第百二十四話 反政府活動
「いらっしゃいませぇ」
若いウェイトレスが笑顔で出迎えてくれたそのレストランは、趣味の良い落ち着いた内装で、こんな時間でもそこそこ繁盛していた。
窓際の大きめのテーブルへ案内され、皆がメニューから適当に注文した。
「お客さん達は観光ですか? お目当ては温泉ですかぁ?」
厨房に注文を伝えたウェイトレスが、気さくに話しかけてくる。
「はいですの、とても楽しみですわ」
アムリータが社交的な笑顔でそれに応じた。
「もう宿は決めてありますか? おすすめの温泉宿があるんですよ。
お風呂が広くて綺麗で、ご飯も美味しいですよ」
客引きのアルバイトでもしているのだろうか?
ウェイトレスが温泉宿を勧めてきた。
「ごめんなさいですわ、予約がしてありますの」
「いえいえ、いいんですよ、観光のお客さんに楽しんでもらえればそれで」
ウェイトレスが明るくそう言った後、ココを見る。
「それにしても、こちらの方はすっごい美人ですねぇ。
こんな綺麗な人は初めて見ました。
みんな驚いてますよ、特に男性が」
ああそうか、注目されていたのはココか。
もう慣れた所為で忘れがちだが、彼女は比類なき絶世の美女なのだ。
休暇なので、ココはいつもの地味なメイド服ではなく、それなりに洒落た服を着て薄く化粧までしている。
認識齟齬の魔法でも、その美貌は隠しきれなかったようだ。
『市民のみなさん! 午後のひとときをお騒がせして誠に申し訳ない!
こちらはラスート人民解放戦線であります』
突然、窓の外、大通りから魔法で拡声された男の声が飛び込んできた。
「なんだ?」
「あ~、なんか近頃あちこちでうるさいんですよぉ、あの人たち」
俺の疑問にウェイトレスがそう答えてくれた。
『我々は、恐怖政治で市民を弾圧する独裁者、大魔王を倒し、このラスートに真の自由をもたらす為に戦っています!』
大通りに二十数名の魔族男女が集まっていて、その中心に居る、蛇のような目をした背の低い中年男性が演説を行っていた。
そして他の者達は、なにやらビラを配っている。
この世界でビラを作るには、かなりの費用がかかる筈だ。
資金が潤沢な連中のようだ。
「反政府運動かぁ……」
そうつぶやくと、ウェイトレスがまた答えてくれる。
「うるさくて邪魔ですよね。
文句言った店もあるんだけど、でも、そうすると後で嫌がらせを受けるんですよ」
嫌がらせ? それは穏やかじゃないな。
「衛兵に言ってみましたか?」
「はい、訴えたみたいですよ。
でも、なんか、助けてもらえなかったらしいです。
あいつらとグルなんじゃないかって皆言ってます」
衛兵が反政府運動に加担してるのか?
それが本当なら大問題だ。
『治安が良くなった? 景気が良くなった? いいえ、騙されてはいけない!
全ては嘘で、その嘘の裏では今も恐ろしい弾圧や搾取が行われているのだ!』
朗々と演説をする男を見ながらウェイトレスが言う。
「まあ、文句を言わなければ大丈夫だし、それに、なんか気になって聞いちゃうんですよね」
そこでウェイトレスは声を落として、俺達に顔を近づけて話を続ける。
「大魔王って、やっぱり悪い奴らしいですよ」
「そうなんですか? どうしてです?」
どうしてそう思ったのか聞かせて欲しい、当の本人としては是非に。
「あの人たちが言ってました。
なんか怖いし、よく分からない酷い事を沢山しているみたいです」
ウェイトレスからは具体性の無い返事が返って来た。
なるほど、演説を鵜呑みにしちゃうのかぁ……。
他に情報を得る手段は無いだろうから、あの演説は効果抜群だな。
デマ、あるいは一部を切り取ってミスリードさせる情報を発信しても、一般の人たちには検証する術がない。
これは政府側も広報活動をする必要があるかな?
あまりに一方的で悪意のある演説だった。
ウェイトレスに、演説と関係ない実生活で不満はあるのか聞いてみよう。
「大魔王国になって、暮らしはどうですか?」
「え? ああ、税金が安くなったし、景気は良くなったし、ガラの悪い奴らが減って、暮らしやすくなったかな?
市場に見慣れない食品とかが増えて、すごい活気がありますし。
あ、でもでも、あれだけ悪いって言われてるんだから、なんか悪いのかなって……
あ! すいません、わたしこれでっ、
いらっしゃいませぇ」
ウェイトレスはそう言って、新しく店に入って来た客へと向かった。
暮らしが良くなっている実感はあるのか。
それは良かった。
反政府運動家の演説は続いている。
『全ての国家を征服した独裁者、大魔王が握っている権力は絶大である!
ある日突然、気分次第で皆さんを虐殺するかもしれない。 そして、それを止める者は居ないのだ!
なんと恐ろしい事であろうか!』
お、それはもっともな心配だな。
例えば、俺がその気になれば、史上最悪の圧政国家がすぐに誕生するだろう。
あるいは俺が死んで、邪悪な人間が後を継いでも同じだ。
全魔族をほぼ統一した大魔王国は、実は非常に危うい存在なのだ。
……いや、どうかな?
大魔王国の宰相や官僚たちは優秀だからなぁ。
案外、俺が失脚するだけかもしれない。
『今こそ! 全ての魔族が団結し、恐ろしい独裁者大魔王を倒さねばなりません!』
「ゴインキョ様、反政府活動を、規制した方がよろしいでしょうか?」
「…………え? ああ、俺か!」
アムリータはそつなく俺を偽名で呼んだ。
いかんいかんそうだった、ちゃんと慣れないとな。
「思想は自由で有るべきだし、政治活動も規制すべきではないと思う。
あくまで法に触れない範囲でだが」
「けれど、歪んだ情報で国民を反乱へと扇動してますわ。
とても危険ですの」
アムリータは心配そうにそう言った。
「う~ん。
求めるのが民主主義で、本当に国の為を考えての運動なら、むしろ彼らを正しく育てていきたいくらいなんだが……」
「民主主義ですか?
選挙……というものを行う制度でしょうか?」
おお、すごいなアムリータ、というかこの世界にも民主主義と選挙の概念があるんだ。
そういえば、不完全とはいえ共和国があったしな。
「その通りだ、良く知っていたね。
民主主義も欠陥だらけの政体だが、絶対王政よりはマシだろう」
「そうでしょうか?
平民が、正しい候補者を選択出来るとは思えませんの。
全ての国民が為政者と同じ情報を持ち、同じ判断力を持つ必要があるのではないでしょうか?
でなければ、この演説のような偏向した情報に踊らされてしまいますわ」
本当にこの子は優秀だなぁ……。
民主主義の欠陥を理解してるんだ。
まあ、その為に教育が大切になるのだ。大魔王国はそこに力を入れている。
そして、偏向しないマスメディアを作る事が出来れば……いや、マスメディアは必ず偏向するだろうな。
人が制作するかぎり、これは絶対に避けられないだろう。
第三者に厳しく監視させるべきか?
「そんな政体は、賢王による治世には遠く及びませんわ。
正しい王を育て、維持する仕組みを考えた方が良いと思いますの」
「……う~ん」
そう言われると、そんな気もしてくる。
選挙から虐殺を行う独裁者が生まれたりもするしな。
いや、その賢王とやらが維持できればの話だが……。
『そこの君! 待ちなさい!』
演説をしてた男が急に大きな声を張り上げて、大通りを歩いていた十歳くらいの魔族少年を呼び止めた。
『君、君は大魔王の作った学校に通った帰りだな?』
魔族少年は、大魔王国の学校が配給するリュックを背負っていた。
『我々は何度も言ってきた! あの邪悪な学校に行ってはいけないと!
なぜ言う事を聞かない!?』
演説者がなんか無茶な事を言い出したぞ。
以前に面識があったわけではないだろうし、この子が演説を聞いたという保障は無い。
「だ……だって、タダで読み書きとか教えてくれるんだよ。
それにご飯がでるんだ二回も、そして帰りにはお弁当までもらえるから……」
魔族少年は怯えながらも反論する。
そう、大魔王国の学校は、栄養バランスが良く美味しい食事で生徒を釣っている。
午前と午後に二食の給食が出て、帰りには弁当まで配給されるのだ。
年齢制限は無く学年は一つだけだが、さすがに仕事のある大人はやって来ない。
来るのは、働き手としては未熟な子供か、失業者、あるいは仕事を休む余裕の有る者だ。
『馬鹿者ぉっ! 猛省せよぉ!』
蛇のような目の演説者が少年に駆け寄り、リュックを無理矢理に取り上げる。
「帰してよっ! 僕のリュックだ! 中にお弁当が! お父さんとお母さんに食べて貰うんだ!」
『まだ言うか! この大魔王の犬めっ! 自己反省だっ! 自己反省せよっ!』
蛇目演説者が、ツバを飛ばしながら怒鳴り、魔族少年に向けて手を上げる。
この野郎!
俺が慌てて席を立つと、
「よせルポトラ。ここで暴力を振るうな。見られているのだぞ」
仲間の男が、ルポトラという名前らしい蛇目の演説者を止めた。
そしてリュックを魔族少年へと返して言う。
「すまなかったな、君。
けれど、あの学校へ行ってはいけない。
とても危険な場所なのだ、あそこは」
魔族少年はリュックを受け取ると、怯えたまま駆け足で逃げて行った。
「別に危険な事など何一つないけどなぁ……」
俺が席へ座りながらそうつぶやくと、アムリータが反応する。
「彼らにとって都合が悪いのですわ。
国民が知恵を身に着ければ、彼らの様な詐欺師が仕事をしにくくなりますもの」
ついに詐欺師呼ばわりかぁ……。
だが、どうもまともな政治団体とは言えないみたいだ。
違法な活動をしている疑いもある。
このまま放置するのは、それこそ危険だろう。
「よし、ステルス状態の分身に追跡させて監視しよう」
俺がそう言った直後、
「お待ちどうさまぁ」
ウェイトレスが注文した料理を運んできてくれた。
いつもお読み頂きありがとうございます。




