プロローグ
王都にあるSランク戦闘ギルド『ヴァルハラ・クラン』のギルドマスター、ロキールは重い口をあげた。
「すまんな、ギン…もうお前をこのギルドにおいておくことは出来ない。」
もうじきに世界は春を迎えようかというのにSランク魔法使いのギンは解雇を告げられてしまったのだ。
「…本当に長い間、お世話になりました。」
ギンはか細くそう答えるだけで精一杯だった。
心当たりはいくつもある。
たとえば、長年戦争を続けてきた帝国との終戦。
まだ3年ほどしか過ぎていない出来事なのに互いに嫁がせた姫を王妃にし、既に王太子までも産まれている。民間レベルでの交易もすっかり生活の一部になってしまった。
もちろん喜ばしいことだ。しかしこれにより広範囲高威力の極大魔法を使い戦力を決定付けるとさえ言われたSランク魔法使いは無用の長物とされた。宮廷にコネのある者は国に飼い殺される道を歩み、そうでない者たちはどんどん職を失っている。
たとえば、『魔導』と呼ばれる新技術の発展。
魔導とは従来は魔法使いの回復アイテムでしかなかった『魔石』と呼ばれる魔力を帯びた石を予め呪文を刻み込んだ基盤に嵌め込むことで誰でも簡単に魔法を使うことが出来る技術だ。
一般的に魔法使いは体力もスタミナも乏しい。それに対して魔導で作られた道具『魔導具』は用意された魔法しか使えないが魔石の魔力が続く限り疲れることがない、文句も言わない、壊れたところで替えが利く。
今のところ簡単な初級魔法しか魔導具で作られていないがそれでも低ランクの魔法使いから徐々に職を逐われる傾向にある。
そしてギンはこの魔導という技術にほぼ最初期の段階から興味を持ち独自で研究を行っていた。呪文を用いる魔導の基礎は魔法である。Sランク魔法使いの魔法への深い知識、そして初期からという研究期間によって、ギンの魔導技術は魔法使い独特の守秘主義により公開していないが、一般的な魔導具を研究、開発する魔導技師と呼ばれる者たちの何歩も先にあった。
何が問題なのか? 全部である。
大して働いてもいないのにSランク魔法使いということで高給取り。おかげでギルド内の者から妬まれる。
魔法使いのくせに魔導という自分たちの職を奪う研究をしている。おかげでギルドの内外問わず魔法使いたちから恨まれる。
戦闘ギルドのくせに生産ギルド管轄の魔導の高い技術を保持し、しかも公開しようとしない。おかげで他のギルドと対立する。
他にも最年少Sランクかつ現在三強の魔法使いの一人ということで謂れのない謗りが尾ひれのように付いて回っている。
「…なにか今後のあてはあるか……?」
ロキールのその言葉にギンは静かに首を横に振った。
無理もない、戦災孤児で今は亡き師匠に戦場で拾われたギンは物心ついた頃からこの『ヴァルハラ・クラン』にいる。過去に何度か貴族にお抱えにならないかと誘われたこともあったがすべて断ってきた。その都度体面を気にする貴族に、会ってみたら人格に難があったのでこちらから断ったと悪評をつけられた。なので今ではすっかり多くの人には極悪非道の人間と思われている。
「…そうか…… 実は、な。王国が西の地を開拓するために開拓民を募集しているんだ。初期メンバーには家と永住権が保証されているらしいが…」
「西、というと『魔境』でしょうか?」
「…そうだ。」
ロキールは硬い表情で頷いた。
王国の西には未だ人の手の入っていない未開拓の土地が広がっている。だがしかし魔境と呼ばれるその地は強力なモンスターの生息地でありそれが人の侵入を許さない理由であった。
「…世俗の喧騒を忘れて田舎で静かな余生を過ごす、というのも悪くはないのかもしれませんね。」
まだ隠居するには早すぎる28という年齢のギンのその発言を冗談と受け止めたのだろうか、ロキールは小さくクスリと笑った。
「達者でな…」
「ええ、マスターもお達者で…」
マスターの部屋を出て、階段を降り、短い廊下を後にすると広いロビーがある。
いや、ロビーというより酒場だ。現に無数の者たちが昼間から安いエールを片手に、燻り腐り、愚痴を溢している。
…これが王国最古のギルドの1つ、ヴァルハラ・クランの今の姿か……
仕事が無く昼間から酒を飲むことは昔もあった。だがそれは冬季など戦争の中休みでのことだ。そしてそれはいつの時も笑顔だった。
たとえ仲間が戦死したとしても湿っぽい酒など一度もなかった。ヴァルハラ・クランでは勇敢に戦って死んだ戦士は神の軍勢に加われると信じているからだ。だからそんな時は死んだ仲間の勇敢さを讃え、勇猛さを褒め、勇気を称賛して、決まりの「ヴァルハラで会おう!」の掛け声と共に浴びるほど酒を飲んだものだ。
それが今はどうだ… ギルドの名目が細分化される前の『戦闘』というもののおかげで街の治安維持や冒険者ギルドの真似事のような仕事ができたからなんとか成り立っているだけだ。ギルドがなんとか成り立っているだけなので全員に回せるほどの仕事が無くあぶれた者はこうして腐って酒を飲むしかない。
…これからここはどうなるんだろうな……
ギンは虚しさを胸に、二度と帰ることのないギルドのドアを潜るのだった。