~それでも彼女は訴える~
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漆黒の世界に一つポツンと、ぼんやり光を放つ窓が見える。
レトロなテレビの様な、面の反った四角窓が。
その窓の先には誰かが怒っている映像が映り込んでいて。
でも白黒で、漏れる音も籠り割れて聴けたものではない。
そんな映像をただじっと見つめている者が居た。
体育座りの膝に顔を埋めた少女が一人。
その少女、白のワンピースに、周囲へ溶け込みそうな黒髪で。
真白な肌を見せるも、足先は闇に呑まれて黒く染まっている。
かの女性にも見えなくは無いが、それにしては幼過ぎるか。
まるで小学生程かと思える程の体格だったから。
『お前さぁ~!! アタシがゴミ出ししとけッつったよね!?』
『ぶんべつ、だって』
『はァ!? お前がやれッ!! つっかえねー奴、出すまで帰ってくんなッ!!』
『あのさァ、ウチにもう構わないでくんない? マジでうっとおしい』
『それなら彼女を養護施設などに預けるなどすれば―――』
『立場上メンドクセーんだよそういうの! いい加減にしねーと仲間呼ぶぞアァ!?』
『やめて、おかあさん!』
そんな少女が映像の中にも映っている。
怒号掻き立てる大人女の直ぐ傍で。
いつも大人女が咆え散らかし、少女が割を食う。
映像は大体そんな感じだ。
女は決して母親らしさなど見せず、ただただ当たり散らすばかりで。
時には少女に手を上げ、冷たい目で見下ろしてくる。
とても人の親とは思えない所業をも繰り返しながら。
一方の少女は怯えて言葉一つとっても片言で。
それでも優しそうな中年女性が訪れた時には抵抗を見せていた。
とはいえそれも直ぐに叩き伏せられた訳だが。
まるで思い出だ。
少女の思い出が画面に映って流れ続けている。
何一つ良い事の無い、辛く厳しい思い出が。
そんな過去を延々と眺めるだけで、少女は動かない。
瞬き一つさえせず石の様に固まり続けて。
するとそんな時、彼女の背後から一人の人影が。
幼女だった。
それも、座り込んだ少女の頭高さよりも小さいくらいの。
でも雰囲気は違い、何だかとても嬉しそう。
目元は影で見えないが、口元には大きな笑みを浮かべていて。
衣服は黒く、闇に埋もれていても不思議と浮かんで見えている。
そんな子が愉快そうに跳ねて近づいて来るという。
「ねぇ、お姉ちゃん。 私と一緒に行こう? 皆が首をなが~くして待ってるよ?」
「……うん」
でも少女はまだ動かない。
幼女の言葉に頷き返そうとも。
なお座って映像を観続けたままで。
「皆、お姉ちゃんが来るのを楽しみにしてるんだ。 たっくさんの美味しいお菓子や御馳走を用意して! 楽しくて、嬉しくて、きっと何でも忘れられちゃうよ。 今までに起きた不幸も、思い出したくない事も!」
「うん。 でも私、この映像、観ないといけないから……」
それはただ頑なに。
動くのは精々唇と首だけだ。
幼女の甘い言葉に興味を示す事さえ無い。
そんな少女を前に、幼女の顔が持ち上がる。
そうして見えたのは、真っ黒に染まりきった丸い目で。
ただよく見ると、それは全て紋様だった。
まるで文字を汚く書き殴った様な。
そんな紋様が眼球を隙間なく漆黒に塗り潰していたのだ。
「そんなものを観ていても面白く無いよ? だって辛い事だけだもん。 悲しくて苦しいだけだもん。 ずっとずーっと、その辛い事が続くだけだもの」
いや、目どころか身体の所々が闇に潰れている。
肌色の方がずっと少ないといったくらいに。
その様な斑模様の腕がそっと少女の肩に掛かり、優しく首へと回す。
まるで労わる様に、慈しむ様に。
「そんな不幸をお姉ちゃんは望んでないんでしょ? だったら正直になろ? だってお姉ちゃんは報われるべきなの。 こんな暴力的で自分勝手な肉とは違うんだから」
しかし不思議と温もりは感じない。
それはこの世界がそういう仕組みなのか。
それとも幼女に体温が無いのか。
けれどそんな事はどうでもよかったのかもしれない。
如何に幼女が優しくても、例え悦楽が待っているのだとしても。
少女はただ望む。
目の前の苦痛とも言うべき映像を観る事を。
例えその先にどの様な苦悩が待ち構えていようとも。
観ないといけない―――そう思ったから。
「私、それでも、観たい。 きっと先、あの人が待ってる、ハズだから」
映像は少女の過去。
ならば間違いなく未来に進んでいる。
今までに観て来た不幸を全て引っくり返してくれる未来に。
期待しているのだろう。
次にはきっと、その次にはきっと、と。
だから目を離せないでいる。
少しでも目を離して見逃してしまえば、もう二度と見れない気がしたから。
あの人と出会ってからの、人間らしく過ごせた毎日が。
「ううん、その人は来ないよ。 だって見てごらん? そうやって期待している人達は今ね、お姉ちゃんを殺そうとしているの。 待ってくれてる人達ごと、お姉ちゃんを消そうとしているんだよ?」
だがそんな期待さえも拭おうと、幼女は耳元で囁き掛ける。
闇から新しい映像が次々と浮かび出すその最中に。
現れた映像には勇達が映っていた。
死力を尽くし、ボロボロになってもなお戦意を向ける姿が。
どれもこれも受け手視点で、まるで彼等が敵の様にさえ見えていて。
しかもそんな映像に指を差し、少女の視線をも誘おうとするという。
黒い歯をニタリと覗かせながら。
〝こいつらは敵だ〟と示さんばかりに。
その指に誘われ、少女がふと目を向ける。
主に勇が迫る映像へと。
勇が必死に殴り、蹴り、斬ろうとしてくる。
その姿を見て何を思っただろうか、何を感じただろうか。
どう、したかったのだろうか。
この時、自然と指が伸びていた。
まるで懐かしむ様に、求めるかの様に。
顔の映り込む画面を優しく触れて、撫で回して。
そんな指はどこか大人の様に大きくて。
いや、決して指が大きくなったのではない。
いつの間にか少女自身が大きくなっていたのだ。
まるで一瞬で大人へと育ったかの様に。
その上で、沢の様に大粒涙をも流して。
きっと、映像から何かを感じ取ったのかもしれない。
勇が、心輝が、瀬玲が、一体何の為にこうして必死になっているのかを。
幼女でもわからない何かを。
「……ねぇ、貴女の名前はなんていうの?」
その何かに気付いた今、少女だった女性は問う。
当たり前に訊くべきだった事を。
「アネメンシー」
「そう、貴女はアネメンシーというのね。 でもごめんねアネメンシー、私はそっちにいけない。 だって、私はこの映像を最後まで観たいから。 それが私の望みで、願いで、訴えだから」
「訴えって?」
「私はここに居るよって、あの人に伝えたい。 だから思い出を辿りたい。 その中にきっと、想いが届かなくても通じられる何かが有るはずだから」
そんな中、画面から離した指でそっと首巻く腕を解いて。
更には、少し離れる様にして立ち上がる。
でもそんな彼女の顔には優しい微笑みが浮かんでいた。
幼女にさえも分け隔てなく愛を向ける様に。
これが決別の意図だった。
待つ者達の下へは行かないという、明確な意志として。
「そう。 でも事実は変わらない。 不幸は終わらない。 この世界が滅くならない限り」
「そうだね。 不幸は終わらないよ。 でもね、それは少し違うかな」
「?」
「不幸は礎なの。 踏み台なの。 その先にある幸せを掴む為の助走だから……だから私は不幸を受け入れた。 それが無くなってしまったら、不幸を知った私は幸せさえも不幸と感じてしまうだろうから」
苦痛を棄てる事は簡単だ。
諦めて、忘れて、見逃してしまえばいい。
全てから逃げて、見ないふりをしてしまえばいい。
けれど、彼女は知ったのだ。
そんな事もせず向き合って、立ち向かって。
その先に待っていた些細な幸せの方が、何よりずっと素敵に感じられるのだと。
何もかもが楽しくて、嬉しく思えるのだと。
だからこそ彼女は願う。
不幸の先の至福を教えてくれたあの人達に。
〝私を見つけて!!〟と訴える事―――今はただそれだけを。
「だからアネメンシーも見つけて。 不幸を忘れずにいられる方法を」
「無い、それは無い。 私は不幸など要らないから。 叶わぬ望みも、儚い願いも、ただ気色悪いだけだ。 肉が生み出した浅ましく醜い願望など……!!」
すると突然、闇に浮かんでいた映像が消えていく。
幼女の憤り、迸りに反応してブツブツと。
遂には最初の一つだけとなり、それさえも歪んで音が狂っていく。
まるで遅延再生して放たれた低伸音声の如く。
「なら闇で永久に待てばいい。 永遠に訪れぬ期待に溺れて―――」
そして最後に幼女の姿も消えた。
闇に呑まれる様に、喰い潰されるかの様に四肢が千切れて。
しかしそれでも少女だった女性はもう怯まない。
自分の姿を取り戻したから。
願う先を見つけたから。
故に再び映像へと目を向けよう。
今度は凛として立ったまま。
恐れる事も無く、むしろ自ら望んで。
過去の決別と、未来への希望と。
その先に見える、想い人との明日の為に。
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