~景に蛇、情に勇想髪飾り~
「すぐに着替えます! 少しだけ待っていてください!」
茶奈が自室へと転送された直後に空かさず動き始める。
もう時間は僅かにも残されてはいないからこそ、なりふり構ってはいられない。
勇を前にしても関係無く衣服を脱ぎ捨て、テキパキと戦闘装備へ着替えていく。
基本的に装備品は自室管理だ。
ストックや消耗品も補充され次第、各部屋へと運ばれていて。
その為、部屋の片隅には武装用ロッカーと魔剣ホルダーが備えられている。
となれば、着替えを済ませて手に取るのは当然、ホルダーに掛けられた魔剣。
この時茶奈が手に取ったのは【ユーグリッツァー】二本。
今の彼女に残されている攻撃用の魔剣はこれだけだから。
飛行用に製造された【イルリスエーヴェ】は基本的に戦闘には不向きで。
使うとしても命力刃を伸ばして槍の様に戦う近接戦闘スタイル専用となっている。
加えて他の魔剣よりも精密部品が多く、量産に適してはいない。
そんな理由があって【イルリスエーヴェ】はもう製造されてはおらず。
他の魔剣の開発に時間を取られ、汎用性の高い【ユーグリッツァー】しか用意されなかったのである。
ただ、今回の戦いにおいてはこの武装で通用するかどうかわからない。
相手は超ド級に巨大な蛇岩で、生半可な攻撃では止まらないだろうから。
まだ【イルリスエーヴェ】で放った【光の柱】の方が有効だろう。
そんな事など茶奈にもわかっている。
でも、それでもやらねばならないと覚悟を決めた。
やり抜いてみせると誓って見せた。
だからもう彼女は迷わない。
二本の魔剣を手に、どう対処するかを考え尽くすだけだ。
「用意出来ました! いつでも大丈夫です!」
「よし、行こう!!」
その迷い無き答えが勇を突き動かす。
茶奈を戦いの場へと送り届ける為に。
そうして気付けば、そこはもう空だった。
それは茶奈にしてみれば瞬きする間の事で。
突如として墜落感に襲われ、「ああっ!」と思わず足をバタつかせる。
でもその感覚にはもう馴れた。
いつも落ちたり急降下してばっかりだったから。
すぐにでも感覚を取り戻し、腰を取る勇へと視線を向ける。
真剣な眼差しと共に微笑みを添えて。
「ありがとう、勇さん」
「うん。 でも本当に無理をしないで」
そんな二人がそっと視線を横へとずらせば―――
その遥か先には、雲纏う青空の中に薄っすらと浮かぶ超巨大な岩陰が。
今なお動き続けており、遠くからでもわかる程に上下端部が揺れている。
それも、勇達が今現在落ちつつある海域へと向かいながら。
何十、何百キロメートルも離れているというのに、それでも延ばして被せた掌で隠せない程にでかい。
「本当に大きい……どうしてあんなのが造れるのに、人の生き死にに拘れるんだろう」
「むしろ拘ってる様で拘ってないんだろう。 ドゥーラの時からそうだったから。 命の本質がわかってない……いや、忘れたからかもしれないな。 遥か昔からっていうのは、数千万年っていう本当に長い年月だったから」
日本列島並みの巨大な岩の塊を重力に逆らって浮かせる。
これはもはや人間では到底成し得ない神の領域だ。
それを世界を滅ぼす為に、勇達の邪魔をする為にこうして実現して見せた。
この様な事が出来るアルトランとは、勇達が思っている以上に超常的な存在なのかもしれない。
けれど勇達だってもう幾度と無く常識を超えて来た。
相手にとっては地球さえもただの踏み場でしかないのかもしれない。
人類も魔者も石粒の様に見えているのかもしれない。
そうであろうとも、その踏み場も石粒も抗う力を持っている。
抗う力たる勇達が今、ここに居る。
それを彼等はもう理解している。
だからもう彼等は止まらない。
止まるつもりは無い。
アルトラン・ネメシスを引き摺り出して、叩き潰すまでは。
この様な蛇岩程度など、ただの障害の一つに過ぎない。
そんな物になど、もはや何も恐れてはいないのだから。
「あ、髪飾り外すの忘れてた……」
故に、こんな些細な事にまで目を向ける事が出来る。
こっちの方が茶奈にとっては何倍も重要な事だから。
その一言で勇も気付き、そっとウサギの髪留めを外す。
両腕の塞がった茶奈の代わりに。
「戻ったら部屋に置いておくよ」
「ううん、ポケットに入れてください。 出来れば手放したくないから」
すると、風切り音が「ピュウゥゥ」と鳴り響く中、そんな優しい声が勇へと届いて。
茶奈がそっと魔装のファスナー付き腰部ポケットへと視線を移す。
「でも何かあったら壊れて―――」
「大丈夫ですっ。 一発も喰らう気はありませんから! それに、肌身離さず持ち歩きたいんです。 勇さんがくれた大事な物だから……」
「茶奈……わかった」
実際はなんて事の無い髪飾りに過ぎない。
でも、そこに篭められた気持ちは何物にも代えがたいから。
持っているだけで、何倍もの勇気をくれる。
こうしてポケットに入れて貰えるだけで。
肌身離さず持ち続けるだけで。
茶奈にとってはもう魔剣よりも何よりもずっとずっと心強い、身体の一部とも言える物なのだから。
「それじゃあ行ってきます。 必ずアレを壊して帰ってきますからね」
「ああ、気を付けて」
そうして軽い一言を交わし、茶奈が空を跳ね行く。
彼女もまた剣聖より教わった【命踏身】を使いこなしているのだ。
その数歩で勢いに乗れば、後は【翼燐エフタリオン】であっという間に空の彼方へ。
巨大な岩陰に向けて、真っ直ぐと。
「頼む、無事に帰って来てくれよな……茶奈ッ!!」
勇もまたその一言を想いと共に吐き出し、光と成って消える。
茶奈にこの場を託して。
間も無く、青空に浮かぶ蛇岩の傍で小さな燐光が瞬く事となる。
早くも到達し、颯爽と攻撃を開始したのだ。
しかしその規模は焼け石に水程度にしか過ぎず。
岩肌にチョコンと浮かぶ斑点程度にしかなりはしない。
この巨大過ぎる相手を前に、茶奈はどう抗うのだろうか……。




