発達障害の人はどうやって作品を完結させているのかわからない
僕は、まとめブログとかツイッターとかで、発達障害の人のエッセイとか、漫画を見かけるのですが。
それを見た感想は、凄いなぁです。
何が凄いのかというと、作品として完成させて公開するまでの過程をよくクリア出来たなぁという所で感心するのです。
僕も、ADHDと自閉症スペクトラムと診断されて、薬はストラテラとかいうアメリカのチョコレートみたいな毒々しい青いカプセルの薬を飲んでいるのですが、薬がきいている間は大体起きていられる。
話がそれているので、この話は終わりにします。
『発達障害の人はどうやって作品を完結させているのかわからない』という話しです。
僕も、絵を書くのが好きで、書き始めたらじっくり飽きるまで書いていられるのですが。
まず、書き始めるスタートが中々見いだせない。
作品を、それもかなりの大作に取り掛かるスタートを切れる所が凄い。
絵を描くという話しで続けます。
よく、見かける体験談のような漫画は、だいたいカラーだったりするのですが、あれが凄いと思う。
僕が、コンピューターで色を塗ると、かならず隙間から色がもれて全部同じ色になる。
隙間をなくそうとしたらはみ出る。
あの技術はどこで手に入れたのだろうか、努力で補える技術なのだろうか。
この文を書き終わる間際までは、挑戦しようと思うだろうが、次の場面に移る頃にはもう意識はそこにないだろう。
まとめると、発達障害でありながら、仕事を最後まで完結できるのが凄い。
漫画の内容についてですが、主人公(発達障害者)がいて、それに会話を返す普通の人がいる。というところも凄いと思う。
会話できるんだな、と羨ましくなる。
僕は、人の会話を聞くことはあっても、話すことはしない。
自分の思ったことを瞬発力の必要な会話としてクリアできているという事が、凄い。
正直、それが出来るならもう健常者なんじゃないの? とも思う。
まとめると、漫画としてストーリーが出来上がる人物が揃っている所が凄い、となるのだろうか。
これは、少しミスのあるまとめかもしれない。
作品を完成させることが出来る可能性があるパターンも考察してみるが、勢いで一度に全部完走できた、と言うことだろうか。
思考状態中に、何の邪魔も入らず奇跡的にゴールまで行くことが出来れば、可能性がある。
だが、この文章を書いている間も既に気がそれてきているのに。
ネタを考えて、机に向かって、書き始めて、色々考えながら作業を進め、途中で振り返って、最初から書き直して、もう一度書き始めて、喉が渇いただのトイレに行くだの生理的な妨害を乗り越えて、再び作業をやり直して、別な事をやり始めて、その別なことに集中して本題を忘れて、もう一度初めて、何かの音や光に気を取られて、もう一度初めて、何をやろうとしていたのかを忘れて、思い出すまでに別なことをしたりボーっとしたりして、思い出すこともなく日にちが過ぎて、ある日思い出して……と。
僕の場合、作品を完成させることが結局できない。
発達障害者の人が書いた作品が完成しているのを見ると、偶然と、奇跡がかさなったのだろうという結論に至る。
要するに、素晴らしいなと感心する。
それとツイッターなどでその手の作品をみると、羨ましくなる。
登場人物の主人公、おそらく作者は、作品の中で悩んでいるとは言うが、共感するという友達のような人が現れている。
自分にはそんな話し相手など一人も出来ない。
作品を完成させる努力が報われた日には、自分にも友だちができる日が来るのだろうかと思い。
自分も作品を完成させるために、今日を過ごす。