいるだろうか。いや、いない。
『これは予想外じゃ』
聖蓮尼はぐるりと食堂を見回して、朱音を見るとつかつかと歩み寄る。
「あなたが原因ですか。妙なモノをつけていますね。間宮さんの気配に似ているが、……違うな」
聖蓮尼の目が細められた。
『ちと、分が悪いの』
囁く声は、酷薄なものに変わった。朱音に語り掛けてきた時のような温かさなど、微塵も無い声音だ。
聖蓮尼が続けて何か言おうと口を開いた瞬間のことだ。
壁の大穴から吹いてきた邪悪な気配の天津風に、苦虫を噛み潰した顔になる。
「今度は何が来おった」
聖蓮尼は薙刀をぴたりと、何も無い空間に向けた。
『はははははは』
遠くから響くのは鬼神の哄笑であろうか。
壁に開いた大穴を通って空からごうと吹き込んだ風が、屋内で竜巻のように吹き荒れた。
「またしてもっ。寺を破壊するなと言うておろうが」
風が止むと、天女か弁天様のような衣をまとった妙な女がいた。
獣と人間を混ぜた顔立ち。
高い鼻などは、鼻の頭が黒い獣のもの。豊かな髪の頭部からは、狐に似た耳がにょきっと生えている。
アニメに出てきそうな、獣成分が高い獣人の女であった。
現代的な感性であれば、よく出来たコスプレと思われるかもしれない。
『現代の人間などに手長と足長がやられるとはな』
聖蓮尼以外の誰もが、あまりの神聖な気配に圧倒され、息を吸うことも忘れて女に見入っていた。
言葉にせずとも、アレが神だと分かる。
現実に降臨するなどあり得ない、本物の神の一柱。
「その御姿、もしや素戔嗚尊の御息女か」
聖蓮尼はあえて名前を言わない。特に、その問いが肯定されてしまえば、直接の名を呼ぶだけで祟りを受ける可能性すらあった。
『カカカカ、よくぞ見抜いたな。仏の巣であることだし、ここはお前に免じてやる。手長足長よ、こんな所で寝ている暇はないぞ。それ、猛気を与えてやる』
ふうっとケモノ女が息を吹く。
神の【嘯き】であれば、妖物は存在すらも反転してそこにある全てが嘘となる。
完全に死んだはずの手長足長の胴体が動き出す。そして、それぞれの身体が転がっていた頭を拾いあげた。
頭は、切断面にくっつけただけで瞬く間に再生する。
「ひぃぃ、母様ありがとうございます。この度の失態。この手長、弟の分までお詫びいたします」
手長は弟から飛び降りて、そのまま土下座した。
『なあに、許してやろう。カワイイ子供だからな』
その言葉、中身は真逆だろう。
ケモノ女は酷薄な笑みを浮かべている。
「ひぃぃ、お許しを」
ドン、という重たい音がした。聖蓮尼が薙刀の石突で床を叩いたのだ。
「で、御息女殿。御仏のお堂をぶち壊してくれたこと、どう落とし前をつけてくれる?」
聖蓮尼は一歩も引かない。
『瓜子姫を渡せば、金などこの通り』
ケモノ女が天女のごとき衣の袖を振る。それだけで、聖蓮尼の足元に江戸時代のものであろう大判小判が出現した。一抱えもありそうな量だ。
「金で御仏の歓心を買えると思っていらっしゃるか?」
『仏が今までずっとやっておることではなかったかな』
「それは、いくら神でも聞き捨てなりません」
聖蓮尼、このように言っているが、内心では金を受け取るから帰って欲しいと思っていた。それほどに、神というものは厄介だ。
手長足長に妙な気配を感じていた。零落神の類いであろうとは予見していたが、背後に本物の神がいたとなれば話は別だ。
ここで要求を呑む。
そうすれば、神が暴れるなどという大災害は防げるというもの。どのような関係かは分からないが、この少女が目当てなら渡してしまえばよい。一人の犠牲でたくさんが助かる。
『おうおう、素直になれや』
ケモノ女がさらに袖を振る。まばゆい輝きの大判小判はさらに積み上がった。江戸時代のものであれば、小判であっても一枚十万円はくだるまい。
「御仏を舐めくさりおって……。お前もここで死ねい」
考えるのを止めた聖蓮尼は、これで良いと思った。
そういうの嫌で、尼になった。
どうせ、なるようにしかならぬ。空即是色と仏陀も言っていることだ。これで良い。
薙刀を構えた聖蓮尼と、ケモノ女は互いに笑みを浮かべた。親愛が一切無い、殺意だけで作る笑い顔。
朱音の耳元に声が語り掛ける。
『流石にこれは不味い。朱音よ、アレを吹き飛ばせ』
「そんなの、できる訳ない」
『そなたならできる。さあ、アレも同じ質の力には耐えられん。あんな気に入らぬものいなくなれと念じながら、力を開け。さもないと、全員が死ぬことになろう』
朱音は大きく息を吸い込んだ。
あんなものいなくなれ。あんなものいなくなれ。あんなものいなくなれ。
「どっかいってぇぇぇぇぇ」
朱音が叫んだ瞬間、常世の風が吹いた。
それは、ケモノ女の現れた時に吹いた風と似たものである。
『瓜子姫めっ、それを使うとはっ。私へのあてつけかあぁぁぁぁぁぁ』
そんな声を遺して、ケモノ女と手長足長は風に吹き飛ばされるようにしてその姿を消した。
「はっ、はっ、ホントにできちゃった」
『天魔雄の血があればそれも道理。じゃが、一時的なものじゃ。アレは千里の彼方に吹き飛ばされただけ。また戻ってくる』
朱音には、声のいうことの意味は分からないでいた。
聖蓮尼は頭を抱えたくなった。
今ので、彼女は朱音がどういうものであるか察しがついた。しかし、だからといってどうにかなるものではない。
十日もあれば、アレは戻ってくるはずだ。
方策はいくつかある。
聖蓮尼がちらりと見たのは、誠士と朱音だ。
引退して尼となった伝説的な退魔師である聖蓮尼は、神殺しを決意するのであった。
来週からは更新できない日があるかと思われます。