解読編 そのニャニャニャンニャーン
トントントンと小気味良いリズムで何かが叩かれ、それに合わせたようにドスンと杭を打ち込む音がする。
庭に近づくにつれ、賑やかな掛け声や晴れやかな笑い声がどんどん大きくなる。
みんな満ち足りた気持ちで作業を楽しんでいるようだ。
庭ではたくさんの大人たちが会場の設営をしていた。
大勢が何かをやっている様子というのは見学したくなるものだ。
僕らは自然と立ち止まり、邪魔にならないように注意しながらその様子を眺める。
いくつもテントが張られ、そこへテーブルやら食器やらが運び込まれていく。
手先が器用な人たちは、飾り付け用の小道具や案内板を作るのに専念している。
お肉が焼ける良い匂いが漂ってきた。
祭りは明日だというのに、庭の中央では既に何かの料理が始まっているようだ。
出し抜けにブニャーと管楽器のような音が聞こえてきた。
そちらに目をやると、ステージに楽団が集まっているのが見える。
楽器の調整をすませると、彼らは猫が踊り出しそうな曲を奏で始めた。
「やっと起きたか、ニャルミ」
お姉ちゃんが僕らを見かけて駆け寄ってくる。
「あ、お姉ちゃん、おはよう!
すごいね。見てるだけでワクワクしてきちゃった。
明日が待ち遠しいわ」
お姉ちゃんはニャルミの頭をぐりぐり撫でる。
「にゃははは、何がおはようだ。もうお昼だぞ。
それより見てるだけじゃつまらないだろ?
こういうお祭りってのは、準備も含めて楽しむものなんだよ。
……とは言っても、ニャルミにはまだやれることは少ないか。
よし、お姉ちゃんと一緒にちょっと荷運びを手伝いにいこう」
すれ違う人々に手を振りながら、僕らは倉庫へと向かう。
お姉ちゃんはそこで何かの箱をニャルミに手渡す。
「いいか、できるだけ揺らさないようにゆっくり運ぶんだ。
味が変わっちまうからな」
「これは何?」
「お酒だよ。
ただ荷物を運ぶだけじゃつまらないから、詳しく説明してあげよう」
それはいつもなら聞き流すような話だったのだが、何故かその時の僕は聞き入ってしまった。
「この箱の中にはな、キャウイというフルーツからできたお酒が詰まっているんだ。
キャウイは知っているかい?
それは魅惑的な香りが漂う蔓性の果樹で、猫耳族のみんなが大切に育てているんだ。
小ぶりで毛の生えた果実が取れるのだが、残念なことにその身は固く酸っぱい上に香りも別物だ。
とても食べられたものではない。
だけどそれをニャリンの実と一緒にしばらく放置してやると、何故かだんだん甘みが増して柔らかくなり、食べられるようになるんだ」
聞いたことがあるな。確か追熟ってやつだ。
リンゴと一緒にしたフルーツはよく熟れるっていう話だ。
余剰に排出されたリンゴのエチレンガスが、植物ホルモンとして他の果実にも影響を与えるそうだ。
こっちの世界でもそれが知られているんだな。
「そうなったところで実を絞りそれを発酵させると、たまらなくおいしい酒ができるんだ」
「それがこのお酒なの?」
「いや、これはそれにもう少し手間を加えたものだ。
そのお酒を蒸留して純度の高いお酒を作る。
その蒸留酒を今度は海に沈めて何年も寝かせるんだ。
すると時間が経つほど味がまろやかになるんだよ。
普通は物を長期間置いておくと、腐ったりして味が悪くなるのに不思議だよな」
「熟成ってやつね。でも海の中でやるって話は初めて聞くわ」
「お、ニャルミは難しい言葉を知ってるじゃないか。
熟成ってのはただ放置すればいいってわけでもないみたいでな、昔の人はいろいろな場所で試したそうだ。
それで気温が一定のところでやるとうまくいくって分かってきたんだけど、たまたま海の中でそれをやった変わり者が居たらしい。
すると驚くことに、どういうわけか熟成が早く進んだんだそうだ。
それ以来、海の中で熟成させるのが主流になったんだよ。
それでニャルミが生まれた年に収穫した実で作ったのがここにあるお酒ってわけだ」
これも何かで読んだことがあるな。
波や潮流によって引き起こされる微妙な振動が、熟成の効果を高めるのだそうだ。
取るに足らない瑣末な話だったが、このことはなんとなく記憶に残しておいた方が良い気がした。
昨日のような強い予感ではなかったが、後で役に立つような気がしたのだ。
覚えておいて損はあるまい。少しばかり心に留めておこう。
さてそんな話が一区切りついたころ、ちょうど僕らは一番大きなテントへと着いた。
そこでは猫耳のおじさん達が、表のようなものを作成している。
「おーい酒を持ってきたぞー」
「持ってきたよー」
「あれれ、ニャルカ様にニャルミ様、もう持って来ちゃったんですか。
しょうがない、ちょっと早いけど空けちゃいますか」
「おいおい、明日の酒だぞ。
まあでも、どうしてもと言うならやぶさかではない。
わたしとニャルミはこっちのジュースをもらおうかな」
ニャルカお姉ちゃんがお酒を取り出すその瞬間、微かな魔法の反応を感じた。
そちらに目をやると、知らぬ間に取り出した杖を瓶に向けて魔法をかけている。
どうやら瓶ごと飲み物を冷却しているようだ。
その動作はおそろしく手際が良かった。
僕とニャルミを除いて、みんな魔法を使ったことに気が付いていないんじゃないだろうか。
「おや、こんなキンキンに冷やしてあるってことは、やっぱり最初からその気だったんじゃないですか。
いやいや、ありがたいことです。
おーいみんな、ニャルカ様とニャルミ様が酒を持ってきてくださったぞ。
ちょっと早いが休憩にしようや!」
「にゃー?」
「おさけにゃー!」
「作業に差しさわりが出るといけないから、一杯ずつだぞ!」
「うまいにゃー!」
「沁みるにゃー!」
数本で足りるのかと思ったが、度の強いお酒なのでそれで十分らしい。
僕もニャルミのジュースを少し舐めさせてもらったが、キウィフルーツの味がした。
そういえばキウィってマタタビ科だったっけか。
一度マタタビに酔うってのを体験してみたかったんだが、実のほうにその効果はないらしい。
今度ニャルミに頼んで栽培しているところに連れて行ってもらおう。
当初の目的も忘れ、僕らは夕方まで準備を手伝った。
役に立ったとは言い難いが、みんなと何かをやる連帯感のようなものを感じた。
夕食をニャルカお姉ちゃんと一緒に食べると、ようやくペンダントのことが話題に上がり、ニャルミの部屋へと戻る。
「よし、確かに返してもらったぞ。
それじゃニャルミが卒業するときにまた貸してあげるよ」
「う、うん。その時はお願いね。
ところで学園からのお誘いのことだけど、今朝まで考えてようやく結論が出たわ。
それは、ニャスターと一緒ならやっていけるということなの。
わたし一人では寂しくて無理だと思うから、それが駄目なら行かない。
そこで相談なんだけど、寮で子猫を飼うのって大丈夫かなぁ」
「おお、行く気になってくれたか。
正直な話、先生たちから頼まれていたのでありがたいよ。
子猫の件は問題ないはずだ。
現に何人か飼ってるやつらがいるからな。一応お姉ちゃんからも話しておこう。
ただニャスター自信はそれをストレスに感じるかもしれないし、向こうで迷子になったりするといけない。
それだけは注意してくれよな」
「じゃあ安心だね。
ニャスターは賢い猫だから、問題はないと思う」
「そうか。よし、じゃあ次はパパに話を通さないとな。
今は忙しそうだから、お祭りが終わってからでいいだろう。
ところで、もう手紙は読んだんだよな?
なんだか封を切っていないように見えるんだけど」
「あっ、忘れてた!」
「おいおい、一応テストとかあるみたいだし読んでおいたほうがいいぞ」
「ちょっと待ってて! 今すぐ読む!」
学園長からの手紙には、ニャルミを特待生として受け入れたい旨が書かれていた。
ただし形だけの試験を行うので、それは心得ておいてほしいという。
さらに全員の試験結果を張り出さないといけないので、できれば良い成績を残してほしいそうだ。
「合格が約束されているとはいえ、これってかなり頑張らないといけないってことよね」
「そうとも言えるな。
だがいずれにしろ特待生としてやっていくためには、そうである理由をみんなに示さないといけない。
そうしなければ学園に居づらくなるだけだからな。
だからむしろ試験結果の開示はチャンスだと思え。
ニャルミなら魔法の才能もあるし、成績トップで合格することも可能なはずだ」
「う、うん。まだ時間はあるし、頑張ってみるよ」
「よし、その意気だ。
それじゃせっかくだから、試験内容を詳しく教えてやろう。
まず、一般生徒の試験内容は、魔道書解読、魔法実技、教養試験の三種だ。
特待生希望者には、それに加えて面接がある。
だけど心配するな、面接ではたいしたことは聞かれなかった」
あれ、この話し振りからすると、お姉ちゃんも特待生なのかな。
上位属性が使えるし、さっきも鮮やかな手並みで魔法を使ってたし、多分そうなのだろう。
「どんなことを聞かれたの?」
「ん? えーと、要するに自分が特待生になったら学園にどんなメリットがあるのかってことだな。
場合によっては、そこで条件を提示されたり宣誓させられたりするらしい」
「それってたいしたことだよ!
いきなりそんなこと聞かれても答えられないよ」
「そんなに難しく考えなくても大丈夫だよ。
少なくともニャルミは招かれている立場なわけだから、当たり障りのないことを言っておけばいい。
条件だの誓約だのは、成績が振るわなかった生徒への救済措置みたいなものだ。
ニャルミは試験の対策に気を使ったほうがいいよ。
そっちの成績が良ければ面接もスムーズに行くはずだ」
「うん、分かった……。そうだね、試験の方が重要だね」
「にゃははは、分かればよろしい。
じゃあ魔道書解読の試験内容から説明していくぞ。
これはまず最初に魔道書が数冊渡され、その中から一冊を選ぶんだ。
次にそれを解読しつつ別紙に書き写していく。
これを一時間行って、何ページ翻訳できたかで各人の能力を測るというものだ。
合格ラインは確か二ページだったな。
それを満たせなくても、実技が素晴らしければある程度は考慮されるって話だ」
「二ページで合格なのね。
猫言語魔道書ならクリアできそうだけど、もっと頑張った方がいいのかな」
ちなみに、今ニャルミは一時間で三ページ半くらい翻訳が出来る。
ただし僕のサポート付きだけどね。
「何だ、ニャルミはもう始めていたのか。
あの本は基礎中心だから、それが終わったら他のタイプのものをいくつか解読してみると良い。
とにかく数をこなすことだな。
運がよければ一度読んだ本に当たることもあるって聞くからね。
ちなみに去年の特待生は、五ページまるまる翻訳していたぞ」
「五ページかぁ、どれだけ調子が良くても無理だよ」
「にゃははは、驚くのはまだ早いぞ。
今までの最高記録はお姉ちゃんが成し遂げた六ページだ!」
「六……、そんなに……」
「その記録のおかげで、お姉ちゃんはだいぶ楽をさせてもらったけどな。
ニャルミ、何度も言うけどこれはチャンスなんだよ。
最初の試験で高い評価を受ければ、それはみんなの印象に深く根付くんだ。
もちろんその後サボって良いわけではないけれど、気持ちに余裕が出来る。
お姉ちゃんが上位魔法の訓練に専念できたのもそのお陰なんだ。
だからあと半年、やれるだけのことをやってみないか」
「うん、ちょっと待って。教えてもらったことメモする!」
「やる気になったか。よし、それじゃ次は……」
試験対策をニャルミにたっぷり叩き込むと、お姉ちゃんは自室へと帰っていった。
ニャルミはやる気を奮い起こされたらしく、これから魔道書の解読に力を入れるらしい。
「昨日さぼっちゃったし、今日は頑張るよ。
目標は一時間で五ページ。気合入れていくよ!」
「ニャー」
おう。だけどほどほどにな。
量をこなすのが良いみたいだから、今まで通りミスはその都度指摘してやることにしよう。
そろそろ間違いやすいところの傾向が分かってきたし、頃合を見て教えてあげてもいいかな。
さて猫言語魔道書の解読内容だが、序盤の挨拶文以後ずっとニャンコニック級オーラについての説明が続いている。
だが、ここ数日少々おかしな記述が目立ち始めた。
最初のころは防御力を上げる方法だとか、オーラをどう動かすかなどについて書かれていた。
それは戦闘向けの内容ということで理解できる。
しかしページを追うごとにそこから別の方向へと段々ずれてきたのだ。
硬度や粘度の調節方法、どうやって色をつけるか、質感をどう持たせるか。
そして今日はとうとう、人間の皮膚をどう表現するかという話になっていた。
ニャルミがページをめくった。
今度はどうやら擬似筋肉の作成方法について書かれているようだ。
なんとなく何をさせたいのかは分かるし、それが出来たら面白いなとは思う。
だが核心の物質化の方法自体が不明ではどうしようも出来ない。
やはり『封印開放』で記憶を呼び覚ますことの方が優先順位は上だな。
それで猫言語魔法を能力として習得していると分かったなら、改めてやり方を探ることにしよう。
結局この日は二時間弱で七ページの翻訳を終えた。
ほんの少しペースは上がったものの、ニャルミはややご不満のようだ。
まあ今は作業に慣れることに精一杯だから仕方ないよ。
どうやって翻訳スピードを上げるかについては、もう少ししてから一緒に考えよう。
お姉ちゃんにコツを聞いてみるのもいいね。
さて、明日はいよいよマッグーロパーティだ。
僕らはいつもより少し早めにベッドに潜り込んだ。
明日はお休みになりそうです
その分今回は少し長めです




