一
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翌朝、シエラ達はディアナ王国の首都フランズの地を踏みしめていた。朝日はまだ顔を出し切ってはおらず、遠くの山々には霞がかかっている。
「ほんと、コトノにかかれば長距離も一瞬だね」
シエラは感心しながら、改めてフランズの大門をしげしげと眺める。前回フランズにきたときは体力の限界を迎え、到着して間もなく意識を失ってしまった。だからきちんとこの門を外側から見るのは初めてだ。朱塗りの巨大な壁が街を覆っており、手の込んだ装飾があちらこちらに見られる。
「御主達に、もう移動に時間をかけてもらいたくはないからの。それにこの程度はお安い御用じゃ」
そう言ってコトノは大きく欠伸をした。シエラもそうだが、寝ているところを強引に起こされたのだ。
早朝に出発するというのは、シエラが眠っている間に決められた事らしい。しかもウエーバーが昨日にはもう手配をしてくれたらしく、シエラ達が今日フランズに来る事を女王陛下は知っているらしい。そのウエーバーは先ほどから門番たちと何やら話をしている。
確か前回きたときは、門番がウエーバーの知り合いだったと言っていた。だから倒れたシエラ達は無事に王城まで辿り付けたのだが、どうやら今回は違うらしい。シエラ達全員が、身分証明の何かでも持っていれば話は早いのかもしれない。しかし、国家構成員のクラウドやラミーナ、サルバナはともかく、シエラとバイソン、ユファは一般人だ。そんなものは持っていない。仮に持っていたとしても、それが他国で通じるかどうかだ。
「……恐らく、これだけ時間がかかっているのは、フランズ襲撃があったからだろうな」
ぽつり、と隣にいるユファが呟く。
その一言にシエラはハッとした。前回、シエラ達が来た際に、アン=ローゼン率いる刺客たちがフランズで大暴れしていったのだ。きっと門番がシエラ達を警戒しているのはそのせいだろう。
「それに、私たちは人数も彼らと同じだ。しかもこんな早朝からでは、怪しまれても仕方ないな……」
「そうかもね。……でも、一回来てるのに」
シエラは門番を見やる。雰囲気はそれほど険悪ではないので、恐らくウエーバーが上手く話を進めてくれているのだろう。それに、ディアナの国家構成員であるウエーバーがいるのだから、すんなりと通してくれてもいいではないか、とシエラは思ってしまう。すると、いい加減待つことに飽きたらしいコトノが溜息を吐いた。
「人間の世界は中々に面倒くさいのぉ」
「はは、確かにそうかもなー。まぁ、のんびり行こうぜ、のんびりよ」
「なんじゃ御主。随分と楽観的じゃのー。私はまだ眠いのじゃ」
「神でも眠くなるのか?」
「当たり前じゃ。私たちだって生物だからな」
傍から聞いていると、何とも不思議な会話だ。組み合わせ自体も奇妙だけれど。
バイソンはケラケラと笑っており、コトノは欠伸を連発している。コトノの欠伸を見ていると、何だかシエラもまた眠くなってきた。コトノの術による移動の時に、その感動で一度きちんと目が覚めたのだが。
シエラが目を擦っていると、向かい側に立っていたクラウドが「眠いのか?」と尋ねてきた。シエラは曖昧に唸り声を上げて返事をする。眠いと聞かれれば眠いのだが、寝ろと言われても寝れないような微妙な状態だ。
「昨日、あの後ちゃんと寝たんだろうな?」
「……寝たよ、割とすぐに」
それでもクラウドは疑うような眼差しを向けてきた。シエラは隣にいるユファに同意を求める。
「そうだな。本当に、五分ぐらいしたら眠ってしまったな」
思い出して小さく笑うユファに、シエラは思わず目を逸らしてしまう。クラウドはユファの言葉を聞いて、ようやくシエラへの懐疑の眼差しをやめた。奇妙な空気がシエラ達の間に流れ始めた頃、ウエーバーがこちらに駆け寄ってきた。その顔には、いつも以上の愛らしい笑みが、恐ろしいほど張り付いている。シエラ達はそれを見て一瞬にして青ざめた。
「ウ、ウエーバー……どうしたのよ?」
ラミーナですら笑みが若干引きつっている。ただコトノとバイソンだけは、そんな彼女に首を傾げていた。ウエーバーは笑みを崩す事なく、静かに口を開く。
「どうやら手違いが起きてしまったらしいんです。僕を知っている門番長が待っていて下さるはずだったんですけど、色々あって違う方々がいるんですよねー」
「つ、つまりあたし達は……?」
ラミーナはウエーバーの顔色を窺うように聞いた。するとウエーバーはこてん、と首を傾げるという愛らしい仕草を見せた。けれど今はそれさえ、シエラ達にとっては肝を冷やす材料にしかならない。
「大丈夫ですよ。今からフランズ内に入れます。それで、一度王城に向かいますから」
「わ、分かったわ」
「それでは、皆さんついてきて下さいね」
ウエーバーはくるりと踵を返して歩き出す。シエラ達は互いに汗びっしょりの顔を見合わせながら、静かに彼の後をついていく。
――よっぽどイライラしてるんだなー……。
あれほど不自然に笑みを貼り付けるウエーバーも珍しい。もしかしたら、何か癪に障るような事でも言われたのかもしれない。あるいは、単純に門番の態度に苛立っただけか。
どちらにせよ、今のウエーバーに迂闊な事は言えない。うっかり墓穴を掘ろうものなら、一瞬にして消し炭にされそうな雰囲気だ。それからシエラ達はウエーバーに案内されて、フランズの街を散策しながら王城に向かった。市場や広場はとても賑わっており、あの日の王城の襲撃などなかったかのようだ。
「……凄い人の数じゃな」
コトノは感嘆の溜息を漏らす。彼女の目には、一体この人の世界はどんな風に映っているのだろうか。
一時間ほど歩いて、ようやく王城の門下までたどり着く。門の中に入ってから更に三十分。ようやくシエラ達は王城内に入ることができた。
それからシエラ達は女王陛下の元に向かう。今回は、ウエーバーの話によると以前のように長い螺旋階段を上ることも、石橋を渡る事もしないらしい。
城に入ってからはずっと真っ直ぐ、真っ直ぐに奥に進んでいく。しばらく進むと重厚な扉が現れた。ウエーバーは衛兵にお辞儀をすると、扉に手を当てる。小さな声で詠唱をはじめると、その手からは魔力が溢れ出る。ほのかの光が扉に吸い込まれていく。すると、ギィイ、という音とともに扉が開き始めた。
以前にも見た煌びやかなシャンデリアがそこには存在しており、視線を上に向ければ、これまた同じように口元に微笑を湛えた美女が座していた。シエラ達はディアナ女王へと近づき、跪く。ウエーバーが「ウエーバー、各国の適合者ともども参上いたしました」と口上を述べる。
「ふむ。面を上げよ」
シエラ達はその言葉に、ゆっくりと顔を上げた。
「以前よりも、皆よい面構えになったのではないか? ……わらわも驚いたぞ。まさか、最高神から助力を申し立てられるとは」
その言葉と共に、ディアナ女王の視線がイヴに釘付けになる。シエラは思わず、自分の肩に乗っているイヴを凝視してしまった。
「そこにいるのじゃろう? 最高神よ。まさかわらわが気づかぬと思うてか?」
ディアナ女王は僅かに身を乗り出して、イヴの事をじっと見つめている。すると、イヴの周りから風が生じた。シエラの髪の毛が風にさらわれていく。跪いているシエラの隣に、一瞬してコトノが現れた。
「やはり気づいておったか。……御主とは、こうして顔を合わせるのは初めてであったな」
コトノは笑った。ディアナ女王は頷きながらも、いぶかしむような目で彼女を観察している。
「それはそうと、何故身を隠した? そうすることで、逆にわらわが適合者たちに不信感を抱く可能性を想像しなかったわけではあるまい?」
「なぁに。大した理由ではないのじゃ。ただ私がいれば城に入るときにこの適合者たちが困るかと思ってな」
その言葉に、シエラは三十分ほど前の事を思い出した。
王城の門にたどり着いたとき、コトノが突然立ち止まって言ったのだ。自分が一緒にいれば、何か不都合が起きるかもしれない――と。確かにコトノの立場的に考えれば、そうかもしれないとウエーバーやラミーナは納得した。しかしそこでコトノがとった行動は、ルダロッタに帰るという事ではなかった。イヴと同化し、姿を一時的に隠す。
最初言われた時シエラも驚いたけれど、遠距離を一瞬で移動できる力を持つコトノなのだから、とすぐに受け入れてしまった。ディアナ女王はさして興味もなさそうに相槌を打つ。それから咳払いを一つして話を戻した。
「早速本題に入るが。今回は、第一代ディアナ国王の日記を探している……との事であったな?」
「その通りです」
「事前にこちらでも在り処については調べた。ある程度の場所の特定も済んだ……が、確実ではない」
歯切れが悪い言い方に、シエラ達は首を傾げる。日記は全て王城の中にあるのではないだろうか。
「この王城にも神殿はある。しかし、肝心の日記は五百年前の大恐慌で別の場所に移動させたらしくてのぉ」
ディアナ女王はひらひらと手を振った。
五百年前、八大国では戦争、他国との軋轢、権力の奪い合いが当たり前だった。もちろん、それより前にもそんな事は起きていた。その中でも、今から五百年ほど前は特に歴史的大混乱の時代であったらしい。
「……それで、今その日記は、このフランズより北東に位置する“トロイア”という遺跡にあるようじゃ」
「トロイア……!? トロイアとは、かの有名なトロイアですか?」
ユファが普段からは想像できないほど興奮した声で、ディアナ女王に問いかけた。女王は「まさしくそのトロイアじゃ」と不敵に笑う。トロイアを知らないシエラやクラウド、バイソンは首をひねっている。
「……だがしかし、気を抜いてはならんぞ」
「はい。心得ています」
――そうして、シエラ達は謁見終えて城の外にいた。王城に鍵となる日記がないのであれば、ここに長居している理由もない。
「とりあえず、どこか店にでも入って話し合うか?」
クラウドの提案に、腹の虫を鳴らしながらバイソンが「それがいいな!」と賛成した。まだお昼には遠いけれど、市場はすでに賑わっていた。きっと店もやっているはずだろう。シエラ達は街を散策しながら、一件の喫茶店を見つけた。幸い、他に客はいない。内装も落ち着いており、紳士という言葉がよく似合うマスターが一人いるだけだ。バイソンは早速料理を注文している。もちろん、喫茶店なのでそれほどガッツリとした料理はない。ラミーナ曰く、満腹にさせたら話し合いに参加しなさそう、との事だ。地図を広げながらウエーバーが現在地を示す。
「フランズがここですから。……北東のトロイアは、この辺りでしょうか」
「大分ユクマニロに近づくな! ていうか、このサンドウィッチうめぇ!」
「ちょ、食べながら喋らないでよ! カスが飛ぶでしょー!?」
「わりぃわりぃ!」
静かな店内にシエラ達の話し声だけが響く。落ち着いて話し合いができるのはいい事だが、なんだかかえってマスターに悪い気がしてきた。
「それで、えっと、トロイアだっけ? それってどんなところなの?」
シエラはユファに視線を向けた。
「トロイアとは、元々神話に登場する都市国家だ。詳しい事は省略するが、とにかく、架空の都市だったんだ」
「架空の都市? ……でも、実際にあるんだよね?」
「あぁ。今から八百年ほど前に、シュリーマンという考古学者によって発見された」
つまり、有るか無いかも分からないその遺跡を、シュリーマンという人は見つけたという事らしい。シエラは考えただけで途方も無い気がしてきた。
「トロイアは、私もまだ行った事がないから楽しみだ」
「そっか。でもユファ、目的忘れないでね?」
「……ぜ、善処しよう」
珍しく歯切れの悪いユファに、シエラは思わず笑ってしまう。
「ダリアミの適合者よ。一つ聞くが、そのトロイアという遺跡に霊獣はおるのか?」
口を開いたのはコトノだ。
「恐らく、いると思う……」
「恐らく、か。えらく確証がないもんじゃの」
「トロイアは発見されて八百年経つが、元になった神話そのものが、いつの時代のものなのかはっきりしていないんだ。……ただ、恐らくは二千年よりは前であるだろうという推測はある」
「なるほどのぉ」
コトノは顎に手を当てながら、うんうんと頷いている。シエラは二人の会話を聞きながら、ユファと出会ったマフィオの街の遺跡を思い出した。あの時、遺跡に現れた「霊獣」と呼ばれる魔物と遭遇し、そしてユファがそれを鎮めた。
「……霊獣って遺跡を守ってる魔物のことだよね?」
シエラはゆっくりと記憶の糸をほどいていく。
「あぁ、そうだ。前にも話したが、霊獣は今からおよそ二千年以前の遺跡に、守護の目的で配置されているんだ」
「それで、コトノはどうして霊獣がいるかいないか気になるの?」
シエラがそう切り返すと、コトノはニヤニヤと口元を歪めながら「出たな。御主の“なんでなんで病”が」とおどけてみせる。シエラは恨めしげに「コトノ~……」と彼女のことを見つめた。
「はは、なぁに冗談じゃよ。……さて、御主の質問じゃがな。私が術を使って移動する時には、“目印”が必要なんじゃ」
「目印?」
「あぁ。どこに行くにしたって、目印は必要じゃろう? どこの道にだって標識があるのと同じようなもんじゃ」
「それで、霊獣が一体どう関係してるの?」
シエラが首を傾げると、コトノはちょっとばかり残念そうな顔をした。シエラはバカにされているような気分になり、もう一度コトノのことをじっと見つめる。
「つまり、霊獣も目印の一つなんじゃよ。辿りつく場所までより近づく為には、なるべくしっかりした目印が必要でな。うまく目印を見つけないと、最初に御主達をガイバーに送ったときのような事になってしまうんじゃ」
「アレって、そういう理由があったの!?」
シエラが大きな声をあげると、コトノは不貞腐れて「私だって、あんな状況じゃなければもっとしっかりできておったわ」と唇を尖らせた。
「……そっか。でも、コトノってその目印ってどうやって見つけてるわけ?」
「話すとややこしいんじゃがなぁ。なんと言ったらよいものか……」
コトノは唸りながら頭を抱えている。よほど言葉にするのは難しい仕組みらしい。シエラとしても、――時々だがうまくいく――魔法の使い方について言葉で説明しろと言われても、うまくできない自信がある。
「そうじゃな。あえて言葉にするなら、風景が俯瞰で見えるんじゃ。行きたいとイメージする場所や、一度行って知っている場所など、それは私の意志によって様々な景色があるが、一貫していえるのは全て“俯瞰風景”であるということかの」
シエラはコトノの言葉を聞きながらイメージしてみる。たとえば自分がコトノだったとして。ロベルティーナにある家に帰りたいと思ったとする。術を使う際、自分の家が俯瞰――つまり、上空からの景色で見えるわけだ。そして力を使って、その場所まで一瞬で移動する。
発動の理論やら術式やら難しいことはおいておいて、コトノの移動の術はとても便利だ。実際にイメージしてみてますます羨ましくなってきた。
シエラがそんな事を考えていると、ラミーナが「そろそろ出発するわよ」と立ち上がる。バイソンも食事を終えたようで、ご満悦の表情だ。シエラも水を飲み干し席を立つ。
「さて、行きますか!」
「うむ。急ぐに越したことはないからの」
店を出て人気のない路地裏に入る。コトノの足元からは青い光は地面に紋章を映し出すと、勢いよく回転し始める。
そして、シエラ達は次の鍵の在り処であるトロイア遺跡に向かって出発した。




