~少女はそれでも挫けない ナターシャ達 対 劣妬⑥~
ペルペインの本体が宙を舞う。
虹光に焼かれ、力無きままに。
たちまちばさりと大地に落ちては、バサバサと転がっていく。
まさに虫と言わんばかりのモノだった。
それも、人間の頭ほどに小さな。
深緑の甲殻、四つの複眼、節牙を持つ口、それと断裂された触角。
その首下には丸腹があって、継ぎ目にはこれまた断裂された八つの脚節が。
その姿形はまるで蜘蛛か。
幼女の疑体に埋まる為、加工を施した蜘蛛の身体だ。
きっと自身を刻んででも真似したいと思う程に、人間が好きだったのだろう。
そこまでやったから、自分はもう人間だと思ったのだろう。
だが世界はそれでも、彼女の歪な思考論理を認めなかった。
認められる訳もない。
それは余りにも独善的で、人とは乖離し過ぎた思考論理だったのだから。
故に今、彼女はナターシャとアンディに討たれた。
これが世界の求めた答えだったのかもしれない。
二人が導いたのではなく、世界があるべき【現来】を呼び込んだのだと。
何となく、ナターシャはそう感じていた。
【アーデヴェッタ】を失い、疑似天士で無くなった今も。
そんな直感が、確信が、脳裏に過っていたから。
不思議と信じられる囁きがチラチラと。
「やったな、ナッティ!」
そんな感覚を味わい佇むナターシャの下に、アンディがどたどたと駆け寄ってくる。
緊張感の欠片も無い、まるでステップを踏むかの様な走り方で。
「うんっ! これでボク達の役目は終わりだね」
「他の皆は勝てたかな? 実は俺達が一番乗り―――な訳ねーか」
そんな姿・口調は子供らしくとも、考える事はもう大人だ。
空に映る映像を前にして、しっかりと現実を受け止める姿がここに。
もう既に一つの映像が消えている。
【憤常】を映していた映像が。
ナターシャとアンディの戦いはそれなりに速い終わりだったのだが。
やはりあの人には敵わないと、苦笑を浮かばせずにはいられない。
「ま、いいや。 後は皆に任せようぜ。 さすがに疲れちまった」
「うん、ずっと力使いっぱなしだったもんね」
それに、二人は勝利以上の事を求めない。
それは決してストイックだからとか、そういう訳では無くて。
二人にとっては、それだけで充分満足だったから。
二人が求めるものは、いつも普遍的だ。
平和な日常だったり、食べ物だったり、プールだったり。
高望みした事なんて決して無かった。
だからといって欲求が小さいかと言えばそれも違う。
二人にとっては、普遍的な望みこそが至高の願いだったのだ。
どんな些細な事でも、叶う事の素晴らしさを知っている。
それを叶える為に、どれだけの努力が必要かを知っている。
小さな頃からずっと飢えてきたから、誰よりもよく知っている。
「なぁ、ナッティ? 俺達、これからもずっと兄妹で居られるかな?」
得る事の大切さも、失う事の辛さも。
「うん? うーん、きっと大丈夫だよ。 戸籍上は兄妹だから」
だからこそ失いたくなくて。
心から通じ合えたから、また願いたくもなる。
失うものは何も無いのかと。
「いや、そういう訳じゃなくて……ま、まぁいいや。 早く竜星にも勝利報告してぇなぁ」
「んふふ、変なの! そうだね、りゅー君と早くお話したい」
だからこそ確かめたくて。
目の前に居るのは決して幻ではないのだと。
そう願ったアンディが手を伸ばす。
ナターシャもまた同様に。
なんて事の無い握手さえ、二人にとっては掛け替えのない願いだったから。
だがその願いは、あらぬ呪いによって断ち切られる事となる。
その時、ナターシャの右腕が―――刎ねていた。
光一閃が二人の間を裂いた事によって。
主を失いし右腕が宙を舞う。
ナターシャが事実に戸惑う中で。
アンディが呆然とする中で。
殺意の眼が再び光を灯す、その中で。
「べる"はあ"あ"ッ!! べる"はね"え"え"え"!!」
まだペルペインは死んでなかったのだ。
たちまち宙へと浮き上がり、その脚の無い不気味な本体を晒し上げていて。
あの凶気の殺意を更に迸らせる姿が今ここに。
「ナッティーーーッッッ!!!!」
その殺意が呼び込んだ悲劇を前に、アンディが飛び出す。
苦しむナターシャの下へと、ただただ願いのままに。
その身を守ろうと、包み込む様に抱きかかえて。
直感的に気付いたのだ。
自身の力だけではペルペインを倒す事など出来ないのだと。
だから、せめてナターシャだけは守ろうと必死だった。
例え自分自身が犠牲になろうとも。
ペルペインはもう止められない。
あの殺意は、幾度となく放たれる光は。
故に、ナターシャを庇うアンディの背中は何度も何度も焼かれる事となる。
命力の盾である程度防ぐ事は出来ている。
でも全てに耐えきる事は到底不可能だろう。
耐え切れなくなった時が―――二人の最期。
でも、例えそうだとしてもアンディは諦めない。
何が何でもナターシャを守ってみせるのだと。
あの時ナターシャと竜星を前にして誓った、密かな願いに殉じる為に。
「絶対に、絶対に竜星の下に送り届けてやるからな! ぐぅッ!! だって俺は、俺はお前の事が……ッ!!」
抱いていた願いが叶わないっていう事はもうわかっている。
最初から何もかも。
自分の気持ちに気付いてからもずっと。
だからこそ、ずっとこの幻想の様な関係が続けばいいと思っていた。
でも今回の戦いで深く深く繋がったから。
きっとナターシャはアンディの気持ちにも気付いたのだろう。
気付いていて、とぼけてああ答えたのだろう。
それでも、彼女の気持ちは変わらなかったから。
だからアンディは求めた。
なんて事の無い握手を。
想いとの決別と、心の安堵を求めて。
そしてそれが末に悲劇を呼び起こしたのならば―――
アンディはもう、懺悔の為にも命すら惜しくは無い。
だから耐える。
ナターシャを少しでも長く生かす為に。
その先で希望が訪れ、彼女を救ってくれる事を祈って。
「ナッ……ティ、お前だけは、生きて、くれよな……」
激痛に悶えるナターシャの背を、アンディが励ます様に掌で叩く。
その猛攻の中で、閃光が瞬き続ける中で。
幾度となく背を焼かれ、激痛が走る中で。
自身の苦痛なんて苦じゃなかった。
それ以上に、ナターシャの苦しむ姿が見て居られなかったから。
少しでもその苦しみを和らげる、その方がずっとずっと大切だったから。
「べる"はああ"あ"ーーーッッ!! べるはね"え"ええ"!? お"まえ"だぢのにぐで、またからだをづぐってやる"ん"だあ"ーーーッ!!」
そんな想いさえも断ち切らんと、ペルペインの猛攻が激しさを増す。
断続的な節擦音を交えた異常な奇声を交えて。
その破壊に向ける力は途絶える事が無い。
例え擬体を失おうと、本体が焼かれようとも。
もう彼女にはナターシャとアンディしか見えてはいない。
この二人を焼き尽くし、糧とする事しか。
その為には、己の全てを費やす事さえ厭わないだろう。
だからこそ気付かない。
その背後で、虹色の閃光が解き放たれていた事など。
キュウィィィーーーーーーンッ!!!
その閃光が、瞬いた。
虹色が、突き抜けた。
たったそれだけで、ペルペインの首が―――断ち切られていた。
幾ら異形種であろうと、首を断たれれば死ぬ。
それはペルペインであろうと例外ではない。
その肉体を脅かす希望の力で断ち切られたならば尚更である。
「もうこれ以上やらせる訳にはいかない。 私が敬愛せしこの世界の為にも……ッ!!」
その希望こそデューク=デュラン。
世界の生み出した、もう一つの希望が今ここに。
デュランのその手に掴みしは創世剣。
概念すら切り裂く剣によって断たれた今、ペルペインはもう動かない。
頭が大地へと、石の様に転がったきり。
ただ反射的運動により、顎が「キキ……」と僅かな軋み音を上げただけで。
ペルペインは今ようやく、デュランの手によって葬られたのである。
ただそこに至るまでの代償は大きかった。
周囲を見渡せば瓦礫の山。
悲鳴一つ聴こえぬ惨事の後。
救えたとは言い難い状況。
デュランは、来るのが遅過ぎたのだ。
「お、お前は、デュランとかいう……」
「すまない、駆け付けるのが遅くなってしまった。 仲間を皆の所に送り届けるので手一杯だったんだ……」
それというのも、デュランが仲間達を陰で支援していたから。
ギューゼルの意思を見つけ、ラスベガスに運んで。
ニューヨークではアルバとサイを巡り合わせて。
異国に居たエクィオとピューリーを回収し、ナイジェリア送り出す。
それは全てデュランが一人でやった事だ。
少しでもグランディーヴァの助けになろうとして。
しかしその結果―――
「お前が……お前が来るのが遅かったからナッティはあッ!!」
ナターシャの利き腕、肘下からの右腕が失われてしまった。
死には至らなくとも、この絶望は大きい。
これにアンディが怒りを宿すのは必然だった。
今は彼女を何より大事に思っているからこそ。
たちまち駆け寄り、デュランの胸倉を強引に掴んで押し上げる。
理不尽な怒りをこれ以上に無く迸らせて。
「何でもっと早く来れなかったんだよッ!! お前なら出来たはずだろうがあッ!!」
「本当に、すまない……」
そう、理不尽だ。
窮地を救ってくれた者へのぶつけるべきではない怒りだ。
確かに、デュランならもっと早く駆け付ける事は出来ただろう。
でもその代わりに、他の場所の仲間達はもっと窮地に陥っていたかもしれない。
それに、今の様に確実にペルペインを倒せたかどうかも怪しい。
デュランが一撃で葬る事が出来たのは、二人が追い詰めていたお陰だ。
本体が露出しなければ正体もわからないし、あの重肉を貫くのは天士でも難儀する。
この二人だから追い詰める事が出来て、デュランも確実な一手が打てた。
つまりこの戦いは、〝今〟訪れたから勝てたと言っても過言ではないだろう。
しかしその様な言い訳を放っても余計こじれるだけ。
だからこそデュランはただただ謝る事しか出来ない。
アンディの怒りに対し、ただされるがままとなる事しか。
「ま、待ってアニキ……ボクはへ、平気だよ……!」
そんな時、突如二人の背後から震えた声が届く。
なんとナターシャ自身が制したのだ。
アンディが拳を振り上げていた、その時の事である。
「ナ、ナッティ!?」
「アニキが守ってくれたお陰で、傷口はもう、閉じられたから……ううっ」
それどころか、傷口を抑えて立ち上がろうとさえしている。
今なお激痛に蝕まれながらも、必死に。
その姿に心を打たれたのだろう。
アンディの心から怒りが消えていく。
ナターシャを想う心が、怒りを掻き消していく。
気付けばデュランを掴んだ手を離し、ナターシャを支えに戻っていて。
彼女を抱きかかえて少ない命力を送り込む、優しい兄の姿がそこに。
その慈しみ溢れた様子を前にすれば、デュランも微笑まずにはいられない。
「なぁアンタ、ナッティの傷を治したりとか出来ないのかよ!? 天士なんだろ!?」
「……それもすまない、天士はそこまで万能という訳では無くてね。 相手が天力体ならどうにかなるんだけど」
でもこんな無茶な要求を前にして、その表情はまた再び曇る事に。
天力と命力は似ているが性質が全く異なる。
異なるが故に、力を分け合う事が出来ない。
いつか空島奪還時、勇がロマー救助をカプロに託したのもこれが理由である。
だからデュランはナターシャに何もしてあげられない。
腕を治す事も、痛みを取り除く事も。
ただそれは勇を知る者なら誰でもわかっている事だ。
特に、ナターシャの様に常々傍に居た人間ならば。
「気にしないでデュラン、ボクは右腕が無くても戦える」
「ナッティ!? 戦うってお前……」
そう、ナターシャはもう察している。
失った右腕がもう元通りにならない事なんて。
今さら瀬玲やイシュライトの秘術を受けても無駄なのだと。
けれど挫けはしない。
それがナターシャの強さだ。
現実を受け入れ続け、苦境に耐え続けて来た心の強さなのだ。
その強さが、自分達の使命をも悟らせる。
「何となくだけど、わかったよ。 デュランが最後にここに来た理由。 ボク達にはまだ、やれる事があるんだよね?」
「ああ。 君達にしか出来ない事だ。 勇達の手助けという大業はね」
ナターシャのそんな心は今とても聡明だった。
苦境に立たされながらも、こうして免れて。
アンディの優しさにも触れ、穏やかになれたから。
なら願える。
心が、身体が軽くなった今ならば。
「ならボクは行く。 そして役目を果たして帰るんだ―――皆でっ!!」
自らを含めた全員の事を想う事さえ。
ナターシャの太陽の様な暖かい決意が、アンディの心の燻りを照らし消す。
ならばデュランの胸にちらつく悔いをも溶かしてみせよう。
もう彼女達に迷いは無い。
この間にも、仲間達が次々と【六崩世神】達を倒している事だろう。
そして勇達の切り札の一つであるデュランとの合流も果たした。
なら後はただ、世界を救う為に駆け抜けるのみ。
皆で笑って帰りたいから。
また以前の様な楽しいだけの至極な日々を送りたいから。
明日という希望を掴む為にも、次の一歩を踏みしめる。