子猫編 その七
「ドラゴン……」
誰かがそうつぶやいた。
大人たちが目くばせをしてうなずき合う。
「ニャルミ、もう一度聞かせてくれ。
その魔物はどの方角からやって来るんだい?」
「向こう」
ニャルミが大きく腕をあげて指差す。
すると近くの樹上から、それを裏付けるように誰かが叫ぶ。
「報告します! 巨大な飛行物体を確認! まっすぐこちらに向けて接近中!
三分ほどで接敵するものと思われます!」
即座にパパ上殿が指示を出す。
「弓隊、迎撃用意! 注意をこちらに向けさせろ! 街へは入らせるな!
各自任務を中断して速やかに敵襲に備えろ! あと三分でドラゴンが来るぞ!」
「敵襲ー! 各自任務を中断して戦闘準備! 敵はドラゴン! 三分以内に接触!」
指示は幾度となく繰り返され、散っていた兵士たちが慌しく用意を始める。
「ドラゴンだと……。いったいどうすればいいんだ」
「ブレスに気をつけろ! 何か盾になるものを探してとにかく耐えるんだ!」
そんな様子を眺めながら、パパ上殿が苦々しい表情でつぶやいた。
「何てことだ……。大鬼級ならまだしも、ドラゴンとは……」
「来ます! 接触まであと十秒!」
ニャルミが空に向けて魔法を放つ。それにあわせて弓兵が中空に矢を放つ。
次の瞬間、あたり一面が暗闇に包まれる。巨大なその翼が満月を覆い隠したのだ。
ニャルミの魔法は外れたが、その目的は達成された。
うまくドラゴンの気を引けたようで、大きく旋回してこちらに向けて戻ってくる。
「退避ー! ブレスが来るぞ! 散開せよ!」
ドラゴンは空から高熱のブレスを吐き出す。
幸いパパ上殿の早めの指示のおかげで、逃げ遅れた者はいないようだ。
パパ上殿がニャルミを抱きかかえて平原の中ほどまで走る。
付き従ってきた兵士たちが、大きな盾をもってその二人をかばう。
父は娘をおろすと、その目をじっと見つめて言った。
「まだ魔法は撃てるか?」
「撃てます」
「すまないニャルミ。
もうこうなってしまっては、ニャルミの魔法だけが頼りだ。
どうにかして飛行能力を奪えれば、まだ望みはある。
あせらなくていい。弓隊たちも控えている」
ニャルミはうなずき、杖を構えた。
「弓隊! 各自散開したまま任意射撃! 右の翼に集中せよ!」
散発的にあちこちからドラゴンへ向けて矢が放たれる。
ドラゴンは接近と離脱を繰り返しながら、その禍々しい灼熱の息を放つ。
「ニャルミ、降下してきた時にタイミングを合わせるんだ。
無理に翼を狙わなくていい。胴体を狙え!」
ニャルミはうなずいた。
そして何度目かの降下にあわせて、パパ上殿が叫ぶ。
「今だ!」
白い光がドラゴンへ向かって放たれる。狙いはばっちりだ。
しかしドラゴンの機動力はそれを上回っていた。
すぐさま翼を大きく羽ばたくと、ぎりぎりでそれを避ける。
そしてその攻撃で我々を殲滅すべき優先対象と認識したのだろう。
ドラゴンは僕らをめがけてその軌道を修正すると、口を大きく開いてブレスを放つ構えを見せた。
「くっ、ならば……」
パパ上殿はこうなる展開を読んでいたのか、残った魔力を振り絞るように魔法を放った。
赤い雷光がドラゴンの翼に鋭く突き刺さる。
ドラゴンは叫び声を上げ大きく舞い上がる。
翼にかすかに赤い火が見えたものの、その光は急速に失われてゆく。
やはり無理に放ったその魔法には、もう今までのような威力がなかったらしい。
ドラゴンは距離を取りこちらの出方を伺っている。
パパ上殿の魔法は弱いものではあったが、警戒させるには十分であったようだ。
パパ上殿がよろめく。どうやら魔力を使い切ってしまったらしい。
すぐに護衛の兵士が駆け寄り、その身体を支える。
パパ上殿は息も絶え絶えにニャルミにつぶやく。
「やるんだ……、ニャルミ……」
「は、はい!」
ドラゴンはこちらをあざ笑うかのように近付いたり離れたりを繰り返す。
ニャルミはそれに合わせて魔法を放つが、ドラゴンには紙一重で避けられてしまう。
おそらくドラゴンはこちらの魔力切れを狙っているのだろう。
既にパパ上殿の魔力が底を尽きてしまっているが、幸いなことにまだそれは悟られていないようだ。
しかしそれが勘付かれるのは時間の問題だろう。
このままではダメだ。いたずらにニャルミの魔力を消耗させるだけだ。
何か手はないか。
ニャルミがパパ上殿のように高速で魔法を飛ばせればよいのだが、魔法の属性上難しいようだ。
速度が出せない以上、別の方法を探るしかない。
僕は状況を分析してみる。
魔法の攻撃はいわゆる点の攻撃だ。
地上なら左右にしか逃げ場はない上、弓隊や槍隊たちが援護してくれるため問題は少なかった。
しかし空中では槍隊のサポートを受けられず、さらに敵は上下にも回避が可能だ。
それに加えてドラゴンにはあの運動性能がある。
パパ上殿の魔法のおかげで多少は機動力を奪えたが、それは気休め程度でしかない。
ならば線、いや面の攻撃ならどうか。しかしどうやって?
弓隊と連携を取るか?
いや……、それよりも……。
突然、一つのアイディアがひらめいた。
この方法ならなんとかなるかもしれない。
しかし実現できるだろうか。
いや、ニャルミならきっとできるはずだ。
おいニャルミ! 僕に考えがあるんだ!!
「ニャー! ニャー! ニャーン!!」
ニャルミは戦いに集中しており、僕の呼び声に気付く様子はない。
しかたない、少々手荒なやり方になるが爪をたてるしかないか。
少女の柔肌を傷つけるのはためらわれるが、緊急時だ、許せ。
「痛っ、何?! ニャスター! こんなときにふざけるのはやめて!」
「ニャー!」
ニャルミは僕の魔力探知が分かるはずだ。
だからそれを利用して、やりたいことを伝えてみる。
そのイメージを伝えるのは難しいが、なんとかなるだろう。
聖属性魔法の特性をどうにかして活用できればそれは可能なはずだ。
「え、どういうこと? うんうん、ドラゴンの手前で?
広範囲にそれをばらまく? そうか、なるほど……」
「ニャーニャー!」
そうだ! 今までニャルミの魔法は、何かに衝突してから爆発していた。
それをニャルミの意志で、そして何もない空中で弾け散らすんだ!
「タイミングとコントロールが難しそうだけど、もうそれしか方法はなさそうね。
ううん、やるしかない。やってみせる!」




