~その心奮え 激昂~
「何も知らずにこうやってのこのこやってきて、こうなるなんて思っても見なかったでしょ?」
コンクリート剥き出しのビルの中、多くの魔者達に囲まれるナターシャ達。
逃げ道は無く、薄ら笑いを浮かべる彼等を前に無言を貫くのみ。
彼等を先導した如月達が光悦な笑みを浮かべ、二人を蔑む様に見下していた。
「ほんとバカだよねー?」
「アンディ君言ってたじゃん……頭使えってさー」
「ナッティ~……もしかしてもう忘れちゃった?」
「アッハハハ!!」
彼女達の卑下する声が止まらない。
ナターシャもその声を前にただ無言で立ち尽くし、握り拳から悔しさを溢れ出させていた。
「い、一体こんな事して……何のつもりなんだよ!?」
竜星がそんな彼女達へ向けて震えた声を上げる。
それが逆に面白かったのだろう、彼女達は更に大きな笑いを上げ始めた。
「アッハハ!! ウケる!! ヤバイ、マジで笑い止まんない!!」
「ちょ、美愛笑い過ぎ!! アッハハ!!」
如月達は成功を確信していたからこそ余裕があった。
そんな彼女達に怯えた声を返そうと、それはたちまち弱者の遠吠えにしか聞こえないのである。
それは強き者を好み、弱き者を蔑む……そんな事が好きな彼女達の傲慢が故に。
「……アンタ達がムカつくからに決まってんじゃん。 私はさー、アンタ達みたいなのがすっごく嫌いなんだよねー……なのに楽しそうに……!! だからさ……ロトゥレ、今日もよろしくぅ」
「あいよ、任せておきな嬢ちゃん……!」
ロトゥレと呼ばれたリーダー格と思しき魔者が手を翳す。
すると、周囲に居た魔者達がゆっくりと……ナターシャ達に向けて前進を始めるのだった。
「あ……ああ……!?」
怯え震える竜星から声にも成らない震えた声が上がる。
「もうダメだ……殺されちゃう」、そんな意思が生まれ、不意に涙が溢れ出していた。
だがそんな時……見上げた彼の視界に映ったのは、振り向いたナターシャの顔。
竜星へと向けられた……微笑みだった。
「大丈夫だよ……竜星君は必ず家に帰してあげる」
それがどこか安らぎに満ちた顔に見えて。
慈しみにも感じさせて。
窓から漏れる光が彼女の輪郭を赤くぼんやりとさせて……愛おしさすら、溢れ出て来る様だった。
「ナターシャちゃん……」
途端に震えが止まり、恐怖が薄れる。
周囲の光景など気にさせなくなる程に、彼女が眩しかったから。
意識が周りに行かない程に、その笑顔に惹かれてならなかったから。
その顔も、すぐに振り返って見えなくなる。
でも、彼の心に焼き付いた彼女の笑顔はいつまでも残り続けた。
そして……もう一度その顔を見たいという欲が出たから……。
少年は、飛び出していた。
「ナターシャちゃんに手を出すなあッッ!!!!」
その意思が、想いが、彼を奮い立たせる。
好きな子を守る為に。
笑顔をまた見たいが為に。
竜星がナターシャの前に立ち、両手を大きく広げた。
彼女を庇う様に……魔者達の前に立ちはだかったのだ。
怖くない訳は無かった。
勝てるなんて思ってはいなかった。
でもそんな事は関係ない。
意味なんて必要ない。
救いたい人が目の前に居るのだから。
一人の魔者が飛び出し、襲い掛かる。
その光景を前に竜星は目を瞑り……一心に願う。
「ナターシャちゃんが助かってくれれば、それでいいんだ」……と
ドッッッギャァーーーーーーン!!
その瞬間、凄まじい音が鳴り響いた。
それは衝撃音。
誰にも認識出来ぬ程に、強烈無比の残滓。
気付けば天に……穴が開いていた。
「「えっ?」」
如月達だけではない。
魔者達もまた、唖然とする他無かった。
異様な雰囲気の中、竜星もまた目を開き……目の前に映る光景にただ目を疑うのみ。
そこに立つのはナターシャ。
桃色の光を身に纏い、力強く拳を振り上げた……凛々しい姿だった。
「なっ……あっ……!?」
ロトゥレが声を詰まらせ、その場の状況を疑う。
そしてそれは彼だけではない。
周囲に居た魔者達全員が戸惑い、驚愕の声を上げていた。
その光は見た事のあるものだったのだから。
それは彼等が知っている光だったのだから。
それは命力の光……しかも超高度に圧縮された、完全具現化状態。
それは卓越した者にしか纏う事の出来ない、力の象徴そのもの。
「んな……なんであんな子供が命力を……!?」
想定外の事態に、ロトゥレが思わず足を引かせる。
すると突然天井の穴から何かが飛び出し、彼等の前に落下した。
グシャッ……
それは先程飛び掛かった魔者。
ナターシャに殴られ、穴が開く程の衝撃で吹き飛ばされたのである。
その魔者が戻った時、魔者達が一斉に気付く。
目の前に居るのは、危険な存在なのだと。
「や、やっちまえーーーーーーッ!!」
ロトゥレの叫びを皮切りに、魔者が一人、二人と一斉にナターシャへ向けて飛び出した。
だが……
ガッ!!
ゴギャッ!!
ドンッ!!
それは目にも止まらぬ一撃ばかり。
気付けば三人の魔者がいずれも壁や床に打ち付けられ、動けなくなっていた。
竜星もまた、ナターシャの豹変ぶりにただただ驚くばかりだった。
一体何が起きているのか、彼には何もわからない。
でもそんな彼女が頼もしくて……期待せずにはいられない。
「す、すごい……」
思わずそんな言葉が口から洩れ、圧倒的な強さのナターシャを見開いた目で追っていた。
如月達が場の状況に怯え、逃げる様に後ずさる。
「なんなの……一体何なの!?」
その瞬間、逃げ道を塞ぐ様に……ナターシャに殴られた魔者の体が彼女達の前の壁に打ち付けられた。
グシャッ!!
たちまち粉塵が舞い散り、それが堪らず彼女達を脅えさせた。
力の抜けた膝が尻餅を付けさせ、後に鳴り響く轟音を恐れて蹲り耳を塞ぐ。
もはや彼女達に身動き一つ取る事は叶わなかった。
そんな時……ロトゥレの裏、中二階。
別の部屋に続くであろう通路から、潜る様に巨大な人影が「ヌゥ」と姿を現す。
「……騒がしい、何があった……」
姿を晒した者、彼もまた魔者。
しかも二メートルをゆうに超える巨体。
肌は灰色掛かった青色で肩幅は広く、腕や脚は筋肉が張って力強さを示す。
顔周りにはライオンのたてがみの様な黄色く長い髭が生え揃っている。
威風たるその姿、見る限りの強者。
その魔者が現れた途端、ロトゥレが喜びにも足る声を上げた。
「ア、アニキッ!! やった、アニキが来てくれたぜえッ!! 聞いてくださいアニキ、あの小娘が俺達の仲間をやったんでさぁ!!」
「何ィ……!?」
低く唸る様な声を鳴り響かせ、怒りに身を震わせる。
その身は更に引き締まり、命力すら纏わせていた。
巨体の魔者がナターシャへ鋭い眼光を向け、睨み付ける。
そして彼女もまた見上げ。
互いの視線が合わさった時……巨体の魔者が心の限りに、咆えた。
「あっハァァァァァァァァァ!!?? あ、あにょ方はァーーーーーー!!??」
まるで目が飛び出さんばかりに巨体の魔者の視線が飛ぶ。
途端に強張った体が緩み、軟体生物の様にぐねぐねと体をうねらせ始めた。
慌てに慌て……角張った顔を左右にブンブンと振り回しながら。
「ア、アニキ……!?」
余りの態度を前にロトゥレの体が固まる。
そんな彼に向け、巨体の魔者が怒りの表情で叫び立てた。
「お前等!? 一体なにしてくれてんのぉ!?」
「えっ?」
「あの方が何者か知らんのかァァァ!? あの方は―――」
巨体の魔者が咆え散らかす中、魔者達の視線がナターシャへ向けられる。
竜星も、如月達も。
その一言を前にただ……唖然とする他無かった。
「魔特隊 二番隊 副隊長……【烈紅星】 ナターシャ!!」
それが彼女の裏の名である。
ナターシャは魔特隊を辞めた訳ではない。
今なお、必要な時にのみ出動する事がある。
その肩書が、【二番隊 副隊長】。
しかしそれは極秘とされた、一般には知られぬ素性だった。
そして【烈紅星】……これは彼女の戦い方から付いた二つ名。
星の様に命力の残光で包み込み、敵を容赦なく切り刻む。
そのスタイルから生まれた、赤髪の鬼神……まさしく彼女だけの名なのだ。
「ゼッコォ……ボクは言ったはずだ。 ボク達にまた敵意をぶつける事があったら……次は容赦しないと!!」
では何故彼は知っているのか。
それと言うのも、ナターシャと巨体の魔者ゼッコォ……二人は面識があったからだ。
そもそも彼をこの街に連れて来たのは彼女。
そしてその恐ろしさを知っているからこそ、ゼッコォはこの様に怯え惑ったという訳である。
「ま、待ってくださいよナターシャさん、俺は何が何だかさっぱりわからねぇ!! ロトゥレ……お前、何か知ってるのか……ぉお!?」
ナターシャを前にしたゼッコォはガタイに似合わぬ低姿勢の物言い。
だが、部下でもあるロトゥレには……容赦の無い眼光が向けられた。
彼等にとっては間違いなくの強者であろうゼッコォ。
兄貴と慕う程のロトゥレが逆らえる訳も無く。
「え、あ……ハイ、知ってます。 この嬢ちゃん達にやってくれって言われました!」
「へっ?」
途端、ロトゥレの太い指が如月達に向けられる。
やり玉に上げられた如月達は思わずキョトンとするばかり。
しかし徐々に状況を理解し始めると……その顔がどんどんと真っ青になっていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ……お父さんに言うわよ!? アンタ達全員ここに住めなくしてやるわよ!?」
尻を引きずりながら後ずさり、強気の一言を咆え上げる。
だがその一言が逆に魔者達に火を付け……怒りの矛先を彼女へと向け始めた。
「おいおい、アンタがやってくれって言ったんじゃないか……そんで連れて来るのがこんな人だとは聞いてねぇ!!」
「し、知らないわよ!! 知る訳ないじゃない!!」
とうとう魔者と如月達との言い合いになり、ナターシャと竜星は蚊帳の外。
二人はそのやりとりをポカンとしながら眺めていた。
すると……そんな彼女達の耳に奇妙な音が聞こえ始めた。
それは爆発音にも似たエンジン音。
たちまちこの場で音は消え去る。
その代わりに……何者かの足音が「ズンズン」と建物を揺らしながら響く。
何かが来る……そう思わせた矢先、遂に足音の主が入口から姿を現した。
「お前等……一体何があった? 問題を起こすなとあれ程―――」
そこに現れたのは……白毛巨体の魔者。
そう、【白の兄弟】の弟、マヴォであった。
「あ、マヴォだ」
「なっ、ナターシャ……お前なんでここに!? もしかしてさっきの命力はお前のか……?」
マヴォがそう聞くと、ナターシャ空かさずVサインを彼へと向ける。
するとマヴォは堪らず頭を抱え……深い溜息と共にその首を捻らせるのだった。
マヴォは魔特隊二番隊隊長として、【共存街 渋谷】の巡回任務を行っている。
魔者専用の警察の様なもの……それが彼の専らの仕事。
命力の昂りを感じれば馳せ参じ、仲裁や解決を行うのが彼の役目だった。
そして今回も同様に……力を感じ取り、こうやって駆け付けたのである。
「それで、何があった?」
「うんとね、ゼッコォ達に聞いてよ。 ボクは被害者なんだ」
「そうか……とりあえず、事情聴取するとしよう」
こうしてマヴォの登場により、場が一気に収束を迎える。
ナターシャと竜星は落ち着きを取り戻し、彼の聴取に協力するのだった。