~その一日間 平穏~
鷹峰の記者会見が執り行われたその日。
通勤通学中の人々がスマートフォンを通して鷹峰の言葉を耳にし、感化された者が静かに声を唸らせる様を見せていた。
そんな最中、勇本人はと言えば……自宅のベッドに寝転がっていた。
ただ静かにスマートフォンを天井に向けて掲げ、会見の動画を見上げる様に眺めながら。
勇だけではない。
茶奈達もまた久しぶりの我が家へと帰還を果たし、今は家族と共に家で缶詰だ。
それというのも……彼等は戦いが終わった後、一日だけ家から出ない様にと福留から通達されていたからである。
一日だけ福留が自由に動く為の猶予が欲しい……そう願っての事だった。
勇達の家の前には会見の記者達とは別の取材陣がこぞって訪れ、彼等から話を聞こうと詰め寄っていた。
そんな彼等と勇達がうっかりと接触し、要らぬ事まで伝えようものなら……またしても福留の足を引っ張りかねない。
先日の様にまた上手くいく確証がある訳も無く。
余計な事をせぬ様に……という訳だ。
「そろそろ起きるかな……」
外出も出来ないともあり……ロードワークは愚か、朝のランニングすらままならない。
彼はこうして今朝、起きてはベッドから離れる事無くスマートフォンを弄っていた。
部屋の外、厳密に言えば一階のリビングでは何か楽しく騒ぐ声が聞こえてきている。
恐らく茶奈はもう起きて両親と共に居るのだろう。
記者会見を眺め終えた勇は、ゆったりとベッドから身を起こして足を床に突く。
先日の大暴れも何のその……疲れなど一片も感じさせないその身を起こし、彼はそのまま部屋の外へと歩いていった。
会見はあの後も続き、様々な情報が政府から改めて告知された。
一つ目は、今回の騒動において小嶋達だけでなく勇達が動いた際に発生した損失を全て政府が責任を以って補償するということ。
少なからず、彼等が動いた事で街の至る場所では損壊が起こるなどの被害が出ている。
例えを挙げるなら、成田空港ターミナルの路面損壊が最も大きな被害と言えるだろう。
とはいえ、大事を防ぐ為の処置なのだから仕方の無い事なのだが。
もちろん、財源として日本瓦解に動いていた者達から違反金を徴収する事は忘れていない。
二つ目は、小嶋の親族が【救世同盟】とは何の関わりも無かったということ。
事件の最中、家族は揃って現在イタリアへと旅行中だった。
詳細は不明だが……小嶋に言われるがまま、残して先に向かっていたという事だ。
小嶋が逮捕された事を関係者から通じて知り、そこで初めて彼女が【救世同盟】メンバーである事を知ったのだとか。
彼等は急遽帰国の途に就き、現在空の旅の真っ最中である。
当然であるが【救世同盟】との関わりが無い限り、彼等が罪に問われる事は無い。
居心地が悪くなる事は避けられないだろうが、彼等に対する誹謗中傷は行わない様にという通達はなされた。
そして最後の三つ目は……これからの日本の動向だ。
世界が滅びに向かっているという事に対し、彼等は各国を通じて解決策を全力で探していく事を大々的に発表した。
空白の期間が長く、他国と比べて情報は殆ど一からという状況ではあるが……改めて世界との足並みを整えていく事を強調したのである。
それらの内容を目の当たりにした後の勇はどこか……先を期待せずにはいられない、そんな気概を感じさせる肩の張った大きな背を魅せていた。
勇が階段を降り、リビングへと顔を出すと……予想通り、そこには勇以外の家族が既に揃っていた。
茶奈と母親が台所に立ち、楽しそうな声を上げて調理器具を奮う。
そんな様子を、カーテンの締まった窓の前にあるソファーで、座る父親が眺める。
いつか何度も見た光景がそこに再現されていた。
「おはようー」
「あ、勇さんおはようございます!」
勇の姿に気付いた茶奈が声を上げ、勇の挨拶と声を重ねる。
何気ない出来事だが、それがどうにか愉快で……二人は思わず共に笑い声を上げていた。
「ちょっと待っててくださいね、すぐスクランブルエッグ出来ますから」
「あ、うん、ありがとう」
すぐと言うので勇はそのままダイニングチェアへと腰を掛け、彼女が持ってくるであろう朝食を待つ。
間も無く運ばれてきたのは……数本の火を通したウィンナーと完全な固形化したスクランブルエッグ、茶碗に盛られた御飯。
彼の目に映った朝食は、どことなく脳裏に懐かしさを呼び込んでいた。
茶奈がこの家に訪れて間も無い頃、逆の立場で勇が茶奈にスクランブルエッグを振る舞った事があった。
勇も料理が上手い訳ではなく……とりあえずと彼女に差し出した朝食もまた、火を通し過ぎて固まったものだった。
茶奈がそれを美味しそうに食べてくれた事は、彼にとって良い思い出の一つだ。
感慨深く、フォークでスクランブルエッグの塊を皿の上でころりと転がす。
すると、その様子を見かけた茶奈は恥ずかしそうにその身をよじらせた。
「久しぶりにフライパン握ったので上手く出来てないですけど……ど、どうかな?」
不意に彼女の視線は台所の天井へ。
そこにあったのは……白い天井に一つ、べたりと浮かぶ濃い黄色の染みだった。
何があったのか言うには及ばず、それに気付いた勇が思わず喉を「ククッ」と鳴らす。
料理に馴れなければ、道具の使い方も馴れないもので。
力の入れ方も間違えるのであれば、そこに居るのはただの茶奈という鈍くさい女の子でしかないのだろう。
巨人を軽々と屠る茶奈が、たかが調理器具に負ける現実。
そんなあべこべな彼女が微笑ましくて……スクランブルエッグを突くフォークも活き活きとした軽快な動きを見せていた。
卵に火を通して掻き混ぜただけの簡素な料理だが、焼き加減で好みが変わる希有な品。
それを口に運び、僅かな弾力を愉しむ。
茶奈が作ったという事も繋がってか……それは勇にとってとても心地の良い感触だった。
「美味しいよ、やっぱり料理はこうでなきゃな」
「ふふっ、ありがとうございます!」
添えられたケチャップはほんの僅か、素材の味を殺さない風味程度。
それをそつなく絡め合わせ、再び口へ運んでいく。
何の変哲も無い日常……そう感じさせるのに十分な程の素朴な味わいだった。
こうして家族と共に過ごしているのは勇や茶奈だけではない。
瀬玲や心輝もまた、各々の想いを胸に家族と時間を共にしている。
瀬玲はといえば……
帰還を果たした後も、以前と変わらず自然体で語り合う姿があった。
彼女が変わってから以降、親は娘が戦いに赴く事に対して止める事を諦めてしまった様だ。
それからというもの、瀬玲が帰ってくると温かく迎えるが、箱入り娘の様に縛る事も無く。
こうして再会しては、何気ない積もる話を互いに語るだけの……普通の親子がそこにいた。
一方で、心輝はといえば……
彼は実家では無く、近所の祖父の家で一日を過ごしていた。
彼等の場合は勇達とは雰囲気が大きく異なる。
当然だろう……弔ったはずの妹、亜月の遺体を連れ帰ったのだから。
彼等は彼女を再び天へと送る為に、敷地の大きい祖父の家へと訪れたのである。
彼等の選択したのは……家族による秘密葬。
もう二度と彼女の亡骸が他者に触れられぬ様にと……勇達は愚か、親戚すらも呼ばず、直系の家族だけで彼女の再火葬を執り行う事にしたのだ。
周囲から誰にも見られぬ様に設けられた簡素なブルーシートの囲いの中で、心輝を中心に祖父母、両親が寝かされた亜月の遺体を囲む。
家族達の同意を取ると、心輝は己の命力を迸らせ……遺体を包み込んだ。
そしてたちまち、その体は炎に包まれていく。
命力によって立ち上る炎は風の影響を受けず、まるで彼女だけを包む様に丸い形を描いていた。
熱も傍に居る家族には至る事も無く……遺体だけを熱し続けた。
徐々に遺体は炎の熱に焼かれ、その身を黒く染めて行く。
だが家族達はその一挙一動を見逃す事無く……灰に還っていく所を涙を浮かべながら見届けた。
炎が全てを焼いた時、残ったのは……彼女だった灰のみ。
灰は一粒残らず心輝の命力が包み込み、外へ漏れる事は無い。
あらかじめ用意していた遺灰用の壺へ丁寧に映し、そこで亜月の葬儀は終わりを告げた。
元々持っていた遺灰は身元不明という事もあり、後ほど福留を通して警察に届ける予定だ。
亜月の様に正しい場所へ帰れる事を祈り、二人分の遺灰を仏壇に祭る。
もう二度と……こんな悲劇が起きない様に、と。
こうして彼等は、何事も無く一日を過ごす事が出来たのだった……。