~俺はまた君に迷惑を掛けてしまった様だ~
ア・リーヴェさんの暴挙も収まり、玄関間に静かな空気が再び舞い戻る。
すると途端に広間の存在感が浮彫となり、そこから生まれた緊張が勇をそわそわとさせていて。
ディックは家の奥へと行ったきり帰ってこない。
これだけ家が広いのだ、客室の一つや二つは普通にあるのだろう。
そうもなると退屈凌ぎに部屋を眺めてみたくもなるもので。
玄関間だけでも相当な広さだ。
横幅こそ手を広げた人が三~四人並べる程度ではあるが、それ以上に奥行や高さが尋常ではない。
天井壁に目を移せばガラス張りの窓が空を見せ。
奥にも窓があるのか、小さな薄桃色のカーテンが内装を飾る。
その構造から、玄関間は家の中央を抜くように造られているのだろう。
その大きさは本当の意味で勇の家がスッポリ入ってしまいそうな程。
屋根も塀も含めて、という意味で。
ちなみにこの家、横幅が非常に広い。
玄関間はその一部に過ぎず、大きさの比率から言えば五分の一程度。
つまりざっと言えば勇の家のおおよそ四~五倍はあるという計算だ。
家の広さも相当だが、内装もしっかり充実している様子。
覗いた時に見えた小物や家具だけでない。
使い込まれた藍色の厚手絨毯や壁に立て掛けられた絵画なども目を惹き、堪らず感心の唸り声が溢れ出る。
実はディックが本当にお金持ちで飾られた物も相応な品なのではないか、と思える程のお洒落っぷりで。
しかもしっかり手入れされている様に綺麗で、とても長い期間を空けていたとは思えない。
二階に続く階段も玄関間に存在している。
丁寧に象られた木製の階段は厚手の絨毯が敷かれて高級感を醸し出し。
昇る様に見上げれば、二方の通路に続くロータリーが壁に沿って伸びている。
そのまま頭上を見上げれば煌びやかな水晶の輝くシャンデリアが。
光が灯っていないので暗くはあるが、見た目の豪華さは庶民の勇にはそれでも眩しくてならない。
「すっげ……」
想像を超えた絢爛豪華な様相は、勇が思わず地を出してしまう程に凄まじい。
もちろんそれは見た目の事であって、よく見れば色んな所に綻びこそ見られるが。
外装と同様で、一部の壁には補修の跡や色褪せた塗装面なども覗く。
大きな家を維持するにも一苦労だという事がわかる一面だ。
一通り驚き終えた所で落ち着き、今度は自身の座るソファーに意識が向けられる。
カジュアルな白一色でほんの少し内装と比べて浮くが、それでもやはり良いものな様で。
ふわふわとした質感は、「うちにも欲しいな」などと思ってしまう程に心地良い。
「しっかし凄いよな、手入れ無しでもここまで綺麗とか。 高級品ってそこまで凄いのか……」
そう、座ったソファーには埃どころか塵一つ乗っていないのだ。
まるでつい最近まで掃除していたかの様な綺麗さで。
そう錯覚してしまう程に。
「誰ッ!?」
その時突如、甲高い叫び声が玄関間に響き渡る。
その声に気付いた勇が咄嗟に振り向くと、その先には一人の人影が。
それは女性。
しかも二階のロータリーから勇へと向けて短銃を構えていて。
狙いを付けて微動だにもせず、その道の達人らしき雰囲気すら醸し出す。
しかしその容姿は戦いとは無縁そうな様相だ。
ブロンドのロングストレートヘアと細い輪郭はまさに美人そのもの。
白い肌に真っ白な厚手のロングドレスワンピースを身に纏い、清楚ささえ纏わせる。
そんな女性が今、勇を睨みつけながら銃口を向けていたのだ。
「ま、待て、俺は怪しい者じゃない!!」
「その姿で怪しくないと言われて信じる人が居ます? 人様の家にいらっしゃるならスーツを仕立ててからおいでなさいな! さぁ早く盗った物を置いて出て行きなさい。 さもなければ―――」
女性は本気だ。
銃を握る手にも迷いは無く、勇の眉間を狙って離さない。
撃鉄が引かれ、速射にすら対応する程の徹底ぶり。
当然安全機構は解除済み、銃を扱い慣れている証拠である。
でも、勇としてもこのまま引き下がる訳にはいかない。
泥棒だと思われている事も癪であろうが、何よりここはディックの家だ。
彼に招かれてやってきた以上、後ろめたい事が何も無いからこそ。
「俺はディクシーと一緒に来たんだ!」
「ッ!?」
だからこそ正直に訴えるのみ。
女性の正体はわからない。
だとしても、ディックの名で動揺した事は明白。
その関係者ならば少なくとも敵ではないだろう。
その想いが勇の瞳を真っ直ぐと狙い定める女性の視線へと合わせ込む。
だがそんな時―――
「なんで君がここに居るんだ!?」
二人の間から全く別の声が張り上がった。
そう、ディックである。
二人のやり取りに気付き、玄関間に戻って来たのだ。
「ディッキー!? 貴方本当に―――」
「俺は言ったハズだ!! 君は家に帰れと!」
ただその様子は先程までの緩い雰囲気とは違う。
まるで憤りをぶつけるかの様に屋内へ叫びを撒き散らしていて。
「だからここに居るのよ。 ここが私の家!! 私達の家なのよ!! 帰るというならここに居続けるのが当然じゃない!!」
「違う!! 君はお父さんの所に帰らなければいけないという事だ!! もう君はここに居ていい女性じゃないハズだ!!」
そこにもはや勇の介在する隙間など有りはしない。
互いの怒号の応酬に、ただ黙って視線だけをうろつかせるだけだ。
二人はそれだけの剣幕を見せていたのだから。
「それに君とはもう離婚しただろう!! ならもう俺達が会う事は―――」
「ハッ!! あんな紙切れ、とうの昔に破り捨てたわ」
「なっ!?」
そこで勇はようやく悟る事となる。
この女性がディックの元妻である事を。
そもそもが「元」ではなさそうな雰囲気ではあるが。
「そもそも一方的過ぎたのよ。 一方的に離婚届を突き付けられて貴方は勝手に出て行った。 私の事なんて見向きもせずに」
「それは……」
「あんな事があったからってあんまりじゃない! 私の気持ちなんて考えてもくれなかった!! そんな貴方だけが何もかも背負って出て行くなんて、私に許せる訳がないじゃない!!」
余りにも強い感情がとめどなく溢れ、女性の目元に涙を呼ぶ。
強気で勝気であろうとも、昂りだけは抑えられない。
それが彼女の優しさの表れでもあるのだろう。
ディックもそんな想いを前にもはや返す言葉も無い。
ただ見上げ、彼女の悲痛な叫びを受け入れるしかなく。
「あれから私だって大変だったのよ! お父様を説得して、半ば強引にここへ居続けて―――」
そう連ねる間にも女性が階段を降りていく。
徐々に駆けるかの様に、一歩一歩を段飛ばしで跳ねながら。
「なのに貴方はどうして平然と帰って来れるのよッ!!―――」
「リデッ―――」
そして彼女がディックの前へと飛び出した時、不意にその言葉が遮られる事となる。
女性が勢いのままに、ディックへ抱き掛かっていたのだから。
「リデル……」
「お願い、もう一人で抱え込まないで……。 貴方は頑張り過ぎなのよ?」
「―――すまない、俺はまた君に迷惑を掛けてしまった様だ」
そうして気付けばディックもまた同様に彼女の腰を取り。
二人がそのまま互いを強く抱き締め合う。
その姿はまさに夫婦。
晩年でも冷めた仲でもなく、まだお互いに愛し合ったままの男女だったのだ。
その一連の姿に勇はただ見惚れ、穏やかな微笑みを遠くから向ける。
幸せそうな二人の姿がただただ嬉しくて。
二人が惜しむ事無く見せつける情熱的な姿に、共感を感じずにはいられなかった。
◇◇◇
「いきなりすまなかったねぇ。 まさかこうなるとは思っても見なかったもんでさ」
それから落ち着きを取り戻した後、勇はディック達に連れられて居間へとやってきていた。
その居間はと言えば普通の家庭となんら変わりなく。
広々としたキッチンと木製の質素なダイニングテーブルが並べられた平凡な様相。
本来客人を呼ぶ様な場所では無いからこその姿なのだろう。
「気にするなって。 にしても二人が仲直り出来て良かったよ。 どうなるかと思って内心ヒヤヒヤしてたもんさ」
「私は謝らないわよ。 全てディッキーのしでかした所為だもの」
「言うねぇ。 相変わらずの強情っぷりな事で」
「ワイフを二年間ほったらかしにした貴方が言える事かしら」
テーブルを囲い、改めて三人が顔を合わせる事間も無く。
説明する事も無くこんな話が始まっていて。
とはいえ勇としては落ち着いただけで十分だったのだろう、「なはは」と苦笑いが止まらない。
「……さてさて痴話はここまでにしとこうか。 アンタにゃちゃんと説明しとかなきゃならんからね」
どうやら劣勢に気付いた様で、途端にディックの視線が勇へと向けられる。
勇が堪らず「さては逃げたなぁ」などと零してしまう程あからさまに。
「この絶世たる美貌と無敵の性格を重ね揃えた奇跡の美女が俺のワイフであるリデルだ」
その長ったらしい言い回しはそれだけ愛しているという事か、それともただの敗北の狼煙か。
もっとも、そんな言い回しを前にリデル自身もまんざらではない様で。
「ウンウン」と頷き、豊満な胸を見せつけんばかりに張り上げる姿が。
ただディックがそう言うのも無理も無い程に彼女の容姿は完璧だ。
まるでモデルか女優か、そんな様にしか見えないまでの美貌の持ち主で。
あのネメシス化したエイミーの容姿とも張り合える程に整っている。
それも整形や薬などに頼らない自然な形で。
体付きはといえば、肩幅が狭く小柄で、透き通る様な白い肌は白人特有の艶やかを演出する。
歳などを考えれば既に三十過ぎなのだろうが、未だ二十代前半と呼ばれてもおかしくない程に瑞々しい。
なんでこんな女性をディックの様な軽い人間が射止められたのかは全く持って謎である。
「―――お前さん今、なんで俺がリデルと結婚出来たのかと、不思議に思っただろ?」
「まぁな。 つかお前が空気読めたのかっていう驚きの方が上だけど」
勇の苦言はさておき。
実際の話はと言えば当然か。
ディックは魔特隊時代から女性に手を出すのが速かったと有名だ。
瀬玲のみならず笠本にさえもちょっかいを出していたのだとか。
さすがに既婚者とあってレンネィには出せず。
茶奈に至っては当時バロルフが幅を利かせていたとあって握手さえ出来なかった様だが。
そんな好色男をこれだけ愛する女というのもなかなかのキワモノとしか思えないのが普通な訳で。
「折角だし、俺達の事をちょいと知ってもらうとしようかねぇ。 俺がどうして戦ってるのかって事も含めてね」
しかしそこにも何かしらの特別な理由があるのだろう。
まるでそれを知ってもらいたがっているかの様に、軽々と人差し指を振りながらにこやかな笑みを向ける。
「いいのディッキー? 私、彼の事はよくわからないのだけれども」
「大丈夫だってぇ。 信頼出来る男だからね」
もちろんまだ勇の事は説明していない。
いくら身内とはいえ、ホイホイと語る訳にはいかないので。
現在は秘密作戦中であり、ディックもその事を重々承知なのだから。
こうしてディックとリデルは語り始める。
自分達の過去と、二人が別れた理由と、そして忌まわしき思い出を。
そこに覗き見えたのは、特別とも言い切れぬ程に平凡で―――
―――それでいて、余りにも残酷な現実であった。




