~その声と心 偽り~
二人が打ち解け合い、会話を交わす。
どれだけの時間が流れただろうか。
気付けば夕暮れは闇夜へと変わり、日の代わりに電灯が周囲を照らす様になっていた。
互いの顔を認識するのも困難になってきた所で、二人は会話を止めて帰宅を決める。
「あー楽しかった……こんなに話したのひさしぶりだよ」
「うん、僕もかも……」
「それじゃ……また明日ね」
「うん! またね!」
こうして二人は別れ、互いの帰路に就く。
明日は土曜日だが……半日だけ授業がある日だ。
そんな些細な事だけれど、二人はそれがどうにも楽しみで。
気付いたらそんな約束を交わしていて。
誰から見ても、二人のその姿は仲睦まじい男女にしか見えはしなかった。
電車を使い、家への最寄り道へと向かうナターシャ。
その視界に映るのは、闇夜に包まれた渋谷区。
共存街として今や観光スポットにもなっているその場所であるが、夜ともなれば自然と光は薄くなる。
治安の関係上、夜の店舗営業は原則禁止となっているからだ。
主に人間の身を護る為……仕方の無い事だ。
光を失った街を横目に、彼女は……小さく身を縮こませる。
絶賛、満員電車となる時間帯だ。
そうともなれば彼女にも辛いものは辛い。
壁際に追いやられ、潰されそうになりながらも……彼女は視界に映る景色を頼りに、意識を飛ばさぬ様しっかりと耐え忍ぶのだった。
満員電車を乗り越え、ようやく地元駅へと辿り着いたナターシャは真っ直ぐ自宅へと向かう。
道中で何が起きる訳も無く、おおよそ十分も歩けば……彼女の目の前には、見慣れたマンションが姿を現した。
住人用のカードキーを認証システムに示し、共通用の一階自動ドアを潜る。
そのままエレベーターへと足を踏み入れると、家のある階層へと自身を運ばせた。
同伴住人は無し……直行だ。
あっという間に自宅前へと辿り着くと、彼女はそのまま手馴れた操作で鍵を開き、自宅へと足を踏み入れた。
「ただいまー」
彼女が帰って間も無く声を上げる。
玄関の先にあるリビングは光が灯っており、既に誰かが帰ってきている様だ。
その証拠に……元気な声が空かさず返って来た。
「おかえりぃナッティ」
明るく高い声……レンネィだ。
大好きな母親の声に、思わずナターシャの顔に笑顔を呼ぶ。
靴を脱ぎ、一目散にレンネィと顔を合わせる為に通路をちょんちょんと駆け抜けていく。
そしてリビングへその姿を晒した時、思わずナターシャは……その笑顔を殺した。
「遅かったわねぇ、晩御飯どうしようかって思ってたのよ」
ナターシャにそう声を上げるレンネィの傍には……アンディが居た。
友人達と遊びに行っていたはずの彼が、である。
まるで仲の良い親子の様に肩を寄せ合い、笑顔を彼女に向ける。
先程まで話していたのだろう、楽しそうな笑顔であった。
「それよりママ……聞いてくれよ。 それでさ、その後に出て来たハンバーグがものすっごい美味しかったんだよ!」
「へぇ、そうなんだ……」
「ママにも食べさせてあげたいなぁ、きっと気に入るよ!!」
ナターシャが帰って来たのにも関わらず、アンディは自分の事だけを語り続けていた。
レンネィもどこか困った様な顔を浮かべるも、視線を二人へ行き来させて互いの様子を伺う。
ナターシャはそんな二人をただ静かに……その場に佇みながら見つめていた。
そんな時、突然アンディがナターシャへ視線を向ける。
それがどうにも怖くて……ナターシャは「ピクン」と身を僅かに震えさせた。
「な、美味しかったよな? ナッティ……」
ナターシャの眼が僅かに開く。
しかし目尻がピクリと一震えし、動揺した事を不意に示していた。
「う、うん……美味しかったぁ……」
「だよな!?」
ナターシャの返事を受けたアンディが大きな笑みへと変え、再び視線をレンネィへと向ける。
再び会話を交わす二人を前に、ナターシャはなおも押し黙り続けるのみ。
レンネィが僅かに目を細め、彼女の事を見つめるも……二人共それに気付く事はなかった。
終わりも見えないアンディからの一方的な話の中、レンネィは何を思ったのか……スッと立ち上がる。
そして二人に視線を交互に向け、大きな笑顔を見せつけたのだった。
「じゃあ、明日皆で一緒にそこに行きましょう! 二日連続は飽きちゃうかもしれないけど、私と一緒なら文句は無いでしょう?」
「本当!? やったぜ!!」
「わぁ……!」
それは何かを察したレンネィの優しさか。
アンディもナターシャも、彼女の提案を前に喜びを露わにする。
「それじゃ、晩御飯を食べちゃいましょうか。 ナッティはどう? お腹空いてない? 遊んできたならまだ食べれるんじゃないかしら?」
「あ……」
当然、彼女が空腹である事には違いない。
昼食後に摂ったのは、竜星がおごってくれたオレンジジュースだけだったから。
レンネィの一言を前に、頷こうとナターシャが首を縦に下ろす。
だがその時……レンネィの背後から、アンディの刺さる様な視線が向けられている事に気が付いた。
それは威圧にも足る眼光。
明らかに、彼女を強く意識した瞳だった。
それに気付いた時……彼女は察し、下げた首を左右へと振るのだった。
「……ううん、ボクお腹一杯だから……疲れたし、お風呂入って寝るよ」
「あ、あら、そう……?」
レンネィの好意も虚しく……ナターシャはそっと振り返り、浴場へと歩き去っていった。
後に残るのは、不思議そうに眉間を寄せるレンネィと、彼女を見上げるアンディだけだった。
ナターシャは一人、シャワーを浴びながら声無き声を漏らす。
壁に手を充て、息の続く限り、何度も、何度も……。
疲れ果て、その場に蹲るまで。
息苦しさが限界へと達した時……彼女はそっとノブを引き、温水を止める。
そして彼女は体を洗剤で洗う事も無く、体を拭いてそのまま自室へと向かう。
あられもない姿のまま、彼女は自室のベッドの上へと倒れ込んだ。
涙とも、拭きそびれた湯とも思える雫を布団に染み込ませながら……。
気付けば彼女はそのまま寝入っていた。
彼女のそんな姿を見つけたレンネィがそっと布団を掛けるも、それすら気付く事無く、深く深く……。
ナターシャがアンディの問いにあんな相槌を打ったのも、全ては彼の為だった。
全ては嘘……。
彼女がアンディを想うが故の……見え透いた嘘だったのだ。
自分の心を殺し、彼を引き立てる為の。
それは、決してアンディに強制させられた訳ではない。
彼女がそうしたかったから。
そうしてあげたかったから。
そうしなければいけなかったから。
でもそれが自分の心を追い詰めているという事に、彼女自身はまだ気付いてはいなかった……。




