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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第十一章:光
86/159

幕間

****



「ビルダ」

 優しく、甘い声で名前を呼ばれた。

 ビルダは寝ぼけ眼で辺りを見回す。けれど、近くには誰もいない。幻聴だったのだろうか――そう思い、ビルダはゆっくりと体を起こす。ベッドで仮眠を取りはじめてから、どれぐらい経っただろう。カーテンを開けてみれば、眩しい光が目を焼いた。少しの間目を瞑っていると、段々と光に目が慣れてくる。

 ビルダは寝巻きの襟を直しながら、先ほどの声を思い出した。

 ――バカねぇ……。

 ビルダは前髪をくしゃりと掴み上げ、自嘲気味に微笑む。“聞こえてはいけない”声で、甘美に名前を囁かれるなど、どうしてそんな事が許されるのだろう。

 忘れようと必死だった深い傷を、今まさに抉られている。胸を締め付ける痛みに、ビルダは思わず歯を食いしばった。忘れてはいけない痛み。忘れようもない痛み。沢山の痛みで、この心は出来ている。多くの犠牲で、この体は出来ている。それを思うと、自分がこうして生きている事さえ不思議に思えてくるのだ。

 ――ほんと、何度死ぬはずだったんだか……。

 運が良いのか悪いのか、よく分からない。ただビルダ自身からすれば、とんでもない巡り合わせを持っている事だけは分かる。そんな風に自分の人生について思案していると、いきなり部屋の扉が乱暴に開け放たれた。

 ズンズンと大きな足音と共に、誰かがこちらに近づいてきている。誰かは大方、音と気配で察しがつく。ビルダは思わず溜息を吐いた。

「……もうちょっと静かにできないわけぇ?」

 親しげな口調でそう言えば、部屋に入ってきたショコラは苛立たしげにビルダの事を睨んだ。ショコラはビルダの前に仁王立ちする。

「不本意だけど、あたしとてめぇで任務だ」

「……はぁ? なんでビルダちゃんがショコラなんかとぉ? 折角ならジルちゃんあたりが良かったわぁ」

 ビルダが欠伸をしながらそう言えば、あからさまにショコラに青筋を立てた。

 さすがにビルダも、寝起きでショコラの苛立った雰囲気に晒されると、無性にイライラしてしまう。普段ならば絶対にありえないことだ。ショコラの紫紺の髪の毛が僅かに揺れる。それを見届けた瞬間、ありえないほど近くにショコラの顔があった。

「うわあぁああぁ!?」

 ビルダは慌てて飛び退く。ショコラは苦虫を噛み潰したような表情で「うっせぇよカマ野郎。つーか、寝ぼけてんなら目ぇ覚まさせてやろうか」と悪態を吐く。

「あ、あんたねぇ! なに、あんたオカマの寝込み襲うとかそういう趣味持ってん――」

「なワケあるかぁぁあぁあぁああ!!」

「ふべぇええぇええ!!」

 ビルダの顔面にショコラの拳がめり込んだ。ショコラは顔を引きつらせながら腕組みして、顔を押さえて丸まっているビルダを見下ろす。

「いいから早く支度しやがれドアホ。アールフィルトが待ってんだよ」

「……アールフィルトが?」

 ビルダはそれを聞いて、ひりひりと痛む顔を押さえながら起き上がった。

 ビルダが着替えるまでの間ショコラは部屋の前で待機。寝起きから色々とツッコミ所満載の展開に、ビルダは疲れが押し寄せてくるのを感じた。

 ――睡眠って休養よね? なんで休養明けがこんなに辛いわけぇ?

 そんな事を思いながら着替えを済まして部屋から出ると、ショコラが手紙を読みながら頬を染めていた。

「まぁたマイセン様からの手紙見てニヤニヤしてるわけぇ?」

「なっ!? つか、いつからそこにいた!!」

「今よ、今。ビルダちゃんにも気づかないって、ショコラあんた乙女すぎぃ~」

「う、うるさいっ!!」

 ショコラは手紙をしまうと、ニヤニヤしているビルダの肩に一発パンチを入れる。普段ならば呻き声の一つでもあげるような威力のそれだが、今は全く痛くない。

「やっぱあんたも女なのね~」

「なんだよそれ。つーかお前は男だけどな」

 ショコラは子供のように舌を出して、眉間に皺を寄せた。ビルダはそんな彼女を見て笑いながら、ゆっくりと廊下を歩き出す。

「それで? アールフィルトが待ってるって事は、なんか任務って事よね?」

「内容はまだあたしも何も聞いてねーよ。とりあえずお前を呼んでこいって」

「ふーん。ビルダちゃん、仕事ならジルちゃんと組みたいわぁ」

「はっ、勝手にほざいてろ」

「もう、ショコラってば冷た~い」

 普段なら、ここでショコラから何か反応があるはずだ。けれど、彼女はどこか上の空でビルダの隣を歩いている。恐らく、先ほどの手紙の内容に思いを巡らせているのだろう。

 これはビルダの推測だが、間違いなく、手紙の差し出し人はビルダ達の祖国の王子マイセンだ。

 ショコラは彼と縁が深い――というよりも、ショコラが彼を思慕しているのだ。マイセンの方はショコラにどんな気持ちなのか、ビルダは知らないが。とにもかくにも、身分違いも甚だしい。けれど、何故かビルダはこの二人に、どうしようもなく惹きつけられる。

 ――ていうか、ショコラも分かりやす過ぎなのよ。

 最初はいつも仏頂面な彼女の表情を、どうやったら動かせるのか、ただそれだけだった。しかもビルダがショコラにマイセンの事を尋ねたのは、彼女がマイセンに長く仕える部下だったからだ。

 王子の部下がなぜこんな部署に。そんな風に聞いたのを、ビルダは今でも覚えている。けれど、ショコラの反応はビルダが予想していたものではなかった。部下ではなく、一人の異性として、ショコラは彼を慕っていた。マイセンの話題を振ってみれば振ってみるほど、それはビルダの中で確信に変わっていった。ただ初対面からいきなりマイセンの話題を振ったものだから、ビルダはショコラには最初から嫌われている。

 ビルダが懐古していると、いつの間にかアールフィルトが待っているだろう談話室へとたどり着いた。ゆっくりと扉を開ける。中央のソファには、黒髪をなびかせた少女が人形のように腰掛けていた。

 アールフィルト――アン=ローゼンは、二人の姿を捉えると、血色の薄い唇で「遅かったな」と呟いた。

「こいつ寝てやがったんだ」

「……そうか。まぁ、良い。早速だが、本題に入る」

 その言葉に、ビルダも、ショコラも気を引き締める。ビルダの脳内も仕事モードにスイッチが切り替わる。

「今適合者は、各国の王城にある“日記”を集めているそうだ」

「日記?」

「あぁ。リディア、ナルダン、ディアナ、ガイバー、ユクマニロ、ダリアミ、ナール。……そして、ブラドワールが綴った日記」

 つまり、八大国を建国した英雄たちが書いた過去の日記という事か。ビルダはアンの話をしっかりと頭に叩き込む。

「二人には、適合者より先にそれを取ってきてもらう。場所はユクマニロだ」

 ユクマニロ。その単語に、ビルダは自分の奥の奥の部分が騒ぎ出すのを感じた。マイリヴァ=バイソン。二度手合わせしたが、彼は強い。ビルダが求める強さを持った、希少な人間の一人でもある。彼とまた戦える。それを考えるだけで、ビルダは心が躍るのを止められなくなってしまう。

「それで、アルーフィルト。今回は突入の時期とかは予知できたのかよ?」

「はっきりとは見えなかった。ただ、その日記のある場所には適合者より後に行け、と」

「後ぉ? それじゃ成功率ダダ下がりじゃねーの?」

 不満を漏らすショコラに、ビルダは「ま、いいんじゃないのぉ?」と冷静を装って声を発した。

「どっちにしたって、結局戦う事になるんだしぃ」

「……そりゃそうだけどよ」

「ねぇ、アールフィルト。ちなみに、他の国にも誰か派遣したのぉ?」

「無論だ。エリーザ、セイスタン、グラベボ、フォーワードにもそれぞれ振り分けた」

 そうなると明らかに一カ国人員が足りていない。ショコラとビルダがダッグを組まされた時点で、恐らく日記の一冊はもう既に適合者の手に渡っているという事だろう。いつも自分の傍から片時も離さない側近のエリーザでさえ、今回は単独で任務に赴いているあたり、今回はアールフィルトも手を抜くつもりがないらしい。

「ふふ、ビルダちゃんも頑張らないとねぇ」

「このオカマとペアってのが癪だけどよぉ。……まぁ、仕事なら仕方ねぇ」

 ビルダもショコラも、もう既に臨戦態勢だ。ビルダ自身気が早いとは思うけれど、どうもこの衝動は止められそうにない。

「適合者は今、ガイバーにいる。情報によれば、これからディアナに向かうそうだ」

「ふーん。じゃぁ、まだユクマニロには来ないってわけぇ?」

「恐らくな。だが、お前達にはこれからすぐユクマニロに向かってもらうぞ」

「ふふ、もちろんそのつもりだったわよぉ」

 そう言って笑うビルダの中で、熱く燃え滾る闘志が湧き上がっていた。



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