六
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「ありがとうございます、シエラ」
闇の中から出てきたウエーバーの声は、僅かに湿っぽさを含んでいた。
シエラは緩んだ涙腺から涙が零れないように、きゅっと目に力を入れる。宝玉の熱さを感じながら、離さないようにウエーバーの手を掴んだ。
「……おやおや」
降りしきる闇の残骸の中、グラベボの無機質な声が響く。シエラはウエーバーを背中に隠すと、敵意をむき出しにしてグラベボの事を睨みつけた。
「ほう。あなた如きが僕の前に立ち塞がりますか」
バカにしたような物言いに、シエラは更に頭に血が上っていくのを感じた。ウエーバーの気持ちは、痛いほど分かる。目の前の男への苛立ち、不気味さ、過去への悲しみ、空しさ、やるせなさ。そして、今を生きようとする強い思い。
それら全てが、宝玉を介して伝わってくる。熱く、たぎるような、今を力強く生きようとする、命そのものの熱が、シエラの全身を迸っている。
「これ以上、ウエーバーを苦しめないで」
シエラが低く唸るようにそう言えば、グラベボは心外だと言わんばかりの顔をした。
「苦しめるだなんて、一体何を言っているんですか? 僕は別に何もしていませんよ。それに、敵同士なんですからいがみ合うのが普通、ですよね?」
「……そう、だけど」
シエラは一瞬、諦めた。目の前の男には何を言っても無駄なのだと。けれど、気がつけばシエラの横にはクラウドがいて。
「……ここからは、俺たちが相手だ」
力強く、有無を言わさぬ言葉でシエラを引っ張ってくれる。クラウドだけではない。ラミーナも、バイソンも、ユファも、サルバナも、隣にいてくれる。
「もう、ウエーバーは傷つけさせない!!」
シエラは叫ぶと同時に、自分の中の魔力が爆発したのを感じた。
「!?」
その場にいた、シエラを含め全員が、凍りついた。暴力的で圧倒的な力の奔流に、誰もが動けない。シエラ本人ですら訳が分からない。突然沸き起こった力は無制限で、無秩序に暴れだす。
「や、ちょっと!!」
シエラは自分で自分に歯止めをかけようとする。けれど、魔力は収まるどころか益々膨張していく。グラベボは目を見開き、口は自然と弧を描いていた。
「すばらしい……」
純粋な魔力に、これほどの力があるとは。そんな感嘆の溜息を恍惚と漏らしながら、グラベボはゆっくりとシエラに近づこうとする。しかし。
「サンダー・ランス」
ユファが放った雷の槍が、グラベボの左腕すれすれのところを通り抜けていった。
「あんたの相手は、私たち全員だ」
シエラはユファの背中を見つめながら、ラミーナ、バイソン、クラウド、ウエーバーに支えられていた。視界が霞む。けれど、シエラは今自分の事よりも、自分を支えてくれている人たちの事の方が気がかりだ。
「わ、たしから……離れて」
掠れた声で呟けば、ラミーナに「何言ってんのよ!!」と怒鳴られた。密度の濃くなったシエラの魔力は、ただそれだけで周りへ影響を及ぼす。辛くはないか、痛くはないか。ただそればかりが、シエラの頭を埋め尽くす。
「シエラ、俺たちは大丈夫だ。なんともねぇよ」
荒い息でうわ言のように「離れて」を繰り返すシエラに、バイソンはにっと笑った。シエラはその笑みに安心感を覚えるとともに、魔力がどこか自分の手の届かないところに行ってしまうのを感じた。
「あ――!」
瞬間、シエラの髪留めのゴムがブチッ、という音とともに切れてしまった。シエラの髪がさらりと流れる。
「は、なれて……!!」
シエラはラミーナ達を思わず突き飛ばしていた。魔力があふれ出す。光が目にも止まらぬ速さで放物線を描き、空間に穴を開け始める。霊獣が創った結界に魔力がぶつかり、全てのエネルギーは結界を破壊することで全て使い切られていく。このままでは、シエラの魔力は遺跡を傷つけてしまう。
――どうしよう!! どうしよう!? どうしたら!?
シエラは力が抜けてしまい、地面に座り込む。呼吸をするのも今は苦しくて仕方ない。
「……シエラ」
すると、そっと体を抱きしめられた。冷たい、ひどく冷たい体だ。血が通っていないと思うぐらい、とても冷たい、コトノの体に抱きしめられている。
「御主は、大丈夫だ」
コトノの体から淡い光があふれ出す。それはシエラを包み込む。シエラの中で暴れまわっていた力が、どんどん収束していくのを感じた。
「コト……ノ」
「長年使ったからじゃろうな。ゴムが耐え切れなくなっただけの話じゃ。御主は大丈夫だ」
コトノはそう言うと、ぐっとシエラの腕を引っ張った。シエラは立ち上がると、状況においていかれているクラウド達へ視線を向ける。
「あ、りがとう。私、大丈夫みたい」
苦笑いしてみせれば、「バカ野郎! 心配したじゃねぇか!」「そうよ、もうっ!」とクラウドとラミーナの心底心配した声を浴びせられた。それでも、シエラは口元が緩んで笑ってしまう。それに二人は益々怪訝そうな顔をした。心配されることが嬉しい、だなんて、二人には言えないな。シエラはそう思った。
シエラ達が色々と今の根本的状況を忘れていると、後ろの方でパン、パンと手を叩く音が聞こえた。振り返れば、そこには面白くなさそうなグラベボの顔があった。
「ではでは皆さん、そろそろお開きでいいですか? これ以上ここにいるのも不毛ですよね。それじゃ、僕はこれで失礼しま――」
「ちょっと待ちなさいよ!! 何勝手に終わらせようとしてんの!? いや、あんた帰ってもいいけど、とりあえずその日記をこっちに渡しなさいよ!!」
さらりと帰ろうとしたグラベボにラミーナが食って掛かる。グラベボは舌打ちすると、心底面倒そうに溜息を吐いた。
「えぇ~。嫌ですよ。だって交渉は決裂しましたし。それにほら、僕達がこれを持っていれば、必然的に君たちは僕達と戦いますよね? それはそれで好都合なので、僕はそっちを選ばせてもらいますよ」
「させるか!!」
「あぁもうあんためっちゃ面倒くさい男ね!!」
「お、俺もやるやる!!」
「……はぁ、スマートじゃないなぁ」
クラウド、ラミーナ、バイソン、サルバナがグラベボにそれぞれ攻撃をしかける。グラベボは身を翻すと、軽い動きでクラウドの斬撃、バイソンの拳の連打をかわす。ラミーナとサルバナの放った魔法は、彼の魔法陣の前にあっけなく阻まれてしまった。クラウド達が第二撃を入れる前に、グラベボは既に上空に飛び上がっていた。
「では皆さん。またお会いしましょう」
にやり、と嫌な笑みを浮かべて、彼はシエラが開けた結界の穴から外に出て行ってしまった。
「待ちなさい!!」
ラミーナが追いかけるが、四方八方、シエラが開けた穴からはいきなり槍の雨が降ってきた。
逃げる際にグラベボが発動したのだろう。
「あぁぁぁもう!!」
咄嗟にラミーナが大きな魔法陣を出現させたが、それでは全ての槍は防げない。
シエラは真っ白になった脳内で、咄嗟に体を動かしていた。両手を上空に向けて突き上げ、防御の魔法陣の詠唱をした。彼女の手から、幾重にも魔法陣が出現し始める。何重にもなった魔法陣は、あまりにも巨大で。
シエラはおろか、この場にいる全員を守る以上の大きさになっている。
一つ一つの精度は大したことないけれど、数が勝っている。次々と降り注ぐ槍に破壊されては次の魔法陣がシエラ達を守り、破壊され、魔法陣が現れ――その繰り返しが起きている。槍と魔法陣の攻防は暫く続き、シエラは無意識のうちに魔法陣に更に魔力を込めていた。魔力密度の濃くなった魔法陣は、一際眩く光を放ち、降り注ぐ槍全てを弾き返す。
「はぁ、はぁ……」
槍の雨が止み、空間は一気に静けさを取り戻した。シエラの荒い呼吸だけが聞こえる。
「……逃げられてしまったな」
「あぁぁあもうあの男敵ながらムッカつくぅ!! ユファもそう思うわよね!?」
「え、あ……あぁ、まぁ、そうだな。つかみ所がないと言うか、自己中心的というか」
「なんか悔しいな! ていうか、俺、今回戦えてねぇ!」
「でもバイソン、あんたが戦う気満々なんてどうしたのよほんと」
「いや、だから!! おれぁ、あのウエーバーをいじめて楽しんでるのがなんか気にくわねぇんだよ! いや、まぁあいつがもうちっとガキで、ウエーバーが女の子なら許すけどよぉ。いや、敵だから許しちゃダメなのか? ん、まぁ、とりあえず俺はあいつ気に入らないんだ!!」
「…………バイソン、あんたさりげなく危険なモン投下していかないでよ」
「え?」
「まぁ……いいわ。で、シエラ、あんたはほんとに大丈夫なわけ!? 最後も凄かったけど!!」
急に話を振られて、シエラは「う、へ、あ、はははい!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「う、へ、じゃないわよ! 大丈夫かって聞いてんの。もう、そんなに魔力使ってたら体持たないわよ」
「へ、平気だよ! 私はなんともないし」
「ほんっとすげぇな。あ、でも魔力使ってぶっ倒れたラミーナが言うんだから説得力あるよな」
「バイソンあんたそんなに殴られたいの?」
「いやいや……」
「あははははは……」
なんだかいつも以上に賑やかだ。少しだけ、無理矢理元気な雰囲気を作っている気もするけど。
――それに、さっきからウエーバー、しゃべってないし。
今はそっとしておいた方がいいのだろうか。それとも、何か声をかけるべきか。
シエラが悩んでいると、クラウドがウエーバーに近寄った。一体何をするのだろう。そう思っていると、いきなりクラウドがウエーバーの頭をぐちゃぐちゃに撫でた。撫でたというよりも、掌でグリグリとかき乱した、と言った方がいいかもしれない。
「な、なにするんですかっ!?」
「いや……なんつーか、落ち込んでるかと思った」
「……ぷっ」
ぶっきらぼうに、でも素直にそう言ったクラウドに、シエラは思わず笑ってしまった。ぐちゃぐちゃにされたウエーバーの髪の毛のとっ散らかり具合も、普段の彼からは想像できないほどで、なんだか、どうしようもなく笑いがこみ上げてくる。
「あっ、シエラ、笑わないで下さいよー!」
「ごめん、だって……!! あははははは!!」
お腹を抱えて笑い出したシエラに、ウエーバーはきょとんとしている。
「もう、そうやってシエラも僕のこと子供扱いして」
そう言ってむくれたウエーバーに「だって子供じゃん!」とシエラが更に笑えば、バイソンから「お前ら全員、俺からしたらガキだっつーの!」というツッコみが飛んできた。
「あはははは、確かに!! バイソンには敵わないね!」
「そうだな」
「全くもって、珍しくその通りだよね」
「もう! サルバナ! あんたもイチイチ突っかかる言い方しないでよねー。ま、あたしも思ったけど」
「……時々一番子供っぽいからな」
「ユファ、そりゃひでーぜ!!」
皆で笑いあっていると、ウエーバーも小さく顔をほころばせた。
やっぱり。
「やっぱり、ウエーバーは笑ってなよ」
「は?」
みんなの笑い声の中、シエラはぽつりと呟いた。ウエーバーはシエラの言葉に、目を白黒させている。なんだか挙動不審だ。
「だからさ、ウエーバーはさ、笑ってればいいんだよ。絶対、そのほーがいいんだって」
これは、シエラは自信を持ってウエーバーに言える。誰だってそうだけど、やっぱり、笑っているほうがいい。ウエーバーは固まって動かなくなったかと思えば、勢いよく顔をこちらに向けた。
「シエラ、ありがとう。……僕は、大丈夫ですよ」
はっきりとした声で、凛とした眼差しでウエーバーは言った。それから、小首を傾げて、ニコッと笑う。
「……うん!!」
その様子に、シエラ達は満足げに頷いた。




