解読編 そのニャニャニャニャニャン
「ニャルミ、分かっているとは思うが、あまり期待してはいけないよ。
魔道書によると、一万匹に一匹適合する猫が居るかもしれないくらいなのだそうだ。
何も起きなくても当たり前くらいの気持ちでいるように」
「うん。ありがとうパパ。
たとえ結果が芳しくなかったとしても、ニャスターはニャスターだよ。
これからも大切にするよ」
「そうか。それならいい。じゃあ念のため使った材料と手順を説明してあげよう」
パパ上殿はこの薬を作り上げるまでの苦労話を詳しく語り始めた。
本音を言えばさっさと薬だけ欲しい所だが、僕とニャルミのために手間をかけさせたのだから聞いてあげるのが筋というものだろう。
「それでこっちが南方で採れるというターマルカシという野菜だ。
こんな風に小粒の黄色い実がたくさんついていて、そのそれぞれに旨味のある甘い汁が詰まっている」
パパ上殿はトウモロコシに良く似たその野菜を僕達に食べるように促した。
ニャルカおねえちゃんは、その一粒をおそるおそる口に入れる。
「はっはっは、一粒ずつじゃ味わいも何もあったものじゃないだろう。
その食感を楽しむためにも、一度にスプーン一杯分くらいは食べてみるといい」
「うにゃうにゃ。ほほう、確かにこのプチプチは癖になるね」
「ニャスターも食べてみる? はい、どうぞ」
「ニャーン」
「よし次はこっちの材料を説明しよう。これは……」
解説は十分ほど続いた。
少し長かったが、合間合間に色々味見させてくれたので良しとしよう。
「それでこれがその薬だ。
猫に無害の材料ばかり使っているようだし、飲ませても問題はなかろう」
それはオーオトローなどから作ったとは思えないような、透明な液体だった。
パパ上殿はそれを試験管のような容器から手ごろな皿に移すと、僕の前にそっと置いた。
漂ってきた香りから、説明に上がった材料が使われていることが分かる。
「さあニャスター、飲んでごらん」
何か起こるのではないかと、みんなは僕に注目する。
おいおい、期待しないんじゃなかったのかい。
そんなだと、何もなかった時がっかりするよ。
まあ何も無くても合った事にしちゃうわけだけど。
僕は子猫らしく振舞おうと、まずは匂いを嗅いでペロリと一舐めする。
僕の動作一つ一つにみんなが反応して「おお」だの「にゃあ」だの言っている。
少し面白かったのでイタズラ心が沸き起こりそうになったが、ニャルミがにらんでいるのに気付いてそれを抑える。
僕はあくまで自然に、いつも水を飲むように薬を飲んでみる。
その味は栄養剤を薄くしたような感じだった。
そして予想通り、この薬に特別な効果は無いようだ。
だが重要なのは薬の効果ではなく、薬を飲んだという事実そのものなのだ。
僕のこれからの行動によって、その事実は大きな意味を持つことになる。
僕は頃合を見計らって、ある程度飲んだところでコテンと突っ伏せる。
「ニャスター!」
ニャルミがすぐさま僕を抱き上げ、そして肉球をそっと掴む。
僕はチクチクと軽く爪を二度出し、意識のあることをニャルミに知らせる。
ここまで事前に打ち合わせた段取りどおりだ。
「おい、どうした。子猫に飲ませるのはまずかったか。刺激が強すぎたか」
パパ上殿が不安そうな顔をしている。
それを安心させるようにニャルミが説明する。
「大丈夫。単に眠ってるだけみたい。部屋に連れて帰るわ。
今日のお祭りで疲れちゃったのかもしれないわね。
それで満腹になって急に眠くなっちゃったのよ」
ニャルカお姉ちゃんも心配そうにニャルミに寄り添う。
「そうなのか、それならいいんだけど。念のためお姉ちゃんが診てやろうか。
ママを呼んできてやってもいいぞ」
みんな心配させちゃってすまない。
後で元気な姿を見せるから許してほしい。
「あ、うん、本当に大丈夫だよ。
多分一日中連れ回しちゃったんで、お昼寝の時間が足りなかったんだと思う。
ごめんね、ニャスター。今ベッドに運んであげるね」
ニャルミは僕を抱えたまま、逃げるようにその場を離れ部屋へと戻ってきた。
やや不自然だったものの、下手に触られて意識があるのがばれたらこれまでの努力が水の泡だ。
僕は専用のベッドにそっと置かれる。
ニャルミが言ったとおり、今日は睡眠不足気味に調節してある。
だからこのまましばらくすれば、本当に眠ってしまうだろう。
うとうととしかけたその時、お姉ちゃん達が様子を見に来た。
僕が寝ているのが確認できたので、安心して帰って行ったようだ。
ニャルミが部屋の明かりを消す。
これで明日の朝にでも、僕が賢くなったと発表すれば計画は完了だ。
急に知恵がついたと告げるよりも、一晩置いた方が信憑性が増すのだ。
時間を置くことで何が起こったか有耶無耶にできるしね。
後はみんなの想像におまかせしよう。
さて、朝が来る前にやっておきたいことがある。
みんなが寝静まったころにうまく目を覚ませればいいのだが……。
感覚的には夜中の三時くらいだろうか。
どうやら無事に起きれたようだ。
僕は伸びをしながら、あたりの様子を伺う。
しんと静まり返った部屋の中に、その背伸びで起きた微かな音が響く。
さて、今二つの選択肢がある。
封印開放で記憶を取り戻すか、魔力の物質化を試してみるかだ。
迷った末、猫言語魔法の方にすることにした。
こちらを先にすれば、もしできなかったとしても封印開放を行えるはずだ。
それにあれからいろいろ考えたのだが、この機に乗じてあるものを作ってみたいのだ。
僕はそっと喉を鳴らしてみる。
夜の静寂の中、その音は思ったよりも大きく響いた。
誰かを起こしてしまうかと心配したが、幸い気付かれた様子は無い。
ゴロゴロ音を控えめにしながら、魔力を肉球から放出してみる。
すると肉球が赤い光に包まれる。
明らかに特殊な反応が起きているのが分かる。
だが残念なことに物質化にまでは至らない。
原因は何だろうか。
杖がないためとも考えられるが、おそらくそれが直接の理由ではないだろう。
一般的な話になるが、エネルギーを物質化する場合には相当な量が必要なはずだ。
魔力が純粋なエネルギーなのかどうかは不明だが、非常に繊細な存在であるのは確かだ。
つまり放出した魔力だけでは足りていない可能性がある。
ならばもっと魔力を放出してみるしかない。
加減が分からないのだが、少しずつその濃度を上げていく。
その濃度にあわせて、肉球の先の光の色が変わる。
赤から黄、黄から緑、緑から青、やがてそれが白へと変わったとき、魔力は凝集を始めた。
どうやらこれで正解のようだ。
派手に喉を鳴らしたいのを我慢していろいろ試行錯誤を繰り返す。
その結果、ゴロゴロの大きさと放出魔力の濃度に比例して物質化が促進されることが分かった。
よし、それならばアレを作るのだ。
僕は魔道書に書いてあったことを思い出しながら、ある器官の作成を試みる。
これまでの実験で予想がついていたことではあるが、魔力消費の激しさの割りに作れる物質の体積はかなり小さい。
この分では僕の全魔力を効率的に使ったとしても、おそらくニャルミの小指一本分くらいにしかならないだろう。
だけどそれだけあれば充分だ。
尻尾をもう一本作ろうって話じゃないのだからね。
魔力の物質化作業は、想像以上に難しい。
慣れていないせいもあり、何度も失敗してしまう。
だが失敗は成功の何とやら、ついでに魔力への再変換もテストする。
変換時にある程度のロスは生じるが、魔道書の内容どおりやはりそれは可能だ。
全魔力の半分ほどを使って、ようやくそれは完成した。
完成したそれを、パーツごとに分解して僕の体内に送り込む。
デリケートな位置に作るので、慎重にやらなければいけない。
テストもまだだし色々と不安なところもあるが、おそらく大丈夫なはずだ。
魔力の消耗が激しかったためか、あるいは単に寝足りないだけか、僕はいつの間にか眠りについていた。
翌朝。
「おはよう、ニャスター」
ニャルミが僕を抱き上げる。
よし! ようやく今朝方未明に作ったアレのお披露目の時間だ。
「にゃはよう、にゃうみ」
「んにゃ?」
「おはにゃう、にゃうみ」
「んにゃにゃにゃ?! ニャスター! どういうことなの?」
まだ調整が必要なものの、第二声帯はほぼ期待通りの性能を持っているようだ。




