窓の反射
夏休みも終わり、講義もバイトも大変で早く帰りたい気持ちが大きくなっていた
バイトのまかないを持ち帰りにしてもらい、家でゆっくりしている想像をしながら電車に揺られていた
そんなに混んではいなかったが席はうまっていて、立っている人は疎らで、自分はドア近くの手すりにもたれかかり、ぼんやりと外を流れる電灯の明かりや民家の明かりなどを目で追っていた。
民家が少なくなり、窓をみていると鏡のような効果で電車内の乗客の顔が見えてくる
「あの人寝ちゃって持ってる本落としそうだな」
「あのおじさんビニールで隠してるつもりかもしれないけどストローでビール飲んでるよ…」
体勢を変えながら反射を利用して後ろにいる乗客の様子がよく見える、直接じゃないからジロジロ見ることができる、褒められた趣味ではないが暇つぶしには丁度よかった
すると今まで寝てたサラリーマンの一人がキョロキョロを周りを見渡す
「なんだ?寝過ごしたにしては様子が変だな」
一通り見渡したかと思ったらこちらに目線を合わせてきた、見ているのを解っていたかのように
「えっ、見てるのバレた?いやいやこの体勢なら外見てるようにしか見えないでしょ…」
しかしサラリーマンは目線を外そうとはしない、むしろ何かを言っているようだった
「なに?俺に何か言ってるの?怖すぎでしょ何なのホントに…何言ってるんだ…?」
同じ口の動きを繰り返してる、じっとこちらを見つめながら、まばたきせずにずっとこちらを見ている、同じ言葉の繰り返しをしながら、ずっと…
「俺が見てるってわかってやってるのかな、きちんと振り返って睨んでやったほうがいいのかな…酔っ払いだったら嫌だな面倒なのは本当に嫌なんだよな…振り返るの嫌だな…」
ここであることに気付いた、サラリーマンは口も頭もさっきからずっと前後左右と動いているのに、両隣に座ってる女性もさっきから本を読んでる中年男性もパターン化した動きのサラリーマンに何一つ不思議と思っていない様子だった
「周りは何とも思ってないのか?あんなに動いて煩わしく感じないのか?それにしてもさっきから言ってるの何だ?ここからじゃ聞こえないし分からないんだよな…」
「う…い…お…?ういお?…ういおって何だ?」
ずっと続く口の動き、色々考えても益々分からなくなるばかりだ、サラリーマンの顔が赤くなっていくのを窓越しにでもわかる、額の汗が光りしたたり落ちるのまでわかる
「さっきから、ういおういお言ってて訳わかんねぇよ…直接見たっていいよな、ケンカ売られたところでどうにかなるだろ…」
もうどうでもいい、自分は何もしてないし勝手に向こうが変な動きをやってた事だから振り返って何食わぬ顔でじっくり見てやろうと振り返ろうとしたその瞬間
「うしろ!」
位置的にサラリーマンの方から聞こえたその声は電車内に大きく響き、そして同時に乗客の悲鳴とどよめきも電車内に響いた
座っていた所から前に倒れこみ、口から泡を吐き真っ赤になった顔は脂汗で光っていた、そして近くにいた数人で脈を取ったり呼びかけたりしている
「うしろ?…後ろって言いたかったのか…それって俺の事か?でも何で俺なんだよ…」
駅に着き、駅員が担架を用意していた、誰かが連絡したのかもしれない、線路むこうのフェンスに赤色灯がくるくると回っているのが見える、電車はすぐに発車することはなく暫く停車していた、急病人発生のアナウンスが何回か流れ駅員が荷物や連れがいないかを確認している、救急隊員が担架でエレベーターに乗り込むと同時に電車も発車した
おかしな経験をしたその日は何をするべくでもなく一通り済ませてすぐに床に就いた
次の日学校の学生課で新聞をチェックした、どこの誰だったのか名前は出ないにしろ自分が体験した事の片鱗が記事になっていないか確認したかった、しかしどこにも載っていない、次の日もまた次の日も病人どころか遅延の記事さえ出ていない
「あの程度じゃ記事にさえならないのかな、変な感じになってたのは俺だけだったしな…」
あのサラリーマンはあれからどうなったのだろう、きちんと出社してるのだろうか家族はいるのだろうかもしかして寝たきりになっているのではないか…似た様な時間に電車に乗るがそれらしい人物は見ない、思い切って駅員に聞いてみようか迷ったがプライバシーなんやらで断られるのが今の世だ
自分にだけ訴えてきたのは確かだと思う、もっと伝えたかったことがあったんじゃないか、もうちょっと早く振り返ってあげれば良かったのか、なぜ自分だったのか、そんなことを繰り返し考える日々が今でも続いている…。