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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第十一章:光
85/159

 シエラは、膝に顔をうずめながら鳥のさえずりを聞いていた。

 あの後丘から街に戻り、シエラ達は予約していた宿にたどり着いた。クラウド達は隣の部屋で休んでいる。そして魔力を使い切ったラミーナは、深い深い眠りについている。ベッドで穏やかに呼吸をしている彼女に、シエラは胸が裂けそうだった。

「……シエラ。少し、眠ったらどうだ?」

「そういうユファだって」

 シエラは膝を抱えたまま視線だけをユファに向ける。窓際で外の景色を眺めているユファは、顔を顰めた。

「私は先ほど少し眠った。シエラは一睡もしていないだろう? それじゃ体がもたなくなってしまう」

 気遣わせてしまっている事は申し訳ないと思う。しかし、シエラは首を横に振る。

「寝れないの。なんか、よく分かんないけど。……心が、ぐちゃぐちゃ」

「……なら、一層寝るべきだと思う」

「どうして?」

「眠れば、その心も少しは落ち着くだろう?」

 ユファの言葉に、暫しシエラは黙り込む。

 前に一度、母にも似たような事を言われた事があった。その時シエラはまだ幼くて、自分の心の処理もうまくできなかった。ただ母の言葉に従うばかりで、眠った後の事など考えた事もなかった。けれど、今は違う。眠ってしまえば、少しは心が落ち着くかもしれない。ただ目が覚めた後に、悲しい現実に目を向ける事だけは、寝る前と何も変わらない。

 ――……一番悲しいのは、ラミーナなのに。私、ユファにまで迷惑かけてる。

 シエラは力なくベッドに体を預けた。目が覚めたら、ラミーナになんて声をかけたらいいんだろう。どんな顔をして、ラミーナに向き合えばいいんだろう。

 ――やっぱり私は、ただ逃げたいだけなんだ……。

 こんな残酷な現実は幻想だ。こんな現実認めない。認められない。シエラの心の中に、そんな言葉が木霊する。

「……おやすみ、シエラ」

 優しい、ユファの声がした。

 それから、どれぐらい時間が経っただろう。シエラは頬に触れる柔らかな感触に、ゆっくりと瞼を持ち上げる。白銀の美しい毛並みが、自分の目の前にある。手を伸ばしてそれに触れれば、すぐ傍で「きゅーん」という鳴き声がした。

「……イヴ?」

「きゅーん」

 そっと、シエラは辺りを見回した。窓から差し込む光は、もうオレンジ色に染まっている。ベッドにラミーナの姿はない。それどころか、ユファの姿もだ。

「きゅーん!」

「どうしたの?」

 イヴはシエラを急かすように、腰のあたりを小突く。シエラはイヴに押されるようにして、部屋の扉に向かう。

「外に出ればいいの?」

 シエラは扉を開けた。するとイヴがとことこと部屋を出て行き、クラウド達のいる部屋の前で止まった。

「え……ここ?」

 僅かに、シエラの足が止まる。きっと全員揃っているという事だ。なんだか、その場に行くのは気が重い。しかし、イヴはじっとこちらを見つめてきている。シエラは観念したように、ゆっくりと扉に近づく。がちゃり、と静かに扉を開く。イヴは僅かな隙間から先に部屋に入ってしまった。部屋に入ると、一斉に視線がシエラに集まってきた。

「よ。おはよーさん」

「目が覚めたんだな」

「おはようございます、シエラ」

「シエラ、おはよう」

「……おう」

「なーにボケっと突っ立ってんのよ」

 シエラは、目を丸くする。なんだか皆普通だ。安堵しつつも、どこか拍子抜けだ。すると、手前に座っていたラミーナが「なに、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔しちゃってんのよ」と笑う。シエラは六人が座る輪に近づき、腰を下ろした。

「それじゃ、シエラも起きた事だし、中間まとめといこうかい?」

 サルバナがシエラを見やり、にこりと微笑む。まだ寝起きで上手く頭が働かないけれど、シエラは頷いた。きっとシエラが眠っている間に色々話し合ったのだろう。

「まず、今後の事について。一つ目の鍵は手に入れた。次にどこに行くかだけど……」

 そう言ってサルバナはウエーバーを見やった。ウエーバーはその視線を受けて小さく首肯する。

「地理的に考えて、ディアナに向かうのが一番だという事になりました。それからダリアミ、ナール、ユクマニロ、ロベルティーナ、ナルダン。……そして、ブラドワールの順に」

 シエラは世界地図を思い浮かべる。確かに、このガイバーの首都から一番近いのはディアナの首都フランズだろう。世界を東に旅する。それが、シエラ達の折り返しのルートだ。

「恐らく、またグレイという人やアールフィルトの勢力と衝突とすると思います。そこで、鍵の保管についてなんですけど……」

「鍵は、手に入れた所の出身者がそれぞれ責任を持つ事になった」

「どういう意味?」

「つまり、今回手に入れたガイバーの鍵は、ラミーナさんに保管してもらうという事です」

 なるほど、とシエラは納得した。誰かが一人で全てを保管するよりは、大分いい考えだと思う。

「そういえば、その鍵の解読はどうなったの?」

 ふとシエラが尋ねると、ユファの表情が少し強張った。

「……読めるには、読めるんだ。だが、これには肝心な事が書かれていない」

「え?」

 肝心なことが書かれていない。つまり、シエラ達が知りたい二千年前のめぼしい情報がないという事だろうか。ユファは言葉を続ける。

「まず、冒頭部ではガイバーから読み手に向けてのメッセージがあった。どうやらこれは日記というよりも、過去を思い出しながら書いたものらしい」

「なら、彼らが旅した事だって……」

「……それが、ほら」

 ユファは日記の中ほどを開いてシエラに見せた。シエラの目には、まっさらな白い紙しか映っていない。

「どういう事?」

 ユファから日記を受け取る。シエラが昨晩確認した時は確かに文字があった。それなのに、今は冒頭以外は白紙になってしまっている。

「なんらかの仕掛けが施されている……って考えた方が妥当じゃないかしら?」

 ぽつり、とラミーナが呟く。

「確かに、そうだな。神殿から持ち出されてから時間も経ってしまった。何か仕掛けがあるという可能性も高いだろう」

 つまり重要な部分を知るためには、解読の方法も模索しなければいけないという事だ。シエラは溜息を吐いて脱力する。せっかく貴重な手がかりを手に入れたというのに、また時間を取られてしまうのか。

「でも、私が見た時はちゃんと文字があったよ?」

 シエラが恨みがましく言うと、ユファも小さく首を縦に振った。

「私が昨晩見た時も、文字はあった。……とにもかくにも、消えた部分を取り戻す作業が必要だな」

「消えた部分を取り戻すって……どうすりゃいいんだ?」

 バイソンは真剣な顔つきで顎に手を当てている。しかしその質問に答えられるものはいない。消えた原因も分からなければ、手がかりもないのだ。完全に行き詰まってしまった。

「とりあえず……今読めるところを全部解読してみる、とか?」

 シエラは半ばやけくそで提案してみる。もしかしたら、という可能性もあるかもしれない。ユファはシエラから日記を受け取ると、最初のページを開いた。

「……これから綴るのは、私の過去であり思い出だ。これを読み、何を感じ、何を選ぶのか。未来の子らよ、神託は下った。私はあなた達が、どうか間違わずに進む事を願うばかりだ。――これが、冒頭だ」

 ユファは静かにページをめくる。そして、ガイバーの物語は始まった。

 ガイバーは、自然に満ちた美しい村に生まれ育った。村の中心には大きな湖があり、そこに集まる獣たちと村人は共存していた。

 彼の両親は優しく、彼は健やかに成長していく。

 あるとき、彼は自分の特別な力に気づく。他人に知られてはいけないと、両親は彼にその力を使わないように言った。

 彼は幼いながらに、その力の危険性を知っていた。また、その力がどれほど異端であるかも。

 故に彼は、絶対に自ら力を使おうとはしなかった。 

 しかし成人の儀を境に、彼の力は暴走を始める。

 今まで拙いながらにコントロールしてきた力が、一時的にだが、彼の管理下を離れてしまったのだ。彼は苦悩した。暴走する力は友を傷つけ、友は彼を恐れた。それ以来村人は彼に近づかなくなる。彼は何度も何度も、自分が消えて無くなる事を願った。何度も何度も、湖に身を投げた。けれど、彼は死ねなかった。彼の力が、それを許さなかった。

 そしてある時、村に異変が起こる。

 異形なるもの達による、圧倒的な力による統治。征服といった方が正しいだろう。

 村には、どうやったのかも分からぬほど立派な御殿を作り上げ、彼らはそこに住み着いた。ほどなくして、彼は異形なるものたちに、見知らぬ土地へと連れて行かれた。

 それが、彼の運命の始まりだった。

「……と、こんな話だ。これ以降は記述がなくなっている」

 ユファは小さく息を吐く。さすがにこれだけの長文を一気に翻訳するのは疲れるだろう。

 それにしても、シエラ達は空いた口が塞がらなかった。二千年前の事については、未だに分かっていない事が沢山ある。けれど、今のガイバーの物語でいくつか分かった事がある。

「今の話だと、人間が……神か魔物に統治されていたって事?」

 異形なるもの。それは今までの遺跡や資料にも何度か出てきた。神か魔物の、恐らくどちらかだ。しかしすぐに、クラウドが「多分、神の方だろうな」と付け加えてきた。

 シエラは思わず「えっ」と声を上げる。クラウドは「よく思い出してみろ」と呟いた。

「前に最高神の奴が見せてくれただろ。魔物と神が争ったって。んで、それぞれ遠くに行っちまった」

「で、なんでそれで神だって断定できるの?」

「前に、フランズの図書館で見た資料、覚えてるか? “神は決して神などではない。我ら祖先が信じた、全知全能の存在ではない”」

「あっ!!」

 シエラの脳裏に、記憶が蘇る。

 確かあの本には今クラウドが言った言葉が書かれていた。また、『魔法は異端ではなく、これからどんどん普及するだろう。魔女などという括りもなくなるだろう』とも。

「つまり、ガイバーの特別な力って……魔法のこと!?」

「多分な。しかもリディア達の旅の始まりは神の国だ。それで、ガイバーは異形なものに連れて行かれたんだろ?」

「おぉ、なら異形なるものってのは神でぴったりじゃねーか! クラウド、お前すげぇな!!」

 バイソンが大きな声で「すげぇ!!」と連呼している。

 シエラも開いた口が塞がらない。ユファやウエーバー、ラミーナはどことなく察しがついていたらしい。それぞれ顔を見合わせて頷きあっている。

「二千年前、魔法は稀有な力で、異端。そして神の統治が始まり、ガイバー達は神の国に連れて行かれた。……これが分かっただけでも、大きな収穫ですね」

 ウエーバーはわくわくしたような顔で、拳を握っている。シエラもなんだか興奮してしまっている。こんな凄い真実を知ってしまうとは思わなかった。

「……うっ」

 その時、ユファが右目を抑えて小さなうめき声を上げた。

「大丈夫?」

 シエラは彼女の顔を覗き込む。心なしか、顔色が悪い。ユファは無言で微笑んだ。だが、無理をしているようには見えない。少し痛んだ、その程度のようだ。

「……それにしても、益々分からない事も出てきたわね」

 柳眉を寄せながら、ラミーナはじっと鍵を見つめている。

 ガイバーの冒頭部分で、重要な事が分かった。けれど、分かった事によって益々聖玉や宝玉の起源が分からなくなる。

 何故聖玉をつくり、世界を制御しているのか。前にコトノは、聖玉の起源を「エゴ」だと言った。自分達の欲望の為に作らせた、エゴの塊だと――そんな風に言ったのだ。

 ――でもそれは、誰のエゴなんだろう……。リディア達? それとも神? それとも、別の何か?

 いずれにせよ、シエラ達は知らなければならない。

「ま、あんまし悩んでも仕方ねぇよな! どうせいつか分かるだろ!」

 明るい声音でバイソンが笑った。シエラもその言葉に心が軽くなる。

「そうだよね! くよくよしたって仕方ないよね!」

 バイソンの言う通りだ。分からない事はまだまだ沢山あるけれど、シエラ達は立ち止まってはいられない。しっかりと前に進むことが大切なのだ。

「じゃ、今晩はもう休みましょうか。明日からフランズに向かいましょう」

「あぁ、そうだな」

 そして話し合いは解散となった。

 部屋に戻ったシエラだったが、どうにもまだ眠る気分ではない。昼頃に熟睡してしまったせいだろう。それになんだか、じっとしていられない。

「よし!」

「きゅーん?」

 シエラが勢いよく立ち上がると、イヴが小首を傾げた。シエラはにっと笑う。

「ちょっと散歩してくるね!」

「今からか? 危ないぞ」

 ユファが顔をしかめる。確かにもう日は沈んでしまい、夜も更けている。けれどシエラは笑顔で「大丈夫、大丈夫」と扉に向かっていく。その後ろを、イヴがそそくさとついてきた。

「……まぁ、イヴも一緒ならいいんじゃない? 気をつけなさいよー」

「はーい」

 シエラはラミーナに内心でお礼を述べつつ、静かに部屋を出た。クラウドやサルバナにもし出くわしてしまったら面倒くさい事になる。少し急ぎ足で宿を出た。弱弱しい街灯の光が、辺りをほのかに照らしている。空を見上げれば、物凄い数の星達が瞬いていた。

「宿の周りを一周するぐらいなら、平気だよね?」

「きゅーん」

「よし! 行こっか」

 シエラは通りを右に進みだす。少し進めば、賑やかな人の声が聞こえてきた。どうやら、酒場があるらしい。物凄いどんちゃん騒ぎだ。シエラは酒場が近づくと、歩調を速めた。酒場にはあまり良い思い出がない。それにもし何か巻き込まれでもした日には、ラミーナ達に合わせる顔がない。

 ――というか、特にクラウド……かな。

 もうクラウドに説教されるのは懲り懲りだ。またどうせトラブルメーカーだから云々かんぬんと言われるのが関の山だ。そんな事を考えながら酒場の前を通り過ぎる。

 ――良かったー。

 安堵しつつ、シエラは少し歩調を緩めた。が、路地を曲がろうとしたところで。

「おおっと!?」

「いっ……!?」

 すんでのところでぶつかるのを回避したが、シエラは驚いて尻餅をついてしまった。嫌な予感がする。シエラは恐る恐る視線を上げた。

「こんな時間に一人で、どうしたのかなぁ?」

 酒瓶を片手にした若い男達が三人、下卑た顔でシエラの事を見ていた。なんだか似たような事が前にもあったような気がして、シエラは頭が痛くなってきた。

「はぁ……。もう、最悪」

 シエラはゆっくりと起き上がる。普通に散歩したいだけなのに、どうしてこうも間が悪い。

 ちらりと、足元にいるイヴに視線を送る。隙を見て宿に引き返そう。そう思い、シエラは男達が口を開く前に走り出した。後ろを振り返るが、男達が追ってくる様子はない。もう大丈夫。シエラが足を止めようとした瞬間。

「きゃっ!?」

「うわっ!?」

 ドン、という衝撃と共にシエラは後ろに倒れこむ。本日二回目だ。

「いったぁー……」

「きゅーん」

 お尻を擦るシエラに、イヴが鼻を摺り寄せてきた。頭を撫でてやるが、シエラは内心冷や冷やしている。

「す、すみません……!」

 シエラは思い切り頭を下げた。今度の相手も若い青年で、しかも三人。彼らは手に酒瓶こそ持っていないが、今彼らが出てきたのは酒場だ。物凄い酒の臭いがする。

「こ、こちらこそすみません」

 しかし、シエラとぶつかった青年は眉毛をハの字にたれ下げて、あまつ謝罪してきた。青年はシエラに「立てますか?」と心配そうな顔で、手を差し伸べる。

「だ、大丈夫です!」

 シエラは青年の手をとらず、自力で立ち上がる。これ以上知らない人と関わり合いになりたくない。シエラはイヴを抱えて、足早に立ち去ろうとした。しかし。

「あれ、お前ら……」

 ――げっ!!

 なんと、先ほどシエラとぶつかった青年達がやってきたのだ。しかもなんだか、青年達はシエラを挟んで急ににらみ合い出した。今ぶつかった人のよさそうな青年達も、同じ人とは思えないほど顔を怒らせている。

「てめぇら、この間の違うシマの若衆だろ」

「なんだ、やろうってのか?」

「え、ちょ……」

 シエラは状況が飲み込めずに右往左往する。とにかく、どうやらそれぞれの青年達は敵対しているようだ。シエラはとにかく真ん中に立っているのはよろしくないと思い、足早に逃げようとする。

「待って下さい!」

「うげぇっ!?」

 しかし、先ほどぶつかった人のよさそうな青年に首根っこを捕まれた。シエラは息が詰まって苦しい。青年は顔を真っ赤にして目をつぶっているせいか、それに気づいていないらしい。

「あ、あの! すぐにこいつら倒しますから、ちょっと影に隠れて待っていて下さい!!」

「ちょ、首が絞まるんですけど! あの、手を離して……!!」

 ジタバタしながら必死で訴えると、青年もようやく気づいてくれた。ぱっと手を離され、シエラは奇声と共に前のめりになる。

「お願いですから、待っていて下さいね!!」

 そう言って青年は、乱闘の中に入っていってしまった。待ちたいか待ちたくないかはこの際抜きにして、待っていてほしいと言われて待たないほど、シエラも鬼ではない。

 シエラはイヴを抱きかかえたまま、少し離れたところで突っ立っていた。それにしても、人のよさそうな顔をして喧嘩は強いらしい。先ほどから相手をたこ殴りにしている。それも、結構爽やかな笑顔で。喧嘩は、五分も経たないうちに決着した。青年は嬉しそうにシエラのところに駆け寄ってくる。

「あの、待っていてくれてありがとうございます!」

「……えと、それで?」

 シエラとしてはもう散歩を切り上げてさっさと宿に帰りたい。けれどそんな気持ちには気づかず、青年ははにかんでいる。失礼ながら、正直、一発顔面にキメてやりたい。

 ――早く帰りたいよ!!

 できるだけ苛立ちが顔に出ないように、シエラは極力無表情で応対する。先ほどから青年はモジモジしていて、一向にしゃべらない。後ろの仲間二人はなにやら謎の声援を送っている。

「あの、もし良ければ、俺とこれから食事でも行きませんか……!」

「遠慮します」

「えっ……」

 間髪いれずにシエラは誘いを断った。青年の表情から血の気が引いていく。そろそろいいだろうと、シエラが歩を進めようとすると、がっしりと肩を捕まれてしまった。

「絶対、退屈させませんから! あと、凄いおいしいお店ですから!!」

「えーと……」

 おいしいお店という単語に、ちょっとだけシエラの食欲が反応した。しかし、すぐに頭を振る。

「私、帰らないといけな――」

「お前、何してんだ?」

「げっ」

「“げっ”てなんだよ」

 シエラは目の前にいる男――もとい、クラウドに顔を強張らせた。最悪の場面を見られてしまっている。

 だが、これはある意味で幸運かもしれない。クラウドに呆気に取られている青年の肩を押し、シエラは駆け出す。

「あっ」

 青年が手を伸ばすが、もうシエラはクラウドの背中の影に隠れてしまっていた。シエラ自身、自分の悪女っぷりに乾いた笑いしか出てこない。

「おい、何してんだお前」

 クラウドだけはシエラを怪訝そうな顔で見ている。しかしシエラはその視線を無視して、青年に笑顔で「こういうわけなんです」とクラウドを指差した。

「そ、そうなんですか……」

 青年は膝を着いて崩れ落ちる。

「ごめんなさい」

 シエラは眉を下げて、クラウドの腕を強引に引っ張ってずんずんと宿の方へと歩いていく。しかし、ここですぐ宿に入るわけにもいかなかった。

「おい! どういう事だよ!」

「うっさい黙ってて!」

 シエラはクラウドの腕を引いたまま宿を通り過ぎ、すぐ左にある路地に入った。そしてすぐにクラウドの腕を放す。

「……あえて何をしてたのか、聞いた方がいいか?」

「勝手にすれば。ていうか、私散歩してただけなの!」

 シエラはクラウドから顔を逸らす。毎回毎回巻き込まれるたびにクラウドに助けれているようで、シエラは釈然としない。けれど、怖くなかったといえば嘘で。シエラの体は、意思に反して震えていた。それに気づいたクラウドは眉間に皺を寄せる。

「どうして、こんな時間に散歩に出たんだ」

 咎めるというよりは、諭されるように言われてしまった。シエラは気丈にもクラウドを睨みつける。呆れられてしまったのだろう。クラウドは溜息を吐いている。

「……カ」

「は?」

「……クラウドの、バカ」

「お前なぁ……」

 シエラは俯いていた顔を上げて、思い切りクラウドに抱きついた。

「クラウドのバカ! バカ、バカ、バカあぁあぁぁあぁ!!」

「ちょ、叫ぶなよ」

 シエラはクラウドのお腹に顔をうずめながら、思い切り叫んだ。しかし声はくぐもっているせいか、反響しない。

 シエラの小さな肩が小刻みに震える。

 まだルミーナの事から吹っ切れたわけでもない。シエラ自身分からなかったが、今はこうして誰かに寄りかかっていなければ、気が狂ってしまいそうだった。クラウドは無言で、シエラの背中をリズミカルに叩いてくれた。まるで母親が子供をあやすかのような手つきに、シエラは気づけば笑っていた。

「……なんだよ」

 仏頂面でクラウドがシエラの顔を上向かせる。シエラは「だって」と笑う。

「クラウドが、こんな優しくしてくれるなんて思わなかったから」

「……なんだそれ」

 クラウドは眉間に皺を寄せた。けれど、――暗いので確かではないが――ほんのりと、頬が赤い気がする。照れるクラウドに、シエラはなんだか勝ち誇ったような気持ちになった。更にぎゅうぎゅうと力を込めて抱きつく。

「お前、ちょ、ちょっと待て……!」

 すると、物凄い強い力で肩を掴まれて、シエラはクラウドのお腹から顔をあげた。クラウドの頬には赤みが差しているが、それ以上に、顔そのものが引きつっている。

 どうしたのだろう、とシエラが首をかしげていると、

「――おやおや……。情けないではないか。ほれ、私なんぞ気にせず続けるが良い」

どこからともなく、聞いた事のある殿口調が耳朶に響いてきた。

「コトノ!?」

 振り返ったシエラは、驚きで上ずった声を出してすぐさまクラウドから離れた。それを見てコトノはケラケラと笑っている。シエラは一気に自分の顔が熱くなっていくのを感じた。

「い、いつからそこにいたの!?」

 小さな路地裏だ。誰かが来ればすぐに分かる。状況が状況だったとはいえ、気づかないわけがない。

 コトノはシエラ達と向かい合う場所に、壁に背を預けながら立っている。しかもシエラ達を見ながらニヤニヤしているのだ。

「私か? まぁ、そうだな……。御主が見知らぬ男に声をかけられていた辺りからか」

「って、最初っからじゃん!!」

 シエラは思わずツッコンだ。そして、とある重大な事に気がつく。

「それより、コトノ……無事だったんだね」

 良かった、とシエラは胸を撫で下ろす。

 神の国でシエラ達がアン達に襲撃された時、コトノはシエラ達を逃がして一人で戦ってくれた。それが一体どれほど危険なことか、分からないシエラではない。いくら神であるコトノとはいえ、きっと大変だったに違いない。しかし、コトノは「あぁ」と、思い出したかのように、空っぽの相槌を打った。

「あの程度はさして問題ではない。それより、私が今日来たのは“鍵”が手に入ったか知る為だ」

「鍵? ……あぁ、うん。ガイバーのなら、手に入ったよ。今はラミーナが持ってる」

 少しだけ、胸の痛みが戻ってきた。シエラは視線を伏せながらコトノに話す。コトノは「そうか」と頷く。そして「次はどこに行くつもりだ?」とシエラに問いかけた。

「次は……一応、ディアナに行くつもり」

「ほう、ディアナか。……御主達、もしやまた歩いてディアナに向かうつもりではあるまいな?」

「え、そのつもりだけど」

 シエラがきょとんとして言葉を返すと、コトノは呆れたように頭を押さえて溜め息を吐いた。

「御主達は阿呆か!? 今は時間がないのだぞ。それに困ったら私を呼べと言ったであろう!?」

「す、すんません……。で、でも困ったら呼べって言われても、どうやって呼んだらいいか分からないし……」

 おずおずとシエラが言えば、コトノは「私の名を呼べば良い!!」と眉を吊り上げた。しかしコトノはすぐに落ち着きを取り戻す。咳払いをし、それからシエラ達に視線を向けた。

「ともかく、宿に行くぞ。私も一度“鍵”をこの目で見ておかねばな」

 案内せよ。コトノはそう言って顎をしゃくる。シエラとクラウドは顔を見合わせて、それから表を覗うようにしてから路地裏を出た。宿に入りラミーナ達を集めれば、全員がコトノに目を丸くした。ただ一人、コトノ本人だけはどこか楽しそうにその顔を見ている。

「さて、と。ではガイバーの適合者よ。鍵をこちらに」

「えぇ」

 ラミーナはコトノにガイバーの日記を渡す。

 コトノはまじまじと日記を見つめ、慎重に表紙を開いた。瞬間、日記が淡い黄色の光を放った。コトノはその光を受けながらもぱらぱらとページをめくる。中盤に差し掛かったところで、ユファが声を上げた。

「文字が……!」

 シエラも次いで声を上げた。先ほどまで消えてなくなってしまっていた文字が、かすかにだが浮き出てきているのだ。ユファは目を細めながら、解読しようと、文字を追いかける。

 けれど――。

「うっ……!?」

 突如として、光がユファにぶつかってきた。水がはねて飛沫が飛ぶ。そんな風に、光がユファの目を襲ったのだ。ユファは眼帯をしている右目の方を、強く手で押さえている。

「ユファ、大丈夫!?」

 シエラとラミーナはユファの肩に手を置く。じっとりと、彼女の額には汗が浮かんでいた。ユファは小声で「大丈夫だ」と呟くと、丸めていた背中をしゃんとする。

「どうやら、無理に読もうとすれば跳ね返りを受けるようじゃな。御主の能力を以ってしても、今のままでは不可能なようじゃ」

 コトノは神妙な顔つきで頷く。その視線に捉えられたユファは、少し居心地が悪そうに身じろいだ。

「でも、なんで今コトノが持ったら文字が出てきたの?」

「それは恐らく……この日記が勘違いしたのであろう」

「勘違い?」

 まるで鍵に意思があるような物言いだ。シエラが首を傾げるとコトノは溜息を吐いて、窓の外へと視線を逸らした。

「この鍵の術は、以前みせた日記の持ち主であるミコトという神が施したものじゃ。私はそのミコトと同質の能力を持っておってな。故にこの鍵が私とミコトを間違えたのであろう」

「なるほど……」

 しかしそうなると、読めない空白の部分は一体どうしたら読む事が出来るのだろうか。きちんとした何かの手順を踏んでいけば、いずれ空白は埋まるのだろうか。

「ふむ。これは、他の鍵も集めてみぬ事には分からぬな」

 コトノもお手上げのようで、ひらひらと片手を振っている。シエラ達は顔を見合わせた。

「多分、今日はもうこれ以上は何もできないわね」

「そうですね。明日からまた、ディアナに向けて出発しましょう」

「よっしゃ! こうなったらじゃんじゃん行こうぜ!」

 ウエーバーやバイソンの明るい声音に、シエラも元気よく頷く。こうなったらとことん、行けるとこまで行ってみるしかない。色んなしがらみが付き纏ってはいるけれど、難しく考えよりも先に動いてみるのも大切だ。

「……そうか。では、今日はもう休むが良いか」

 コトノもそう言って――なぜか、シエラのベッドに腰掛けた。シエラ達が目を丸くしていると、コトノは「なんじゃ」と怪訝そうな顔つきになる。

「いやいやいや!! なんでコトノがベッドに!?」

 シエラが慌ててツッコめば、コトノはフンと鼻を鳴らした。自信満々のその表情も今はなんだか嫌な予感しかしない。

「明日御主達をディアナに送るのじゃ。またルダロッタに帰るのは二度手間じゃろう?」

 さもここに泊まるのが当然という雰囲気だ。言われてみれば最もな気がしないでもない。しかし、しかし、なんだか解せない。シエラが複雑な表情でコトノを見つめていると、ラミーナが「まぁいいんじゃない?」と笑った。

「神と一緒に寝るなんて、中々ない体験だと思うけど?」

「いいいいいいいよそんな体験しなくて!!」

「あっはっはっは!! なんじゃシエラ照れておるのか。なんじゃなんじゃ、愛い奴じゃのぅ」

 頭をぽんぽんと撫でられ、シエラは自分の顔に血が集まっていくのを感じた。皆に見られている事が余計に恥ずかしく、顔を俯かせて「うぅ~……」と些細な抵抗を見せる。

「まぁいいじゃねーか! 寝相が悪くてベッドから落ちるなよ!」

「落ちないし! ていうか寝相悪くない!」

 からかうバイソンに「いぃー!」と歯を見せた。バイソンはけらけらと笑いながら立ち上がると、クラウド達と共に部屋を出て行った。そしてシエラは渋々、半分しかスペースのないベッドに潜り込む。コトノはくすぐったそうに笑っていて、それを見ていたら何だか怒る気力もなくなってしまった。

「ねぇ、コトノ。一つ、聞いてもいい?」

「なんじゃ」

「神たちは人間が嫌いなの?」

 ざっくりとシエラが問えば、コトノは黙り込んでしまう。シエラはちらりと横を見やった。彼女の碧眼は天井の一点を見つめたまま動かない。

「……そう、じゃな。しいて言うならば、嫌悪の念は抱いておらぬ。ただ、我らという種族の中で人間や魔物に心を砕くものは、ほんのごく一部であろう」

「コトノはそのごく一部?」

「さぁて、どうじゃろうな。そこら辺は御主の勝手じゃ」

「ふぅん」

 なんだかよく分からない。とりあえず興味の対象外、といった感じなのだろうか。けれど、あの老人のような神はひどくシエラ達を嫌っていた。あれはどういう理由があったのだろう。

「御主は、メノウ達の事を言っているのじゃろう?」

 コトノはいたずらっ子のように、ニヤリとニヒルに笑ってみせた。シエラは瞬きしながらも首肯する。

「あやつらはな、まぁ、なんというか納得できておらんのじゃ」

「何に納得してないの」

 シエラが責めるような口調で尋ねれば、コトノは笑みを崩さずに、

「御主ら適合者が、英雄として扱われている事が、じゃよ」

そう言った。

 シエラは顔をしかめる。一体それはどういう理屈だ。なんだか聞いた自分がバカだったように思えてきた。だが。

「ガイバーの日記は読んだのじゃろう? ならば、よぉく辿ってみよ。我らと人間の、二千年前の関係を」

「……あ」

 コトノの言葉で、シエラは合点がいった。かつて人は神に支配されていた。その歴史を考えれば、今こうしてシエラ達が世界の命運を握る存在であるなど、神からしたら片腹痛いのかもしれない。

 けれど、とシエラは更に思考をめぐらす。

 以前コトノは、こうなる事が全て業だと、因果の結果だと言った。そして聖玉が出来た理由がエゴだとも言った。ならば、メノウという神たちが納得していないのは、ただ単純に時代に乗り遅れただけのように感じられる。

「なぁ、シエラよ。我ら神とて、心がある。“ヒト”とは違うが、心というものを持っておる」

 シエラは黙ってコトノの言葉に耳を傾ける。コトノはどこか寂しげに話を続けていく。

「だから、時として妬み、嫉み、怒り、悲しみ、笑い、喜ぶ。ただ、その根本的な価値観がヒトと違うのじゃ」

 どこかで聞いた事のあるような台詞に、シエラは改めて実感する。今隣に寝ているのは、紛れもなく自分と同じ“少女”だ。シエラは思わず笑みを零していた。

「……こんな事、私が言うのもおかしいけどね。もっと、神とヒトが交流を持てばいいんじゃない? 知らないから怖いし、勝手に憎んだりもする。でも知れば、知った分だけ変わるものもあると思うんだ」

 それはこの旅を通してシエラが痛感し、学んだ事だ。今まで知らなかった世界が沢山あり、また誰も彼もがシエラに冷たいわけではない。今度はコトノが目を見開いていた。彼女は暫く呆然としていると、突然笑い出した。ゲラゲラと腹を抱えてのた打ち回っている。

「な、なに!? そんなに変な事言った!? ていうか恥ずかしかったんだから笑わないでよ!!」

 シエラが顔を真っ赤に染め上げて抗議すれば、コトノは涙を拭いながら「すまぬ、すまぬ」と肩を震わせた。ラミーナとユファはそんな二人のやり取りをそっと見守っている。

「……確かに、シエラの言う通りかもしれんな。知れば変わる事もある。けれど、きっとヒトを知れば知るほどに、我らはヒトを憎んでしまう」

「どうして?」

「私たちと御主たちでは、決定的に違う事が多すぎるのじゃ」

「そりゃ、確かにそうかもだけど……」

 シエラが更に言い募ろうとすると、そっと唇に指を押し当てられた。コトノは慈しむような目でシエラの事を真っ直ぐに見ている。温かいような、悲しいような、不思議な慈しみの色だ。

「もう良い。今宵は眠ろう」

 コトノはそう言って、ゆっくりと目を閉じてしまった。シエラは釈然としない気持ちのまま、無理矢理瞼をおろす。胸の奥にモヤモヤがたまっていく。けれど、コトノはこれ以上の追求を拒んだ。だからシエラは、今はこれ以上聞こうとは思わなかった。

「……灯り、消すわね」

 ラミーナの言葉をぼんやりと聞いていると、パチ、という音と共に灯りが消えた。ゆっくりと、シエラの思考が沈んでいく。ふと、眉間に皺を寄せて怒っているクラウドの顔が浮かんだ。

 ――そんなに怒らないでよ……。 

 眉間をグリグリと押してやりたくなったけれど、ここにクラウド本人はいない。シエラは幻のクラウドに手を伸ばそうとするが、あと少しの距離が届かない。

 もどかしい思いを抱きながらも、シエラの意識は深い闇へと落ちていった。 




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