偽りの劣等生編 その五
「今から五十年ほど昔、この魔術学園はもともと小さな砦だったそうだ。
だが周辺の地形や魔物の発生源が明らかになるにつれ、この場所が非常に重要な地点であることが分かってきた。
ここさえ確保すれば魔物の侵攻ほぼ全てを食い止めることができ、周辺の安全が確保されるのだ。
もちろん百パーセント保障されるわけではないが、今までの状況に比べれば雲泥の差が出るだろうと予測された。
領主たちの間で多少の行き違いはあったものの、最終的には協力して砦を強化することが決まった。
小さな砦は要塞へと変わった。
魔法使い達も各地から数多く派遣された。
出身の異なる魔法使い同士で、戦い方や方針の違いなどから小さな衝突が生じたが、それも最初期だけのことであった。
すぐにお互いが教えあい、高めあうことを学んだのだ。
それも当たり前のことだ。これは生きるための戦いなのだ。
要塞が安定して魔物の侵攻を防げるようになると、予測されていたとおり周辺の被害は激減した。
すると当然ながら、近くの街や村は大きく発展した。
その街や村の援助で、要塞もさらに大きくなった。
いつしか余裕のできた魔法使い達は、交代で弟子の指導にあたったそうだ。
それが魔術学園の始まりとされている。
そしてその評判が高まるにつれ、魔法を学びたいという者が遠方からも訪れるようになった。
魔法使い達は彼らを受け入れた。
そして二十年ほど前に今あるような学園の形式をとり、今日に至っている。
以上がこの学園の歴史だ」
休み時間のうちに猫が増え、二匹になった。真っ黒な猫だ。
黒猫は僕の膝の上、オレンジ猫は机の上に陣取っている。
この学園ではその昔、猫が魔物の襲撃を教えたという出来事があったそうだ。
もともとネズミなどの害を防ぐために連れてこられた猫達だったが、突然深夜に騒ぎ始めたのだという。
何事か良くないことが起きるのではと魔法使い達が警戒を強めていたところ、間もなく見張りが魔物の大軍勢を発見した。
猫達のおかげですぐさまその襲来に備えることができたため、未曾有の危機は何とか回避された。
それ以来、猫は吉祥を呼ぶ守り神として大切に扱われているのだ。
そんな由縁があるために、授業中であろうと入学式の最中であろうと、猫は勝手気ままに振舞うことを許されている。
僕が猫にたかられているこの現状も先生は何も言わない。
それが学園の歴史だそうだ。
「魔物の発生状況は昔と変わっていない。
ここ数年増加傾向にあるものの、誤差の範囲と言えるだろう。
したがって魔物の侵攻を防ぐという役目は、そのまま学園が引き継いでいる。
ここまでの話から分かってもらえたと思うが、夜警は伝統ある授業であり重要な任務でもある。
新入生諸君は来月までこの夜警を免除されているが、その間に必要最低限の知識と技術を叩き込まれることになるだろう」
教頭先生のその話しぶりから、派手な仕事を想像してしまっていたのだが、詳しいことを聞いてみると実際には違うらしい。
生徒たちに課される仕事は伝令や報告書作成などの補助的なものがほとんどのようだ。
実際に見張りや戦闘を行うのは教員達である。
夜警専門の戦闘教員も多数いるらしい。
いくつもの街の運命を預かった重要な戦いなのだから、それも当然のことだ。
経験の浅い生徒達に任せるわけにはいかないのだろう。
もちろん全く出番が無いというわけでもない。
能力の高い生徒が希望すれば、戦闘に参加できるチャンスもあるという。
それから滅多に無いことだが、魔物の大量発生が起きることがあるそうだ。
その時は総力戦になるという。
猫達が大騒ぎするレベルのものは過去数度あった程度だが、数年に一度大規模な襲撃が起こるらしい。
「いつ何時そうなるかは分からないのだから、平時から気を抜かないようにしなさい」
教頭先生はそう話を締めくくった。
施設見学には猫達もついて来た。
さらに道中一匹が加わり、合計三匹となる。加わったのはハチクツくんだ。
みんな尻尾をピーンと立てて僕を先導する。
なんだか誇らしいけれど、目立ちまくってしょうがない。
そんな僕達を見て、ニャンコ番長がどうのこうのと噂している声がちらほらと聞こえてきた。
どうやら猫を引き連れて歩いているかららしい。
本人未公認ながらの番長就任がつい先程のことなのに、噂の広まるスピードが速い。
これからは細心の注意を払って行動しないといけないだろう。
頭が痛くなってきた。
施設見学も残すところ図書館のみとなった。
他のクラスはそれも終わっているらしく、既に自由見学に切り替わっている。
一組から優先で見て回ることになっているので、こうなるのもしょうがない。
利用証をもらったニャルミが、早速館内を散策している。
古典文学は充実しているらしく、ニャルミにとっては宝の山らしい。
さて、説明を受けている僕らを遠くから眺めながら、噂をしている二人の少年がいた。
僕の耳が特別製だということもあるけれど、図書館の中が静かなためにその話が勝手に聞こえてくる。
「おい見ろよ、ニャスターさんだ。
噂のニャンコ番長だぜ。本当に猫を引き連れているぞ」
「なあ聞いたか? そのニャンコ番長だけど、初日で九組をまとめあげたそうだ。
これから順番に八組、七組とシメていくらしい」
「そ、そうなのか。
でもそれなら僕達のクラスまでくるうちに、どこかでつまづくんじゃないかな……」
「そう思うだろう? でも知ってのとおり、彼には妹がいる。
その妹の方が、一組から順番に締め上げるって話だぜ。
つまり俺達は挟み撃ちってわけだ。
ただ一組は精鋭揃いだから、全員服従させるのに時間がかかっているみたいだがね」
「マ、マジか……。一組のやつらに僕達がかなうわけないじゃん」
「落ち着けって。表立って逆らったりしなければ何もされないそうだ」
知らぬ間にとんでもない話になっている。
だが数日もすれば、それがデマだったとみんな分かってくれるはずだ。
気にしないのが一番だな。
そう思っていると、少年がもう一人話にまじってきた。
「おいおい、妹って入学式で挨拶したあの子だろう?
とてもそんなことするようには見えなかったなあ」
「お前知らないのか。
昨日生意気なことを言った新入生を、二人掛かりでどこかへ連れ去ったんだよ。
悲鳴を聞いたって人も大勢いる。お前もそうなっても知らないぞ」
え! 何それ? 初めて聞いた。僕知らない。
昨日はニーオを我が家に招待したくらいだよ。
でもそれとは関係ないよね……。
「俺そいつと同じ寮なんだけど、二時間くらい帰ってこなくてみんなで心配してたんだ。
それでやっと帰ってきたと思ったら、洗脳されたみたいに人が変わってたよ」
いやー、全く心当たりがないなあ。誰だよそんな噂流してるやつ!
確かにニーオと二時間くらい楽しいお喋りをしていたよ。
けれどやっぱりどう考えても、それとは無関係だよね……。
「何それ、話作ってないか? ちょっと驚かせようとしてるだろう」
「いや、残念ながら本当だ。他の寮生たちに聞いてくれてもいい。
みんな同じ事を言うはずだ」
「またまたぁ」
「僕が聞いた話だと、既に先生方も屈服しているらしい。
試験日に教頭先生が挑みかかったそうだが、ボコボコにされたそうだ。
それで服従のしるしとして九組の担任になったんだって」
「ハッハッハ。先生をボコボコってひどい作り話だな。そんなの誰も信じないよ。
先生達は魔物と戦ってるんだぜ。一介の学生が敵うわけないじゃん」
「まあ、それが普通の反応かもしれないな。
でも平穏な学園生活を望むなら、事実だけを積み上げて俯瞰するということを学んだ方が良いよ。
そうすれば見えてくる話もある。俺達は決して噂話をしているわけじゃないんだ。
俺達の話を聞いていたいなら、余計な口を挟まないでくれるかな」
「そうだよ。クラスメイトとして、僕からも忠告させてもらうよ。
自分が信じたいように事実を捻じ曲げるのは、愚か者のすることだよ。
魔物が出ないようにと願った見張りが、目の前を通り過ぎた魔物を見逃したって話は聞いたことあるだろう。
きみはそれと同じ事を繰り返しているよ。そんなんじゃこの先やっていけないよ」
いやいやいや、事実を捻じ曲げてるのは君達の方だよ!
僕もニャルミも誤解されるよな行動を取った覚えは無いよ!
「くっ……」
おい黙るなよ! もっと言い返しなよ!
本来ならここでニーオに『何もなかったよ』と証言させたいところだが、何故かそれは逆効果になる予感がする。
くっ、これが情報規制的な言論統制ってやつか。
やつらめ、高度な情報戦をしかけてきやがる!
「それで話を戻すけどさ、九組は彼のためだけに作られたクラスなんだってさ」
「なるほど、だから初日でクラスをまとめられたのか。それなら合点がいくよ」
「なんかね、好き勝手し放題なんだって。
さっきも授業中もニャンコ吸ってたって聞いた」
「えーっ! 授業中にニャンコを吸うなんて、誰も注意しないの?!」
「できるわけないだろう。みんな見て見ぬふりだよ」
「良かった。彼と同じクラスじゃなくて本当に良かった……」
何そのタバコ吸ってたみたいな……。
確かに猫に顔をうずめていたけど、アレは仕方ないよ!
みんなが僕をいじめたんだよ! 正当防衛的な行為だよ!
僕の嘆きが最高潮に達したその時、ついに三人目の少年の怒りも爆発した。
「さっきから黙って聞いていれば、何だよそれ!
そんな馬鹿な話あるわけないじゃん!
だいたい事実って何だよ!
俺を納得させるような事実があるなら出してみろよ!
人をからかうのもいい加減にしてくれないかな!」
いいぞ、よく言ってくれた。そのとおりだ!
だが非常にも、二人がかりでその正しき反論が弾圧されようとしていた。
怖いですね。多数決的民主主義。
「は? なんでそこまで言われてお前に教えてやらないといけないんだよ!
お前を納得させるだけの情報をくれてやったら、代わりに何をよこすんだ?」
「……分かった。俺を納得させられたら、一ヶ月お前らに昼飯をおごってやるよ。
だけどそれができなかったらお前らが俺におごるんだぞ」
「いいだろう。クラスメイトのよしみだ。教えてやるよ。
妹はドラゴンスレイニャーなんだぜ。
そのことを良く考えれば、今までの話も納得できるはずだ」
「分かりやすくと言うと、妹さんはドラゴンを倒せるってことだね。
単なる魔物とドラゴン、比べ物にならないでしょ?
つまり教頭先生くらい、多分一捻りだよ」
「そ、それは妹の方の話だろう。兄は関係ないよ」
「そう言うと思ったよ。それじゃ貼り出されている成績表を見て来な。
彼は最下位でありながら、特待生扱いされてるんだ。もちろん妹さんもだけどね。
それを見れば百八十度考えが変わるはずだ」
「最下位で特待生なんてありえないだろう! お前らその隙に逃げる気だな!」
「残念だけど、それが事実なんだ。
もしそれを見ても納得できないのなら、教頭先生に直接聞いてみなよ。
ニャスターさんのことで聴きたいことがあるって言えば、それだけで十分だよ。
もう既に何人も聞きに行ってるけど、そのたびに先生の顔色が目まぐるしく変わるんだ。
あれは相当とんでもないことをされたんだね……」
ちょっと待ってよ! 何でそんなひどいことするの!
そりゃ教頭先生も根に持つわけだよ……。
後で謝っておくべきか。いや、余計にこじれるだけだな。
時間が解決してくれることを願うばかりだ……。
「ああ、いいよ。そこまで言うなら見てきてやろうじゃん!
もちろん言い逃れが出来ないように、教頭先生にも聞いてやるよ。
あー、明日からのお昼が楽しみだな! いいか! 逃げるなよ!」
「お前こそな」
どうやら彼らの話し合いはそれで終わったらしい。
これでまた悲しい勘違いをする子が増えることになりそうだ。嘆かわしい。
これからの彼の行く末を憂えていると、ニーオの呼ぶ声で現実に引き戻された。
「兄貴! 兄貴! 何やってるんですか、移動ですってよ!」
「あ、ああ。すまないニーオ」
いや違うな。本当に憂えていたのは、僕自身の噂の行く末だな。
「どうしたんすか、兄貴。暗い顔しちゃって」
「何でもないよ。さあ行こうか」
いかんいかん、何か楽しいことでも思い浮かべよう。
あ、そうだ。
司書のニャリアンさんに尋ねれば、この猫達の名前を教えてくれるかもしれない。
わ、わーい、楽しみだなー……。
逃避気味にそんなことを考えていた僕を、誰も責めることは出来ないはずだ。




