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作者: 猫絵師

《眼は口ほどにものをいう》と昔から言うが…


「…なんですか?」


「…べつに」先輩はそっけない口調でそう言って僕から視線を外した。その目からは何の感情も窺い知ることはできなかった。


 整った顔はどこか無機質で表情が読み取りにくいが、彼女に至っては何も考えていないのかもしれない。


僕は喉までせりあがってきた言葉をいつも通り飲み込んだ。

 

鉄仮面と揶揄されている先輩は僕から視線を外すと、自分のキャンバスに向き直った。

 

シンナーと油絵具の独特な臭いに包まれた美術室には、僕と先輩のほかには誰もいない。


 部員登録だけの幽霊部員は沢山いるのだが、実際活動しているのは僕たちだけだ。


「…先輩」美術室の沈黙に耐えきれなくなった僕はどうでもいい話を切り出した。


「先輩進路どうするんですか?」


「知ってどうするの?」


「参考ですよ」

「女子大学に行くって言ったら?あんた性転換でもして付いてくるの?」


「…いや、いいっす」とげとげした返事に僕が怯むと、先輩は冷たい視線でちらりと一瞥し、野良猫のような取り付きにくい空気でそっぽを向いた。


 また、沈黙が時間とともに流れていく。


 僕は先輩との会話を諦め、キャンバスの白を埋めることに集中することにした。


 浅はかな僕は美人で有名な先輩に一目惚れして美術部にホイホイと入ってしまったのだが、これといった進展もなく今日に至る。


それでもなお此処に通い続けている自分がなかなか健気だと思っているのだが、それは先輩には通じないみたいだ…


 1年以上放課後を一緒に過ごしているのに、僕の誠意も下心も一切彼女には通じないのだ。


 こうもなってくると自分がアホに見えてくる…


「…た…宮下」


「は!はい!」自分が呼ばれてるのに気付き、たった一人の同室者に向き直る。


「妄想なんてする暇があったら手を動かしたら?」


「あ、え…はあ」


「絵具切れちゃったの」


「あ、はい。何色ですか?」自分の画材入れを慌てて引っ掻き回しながら聞き返す。


「黄色…ジョーン・ブリアン」


「フランス人みたいな名前ですね。僕そんなの持ってないですよ」見たことも聞いたこともない絵具の名前に困惑しながら一応画材入れを確認する。


 うん、入ってない。


「…知らないの?肌色に丁度いいのよ」


「え?だって先生とか肌色は作れっていっつもいうから買わないですよ」


「…へー、色の名前も知らないくせに肌色は作れるのね。意外だわ」


 だって人物画なんて描かないもん…


「っていうか、あんた絵具の種類が異常に少ないのよ」先輩はそう言いながら僕の手の中にある画材入れにしているポーチを取り上げた。


「…なに?これ?」幼稚なキャラもののポーチを冷たい視線で睥睨しながら先輩が一応訊いてきた。


「ゲーセンの景品です。汚れても良いと思って」


「…ふーん…自分で取ったの?」


「暇つぶしですよ」


「…得意なの?」


「得意?んー、どうですかね?それなりですよ」僕がそう答えると先輩は何も言わずにポーチを返して自分の席に戻った。


 それから帰宅時間になって僕が帰ろうとしたとき、

「今から暇?」先輩の上から目線の声が僕に降ってきた。


「絵具買に行くからあなたも来たら?」意外なお誘いだ。断る理由はミジンコほどもない。


 本格的な夏はまだだが、日は長くなっている。6時過ぎまで辺りは明るい。


 デパートの一角にある画材店で絵具を調達することにした。


「先輩、肌色無いですよ」


「…そうね」


「仕方ないですねー、店員さんに訊いてみます?ジャン・ブリトニーでしたっけ?」


「ジョーン・ブリアンよ…外人なら誰でもいいわけじゃないのよ」先輩は絵具の棚を物色しながら僕に答えた。そして幾つか色を選んで手に取るとレジに向かった。


「もういいんですか?」


「無いものは仕方ないじゃない。他の色も足らなかったし、もうこれでいいの」特に感情のこもってない返事が返ってくる。


 絵具を買い終わった後、ふと先輩が立ち止った。


 何を見てるのかと思い、視線の先を探ってみる。


 心なしか先輩の目が女子高生の目になっているような…


 先輩の熱い視線はゲームコーナーの一番手前にある巨大ぬいぐるみのUFOキャッチャーに注がれている。


 先輩が僕の視線に気づいて先輩が慌てて視線を外す。


先輩の横顔が少し赤くなっているのがすぐに分かった。

 クールな先輩がそんな顔をするのを見るのは初めてで、僕は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


…いける!


 心の中でガッツポーズをした僕は迷わなかった。いや、迷うはずもない。


 500円玉を投入。これで3回はチャレンジ可能だ。

 背後で先輩がオロオロしながら必死に平静を装っている。


 だが目が口ほどになんとやら…


 こんな先輩が見られただけで超が付くほどのレア体験だ。

 

柴犬か何かのぬいぐるみと僕の攻防は野口英世一人という犠牲の上に勝利を築いた。


「…でっか!」景品取り出し口から引きずり出した巨大な犬のぬいぐるみは謎の威圧感を醸し出している。女子はこれがいいのだろうか?


「はい、先輩」


「あ、ありがとう」先輩は戸惑いながら僕からぬいぐるみを受け取った。


「いいの?」


「いいですよ、僕の部屋にはいらないし、持って帰ったら母ちゃんに怒られるんですから」


「ほんとに?」


「いいですよ、もらってください」


「…ありがとう」恥ずかしさを隠そうと無意識にぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながら、小さな声で先輩がお礼を言った。その姿が表現できないぐらいにかわいい。


「あ、あの、さ…」先輩が相変わらずぬいぐるみを抱きしめて表情を隠したまま僕に話しかけた。


「…あれ、取れる?」先輩が指差したのは先ほどのぬいぐるみよりだいぶ難易度が低くなった犬のぬいぐるみのストラップだった。


 僕は快諾してぬいぐるみを全種類コンプリートして先輩にプレゼントした。


 両手いっぱいにぬいぐるみを抱えている先輩がかわいい。これは萌える。


 僕はキュンキュンしながら先輩を見ている。


 先輩もやっぱり女の子だ…


「宮下ありがとう」ゲーセンの景品用の袋を取ってきて荷物をまとめていると、先輩がうつむきながらそう言った。


「先輩ぬいぐるみ好きなんですか?」


「…以外でしょ?」


「だいたい女子はみんな好きですよ」僕はそう答えながら先輩にぬいぐるみでパンパンになっている袋を先輩に渡した。


 外はまだ夏の日差しに熱せられたコンクリートの臭いが漂っている。蜩の声が二人の上にけたたましく降りかかる。


「これ、ありがとう」先輩が何の前触れもなく僕に話しかけてきた。


「こういうの彼女とかにしてあげてるんでしょ?慣れてるもんね?」


「え?!」先輩の意外なセリフに僕は悲鳴にも似た声を出してしまった。


「い、いないですよ!いたことすら無いですよ!」慌てふためいた僕はつい本音を漏らしてしまった。


「彼女いたら毎日美術室でくすぶってないですよ!」


「…じゃあ、彼女できたら来なくなっちゃうんだ」先輩は独り言のように小さくそう口にした。


僕は返事をすべきか分からず言葉をなくしていると、先輩の猫のような瞳が何かを僕から引き出そうとしている。先輩の瞳が非常に雄弁に感じられた。


まさかね、先輩けっこう乙女なんだ…


そんな風に思いながら僕は一か八かの賭けに出ていた。

「先輩が彼女になってくれたらいいじゃないですか?」

 殴られる覚悟で言ったのだが、先輩の返事は僕の想像の斜め上を行くものだった。


「遅い!」


「…え?」どういう意味か分からずに素っ頓狂な声を上げた僕を責めるような視線で先輩が睨んでいる。


「あんた時間かかりすぎ!もう2年もうじうじして、人の顔盗み見てさ!」


「あ、ばれて…」


「私も見てたもん」


「は?」


「…美術室の後ろのほうに座るのも、あんたにちょっかい出すのも、買い物に誘ったのも全部そういうこと!遅いのよ!男のくせに全部言わせないでよ!」


顔を赤らめ、少し拗ねたような表情で先輩が矢継ぎ早にそう言った。そして恥ずかしそうに顔をそむけた。


 僕が圧倒されて言葉を失っていると先輩は一人でずんずん歩いていく。


 慌てて先輩の後を追うと、先輩は逃げるように早足になり、しばらくして妙な追いかけっこが始まった。


「待ってくださいよー!」先輩は意外と足が速かった。


本気で追いかけないとマジでおいて行かれる。ついでに明日から先輩と会えなくなるかも知れない。


「あ!」先輩の体がぐらついた。茶色のローファーの片方が宙に舞った。


 やばい!と思ってアスファルトに倒れこんだ先輩に駆け寄る。


「先輩!大丈夫ですか?」慌てて手を差し出して助け起こす。

 先輩の体の下に潰れたぬいぐるみが出てきた。どうやらクッションになってくれたようで、僕は心の中でぬいぐるみの健闘を褒め称えた。


 耳まで赤くなった先輩はうつむいたままで何も言わない。先輩は黙って何かを待っている。僕には先輩のそれがなんとなく読み取れた。


「ずっと行きますよ」僕は恥ずかしさをこらえながらそう口にした。


 僕の声をかき消すような蝉時雨が無ければ口にすることもできなかったかも知れない。


「ずっと先輩見てるぐらい好きなんです…」


 先輩の潤んだ瞳が僕を見た。


 こんなに分かりやすい人とは思ってなかったな、と心の中で呟きながら僕は照れ笑いを浮かべながら告白した。


「先輩の全部が大好きです」


 臆病な僕がはっきりとそう口にした。

 そんなに大きな声ではないけれど、僕の声は先輩の耳に届いていた。


「…馬鹿じゃないの…」先輩がやっと口にしたのは僕を罵る言葉だった。


 先輩が僕を睨み付けながら怒った口調で言った。


「遅すぎるし!私一年も無駄にしたんだから!」


「はぁ、すいません」


「ちゃんと責任取りなさいよ!」


「はぁ…じゃあ、カップル成立で…」


「そう言ってるでしょ!」


 なぜ怒られているのかいまいち分からないが、僕の思いは通じたらしい。


 念願の成就となったが、なんとなく二人とも照れくさく、しばらく無言で数歩離れて歩いた。


 僕は彼氏というよりは従者のように先輩の後に付いて歩いていたが、ふと思った質問をしてみることにした。


「ところで先輩」


「何よ!」


「何で僕なんです?」


「…それは…」先輩がこもった口調で答えた。


「あんたがなんか昔飼ってた犬に似てるからよ」


「え?」


「クリって柴犬飼ってたの。あんたそっくりの」


 おいおい、マジか…


「だから宮下のことはクリって呼ぶわね」


 僕のポジションは後輩から犬になった…これってランクダウン?


「クリ、よろしくね」夕焼けを浴びながら先輩は柔らかい笑顔で笑った。


 鉄仮面なんて呼ばれている先輩が見せた笑顔がとてもかわいかった。これなら犬も悪くない。


「わん」僕がふざけてそう答えると、できたばかりの彼女はとても可愛い笑顔で笑った。


初投稿です。

楽しんでいただければ幸いです。

普段はファンタジー系を好んで書いているので青春というものがいまいち分からないのですが、なんとなく思いついたので書いてみました。

どうか広い心でお受け止めいただければ幸いです。


またの機会がございましたらよろしくお願いいたします。

今回は最後までご覧いただきありがとうございました。

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