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イランの歴史と現代国際問題  作者: 練り消し
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「古代オリエント」世界の成り立ち

 イランの歴史① イランを含む「古代オリエント」世界の成り立ちについて。

『神野の世界史劇場』を参照に解説。


『神野の世界史劇場』付属CD全公開!(001) オリエント世界の地勢

『神野の世界史劇場』付属CD全公開!(002) 第一次セム系民族の大移動

『神野の世界史劇場』付属CD全公開!(003) 第一次アーリア民族の大移動

『神野の世界史劇場』付属CD全公開!(004) ミタンニの侵攻によるオリエント混乱

『神野の世界史劇場』付属CD全公開!(005) バビロン第一王朝とヒュクソス王朝の盛衰


◆ イラン(ペルシア)の歴史


※イラン周辺世界地図

挿絵(By みてみん)




● 「古代オリエント」世界の成立


 イランは「古代オリエント」を構成する地域の一部。

「オリエント」とは、古代ローマから見て東方にある世界の総称で、具体的には大きく以下の地域に分かれる。


※ 紀元前4000年紀(前4000年~前3001年)ころの「古代オリエント」


挿絵(By みてみん)

・メソポタミア=バビロニア(現在のイラク)

・シリア

・カナン=パレスティナ(現在のイスラエル、ヨルダン)

・アラビア(現在のサウジアラビア)

・エジプト

・アナトリア=小アジア(現在のトルコ)、

・イラン=ペルシア




● 「第一次セム系民族の大移動」によって古代オリエント社会が形成される


 紀元前4000年紀(前4000年~前3001年)ころ、現在のサウジアラビの砂漠地帯には「セム系」の民族がいて、このセム系民族が貧しい砂漠地帯から北上してメソポタミからシリア、パレスティナにかけての「肥沃なる三日月地帯」へと移住し古代オリエント社会を形成する。

 メソポタミア方面、チグリス川とユーフラテス川の上流に住み着いたセム系民族が「シュメール人」となり、中流域に住み着いたセム系民族が「アッカド人」となり、上流域に住み着いたセム系民族が「アッシリア人」となる。

 メソポタミアの中流域と下流域は合わせて「バビロニア」地方とも呼ばれる。

 シリア方面、砂漠地帯に住み着いたセム系民族は「アムル人」となったが、同じくシリア方面レバノン山脈の東側の内陸部と山脈西側の地中海臨海部に住み着いたセム系民族がそれぞれ「アラム人」、「フェニキア人」となり、こちらの両者は貿易によって栄えた。

 また、パレスティナ方面に住み着いたセム系の民族は「カナン人」となった。



● 「セム系」「ハム系」「ヤペテ系」民族の成り立ち


 この「セム系」民族というのは、聖書におけるノアの3人の息子の一人であるシェムにちなんだもので、旧約聖書の説明では、神の罰である大洪水によって全人類が滅ぼされたあと、生きのこったノアの三人の息子セム、ハム、ヤペテのうち、セムが肥沃な三日月地帯に子孫を残して「セム系」民族の祖となり、ハムがエジプト方面に子孫を残して「ハム系」民族の祖となり、ヤペテはさらに広く東西に子孫を残して「アーリア系」民族の祖になったと記されている。


挿絵(By みてみん)


・シュメール人

  シュメール人は紀元前3000年ころ、メソポタミア地方南部(ティグリス・ユーフラテス川下流)で最初にウル、ウルク、ラガシュといった都市国家を形成し、メソポタミア文明の基礎を築いた。シュメールとは「葦の多い地域」という意味の言葉だという。

  それぞれの都市国家では「ジッグラト」という巨大な神殿が築かれ、「神権政治」(王が神、またはその代理人として権力を行使して治める政治)によって統治が行われていた。

  シュメール人は有名な楔形文字を発明したが、シュメール人の住む地には木材、石材、鉱物などのなかったため、陸路・海路を通じた交易が盛んとなり、楔形文字は商業取引の記録を残す必要から発明されたものではないかと考えられているという。またその楔形文字で書かれた最古の神話「ギルガメシュ叙事詩」が発見されているが、この「ギルガメシュ叙事詩」には、『旧約聖書』の大洪水(ノアの箱船)のエピソードの原型となるような話がみつかり、キリスト教世界に大きな衝撃を与えることとなった。

  ※『ギルガメシュ叙事詩』の中の「洪水物語」

【エア神の説明により私は船をつくり、自分と自分の家族、船大工、全ての動物を乗せた。6日間の嵐により人間は粘土になった。私の船がニシル山の頂上に着地して7日目、鳩、ツバメ、カラスを放ってみた。私は船を開け乗船者を解放した後で神々に生贄を捧げると、その匂いにつられて多くの神が集って来た。生き残った者がいることを知ったエンリル神は怒り、ニヌルタ神は言った。「エア以外に誰がこんなことをしようか」と。エア神は「洪水など起こさずとも、人間を減らすだけでよかった。ウトナピシュティムに夢を見させただけで、私は何もしていない。彼らがただ賢かったのだ。今は助かった者たちに、助言を与えるべきであろう」と話す。そしてエンリル神は私と妻に永遠の命を与え賜り、私は遥かなる地、2つの川の合流地点に住むこととなった。】

  ちなみに、ユダヤ人の祖先とされるアブラハムの一族は元々メソポタミアの都市ウルに住んでいて、そこから神の啓示を受けて、「約束の地」となるカナンへ移住したと旧約聖書に書かれている。


・アッカド人 (「アッカド王朝」)

  アッカド人は前2300年頃、サルゴン1世が南部のシュメール人との抗争の末、メソポタミア初の統一王朝となる「アッカド王国(王朝)」を建国する。

  アッカド王朝は11代約180年続いたが、前2150年ころ、バビロニアの東北から興ったグティ人の侵略を受けて滅亡。グティ人はその後約125年間、アッカドの地を支配したが、やがてメソポタミアで独立を回復したシュメール人によってウルを拠点に「ウル第3王朝」が建設される。 


・アムル人 (「バビロン第1王朝」)

  アムル人は前2000年紀前半のころより、シリアの砂漠地帯からメソポタミアに侵入し、その後紀元前1900年ころ、シュメール人のウル第3王朝に代わってバビロンを都に「バビロン第1王朝」を建国。前1800年ころにはハンムラビ王が出て全メソポタミアを統一し、全盛期を迎える。

 軍事力の支配に依存しすぎたアッカド人に対し、アムル人のハンムラビ王は「ハンムラビ法典」を制定し、法の秩序によってメソポタミアの統治を行った。

  セム系アムル人の「バビロン第一王朝」は、最終的に前1595年、北方から侵入してきたアーリア系民族ヒッタイトのムルシリ1世によって攻められ滅ぼされる。




● 「第一次アーリア民族の大移動」(紀元前2000年ころ)によって古代オリエントの勢力が塗り替えられる


 紀元前2000年ころ、それまでセム系の民族によって形成されていた古代オリエント世界が、北方アーリア系の民族の侵入によって駆逐され、勢力図が大きく塗り替えられることとなる。


 「アーリア系民族」とは、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈の北方の草原地帯に住んでいた遊牧民族で、かつて砂漠に暮らしていたセム系民族同様、痩せた土地から肥沃な大地を求めて各地へ移住を開始。

 アーリア系民族の移動は非常に広範囲に及び、東のインド方面に向かった「インド・イラン系」アーリア民族のグループと、西のヨーロッパ方面に向かった「ヨーロッパ系」アーリア民族のグループと、南に向かって古代オリエントの勢力図を塗り替えた「オリエント系」アーリア民族のグループに分かれる。


挿絵(By みてみん)


 東に向かったアーリア系遊牧民は、現代インド人の祖となる「インド・アーリア人」になったり、あるいはその後の「ペルシア」世界を構成する「パルティア人」(カスピ海西部)や、「イラン人」(イラン中央)、「メディア人」(カスピ海東部)、「アケメネス人」(イラン南部。ファールス地方)になるなどした。


 西に向かったアーリア系遊牧民はヨーロッパ方面の各地でそれぞれ、「スラブ人」(ロシア)、「バルト人」(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)、「ゲルマン人」(ドイツ)、「ケルト人」(オーストリア、スイス、フランス、ベルギー、イギリス)、「アカイア人」(ギリシア)となった。

 



● アーリア系民族によるオリエント世界侵略とバビロン第一王朝の滅亡


 コーカサス山脈を越えて南に向かったアーリア系遊牧民は、小アジア(トルコ)でヒッタイト王国を建設しヒッタイト人となる。

 また、肥沃な三日月地帯の北方、シリア内陸部に向かった集団は先住のセム系のアムル人を追い出し、ミタンニ王国を建設してミタンニ人となる。

 一方、アーリア系ミタンニ人の侵入に圧迫され弾き出されるようにシリアの地から追い出されたセム系アムル人は、そのころメソポタミアを支配していた同じセム系シュメール人の「ウル第三王朝」を滅ぼして「バビロン第一王朝」(古バビロニア王国、アムール朝バビロニア王国)を建国。

 バビロン第一王朝は第六代ハムラビ王の時代に絶頂期を迎え全メソポタミアの統一を成し遂げるも、鉄器の生産で有名なヒッタイト人の侵略を受けて滅亡した末、シュメール人の支配するメソポタミア上流に住み着いていたカッシート人によって取って代わられることとなり、アムル人に代わってバビロンを都にしたカッシート人は改めてバビロン第一王朝の宗教や文化を引き継いだ独自のカッシートの王国(バビロン第三王朝、カッシート王国)を建設する。




● 「バビロン第一王朝」滅亡後のメソポタミア世界 (ヒッタイト、ミタンニ、カッシートの興隆)


 こうしてバビロン第一王朝滅亡後、メソポタミアには新たにヒッタイト、ミタンニ、カッシート(バビロン第三王朝)の三大国が勃興。

 しかし、前1200年ころ、謎の「海の民」の侵攻によってヒッタイトが滅亡すると、オリエント世界は再び混乱の時代を迎える。


※「バビロン第一王朝」滅亡後、紀元前15世紀ころのオリエント諸国

挿絵(By みてみん)




● 謎の「海の民」の侵入によって、オリエントでは再び玉突き状態の戦乱時代へ突入し、多くの国の興亡が繰り広げられる (ヒッタイトとミタンニの滅亡、アッシリアと新バビロニアの台頭、フリギア王国・エラム王国・フェニキア人都市国家・アラム王国・ヘブライ王国といった国々の隆盛)


挿絵(By みてみん)


<小アジア方面>

 ・フリギア王国

   海の民によってヒッタイトが滅んだ後の小アジアに出現した国家。


<メソポタミア方面>

 ・アッシリア王国

   紀元前3千年紀のころから北メソポタミアに生まれてずっと存在していたが、弱小でオリエントの各有力諸民族に服従する状態が続いていた。しかし前13世紀ころにはヒッタイトとの戦いで衰えたミタンニを滅亡に追い込む。

   そして前8世紀のころより、おそらくは小アジアのヒッタイトから鉄器の製造技術を吸収したのか、鉄製武器や戦車などを装備するようになって強力になり、前732年にはサルゴン2世がシリア・パレスチナ方面に遠征してダマスクスを占領してアラム人を征服。前722年にはイスラエル王国も滅亡に追い込む。また、東方においても前729年にバビロンを征服してメソポタミアを統一。

   前663年には、アッシュール=バニパル王がエジプトをも打倒して遂に最初の全オリエント統一の覇者にまで登りつめる。

   アッシュール=バニパル王は、後のローマ帝国のように征服した領地や植民地に「属州」を設け、そしてその属州に「総督」を派遣するという中央集権的な統治体制を築き上げたが、同時に強制移住や重税など過酷な支配を敷いたため、服属諸民族の抵抗や反乱を招き、滅亡を早める結果となった。

   そしてアッシリアは前612年、台頭してきたアルデア人の新バビロニア王国とメディア王国の連合軍によって首都ニネヴェを占領されて滅亡。

   アッシリア帝国滅亡後、オリエントは新バビロニア王国(カルデア王国、メソポタミア地方)、メディア王国(イラン高原)、エジプト末期王朝(第26王朝など)およびリディア王国(小アジア)の4国分立時代へ突入することとなる。


 ・新バビロニア王国(カルデア王国)

   紀元前1100年ころセム系遊牧民のカルデア人がバビロニア南部に定着し、前625年、ナボポラッサルがバビロンで独立して「新バビロニア王国」を建設。前612年にはイラン高原のメディア王国と連合してアッシリア帝国を滅ぼし、アッシリアに変わってメソポタミアを統一。

   前6世紀前半のネブカドネザル2世の時期に全盛期を迎え、ネブカドネザル2世はエジプトの勢力を排除してパレスチナに進出すると、エルサレムを占領してユダ王国を滅ぼす。

   パレスチナ遠征は、前593年と前586年の二度おこなわれたが、このとき、二度にわたってユダヤ人がバビロンに強制連行される有名な「バビロン捕囚」が行われる。


<イラン方面>

 ・エラム王国

   紀元前22世紀、西アジアのイラン高原南西部にエラム人によって興された王国で都はスサ。前1155年にはカッシート王国を滅ぼし全盛期を築くが、次第に衰え、前7世紀には滅亡した。


<エジプト方面>

 ・新王国

   エジプトの王国は紀元前3000年紀ごろに生まれ、アレクサンドロス大王に征服される前332年までに31の王朝が交替した。

   王朝時代は「初期王朝」(前3000~前2650頃)、「古王国」(前2650年~2160年頃)、「中王国」(前21世紀から前18世紀)、「新王国」(前1552~前1070年ごろ)、「末期王朝」(前12世紀~前4世紀まで)に分かれる。

   もともとはナイル川の流域にできていた「ノモス」と呼ばれる集落が統一される形でエジプト王国が誕生し、国王は「ファラオ(太陽神ラーの子)」という称号を受けた。首都はナイル川下流のメンフィス。

   エジプトは中王国時代の末期の前1650年ごろに一度、アーリア系のミタンニやヒッタイトの南下に押し出されるように北方から侵略してきたセム系ヒクソス人の侵略を受け、その結果エジプトにヒクソス人によるエジプト最初の異民族王朝となるる第15王朝が成立。ヒクソスはそこから約1世紀の間、エジプトを支配した。(そのころ同じくミタンニの圧迫を受けて南下し、メソポタミアでシュメール人のウル第三王朝を滅ぼして誕生したのがセム系アムル人のバビロン第一王朝)

   中王国時代より、エジプトの首都はナイル川中流のテーベに変更。

   その後、前1552年にアアフメス1世がヒクソス王朝を打倒し、エジプト第18王朝を創始して「新王国」が開始される。

   紀元前14世紀にはアメンホテプ4世が出て「アマルナ革命」という宗教改革を行う。

   そのころのエジプトでは、首都テーベの守護神である「アモン=ラー」を中心とした多神教の宗教が信仰されていたが、神官たちの力が強くなりすぎて政治に干渉を及ぼすようになったため、アメンホテプ4世は独自に「アトン神」という別の神を創り出して信仰するように命じた。

   アメンホテプ4世がつくったこの新宗教は、当時は多神教が当たり前だったオリエント世界にとても珍しい「一神教」の宗教で、それは異民族を統合するときのことを考えて生み出された非常に人為的な神様だったが、隣国ヘブライ人のユダヤ教にも影響を与えることとなった。


<シリア方面>

 ・フェニキア人都市国家、アラム王国

   前13世紀ころより始まった「海の民」の侵入により、小アジアのヒッタイトやエジプトは大きな被害を受けたが、その間に挟まれたシリア・パレスティナ方面ではかえって大国からの圧迫が減り、発展する国々が生まれた。

   レバノン山脈を挟んで東側のセム系アラム人は内陸貿易で栄えるとともに、前10世紀ころに首都ダマスクスを建設してアラム王国を建設した。

   レバノン山脈西側地中海臨海部の同じセム系フェニキア人は、シドンやティルスを拠点に良質なレバノン杉などの輸出を通じて栄え、地中海に出て遠くアフリカのカルタゴやイベリヤ半島のガデスにまで殖民都市を築いた。


<パレスティナ方面>

 ・イスラエル王国(ヘブライ王国)

   前1000年ころ、イスラエル人(ヘブライ人)がパレスティナに建国。

   それまでは同じヘブライ人の部族同士が集って集落をつくっていただけにすぎなかったが、前12世紀ころ、「海の民」の一派であるペリシテ人がシナイ半島につくった国から侵略に対抗するため、初代の王サウルが、多くの部族に分かれていたイスラエル人(ヘブライ人)を初めて統一して「イスラエル王国(ヘブライ王国)」を建国したのがはじまり。

   その後、南部のユダ族を率いるダビデがペリシテ人の攻撃を次々と跳ね除け、前1003年、2代目の国王となってパレスチナ全域を支配。さらにその子の3代目ソロモン王の時代の前10世紀中ごろに最盛期を迎え、「ソロモンの栄華」と称された。

   しかし、前926年には、南部のユダ族であるソロモン家の支配に反発した北部の部族が分離独立して単独で「イスラエル王国」を建国。それによって南は「ユダ王国」として分立することとなる。

   が、その後、イスラエル王国のほうは前722年にアッシリアのサルゴン2世によって滅ぼされ、ユダ国のほうも新バビロニア王国のネブカドネザル2世によって前586年に滅亡に追い込まれ、同時にユダ族の民は強制的にパレスチナの地から引き離され、遠くバビロニアの都バビロンへと連行されて捕虜とされてしまう。(「バビロン捕囚」)

   バビロンで捕らわれの身となったユダ族のヘブライ人たちは、前538年に、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世によって解放されるが、このときまでに生き残ったユダ族の名が、「ユダヤ人」というイスラエル人(ヘブライ人)に代わる新たな民族呼称として用いられるようになっていく。

 「イスラエル」という言葉は、ユダヤ人の祖先となるアブラハムの孫ヤコブがあるとき神との格闘に勝利し、そのことから神の勝者を意味する「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」「エル(神)」の複合名詞)の名を与えられたことにちなむ名称。

 それ以前は「ヘブライ人」を名乗っていたが、ヘブライとは「国境を越えてきたもの」「川向こうから来た者」との意味で、主に、アブラハムやイスラエル人が異民族に自分を紹介する際に用いていた言葉が、やがて彼らの民族を表す語となったもの。



● 初代オリエントの覇者「アッシリア王国」滅亡後、オリエントは「リディア王国」「メディア王国」、「新バビロニア王国」、「エジプト末期王朝」、の「4国分立時代」へ


挿絵(By みてみん)




















手直ししつつ書き足していきます。

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