全く其の通り
唐人の夢
全くその通りで。
最近妙な話を書いています。私は大分昔より、千一夜物語り、日本の昔話、伝説、神話、西遊記、中国の怪奇小説、捜神記、東野物語、落語他雑多な物を読んだ為か、時々無性に書きたくなる時があります。たわいも無い話です。勿論出た所勝負。立派な方の様な構想らしき物も余りない、非常に頼り無いものです。落語の『うなぎ』に、「おいおい。一体何処へ行くのだい。」「あっしにも判らないんで、前に行って、うなぎに聞いてくんねい。」全くその通りで。
その一
長安の都に露宝という青年が居た。親爺は広く商いをして、大変羽振りが良かった。露宝は物心が付いた時から、何不自由無く育った。露宝十七歳の時に長安で疫病が流行り、露宝の幼馴染みで、許嫁の桃妃が呆気無く死んでしまった。其れからと云うもの、誰からも愛された美少年の露宝は目の輝きを失い、あっと云う間に見窄らしい青年になってしまった。そして一年間と云うもの、親元で蜻蛉の様な、生気のない暮しをして居た。次の年に春風と共に、何処へともなく見えなくなってしまった。「お~~~い。露宝や。」「お~~~い。息子や。」二親は気が狂わんばかりに探し廻った。其んな事で見つかる程の事では無かった。露宝は一体何処に行ったのであろうか。夏の熱い頃、長安から西に暫く歩いた田舎町に、露宝に良く似た青年が居たそうな。
その二
秦陽と云う街道筋の街に、一軒の飯屋があった。店の前は時折、牛馬が曵く荷駄が乾いた砂埃を上げながら、がらがらと通り過ぎて行った。「お~~い。客だよ。早く注文を取って来な。」「へいっ。」青白い顔をした若者が、店主の顔色を伺いながら、高麗鼠の様に働いて居た。「全く気が利かないんだから。一体何処の生まれなんだろ。」そんな店主の女房の声を耳にしながら若者は黙って一日を過ごすのであった。或日、そんな若者の耳に、こんな客の声が聞こえた。「全く幸運なもんじゃ。」「何がだ。」「いや、霊峰須弥山を遥か彼方に拝んだ時の感激さ。一生に一度拝んでごらん。良い人生を掴めると云う事さ。」
仏教の宇宙観において、世界の中央にそびえるという山。風輪・水輪・金輪と重なった上にあり、高さは八万由旬(一由旬は四〇里)で、金・銀・瑠璃・玻璃の四宝からなり、頂上の宮殿には帝釈天が、中腹には四天王が住む。日月はその中腹の高さを回っている。須弥山の周囲には同心円状に七重の山があり、その外側の東西南北に勝身・贍部・牛貨・倶盧の四州があり、さらにその外を鉄囲山が囲っている。贍部州(閻浮提ともいう)が人々の住む世界に当たるとされる。スメール。蘇迷盧。すみせん。(goo辞書より)
その三
「これっ、露宝。何をぼやぼやして居る。」「へいっ。」あれこれと用事を済まし、漸く遅い昼と成った。店の客も居なく成って、露宝の自由な時間となった。
露宝は急いで外へ出ると、先ほどの年老いた旅人を捜した。幸いにも街道を東の方へ、とぼとぼと歩く姿を見つけると、「お爺さん。」「ん。何だね。」「先ほどの飯屋の者ですが。」「何の用事かい。代は払ったが。」「いいえ、先ほどのお話の続きをお聞きしたくて。」老人はとても驚いた顔をした。「話しの続きと…。」「須弥山…と、申しましたね。」「ほっほっほっほっほっほ。お若いの、聞いて居ったね。」「…で、一体何を聞きたいのじゃ。」「私は…」「ん。」「幸せを手にしたいのです。」「ほっほっほっほっほっほ。」老人は可笑しそうに笑った。「須弥山を拝んでみたいと…。」「ええ。出来れば登って見たいと。」老人の顔は真面目になった。
その四
若者の目には久々に光が灯った。「辛いぞ。人生には他に幾らでも愉しみが有る。」「いえ、良いんです。その須弥山と云うものを見てみたいのです。」老人は云った。「ま、座りなさい。」だが、若者は気もそぞろで、座る気にも成れない様子だ。「うむ。名は何と申す。」「露宝と申します。」「うむ。良い目をして居る。」
「だがの世の中には、法螺話しと云う物は五万と有るぞ。」「…。」露宝は一瞬、驚いた目をした。「本当なんでしょ。」「お前は信ずるか。」「はい。」きっぱりと云った。「ほっほっほっほっほっほ。」老人は又可笑しそうに笑った。「そうか。お前さんも。では行って見るかね。」「はい。」二人の視線の向こうには、大陸の広大な荒野が広がって居た。
その五
「では本当に参るのじゃな。」「はい。」「後悔するやも知れぬぞ。」「はい。」若者はきっぱりと云った。「分かった。儂は此れから庵に帰る。お前も来なさい。」「はい。」「儂は先に帰って待って居る。」「…はい。でもどう行けば。」「心配はいらん。此れから西へ七百里参ると香留檀国の豊穣山に中仙堂がある。尋ねて参れ。」「…。」「此れは、心に強く念ずると、飯でも何でもあらわれる。」と赤い瓢箪を手渡した。「無くすんじゃないぞ。」「はい。」老人は東風に乗って瞬く間に飛んで行った。
その六
はいと返事はしたものの、突然始まった旅は厳しいものであった。来る日も来る日も、砂漠から真っ青な天空に強烈な太陽が昇ると、辺り一面全ての物を灼き尽す暑さであった。「ああ、渇いた…。」その時露宝は気が着いた。「あっ。此れがあった。」と半信半疑に瓢箪に向って、「水をくれ。」すると何にも起らなかった。露宝は焦った。「しまった。」人生を過ったか。と、全身から滂沱の冷や汗が出た。すると瓢箪の中から、小さな声が聞こえた。「信じるのじゃ。強い信念で…。」露宝はまた強く念じた。「水。」すると砂漠の地面の、くぼみから、滾滾と水が湧いて来たのには驚いた。
その七
露宝は魔法の瓢箪で飯を出す事を覚えた。露宝はふと、天空に聳え立つ『須弥山』を思い浮かべた。砂漠の中に見い出したキャラバン商人の道を偶然に見つけると、近くに程よいオアシスを見つけた。もう露宝には『須弥山』などどうでも良くなってしまったのだろうか。朝から晩まで、懐の大事な瓢箪を取り出すと、家、馬車、家具、食料品、衣類、中々旅をを思い出す事は最早無かった。
その八
或日オアシスに数十人の隊商が訪れた。商人たちは余りにも調度が整って居るので皆怪んだ。が、やがて気心も知れて打ち解けあう様になった。隊商の中に気の会う少女が居た「貴方のお名前は。」「露宝。」「こんなオアシスにどうして一人で暮らして居るの。」「そ、それは。旅をして居るのさ。」「どんな旅かしら。」露宝は突然の事に驚いた。少女の顔がいつかの旅の老人の顔になった。「何をして居る。『須弥山』はどうした。」はっとして全身から冷たい汗が出た。どうやら夢を見たらしい。露宝は一人、夜のオアシスに居た。
その九
白い空を見上げると灰色の雪が、限り無く降り続く。激しい風に、飛ぶ鳥さえも見えない。そんな中を雪をかき分けて進む人影が見える。吹雪く凄まじさに吸う息も喘ぎ喘ぎであった。旅僧とも行者とも、浮浪者とも見えた。吹雪きの切れ間に遠くの家並みが垣間見えたのであろうか。「むむっ。」恨めしそうに天を睨んで、目指す人家を訪ねた。鄙びた村の石造りの家を前に「ご免下さい。」戸を叩いた。ややあって、古びた戸が軋みながら開いた。「誰じゃ。」
その九
「誰じゃ。」老婆が顔を出した。「旅の者でございます。」「…。」「ひ、一晩なりとお泊め下さい。」「…。」「お願い致します。」じろりと頭の先から眺め廻した。「お宝は持って居ないのだろうね。」と意地悪い目で云った。「はい。些かも。」「儂が渡した瓢箪はどうした。」若者は腰を抜かさんばかりに驚いた。「あ、貴方は…。」「はっはっはっはっは。儂じゃ。」老婆は何時ぞやの旅の老人であった。「露宝。儂があの宝を預けた筈じゃ。」露宝は?#92;し訳無さそうに、「捨てました。」老人は真っ赤な顔をして「何故じゃ。」露宝はきっと見上げると「はいっ。あれが有ると、富に満たされ、代わりに心を、」「ふむ。心をどうした。」「心を失ってしまいます。」「はっはっはっはっは。」老人は大笑した。
その十
「あっはっはっはっは。あの瓢箪は如意の瓢箪と申して望むもの全てが叶うと云うに。」「いえ、望むもの全てが労せずして瞬時に叶う、こんな恐ろしい事はありません。」「ほっほっ、ほう。望むもの全てが労せずして瞬時に叶うのが恐いと。」「はい。私は未だ人生と云うものが判りませんが、労せずして全てが叶うは、有難いようですが、かえって困難を超えてのみ叶う希望と云う事の方が、宝と思います。」「うむ。良う云った。少し此の世の真実に目覚めて来たようじゃのう。」「お師匠さま。」「お師匠だと。はっはっはっは。」「私の目指す山は何処に。」「迷うな。真直ぐ進め。」「あの、どの路を歩めば…。」「はっはっはっは。迷わす真直ぐにな。」老翁は霧の様に消えた。
その十 一
荒涼とした大地。砂の路が続く。見渡す限り樺色の視界の遥か彼方に、一本の天と地の境が見渡せる。降り返り見れども、同じ景色が続く。広大な盆の真ん中に露宝が居た。一時程、呆然として居ると人の声のような囁きが聞こえた。「其の侭、西に歩け。」来る日も、来る日も太陽の沈むのを目指して歩き続けた。夕刻になると小高い丘に辿り着いた。依然として人家は無い。何処からともなく白い霧が流れて来て、露宝は空腹を覚えた。丘の麓に大きな岩が有り、傍らに無花果の木が生えて大きな実が成って居た。「無花果とは色気が無いが、有難い。」思わず手に採って、むしゃぶり付いた。余りにもの旨さに、露宝の顔は綻んだ。「儂の無花果を勝手に喰いおって。」露宝は腰を抜かした。「あ、貴方はお師匠様。」「はっはっはっはっはっはっはっは。」どう云う事かと思って露宝は、目を醒ました訳です。
秦陽と云う街道筋の街に、一軒の飯屋があった。店の前は時折、牛馬が曵く荷駄が乾いた砂埃を上げながら、がらがらと通り過ぎて行った。「お~~い。客だよ。早く注文を取って来な。」「へいっ。」青白い顔をした若者が、店主の顔色を伺いながら、高麗鼠の様に働いて居た。「全く気が利かないんだから。一体何処の生まれなんだろ。」そんな店主の女房の声を耳にしながら若者は黙って一日を過ごすのであった。或日、そんな若者の耳に、こんな客の声が聞こえた。「全く幸運なもんじゃ。」「何がだ。」「いや、霊峰須弥山を遥か彼方に拝んだ時の感激さ。一生に一度拝んでごらん。良い人生を掴めると云う事さ。」