人間一回目
今日は家帰って、風呂入ったら、取り溜めたアニメ見て、こたつで酒飲みながら、ゆっくりしよう。
凍えるような風が、背中を叩いて、首に回り込んでくる。
俺は緩んでいたマフラーを締め直して、帰宅の足を早めた。
明日の休みをどう怠惰に過ごすか。
つまらない一日の仕事帰りに、ぼんやりそんな事を考えながら歩いていた。
また月曜日が来たら、同じように働いて、休みが来たら、趣味でなんとなく潰すんだろう。
そんなサイクルが、ずっと続くものだと思っていた。
つまらないながらも、俺はぬるま湯のような日常に満足していたのだ。
「――危ない!」
バイクとトラックの接触事故に巻き込まれて、俺は呆気なく死んだ。
バイク野郎が無免許だろうが、トラック野郎が飲酒運転だろうが、俺にとったら関係ない。
もう死んでしまったのだから。
無宗教だった俺は、死んだらどこへ行くんだろう。
走馬灯ってやつのせいか、意識がやたらゆっくりと流れて、そして俺は目覚めた。
『どこだ、ここ……?』
全てのものがデカい。
やたらと視点が低くい気がして、俺は立ち上がろとしたが、上手くいかない。
『おい、茶色いの』
声がやたらと近くで聞こえて、俺は驚きながらも振り返った。
『お前だよ、お前。 ここは俺の縄張りだぜ?』
『ね、猫がしゃべった……!』
俺は死んで頭がおかしくなったんだろうか。
いや、死んだから猫の言葉がわかるようになったのか。
俺はフーッと毛を逆立てた。
『何言ってんだ、お前。 俺もお前もお猫様だろうが』
髭がピンと伸びて、喉の奥からうなり声が出た。
いや、ちょっと待て。
まさか、俺が猫だって?
『なんだお前、人間だったのか? 俺もだよ』
『えっと、それは生まれ変わったって事だよな……』
目の前の黒い猫が、にゃあんとひとつ鳴いた。
生まれ変わった事が、当たり前みたいに、黒い猫は言う。
人間は生まれ変わったら猫になるのか?
『しょうがねぇな。 猫の生き方教えてやるよ。 ほら、来い!』
黒い猫はたたっと、向こうの路地に走り出した。
『ま、待ってくれ!』
俺は、半ば転がりながら、電柱の隙間から飛び出した。
『――危ない!』
俺の体が、ポーンと宙に浮く。
ミラーだろうか。割れたガラスと一緒に、ひらひら舞って、受け身も取れずに、俺は地面に叩きつけられた。
真っ暗になった視界が、スーッと開けた。
目の前には、美しく澄んだ湖と露に煌めく木々の風景が広がっている。
今回の俺は、二足歩行をしているようだ。
これはまた、生まれ変わったって事だろうか。
俺は目の前の湖を覗き込んで、自分の姿を確かめた。
『な、なんじゃこりゃあ!』
肌は緑色、耳は尖り、額からは角が生えている。
節くれだった手足、極めつけに、豚と人間を混ぜたような、醜い顔。
これは、テレビゲームでよく見た、ゴブリンとかオークとか、そういう類の生き物じゃないだろうか。
景色の美しさが、空気が、俺を責めているような気がした。
顔の皺に指を這わせて絶望していると、後ろから同じように醜い生き物が歩いて来た。
『どうした、顔なんか引っ張って。 腹減ったのか?』
『いいや、自分の顔の醜さに打ちひしがれていただけだ……』
声の低さからして男らしいそいつは、俺の顔を見ると、フゴフゴと鼻息荒く唾を吐いた。
『嫌みな奴だな。 お前の顔は、人間寄りだから、みんな羨ましがってるぞ』
『そ、そうなのか……?』
俺には、自分の顔も男の顔も、そこまで違いがないような気がする。醜いと言う事をのぞいて。
『お前、地球から来たのか? 俺もだよ』
男は地球といった。
つまりここは、当たり前だろうが、地球じゃないのだろう。
『な、なんで地球を知ってるんだ?』
『そりゃあ、みんな最初は地球で生き方を練習するからだよ。 しょーがねぇな、俺がモンスターの生き方を教えてやるよ!』
男が棍棒を担いで、茂みへと走り出した。
人間、猫と生まれ落ちて、今度は地球からはみ出てしまった。
生き方ってサバイバルの仕方かなんかだろうか、と考えながら、俺は男を追いかけて、森に飛び込んだ。
『――危ない!』
突風に吹かれて、前後不覚に陥った俺は、空から降りてきた何かに、横からさらわれた。
腹部から、鋭い牙が生えている。
俺は竜の口の中にいた。
二度、三度、と位置を直すように弄ばれ、その度に体から、バキバキと音が鳴る。
最後の瞬間。見事に晴れ渡った空が見えて、俺は巨大な竜のアギトに、バクンと飲み込まれた。
長い間寝ていたようだ。
人間だったのがつい先程の事のように思える。
何度も死に、何度も生まれ変わった事の全て夢で、目が覚めたら、病院のベッドにいるのではないかと希望を抱いた俺を待っていたのは、宇宙人という来世だった。
見た目は地球人に似ていて、体を動かす事に不便はない。
これまで、新しく生まれ変わった先で、出会った人物の親切を受け入れて来た。
だが、もしかしたらそれが間違いだったのかもしれない。
確かに情報は欲しいが、うっかりついて行って、また巻き添えを食って死にたくはない。
今度は自分ひとりで、どうにか頑張ろう。
しかし俺は、何も知らないがゆえに、入ってはいけない領域に来てしまったようだ。
俺の種族とは違う見た目の異星人に捕まり、今は檻の中にいる。
『おい、お前』
新しく見張りに立った異星人が、俺に話し掛けてきた。
『お前、転生何回目だ?』
『……』
これまでの俺とは違うのだ。
俺は無言で通した。
『地球で訓練受けただろう? なんで、捕まるような事になるんだ』
男は勝手に話し出した。
地球は出発点だとか、文化や野生の生物から生き方を学ぶとか。
生まれ変わった先で、ちゃんと先生役がいるはずだから、話を聞けばこんな事にはならないとか。
俺はちゃんと、その先生らしき人物の話しを聞いてきたはずだ。
なのに死んだ。俺は悪くない。こいつの話しを聞いていたら、俺はまた死ぬだろう。
『しょーがねぇな、俺が生き方を教えてやるよ!』
そう言った男の言葉を待たずに、俺は檻の鍵を破壊した。
宇宙人になって怪力になった俺の力は、とても強かった。
これなら、きっと生きていける。
『――危ない!』
檻を飛び出した外で、俺を待っていたのは、科学が発達した弊害で、汚染された大地と空気だった。
俺は口から指先から目から焼け付くような痛みを感じ、そして息絶えた。
『転生は積み重ねだ。 死んだ時の精神年齢が加算されて、みんな生き堅くなる。 なのに、あいつの精神年齢ときたら、子供も同然だったな……』
『いるよなぁ、生きるの下手なやつ。 チュートリアルに失敗しすぎると、地球に戻されるんだろう?』
『ああ、ペナルティーで記憶が消される。 まあ、一回リセットした方が、まともになるんじゃないか?』
遠くで笑い声が聞こえたが、俺の意識は暗く濁って、そして闇に溶けた。
今日は家帰って、風呂入ったら、読み終わってない漫画読んで、ベランダで酒飲みながら、ゆっくりしよう。
うだるような熱風が、背中を叩いて、うなじに汗が流れる。
俺はネクタイを緩めて、帰宅の足を早めた。
明日の休みをどう怠惰に過ごすか。
つまらない一日の仕事帰りに、ぼんやりそんな事を考えながら歩いていた。
また月曜日が来たら、同じように働いて、休みが来たら、趣味でなんとなく潰すんだろう。
そんなサイクルが、ずっと続くものだと思っていた。
つまらないながらも、俺はぬるま湯のような日常に満足していたのだ。
「――危ない!」
SFのショートショート風です。
ネタツイートの、「人間一回目みたいなやついるよねー」をなろう風に書いてみた。
ずっとSF書いてみたかったんですよね。まぁこれがSFに入るのか分かりませんが。
星新一のSFショートショート、大好きです。
皮肉と言うか、もしも転生が当たり前の事で、知らないのは自分ひとりだけだとしたら、どうなるのかなという、ちょっと皮肉を一回転させた話を書いてみました。