怠惰な襲撃の一日編 そのニャニャニャンニャンニャニャーン
「生徒達はひとまず屋上で待機していてください。
ニャルミさん、一緒に来てくれますか。対策会議に出席していただきたい」
「あ、あの……、でしたら兄も……」
「そうですね。彼も特待生です。殿下、わたしが彼を推薦します」
そう言われて殿下は、しばらくの間僕をいぶかしげに見つめていたが、やがてニャリと笑って猫招きした。
「……ヒヨッコのヒヨキー推しではちと頼りないが、良いだろう、付いて来い」
殿下の言葉を受け、トヨキー先生が嬉しそうに笑いかけてくる。
君も喜びなさいと言っているようだ。
『いや、できれば僕はここで猫達と団欒していたのですが……』
などと言える雰囲気ではない。
僕は失礼のないよう一礼して、うにゃうにゃと歩き出す。
「なんじゃおぬし、もっと早く歩けんのか。おいヒヨッキー、運んでやれ」
「はい、殿下」
トヨキー先生は僕の前に座り込み、大きな背中を僕に向ける。
おぶされ、ということらしい。
「ニャスターさん、さあどうぞ。事は急を要します」
「あ、いえ、そんな……」
「今まで色々ありましたが、信用してください。
これもお互いの距離を縮める良い機会です」
トヨキー先生はそう言ってはにかんだ。
ここで断るのも先生の厚意を無にするようで失礼だし、殿下の命令では仕方がない。
それに先生が言うように、これが仲良くなるきっかけになるのなら逃す手はないだろう。
さっき先生との関係が改善されたばかりだからね。
「すいません、じゃあお願いします」
怠惰の道に反するわけでもなしと、僕は先生に乗る。
すると、何故か女子生徒から黄色い歓声が上がる。
男子生徒達もなにやらどよめいている。
どうせ『とうとう教頭先生もその配下におさめたか』とか噂してるんだろうな……。
そのあたりの誤解を解消していくことも、今後の課題の一つだ。
「立ちますよ」
僕がしっかりつかまっているのを確認すると、先生は立ち上がる。
するといつもより二十センチ近く高い視点に切り替わる。
誰もが僕を見ている。これは悪くない。
みんなより高い場所は、偉くなったようで気持ちが良い。
やはり僕は猫なのだと痛感した。
しかしニャルミがやれやれといった表情で僕を見ていた。
どうやら知らぬ間に笑顔になっていたらしい。
僕は顔をひきしめる。
「目的地はこの塔にある会議室です。最上階ですから、すぐに着きますよ。
では会議についていけるように、基礎的な共通認識事項を伝えておきます。
歩きながらですいませんが、よく聞いてください」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「まず子鬼級についてです。
この学園はその構造上、小鬼級が数十体が攻めてきたとしても余裕で防ぐことができます。
これは城壁の構造が、対子鬼級として特化しているからです。
ここまでは大丈夫ですね?」
僕とニャルミはうなずく。僕がうなずいても先生には見えないけど。
「しかしながら、大鬼級は違います。
その名の通り巨大なため、近づければ城壁を突破される危険があります。
またその特徴として、機動力はありませんが防御力が異常に高いです。
以上二つの理由から、接近してきたところで火力を集中し、一気に倒すのがセオリーです。
そこで魔道兵たちの配備を調整する必要があります。
特に今回は大鬼級の数が多いため、会議でもそこが議論の焦点になると思います」
教頭先生の背に揺られ、そんな話を聞いているうちに僕らは会議室に到着した。
会議室の中には、大きなテーブルとそれを囲むように椅子が並べられていた。
奥に大きな黒板がかけられており、学園付近の地形図が猫かれている。
壁際にもやや小ぶりの椅子が並んでいて、僕らはそこに座るようにと指示された。
小さいとは言っても、サイドテーブルのついた立派なものだ。
トヨキー先生が真ん中に座ったので、僕らはその両側に着席する。
室内の雰囲気はあわただしい。
続々とお偉いさんらしき方々がやってくる。
お茶の用意でメイドさんたちがウニャウニャと駆けずり回っている。
黒板の前で猫耳の男二人が何か話し合いながら、何かを書き込んでいる。
どうやら敵の位置と予想進路を書き加えているようだ。
だがその作業は難航している。
黒板の前の一人が振り向いた。
あれは先ほど見た顔である。ニャプランさんだ。
そのニャプランさんが僕らをみつけたようだ。
隣の男に何かつぶやくと、ほっとしたような笑顔でこちらに近付いてくる。
「ニャルミさん、申し訳ないのですが、予想図の作成を手伝っていただけませんか」
「あ、はい。わたしでよければ喜んで協力させていただきます」
「ありがとう。とても助かります。ではあちらで」
ニャルミとニャプランさん、そしておそらくニャクリンヌさんの三人で色々話合いながら、地図に情報を埋めていく。
ニャルミが加わったためか、その進路予想図の作成は急にペースが上がった。
ニャルミが精確な位置や数の情報を提供したのが大きいだろう。
さて情報が揃えば、次は進路予測だ。
ただしこれについては、土地勘や経験のある二人の方が予測精度が高い。
池がこのあたりにあるとか、地盤がぬかるんでいるとか、そういったことは魔力探知では分からないのだ。
ニャルミはそんな説明を素直に聞いている。
やがて予想図が完成した。室内の喧騒は最高潮に達する。
『ありがとう、ニャルミさん。おかげで助かったよ』
『こちらこそ色々勉強になりました。ありがとうございました』
よく聞き取れなかったが、おそらくそんなやりとりをしてニャルミが帰ってきた。
ニャプランさんたちは黒板近くの席に座って待機するようだ。
さてその図によると、魔物は横に広がるように大きく三部隊に分かれて学園に向かってきている。
構成は次の通りだ。
まず一番先行している東の一部隊、大鬼級が一体と子鬼級十七体。
真ん中がおそらく主力であり、大鬼級六体と、小鬼級二十三体。
西にやや出遅れているのが、大鬼級一体と子鬼級十二体だ。
最初に北東の塔付近へ大鬼級一体の部隊が、次にここ北西の塔へ主力部隊が到着すると予想されている。
最後の魔物部隊は、地形的な影響でだいぶ遅れて到着し、さらに進路予測が難しいらしい。
進路上に池や沼地があるためだ。
みんな予想進路図を見ながら、思い思いに意見を述べている。
「八体か、多いな」
「問題はこの大鬼級六体だな。集中しすぎておる」
「戦力を集めなければなるまい」
さて、いつの間にかテーブル席は全て埋まっていた。
議事進行役らしき猫耳のおじさんが辺りを見回し立ち上げると、注意を惹くように咳払いをした。
するとみんな黙り込む。それを見計らっておじさんが宣言する。
「全員揃いましたね。ではこれより会議を始めます」
すると出し抜けに、テーブルの真ん中に陣取っていたハチクツくんがニャーと鳴いた。
静粛な室内の雰囲気はそれで一変した。
「おお、伝説は本当だったのか」
「猫が襲来を知らせてくれたのだ。この戦、勝てますぞ」
「ありがたや、ありがたや」
ハチクツくんはそんなみんなの声には知らん振りで、大胆に片足を上げて毛づくろいをしている。
みんな冗談で言っているのか、それとも本気なのか、判断に困る。
緊張感に欠けるが、これくらいがいいのだろうか。
場が和んだところで、司会のおじさんが口頭で状況を説明する。
魔物の総数、進路と到着時刻の予測、現在の対策作業進捗状況などが報告された。
「いつも通りの対処では不十分なのかね」
「それでは戦力が足りないな。不足分をどこからか補わなければなるまい」
「大鬼級の殲滅に特化すれば足りる計算だ」
「いや、小鬼級も五十体以上いるぞ。それだけの戦力を無視はできまい」
「総力戦とまではいかぬが、学生達の手を借りるしかあるまい。
最善のパターンでも戦力不足だ」
「やはりそうなりますな……しかし……」
そこまで話が進んだところで、みんなが黙りこんだ。
ハチクツくんはあいかわらずテーブルの上で体の柔らかさをアピールしている。
沈黙が十秒ほど続く。
議事進行のおじさんが何か言おうとしてあたりを見回していると、猫耳の若者が立ち上がった。
無精ヒゲをはやしているが、まるで猫のヒゲのようだ。
「提案があります。
現在夜警説明会のために、各塔に新入生達が待機しております。
彼らの中から希望者を募る形式にします。
我々だけでも十分に倒せるが、良い機会だから体験のチャンスを与えるという名目です。
それならば問題は少ないかと思われます」
「そうだな。無駄に生徒達を不安にさせる必要もない。
戦力が足りないから募集するなどとは言わないほうがいいだろう」
「だが果たして本当にそれで足りるかね? 具体的にはどうするのだ?」
「まず、塔の上からであれば安全に倒せ、場数を踏めるチャンスであると宣伝します。
そして各クラスから三人程度ずつ選出し、火属性の子を三十人ほど集めます。
それで十人小隊を三つ編成し、さらにサポート役として雷術士を一人か二人つけます。
戦術はオーソドックスなやり方を用います。
雷術士が足止めし、小隊ごとに波状攻撃をかけます。
これで二体ほど倒せる計算です。
大鬼級を二体減らせれば、苦しい戦いになりますが勝ちが見えます」
一同が顔を見合わせている。
やがて誰かが口を開く。
「悪くない提案だ。それで話を進めるとして、報奨金はどうする?」
「一人十万ネコダッコとして三百万ネコダッコとういうところでしょうか。
屋上から魔法を放つだけですから、生徒会側も納得してくれることでしょう。
少々赤字になりますが、妥当な範囲かと思われます」
ネコダッコというのはお金の単位だ。
二十五ネコダッコは二十五回猫を抱っこできる価値に相当するものだったが、インフレが進んでいるという。
現在大人が一日働いてもらえる相場が、五千から一万ネコダッコくらいだそうだ。
「ふむ、報奨金はそれで良いとして戦力の目算が甘いな。
その作戦ではせいぜい一体がやっとだろう」
「そうだな、二年生、三年生ならともかく、新入生では……」
「打ち下ろし型の魔法投下は未経験のはずだ。命中精度に期待できない」
「火力自体も小さいはずだ。
新入生から選り抜きを揃えるとしても、やはり一体が限界だろう」
僕は説明会で聞かされた戦力比を思い出していた。
確か大鬼級は、火術士十五人分、新入生なら三十人分だったはずだ。
ある意味でそれは現在でも参考になるらしい。
「ではどうするかね。選抜人数を倍にするかね」
「そこまでするなら上級生から選ぶべきだろう」
「だがそれでは本末転倒だ」
「そうだな……」
「うむ……」
再び誰もが沈黙する。
それまで僕は会議の方に集中していたが、トヨキー先生が何か呟きニャルミがうなずいているのに気がついた。
沈黙の中それは目立ったのか、向かい側の何人かがこちらを見ている。
そして突然先生は立ち上がった。
「人数を増やすのは不要でしょう。みなさん、彼女をお忘れですか」
みんながこちらを振り向いた。僕は注目を逸らそうとニャルミを見る。
「え?」
「ふむ、そういうことか」
「しかしいくら伝説の聖属性とはいえ、効果がどれほどかはまだ不安が……」
「雷帝どののレポートによれば、小鬼級とドラゴンには十分な効果があったと報告されている」
「万一相性が悪くとも、小鬼級を片付けてもらえれば良い。
数体でも倒してもらえれば余裕がでる」
議論が白熱しかけたその時、それまで沈黙を保っていた学園長が立ち上がった。
「ニャスターさん、ニャルミさん、お願いがあります。
あなたたち二人で大鬼級一体、できれば二体を倒してもらえますか。
もちろん必要なサポートはするわ。雷術士で足止めもしましょう」
やはりそう来たか。再度僕らに注目が集まる。
そして注目の集まるところが好きなのか、ハチクツくんがテーブルを降りて僕の膝に上がってきた。
「は、はい……、出来る限り協力はさせてもらうつもりです」
「先ほどの試算どおり、ニャルミさんたちと新入生達とで二体倒せれば、問題なく勝てるでしょう。
もちろんそれ以上の戦果をあげてもらえれば、その分兵力の運用が楽になります。
ではその方向で各塔に通達を出してください。時間がありません」
その指示を受け、すぐに何かの文書が作成された。
学園長が内容を確認しサインをすると、その文書を持って何人かが退出していく。
どうやらこれで会議の山場を一つ乗り越えたらしい。
それを象徴するかのように、ハチクツくんが大きなあくびをした。
メイドさんたちはこのタイミングを見逃さず、一斉に入室して軽食とお茶のおかわりを配膳する。
そういえばそろそろお昼なんだよね。
おなかがすいていたのか、みんなの顔がほころぶ。
僕のところにも運ばれてきたが、着ぐるみでは食べられないので丁寧にお断りする。
すると後で食べられるようにと、わざわざ箱に入れて持ってきてくれた。
さらにハチクツくんがいたからか、猫用のおやつもたっぷりつけてくれた。
試しにひとかけらあげてみると、嬉しそうにニャーと鳴いて食べている。
箱入りの軽食は後でニャルミかニーオにあげるとして、おやつは僕もこっそり食べてみたい。
人の出入りで室内はやや騒然としている。
そしてタイミングを見計らっていたのはメイドさんだけではなかった。
僕らと同じく壁際に座っていた別の若者が口を開いた。
「あ、あの……、一つお聞きしたいことがあります。
生徒達からもっと希望者を募るわけにはいかないのでしょうか。
新参者なのでまだ実情を理解できておらず、不躾な質問かと思いますがご容赦ください」
まだ少年だと言っても通用する若さだ。ヒゲも生えていない。
昨年度の卒業生だろうか。
運ばれてきたケーキをほおばりながら、そばにいたおじさんがその質問に答える。
「彼らは学生という身分で預かっているのだ。
学園としては、不要な危険にあわせるわけにはいかないのだよ」
それだけでは不十分だと思ったのか、みんながやさしい口調でその説明を補う。
「万一の時は召集しても良い決まりとなっておるが、手続きやら後始末やらで色々と費用がかかるのだ。
一時的にはそれで良いが、長期的に見れば学園の戦力が減少する」
「我らは職業軍人、我らは金を受け取っている。
彼らは学生、彼らは金を支払っている。言うなればお客さまだ。
金を払うという形で学園に貢献しているのだよ」
「その道理を崩せば、不満を持つ学生が出てくる。
不満はコントロールできなければ、学園の弱体化につながる」
「だから我々だけで対処できるならばそれで済ませなければならんのじゃ。
そして今来ている魔物の群れは、犠牲が出ようともギリギリ撃退できるレベルなのじゃよ」
軽食タイムだからなのか、みんなの口が軽い。
話はさらに続き、学園の歴史にまで及んだ。
どうやら以前、この認識の違いが原因で、闘争にまで発展したことがあったらしい。
そして今この場にいる面子は、その闘争に生徒側で参加していた世代が多いようだ。
「なるほど、勉強になります。見識の甘さを痛感しました。
ご教授感謝いたします」
少年はそう言って頭を下げた。
その話が終わった頃、ちょうどみんなが軽食を食べ終える。
議事進行役のおじさんがそれを確認して立ち上がり、僕らに向かって言った。
「さて今の話で大切なことを思い出した。
今回の参戦における、あなた方二人の報酬については、撃退後にあらためて協議させていただきたい。
もちろん最高レベルでの待遇は保証させてもらうし、戦果に応じてボーナスもつけよう。
それでよろしいか?」
すると僕の膝の上で、ハチクツくんが代わりに返事するようにニャーと鳴いた。
僕らは笑ってうなずいた。




