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イルヴェンヌ外伝

イルヴェンヌ外伝~後編~

作者: 綿飴ふたば

子どもを産んでからの私は、休む間もなく、狂ったように働いていた。

考える時間なんていらなかったから、新規の客の相手も喜んで引き受けた。

けれど──順位は上がらない。

イザベルは所詮、永遠のナンバースリー。


「また……またマリアンヌがナンバーワンで、ジュリエッタがナンバーツーなの? どうして……どうして……」

「イザベル様。ご発言にはお気をつけくんなまし」

「……はいはい、万年低級娼婦のエミリーさん」

「なかなか傷つくでありんすから、その言い方はやめておくんなまし」

「だって、事実でしょう?」

「……そうでありんすが……。最近、働きすぎではありんせんか? イザベル様。さすがに心配になってしまいんす」


エミリーの哀れむような視線が、ひどく痛かった。

子どものことは何も話していないけれど──何せ相部屋だ。勘づいているのだろう。


「おはようございんす、イザベル様」

「おはよう」


──今日もまた、一日が始まる。


「……よう、イザベル。体調は大丈夫か?」

「ま、マリアンヌ様……。おはようございんす。お陰様で、すっかり回復しんした」

「ふ~ん。そう。あたしには、ボロボロに見えるけどね」

「……嫌味でありんすか?」

「おっとっと~」


そこにふわりと現れたのは、騒がしいほどに美しい金髪のロングヘア──ジュリエッタだった。


「イザベルさん。おはようございます。ご回復されたようで、何よりです。……マリアンヌ様、部屋に戻りんしょう」

「ジュリエッタ様だって、わっちを馬鹿にしているのでありんせんか!?」

「そんなことはありません。尊敬していますよ」


……私より順位が上だからって。本当に、ムカつく。



「イザベル? 入るわよ」

「どうぞ、お入りくんなまし」


訪ねてきたのは、オリヴィアさんだった。

出産したことを知っているのは、イルヴェンヌの中で彼女と支配人だけ。けれど、子どもの話は一度もしてこなかった。


「わっちが……下着モデル、でありんすか?」

「そう。マリアンヌはポルノ女優だし、ジュリエッタには断られてしまったの。今回は有名なプロダクションからの依頼で、支配人もピリピリしていてね。イルヴェンヌとしては断りたくないから、ぜひイザベルにお願いしたいのだけれど……」

「……報酬によりんす」

「もちろん、弾むわよ」


娼婦としてここでずっと働いてきたけれど、こんな外部の仕事は初めてだった。

といっても娼館街から出られるわけもなく、私はアミュラス内のスタジオで宣材写真の撮影に臨んだ。


「さすがだね、イザベルさん! 理想的な体型だし、ポージングも完璧!」


普段は身につけないような下着を次々と着せられ、何百枚と写真を撮られる。

不思議と悪い気はしなかった。むしろ──楽しかった。


「おっ、表情もよくなってきた! 初めてとは思えないよ。楽しいかい?」

「……ええ。想像していた以上に、気分が良いものでありんすね」

「またぜひ、うちのモデルをお願いしたいな」

「分かりんした。わっちでよろしければ」


──数日後。

撮影した写真を使ったポスターが届いた。……悪くない。


「イザベル様がポスターに! わっちも一枚欲しいでありんすぇ」

「何を言ってるの、エミリー。相部屋なんだから、いつでも見られるでしょう?」

「お守りに持っていたいのでありんす~。でも、下着モデルなんてイザベル様がやるとは思ってなかったでありんす」

「……何でよ。いいじゃないの」

「あれだけ気の強かったイザベル様なのに……最近、少し落ち着かれたように感じんす」

「は!? 調子に乗るんじゃないわよエミリー。今日は廊下で寝てもらおうかしら」

「も、申し訳ありんせん……」

「ふふ。冗談よ」


……エミリーの言う通り、私は少し変わってしまったのかもしれない。

でも、こんなことでナンバーワンになれるわけがない。

私は──マリアンヌとジュリエッタに勝たなければならない。



その日も、モデル撮影だった。今度は水着。どうやらグラビア雑誌に載るらしい。


「はあ……モデルって楽しいけど、気を遣うわね」


いつも通りの仕事。いつも通りの寮。いつも通りの部屋──。


扉を開けた瞬間、エミリーの荷物が、ひとつ残らず無くなっていた。



「オリヴィア様……! エミリーは……!!」


私はオリヴィアさんの部屋へ飛び込んだ。


「ちょっと、イザベル。ノックもなしに、失礼よ」

「も、申し訳ありんせん……でも、エミリーが……」

「エミリーは、今日限りでクビよ」

「クビって……売れていなかったからでありんすか?」

「それもあるけど……あの子、病気なの。もう手遅れなほど進行していた。だから、支配人が暇を出したのよ」

「そ、そんな……あの子は一言も……」

「ずいぶん気にかけていたのね、イザベル。あんなに見下していたくせに。子どもを産んで、母親気取りかしら?」


オリヴィアさんのその言葉に、私は何も言い返せなかった。


「あなたは子どもを産んだ。それだけのこと。母親にはなっていない。情を捨てて、これまで通り働きなさい」



エミリーのいなくなった部屋は、妙に広く感じた。

こんなことになるなら、せめてポスターの一枚でも渡しておけばよかった……。

でも、オリヴィアさんの言う通りだ。私は、変わってしまった。


──だって。こんなに涙が出るなんて。イルヴェンヌへ来てから、初めてだった。



新しい相部屋が来るまでは、一人でこの部屋に眠る。


私は確かに、エミリーを見下していた。

けれど、自分なりには可愛がっていたし、大切にもしていたつもりだった。


……いや、それもただの独りよがりだったのかもしれない。


私はずっと「独りでもやっていける」と思ってきた。

周囲の娼婦はすべて敵。エミリーのような格下は特に見下していた。

それなのに、今さら──本当に今さら。私は、寂しいと感じてしまっていた。


寂しい。


私は、ずっと寂しかったのかもしれない。

いつからだろう。


──初めて、愛のない性を売ったとき?

──イルヴェンヌに来たとき?

──妹のリリーと離れ離れになったとき?

──父が帰ってこなくなったとき?

──母が男を作って出ていったとき?


……もっと前?

もしかして、生まれたときから?


私は、寂しい女だ。虚しい女だ。


──でも、負けない。

私は負けない。

絶対に、このイルヴェンヌで。アミュラス娼館街で。ナンバーワンになってみせる。


おわり

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