幕間
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アン=ローゼンという少女について、エリーザ=クロブッファはその多くを知っている。
エリーザは一人、静寂に包まれながら闇を見つめていた。その深い漆黒は、自分の主であるアン=ローゼンを彷彿とさせる。
エリーザの母は、元々は後宮で働く女官であった。後宮の更に奥深い場所は「奥の宮」と呼ばれ、とある神官の一族がそこで生活していた。エリーザの母は後宮の中でも、その「奥の宮」の神官に仕えていた。
神官の一族の名は、ローゼン。先見の力をもった、古より続く一族。エリーザも、将来はそこで女官として仕えるように母に教育されていた。
主を守り、主に尽くし、主の為に動く。幼き頃よりそれを教えられてきたエリーザは、まだ見ぬ主の為に努力を積み重ねてきた。
国の行く末を定める神官のために働く。それこそが至高の喜びなのだと思っていた。
けれど、そんなある日悲劇は起きてしまった。
神官のローゼン一族は、一人の少女を除き、謎の死を遂げてしまったのだ。エリーザの母の主だった者たちも、みんなみんな、いなくなってしまった。
そして一人残されたのが、アン=ローゼンという少女だった。アンという少女とエリーザが引き合わされたのは、それから間もなくの事だった。
アン六歳。エリーザ十四歳。
二人とも幼く、またアンはこのとき既に、人形のようだった。表情筋が大きく動く事はなく、淡々と、輝きのない瞳でエリーザの事を見つめていた。
初めてあった日の事を、エリーザは忘れはしないだろう。
物心ついた頃より教え込まれてきた主従関係が、ただの幻想だったと思った。こんな壊れてしまった人形のような主が、一体どこにいるというのだ。まだ幼かったエリーザでも、アンの纏う空気の異常さに気づいていた。
彼女の周りで起こった事件を考えれば、当然の結果なのかもしれない。僅か六歳の少女が、とたんに家族を失ったのだ。精神をおかしくしても、疑う道理などない。エリーザも、そうは思いながらも、どこかではっきりと、それは違うと思っていたのだ。彼女の場合は、もっと別のカタチで感情が消え失せてしまっている。
エリーザは、直感でそう思った。それからエリーザは、懸命に、主がいつか心を開いてくれるようにと、母と二人でアンに仕えた。その甲斐あってか、二年ほどでアンはエリーザとその母には、少しずつ心を開くようになった。たまにならば、小さく笑えるようにもなった。
けれどそれは本当に一時で、普段の彼女は、辛くて泣くこともなければ、喜びで笑うこともない。感情が凪いだまま、静かに自分の仕事をこなすのだ。
たとえ未来予知の力が、小さな自分の体に大きな負担をかけていたとしても。幼い彼女は、泣き言一つ言わず、エリーザの主であろうとしてくれた。
「“きれい”というのは、きっと、エリーザの髪のようなものを言うのだな」
幼い彼女からもらったその言葉は、エリーザの宝物だ。あの言葉がある限り、エリーザは何度だって心救われる。エリーザの主は、常にアンだという誇りを持たせてくれる。
エリーザはゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと窓辺に近寄った。厚い雲に覆われていた月が、雲の切れ間から顔を覗かせる。その色あせない輝きに目を細め、エリーザはそっと歌を紡ぐ。幼い日のアンは、いつも夜に体を震わせていた。表情は動かないのに、体は小刻みに震えて、恐怖を訴えていた。
そんな時、エリーザはアンの傍で歌を歌うのだ。
彼女が安らかに眠れるように。夜がもう怖いと思わないように。
エリーザは、そっと祈りを捧げながら、来るべき戦いへと瞳を濡らしていた。




