解読編 その十一
「……とは言ったもののね、なんとなく想像はついてるの。
昨夜遅くにゴロゴロうるさいなーと思っていたら、魔力駄々漏らしで何かやってたよね。
その上ここ数日ニャスターとずっと一緒の生活だったから、考えることも似てくるのよ。
ニャスターが聞き耳を立ててた話もなんとなく分かっちゃうし」
ああ、やっぱりニャルミには隠せないか。
思い返してみれば、ニャルミも同じヒントを受け取っていたのだ。
それなら同じ結論に至るのは当たり前のことだろう。
それに同じ部屋の中であれだけ喉を鳴らしていれば、ニャルミが目を覚ますのも当然か。
まあ今後、猫言語魔法を試していくことを考えると、ここは正直に話した方が良いだろう。
そういうわけで昨夜僕が何をしていたのか、ニャルミに詳しく語った。
まだあまり流暢に話せず時間はかかったが、だいたいのことは伝わったようだ。
「なるほど、やっぱり喉鳴らしが物質化の鍵だったのね。
そうなると、わたしには猫言語魔法は使えないってことか。
うーん、ちょっぴり残念。
だけど、話してくれてありがとう。
解読作業がただの練習じゃなく、意味のある事だったって分かって嬉しいわ。
さて、こうなってくると計画に修正が必要よね」
知恵の薬のおかげで、僕が突然賢い猫になったことにする計画。
その予定では、みんなへの説明を全てニャルミに任せることになっている。
当たり前のことだが、ニャルミは家族のみんなとの付き合いが長い。
だからどうすればパパ上殿たちを納得させることが出来るのか、そういったコツを心得ているのだ。
だがその説明担当のニャルミがうなり声をあげて悩んでいる。
「うにゃーん……」
僕が喋れるようになったことをその計画にねじ込むのは、簡単そうで案外難しいようだ。
決行当日の突然の予定変更なので、細部を調整するのが難しいのだろうか。
迷惑をかけてしまっている立場なので、あれこれ口を出すのは止めておこう。
ニャルミはしばらくそうやって考え込んでいたが、やがて意を決したように立ち上がると身支度を整え始めた。
「できるだけ時間を稼ぎましょう。それでどうにか辻褄をあわせるわ。
とりあえず魔法訓練場へ行くわよ!」
「わかったにゃ! まかせたにゃ!」
訓練場へ行くのは当初の予定になかったことだが、ここはニャルミの言うとおりにしておこう。
パパ上殿、ママ殿、ニャルカお姉ちゃんの気配を探りつつ、僕らは中庭の訓練場へ向かう。
どうやら家族のみんなは、昨日の片付けに専念しているらしい。
既にかなりの数の人々が集まってきていて、みんなはその指揮にあたっているようだ。
後片付けに参加しないのは気が引けるが、庭に出れば誰かと鉢合わせするだろうから仕方ない。
訓練場へ着くと、ニャルミはいつもどおりの訓練をはじめた。
そしてようやく考えがまとまりつつあるのか、修正事項を僕に説明する。
「予定をちょっと早めて、ニャスターが魔法を使えることをみんなに打ち明けようと思うの。
その布石として、これからニャスターに魔法を教えている振りをするわ。
ニャスターは適当に失敗してちょうだい。
しばらくそれを繰り返したら部屋に戻ってまた時間を稼ぐの」
「りょうかいにゃ」
どうせ数日後には魔法を使ってみせることになっていたので、それは問題ない。
杖を持たせてくれたので、言われたとおり適当に失敗してみる。
パパ上殿たちが来るのではないかとヒヤヒヤしていたが、みんな片付けにかかり切りのようで中庭に来ることはなかった。
ニャルミは話の辻褄を合わせるのに悩んでいるようで、僕を抱えたまま「にゃっ」だの「うにゃー」だの独り言を呟いている。
何だか話しかけにくい。
訓練場でそうやって過ごした後、僕らは部屋へと戻った。
「ええとね、この際だから猫言語魔法が使えることも話してしまいましょう。
薬が本物だったことにするなら、魔法書の内容も本物だってことになるわ。
だからそれを試してみるのも自然な行動よね。
喉鳴らしが鍵だと言うことにわたしが気付いて、ニャスターにやらせたことにする。
多分それで納得して……くれるといいなあ」
「わかったにゃ」
予定がどんどん前倒しになるが、仕方ない。
ニャルミの言うことも理にかなっているのだ。
「じゃあ、そういうことで話を持っていくね」
ニャルミは部屋に鍵をかけると、猫言語魔道書を取り出してその解読作業を始めた。
何もこのタイミングでやらなくても良いのではと思ったが、部屋にこもるのに時間を無駄にしたくないらしい。
僕は部屋に誰も来ないよう警戒を続けながら、その手伝いをする。
新しいページには、触覚などの感覚伝達可能性について書かれていた。
人体を模したパーツの作り方の全容がどんどん明らかになってくる。
ここまでで、自由に動かせて、見た目が人間ぽくて、そして感覚を共有できるものを作れることになった。
普通の人がこの情報を知り得たなら、いろいろな使い道が見えてくるだろう。
だけど猫である僕からすれば、『着ぐるみ』を作れと言われているように思えた。
せっかく猫に産まれたのに、人間型の被り物を着るのでは本末転倒かもしれない。
だがやれることが増えるのも確かだ。
猫としての生活は非常に素晴らしいが、人間としても振舞える選択肢が増えるならそれは選んでおきたいものだ。
しかしそれを作るには問題が一つある。
僕のこの膨大な魔力をもってしても、一日に小指の先ほどしか作り出せないのだ。
片手、それもおそらく手首くらいまでを作り上げるのにおそらく一ヶ月はかかるだろう。
全身を作り上げるには数年かかる大仕事になるはずだ。
そのうち暇ができたら作ってみたいなとは思うが、半年後ニャルミと学園生活をはじめることを考えるとしばらくは無理そうだ。
残念ながら解読作業はほとんど進まなかった。
一時間くらいかけて二ページ分ほどだ。
二人とも色々考え事をしながらだったから仕方ない。
ニャルミもそれを分かっているのか、そのことに別に不満は無いようだ。
「さて、それじゃそろそろ行きますか」
ニャルミは本を片付けると、再び中庭へと向かう。
「そろそろお祭の後片付けも終わる頃ね。
だからこれからニャスターに中庭で猫言語魔法を使ってもらうわ。
それも飛び切り派手なものをお願いするわね。
そうすればみんなも気がついて様子を見に来ると思うの。
そこからが勝負よ。
アドリブも必要になってくると思うけど、うまく話を合わせてね」
「にゃ!」
中庭に出ると、テーブルの上に二人で座り、物質化の手順を説明しながらゆっくりとそれを再現する。
「ふむ、なるほど。
それじゃもうすぐパパ達が来そうだから、何か作ってもらえるかしら。
そうしたら疲れて眠そうな素振りをしてちょうだい。
都合が悪くなったら寝ちゃってもいいよ。
後はわたしに任せて」
「にゃ。じゃあ、なにをつくろうかにゃ?」
「そうね、昨日食べた大トロの切り身あたりが丁度いいかも。
あまり造形にはこだわらなくてもいいわよ。
むしろ説明されてようやく分かるくらいがいいと思うの」
「りょーかいにゃ。おーとろにゃ」
昨日練習したおかげで本当はかなり精密に作れるのだが、ニャルミのアドバイスに従い細長い何かを作る。
色付けもしなくていいだろう。
持てる魔力をほとんど出し切ってそれは完成した。
頑張ったおかげで、よく分からない物に仕上がっている。
さて魔力切れとまではいかないもののそれに近い状態だ。
これなら無理なく疲れている演技ができるだろう。
「そうだニャスター、あなた魔力隠蔽を無意識でしているみたいだけど、どうにかして解除できないかしら」
「やったことにゃいけど、ためしてみるにゃ」
確かにこのチャンスに僕の魔力も開示してしまうのはいい考えだ。
幸い今は魔力もほぼ枯渇しているから、これから少しずつ回復していくならみんなも受け入れやすいだろう。
僕は控えめに、最大魔力をニャルミの半分くらいに設定してみる。
ぶっつけ本番なので、うまくいっていることを願うしかない。
さて、そうこうしているうちにパパ上殿たちが連れ立って中庭に現れた。
「おいニャルミ、いったい何があったんだ。さっきの反応は普通じゃなかったぞ」
ニャルミはとても興奮しているように振る舞いつつ、みんなに話しかける。
「ニャスターがすごいのよ、パパ、ママ、お姉ちゃん!
ニャスターがすごいオートローを作ったの! すごいの!」
「ニャルミ、すごいのは分かったから、落ち着きなさい」
「そうだぞニャルミ、いつでも冷静さを欠いちゃいけないぞ」
「そ、そうだね。ちょっと待ってね。
どこから話したらいいのか分からないわ」
ニャルミは少しわざとらしく深呼吸をして気持ちを静める。
「お姉ちゃんからもみんなに話したいことがあるんだ。
今からパパの部屋に行って、みんなでゆっくりお茶でも飲もう。
その間にニャルミは言いたいことを整理しておくようにな」
「う、うん。分かった」
メイドさんに軽い昼食を作ってもらい、それを食べながらみんなでお祭りの感想を述べ合う。
穏やかなその団欒は、ニャルミの気持ちを落ち着けようという配慮だったのかもしれない。
そしてそれがひと段落ついたころ、みんなの注目がニャルミに集まった。
「さてニャルミ、そろそろ説明してくれるかな」
「はい、でもその前に謝らなきゃいけないことがあるの。
後片付けの手伝いに行けなくてごめんなさい。
どうしても色々試してみたいことがあって、夢中になっちゃったの。
もう少しだけやって後から顔を出そうと思っていたら、いつの間にか時間が過ぎていたわ」
「なるほど、それでは仕方ないわね。次からは気をつけなさいね。
それじゃその夢中になってしまったことを、ママ達に話してくれるかしら」
「うん、じゃあみんな驚かないでね。
ニャスター、言ってみて。パパ、ママ、お姉ちゃんよ」
「にゃあ! ぴゃぴゃ、みゃみゃ、おにゃーちゃん」
「はい、よくできました。わたしは?」
「にゃうみ!」
「おいおい、いったいどういうことだい」
「ニャスター、もう一度お姉ちゃんを呼んでくれないか。
いいかい、ニャルカお姉ちゃんだよ。ニャルカお姉ちゃん」
「にゃうかおにゃーにゃん!」
「おお」
「これは……」
「ニャスターちゃん、『ママ大好き』って言ってみてくれないかしら」
「みゃみゃだいちゅき!」
「おおお」
「あー、あー、ゴホン」
ニャルミはわざとらしく咳払いをして、みんなの注意をひきつける。
そして朝から何が起きたのかを淡々と語り始めた。
朝起きると僕が言葉を真似たこと。
驚いていろいろ話しかけてみたら、どんどん言葉を覚えたこと。
すぐに簡単な会話ができるようになったこと。
魔道書の内容が本当だったのだと驚き、とりあえず魔法を使わせてみたこと。
魔法は使えるみたいだけど、魔力の物質化が起きなかったこと。
部屋に戻り魔道書を確認して色々考えたこと。
ここ数日のことを振り返り、喉鳴らしが怪しいのではと思い至ったこと。
ニャスターにもう一度魔法を使わせてみたこと。
そしてめでたく物質化が成功したこと。
正直なところ、この程度の言い訳ならあんなに考え込む必要ななかったんじゃないだろうか。
だがこの説明で、みんなが納得してしまっていることも事実だ。
昨日の薬のことと結びつけて、足りない分を勝手な想像で補ってくれているらしい。
証拠として渡された不恰好な大トロの模型を、パパ上殿が複雑な表情で見つめている。
「ふむ、猫言語魔道書に記されたことは真実だったのか。
そしてニャスターは薬に適合したレアケースだったと……。
正直まだ信じられないよ。
だがこうしてニャスターが話したことが何よりの証拠だ。
魔法を使っているところも見てみたいが、確かにぼんやりと魔力を持っているように感じる。
これは事実として受け入れるしかないだろう」
「それにしても初めて作ったのがオートローか。
そんなに美味しかったのかい。ニャスター?」
「おーとおー、おーしーにゃ」
ニャルミが余計なことはあまり話すなという目つきで僕を見た。
そろそろ子猫寝入りを決め込んだ方が良さそうだ。
僕はあくびをしてニャルミの膝の上に戻る。
「ニャスターちゃんの処遇をどうするか、考えなくてはいけないわね」
「そうだな、とりあえず家族以外の者にはこのことは秘密にしておくように。
それから万一のことを考えて、ニャスターにはこれ以上魔法を教えない方が良いと思う。
しばらくそれで様子を見よう。それでいいかな」
「そのことなんだけどね。わたしから一つ提案があるの。
それはお姉ちゃんからのお話と関係すると思うから、先に話してもらっていいかな」
「ああ、そうか。じゃあお姉ちゃんから話すよ」
ニャルカお姉ちゃんは、ニャルミが特待生として誘われていることを話した。
そしてニャスターが一緒なら、一人でも暮らしていけそうだということも。
「うーん、なるほど。繰り上がりで特待生か。
いつか声がかかってくるだろうと予想していたが、こんなに早いとはなあ。
これは非常に名誉なことだ。
しかし今の状態のニャスターを連れて行って良いかどうか判断が難しいよ。
人語を解する猫という物珍しさから、さらわれてしまう危険性もある。
いずれにしろ、あまり良い結果を招くとは言えないだろう」
「そのことなんだけどね」
ニャルミがそこで口を挟む。
「ニャスターにも学生として、一緒に入学してもらおうと思っているの。
猫言語魔法の本を読んだら、人間型の着ぐるみを作る方法が記されているのよね」
え? 聞いていないよ!
それに半年では身体を作るのなんて到底間に合わないじゃないか!
そのことはニャルミも知っているだろう?
「おいおい、そんなことが出来るのかい?」
「大丈夫、わたしの計算ではなんとか間に合うはずよ」
ニャルミは僕が何も言い出さないように、頭をぐりぐりと撫でる。
ひょっとして色々考えてたのはこのことだったの?
ニャルミがその計画をみんなに説明し始めた。




