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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第十一章:光
83/159

 翌日、馬車に揺られながらシエラは考えていた。

 昨晩のグレイの行動には、一体どんな意味があったのか。顔を見に来ただけだと本人は言っていたけれど、本当にそうなのだろうか。いつだって彼は謎に包まれている。尻尾をつかめたことなんて一度もない。

 シエラはため息を吐いた。結局、昨晩グレイがやってきたせいでシエラ達はろくに休息できなかった。だからそのまま支度を整えて、街に向かって歩き出したのだ。

 そして、今朝方この街に辿り着き先ほど馬車に乗り込んだ。カルタゴの丘がある街にはまだほど遠いらしい。徒歩では今日中に到着する事は不可能という事で、こうして馬車を使っている。街は暴動から一夜しか明けていないという事もあり、どこか剣呑としている。まだここは王都からそれなりに近いせいもあるだろう。

 シエラは窓の外を見やる。大通りにはいくつもの露天が開かれており、沢山の人で賑わっている。

 ――それにしても、私何か大切な事を忘れている気がする。

 シエラは上手く動かない脳みそを回転させて、記憶の糸を手繰り寄せる。ルミーナとは明日の夜、カルタゴの丘で再び見える。その事は覚えている。確かその話の前あたりに、ルミーナが言っていた言葉。それがひっかるのだ。

 ――なんて言ってたっけなぁ。……あぁ、もう!

 思い出せない自分に苛立ちながら、シエラは肩を落とす。すると、目の前に座っていたラミーナと目が合った。てっきり眠っているものだとばかり思っていた。シエラはなんだか居心地が悪くなって、目を逸らしてしまう。ラミーナはそんなシエラに、優しい声音で「あんたも疲れてんのよ。大丈夫、寝てなさい」と呟いた。シエラは小さく頷くと、そのまま目を閉じた。

 起きたら、分からない事を考えよう。

 ゆっくりと、シエラの意識は眠りの中へと落ちていった。




 そして日は沈み、鳥達は巣に帰っていく。赤く燃えるような夕日を背にしながら、シエラ達はカルタゴの丘を歩いていた。カルタゴの丘にはかつての文明の名残がある。遺跡だ。建物の柱や岩で作られた門が、シエラ達を出迎えた。ユファはしげしげとそれらを見つめては、一人遺跡をうろついている。

 ルミーナの言った“夜”まで、あと少し。丘は異様な緊張感に包まれている。シエラは波打つ心臓を落ち着かせようと、大きく息を吸い込んだ。

 ――私がこんなに緊張してどうすんだって話だけど……。

 それでも、肉親の争いというものは見たくない。ちらりとラミーナに視線を向ければ、彼女の横顔は能面のようだった。落ち着きすぎているというより、感情を消しているような、そんな印象を受ける。

 ――ラミーナ……。

 シエラは俯きかけて、それから慌てて空を見上げた。さらさらと、丘を優しい風が吹き抜ける。普段なら心地よく感じるそれも、今のシエラにはそうは感じられない。

「……シエラ、そんなに力んでも何も起きないよ?」

「……サルバナ」

 肩に手を添えられて、シエラは右上を仰ぐ。いつも通り、人をおちょくるような余裕を浮かべたサルバナの顔があった。

「もうちょっと肩の力を抜いて、さ。ほら、一番星も見えているじゃないか」

 そう言われて、シエラはサルバナのしなやかな指先を辿る。真っ直ぐに指差されたそれは、まだ日が沈みきっていないというのに、明るく輝いていた。

「うん。そう……だね」

 シエラは小さく微笑む。サルバナが言うとなんだか妙な説得力がある。彼の雰囲気がそうさせているのだろうか。彼はシエラが納得したのを見ると、満足げに目尻を下げる。それからシエラが座っている岩に自分も腰掛けた。

「歯切れが悪いね。ま、こんな状況じゃ仕方ないか」

「サルバナは割と平気みたいだけど?」

「あぁ、俺? うーん、平気とは少し違うかな。俺だって人間だからね。心が痛まないわけじゃない」

「でも、ちっとも動揺してないよね?」

 シエラが切り込めば、サルバナは意外そうな顔で「鋭いね」と笑う。

「確かに動揺はしてないかな。割り切れるんだ。これが現実だって。そういう事もあるんだ、ってね」

 そう言ったサルバナは嫌に大人びていて、とても十八歳には思えない。シエラ以外、皆みんな大人びている――どうしてもそう感じてしまう。あるいは、自分が子供なのか。

「でも、割り切ったらそれで楽になれる?」

 ぽつり、とそう呟けばサルバナは目を丸くした。シエラはじっと彼の瞳を見つめる。彼は参った様に手を上げた。

「……ある意味、楽かな。それでも、楽に感じるかどうかはシエラ次第だよ」

「ふーん」

「はは。思いのほか興味無さげだね?」

「だって、きっと私は割り切れるほど器用じゃない……から」

 シエラは俯く。サルバナのように大人にはなれない。ラミーナのように気丈にも振舞えない。ウエーバーのように賢くもなれないし、バイソンのような器もない。ユファのような真っ直ぐさも、クラウドのような強さもない。

「私には、無いものばかりだ」

 いつだって他人が羨ましくて、自分が情けなくて。何度も何度も諦めたふりをしては何かにしがみついて、気づいたらどこかに進もうとしていた。

「そうでもないと思うけどな」

 しかし、サルバナは何でもないように否定した。いつも通りの余裕のある笑みが、シエラに向けられている。今度はシエラが目を丸くしていると、サルバナは悪戯っ子のようにこちらを覗う。 

「誰だって何もかも持っているわけじゃないだろう? 俺にはないものを、君は持っているじゃないか」

「え?」

「ま、そろそろお喋りもお終い……かな」

 サルバナはそう言って立ち上がると、口元に笑みを湛えながらも緊迫した雰囲気を纏った。

 何かが、来る。

 草木がざわめている。生温い風が吹き抜け、適合者たちは全員すぐ傍に集まっていた。

「こんばんは」

 風と共に現れたのは、ルミーナその人だ。いつの間にきたのだろうか。シエラには判断もできないほど、一瞬にしてルミーナは現れた。数メートル先の崩れた柱に、彼女は腰掛けている。その手には、先日神殿から持ち出した日記が握られている。

「本当に来てくれたのね。良かったわ」

「来いと言ったのはあんたでしょ」

 ラミーナは冷たく言い放つと、いきなりルミーナの周囲に氷の槍を出現させた。ルミーナは顔色一つ変えずに、指を鳴らす。すると槍は一瞬にして粉々にされてしまった。

「あら、随分とせっかちね。もっと魔力密度を高めないと、前回の二の舞よ?」

「うるさい!」

 ラミーナはルミーナに向かって叫ぶと、地面を蹴って走り出した。援護するようにウエーバーとユファも構えている。

「翳した刃よ、冷気を纏え――アイス・ランス!!」

 ラミーナは力強く詠唱した。空中には五つの氷の槍が現れ、切っ先はしっかりとルミーナを捉えている。アイス・ランスは低級魔法だ。ラミーナが詠唱する必要など本来はない。けれど、詠唱したという事はつまり。

 ――ラミーナ、本気なんだ……。

 詠唱せずに魔法を発動するよりは、詠唱をして魔法を使うほうが断然威力が上がる。なぜ詠唱で差ができるのかは未だに分からないが、ロディーラでは常識だ。

「ふふ。いいわ、私も本気で行きましょう」

 ルミーナは魔法で籠を作り出すと、その中に日記を入れる。自分の足元にそれを置くと、左手を翳した。魔方陣が現れ、ラミーナの氷の槍と激しくぶつかりあう。

「灯り、照らし、明らむ空へ。弾けろ――フレイム・ボム」

「冷たき奏、刹那の雪晶、御魂の在り処――アイス・フレア!!」

 ユファ、ウエーバーも続けて詠唱した。球体の炎が幾つもルミーナの傍に現れ、ウエーバーが指差す度にそこから氷が発射されていく。球体の炎は素早い動きでルミーナの目の前にくると、一気に爆発した。一つが爆発したのを皮切りに、次々に他の炎も爆発していく。またウエーバーは放った氷も形を氷柱に変えて、次々に爆煙の中に消えていく。

「はは、すげぇ容赦ねぇのな……」

「あの女にはあれぐらい必要なのよ。寧ろ、足りないぐらいだわ」

 苦く笑うバイソンに、きっぱりとラミーナは言い放った。家族思いなバイソンにとっても、この状況は過酷だろう。煙が晴れていくのをラミーナは凝視する。ルミーナがあの程度で致命傷を負うなどと思っていないのだろう。その右手では、既に氷柱を作り出している。

「……いい、コンビネーションね」

「チッ!」

 聞こえてきたルミーナの声に、ラミーナは舌を打つ。風が巻き起こり、一瞬にして煙が晴れた。その中心には無傷のルミーナが穏やかに笑っている。

「それじゃ、次はこちらから行こうかしら」

 ルミーナはゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。彼女は歌うように、澄んだ声で詠唱を始める。

「氷塊と楔」

 一歩。

「木霊し響け」

 また一歩。

「天への導き――アイス・ポール」

 彼女が地面を踏みしめた瞬間、巨大な、天まで伸びる氷柱が出現した。

「何よこれ!?」

「うわぁぁあぁぁああぁぁ!!」

 シエラ達は不規則に出現する氷柱に惑う。地面からの振動によろめきながら、なんとか氷柱を避けていく。太さは直径三メートルほどあるだろうか。巨大なそれらは、容赦なく天高く聳えている。

「て、低級魔法でこれって嘘でしょ!?」

 シエラは息を荒げながら叫んだ。上級の、破壊力や殺傷性に優れた魔法ならばまだ頷ける。しかし低級魔法でこの規模、この威圧感はもう規格外としか言いようがない。

「おい、皆無事か!?」

 どこからか、バイソンの声が聞こえた。

「私は大丈夫! 他の皆は!?」

「僕も平気です!」

「あたしもよ!」

「あぁ、私も問題ない」

「俺もだよ」

「俺も大丈夫だ」

 シエラ達をそれぞれ安否を確認する言葉を発し、胸を撫で下ろす。この巨大な氷柱に阻まれて、仲間達はおろかルミーナの姿さえ見えない。いつどこから攻撃されるか分からない恐怖感が、シエラの心に忍び寄る。

「おい、全員伏せてろ!!」

「は?」

 クラウドが叫んだ、と認識した瞬間、突風が巻き起こった。シエラは咄嗟に地面に伏せていた。

「え、ちょ、なに、なになに!!!?」

 ――ていうか寒い!!

 シエラは寒さに身体を震わせ、腕をしきりに擦る。氷柱のせいで夜は一層冷え込んでいる。そんな中強風が吹き荒れては、もう寒くて寒くて震えが止まらない。吐き出す息も、真っ白だ。一体クラウドは何をしているのだろう。シエラは思わず背後を振り返った。瞬間。

 ――ザンッ。

「……は?」

 何かが斬られるような音が、辺り一帯に響いた。シエラは目を丸くする。氷柱が、根元のあたりでばっさりと切られている。切られている大部分は、僅かだが宙に浮いている。シエラの目には、全てがスローモーションに見えているのだ。氷柱が、こちらに倒れてくる。

 ――やばい。死んだ。

 シエラの脳裏に、氷柱の下敷きになっている自分が浮かび上がる。今までの出来事が走馬灯のように駆け巡った。

「――巻き起こる砂塵、垂れ込む天空、轟け雷鳴! サンダー・ストーム!!」

 けれど、一向に痛みはやってこない。それどころか、クラウドの詠唱の声が聞こえてくる。そしてそれと、シエラの目の前で氷柱が粉々になるのは、ほぼ同時だった。眩い光の斬撃が迸り、氷柱全てを破壊していく。氷塊が、ただの小さな粒に変化した。きらきらと月夜の元に降り注ぐそれに、シエラは目を奪われる。

「おい、無事か!」

 間近で聞こえたクラウドの声に、シエラは我に返った。地面に伏せて縮こまっている彼女に、クラウドは手を差し伸べている。

「……おい、しっかりしろ」

 二度目の呼びかけは苛立っていた。シエラは恐る恐る彼の手をとると、クラウドが僅かに肩の力を抜いたのが分かった。

「無事なら、ちゃんと返事しろよな」

「なっ!!」

 その言葉に、シエラは思わず眉を吊り上げた。力強くクラウドの腕を引き、強引に立ち上がる。と、そのまま勢いでクラウドに頭突きをかました。

「いってぇ!?」

「痛い!? どの口が言ってんのよ!! 何が無事なら返事しろ、だよ! クラウドのせいで私死ぬかと思ったっつーの!!」

 痛みで頭を抱えているクラウドを睨みながら、シエラは一気にまくし立てる。

「お、お前、だからって頭突きはねぇだろ!!」

 背を丸くしていたクラウドが、シエラに食って掛かる。しかしシエラは白けた目でクラウドを見つめたままだ。少しもクラウドに怯む素振りを見せない。

「……だって仕方ないじゃん。勢いで出来ちゃったんだから!!」

「女が勢いで頭突きすんな!!」

「うっさい馬鹿! 女でも頭突きぐらいするし! 大体クラウドはなんでそんなに無駄に背がデカいの!? ムカつく!!」

「はぁ!? なんだそれ喧嘩売ってるつもりかよ!? 背がデカいと思うのはお前がチビだからだろ」

「私別にチビじゃない! クラウドがデカいだけでしょ!」

「それは俺が男だからだろ! お前よりデカくて当然だろうが」

「なにそれ性別で差別するわけ!?」

「してねぇーよ!!」

「……はぁ。なんで君達はそんな下らない事で喧嘩できるんだい」

 口元に手を当て腹を抱え、身体を小刻みに震わせているルミーナを、シエラ達もいぶかしむ。

「私の理想が実現不可能ですって? そうね、そうかもしれないわ。“私一人”には到底無理な話よ。私、一人にはね」

「どういう意味よ」

 嫌な予感がする。薄々勘付いてはいたけれど、実際口にしないでほしいと思う。シエラの、ラミーナの、そんな心情など顧みる事なく、ルミーナは言葉を紡いだ。

「聖玉を以ってすれば、理想は現実になるわ」

 望みは、かくも無残に打ち砕かれ。彼女が掲げた理想は、あまりにもシエラ達と対極にある。今あるものを守り抜きたいという願望と、歪みを正し補填しようとする願望は、どういっても相容れないだろう。

 それよりも、シエラ達には世界の命運がかかっている。判断を間違えた時点で、多くの人を犠牲にしてしまうかもしれないリスクがあるのだ。だからこそ、シエラ達はルミーナの言葉に頷けない。

 ラミーナは、俯きながらも口を開く。

「……確かに、聖玉があれば容易いかもしれないわ。世界を制御できる代物なんですもの。姉さんの理想も実現するかもしれない」

 それでも、とラミーナは続ける。

「やっぱり、姉さんの言っている事は間違ってる」

「……ラミーナ?」

 まさか、実の妹からそんな風に言われるとは思っていなかったらしい。ルミーナは明らかにうろたえている。

「姉さんの理想は、独りよがりな絵空事よ。そんな事したって誰も幸せになれない。それに、姉さんの言っている事は今まで生きてきた全ての人への……」

 ラミーナの言葉は語尾がか細く消えていく。それに苛立ったのか、ルミーナが容姿に似つかわしくない苛立った声で「言いなさい」と促した。

 ラミーナは数秒逡巡したが、意を決したようにルミーナを真っ直ぐ見つめ、

「全ての人への、冒涜よ!!」

そう、叫んでいた。

 ルミーナは呆然とした表情で、佇んでいる。自尊心を傷つけられ、またその相手がラミーナだった事にも衝撃が強いのだろう。ラミーナがルミーナに憧れていた分、ルミーナはラミーナを妹としか見ていなかった。

「……姉さんがしている事は、冒涜なのよ。今まで積み上げてきた歴史を、人類の生きた証を、全部消すような事、していいはずがないわ」

 声を震わせながら、搾り出すようにラミーナは言う。シエラ達は、ただ黙って二人のやり取りを見守る事しかできない。

「たとえ魔法で失われたものがあるとしても、それが先人達の選んだ道でしょう? 今あたし達が生きているこの世界は、そうやって出来たんでしょう!?」

「……もう、いいわ」

「姉さん?」

「もういいの。あなたの気持ちは分かったわ」

 ルミーナは諦めを含んだ声音でそう言うと、凍りつくような視線でラミーナを射抜いた。シエラ達でさえ、その威圧感に鳥肌が立つ。真っ直ぐに射抜かれたラミーナは、数歩あとずさる。

「まさか、あなたに諭される日がくるとは思わなかった。拒否される事は分かっていたけど、反論されるのは予想外だったわ」

 凍りつくような威圧感に、ラミーナはおろかシエラ達も迂闊に動けない。

 ルミーナは首から提げている金のペンダントにそっと触れる。十字架を模ったそれは、ラミーナのものと色違いだ。ルミーナの十字架と、ラミーナの十字架。似て非なる二つのペンダント。

「……ラミーナ。今すぐ私に宝玉を渡しなさい。渡すのなら、命だけは助けてあげる」

 淡々と紡がれた宣告には自信が満ち溢れている。彼女は本気だ。しかし今度はラミーナが笑い出した。ルミーナは怪訝そうに柳眉を寄せる。

「命なんて助ける気もないのに! よくそんな事が言えるわね……」

 ラミーナの声は、今にも泣き出しそうなものだった。ひどく傷ついた顔で、力なく笑っている。シエラは胸の痛みを感じながらも、しっかりとラミーナとルミーナを見つめた。

「……姉さん。もう、本当に終わりにしましょう」

「命を、捨てるというのね」

「違うわ。あたし達は生き残る。そして姉さん、あなたは罪を償うの」

 ラミーナの足元から水が迸る。彼女の銀色のペンダントが光輝き、強力な魔力を発している。ラミーナのものとは明らかに質を異にする、強暴で膨大な魔力だ。シエラ達は自然と冷や汗を流していた。ルミーナですら、薄っすらと笑みを湛えながらも、強暴なそれに慄いている。

 ラミーナが一歩踏み出す。

 ルミーナはすかさず雷撃を飛ばす。槍の形をしたそれらは、ラミーナの目の前で切り裂かれた。ウエーバーとユファだ。二人が同等のサンダー・ランスを発生させて相殺したのだ。

「……ラミーナさん、それは」

 ウエーバーは彼女の胸元で光るそれを見やる。ラミーナは小さく笑うと、二人に下がっているように指示を出した。それに反論しようとしたウエーバーとユファだったが、彼女の真剣な眼差しにすぐに口を噤む。

 ラミーナはもう一歩、ルミーナに踏み出す。ラミーナの足元から溢れ出ている水は、彼女を守るように流動している。 

「――古よりの契り。混沌と秩序の狭間。汝は今、我の声においてここに現る。汝の名は我が下に、汝の誓約は我が心に。来たれ、理の迷い人よ!」

 水が魔方陣を描く。ペンダントが強く強く光を放つ。シエラは思わず眼を覆った。光が収まると共に、大きな気配を感じ、シエラ達はラミーナを見やった。

 そこには、巨大な腕が。ラミーナの頭上高くに、巨大な真白い腕があった。淡く発光しながら、巨人の腕はそこにそびえている。 

「な、にこれ……。凄い」

 シエラが感嘆の言葉を漏らす。クラウドやウエーバー達も驚きに目を見開いている。ただ一人、ルミーナだけは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「私に対してそれを使うっていうのね……」

 ルミーナの呻くような呟きに、ラミーナは顔色を変える事なく巨人の腕を操る。二の腕の中ほどから出現している巨人の腕は、容赦なくルミーナに拳を振るう。一体あの腕は何十メートルあるのだろうか。激しい連打に地面は大きく穿たれ、腕が動く度に強風が吹き荒れる。ルミーナも避けるのが精一杯なのだろう。その表情には苛立ちが見える。 

「逃がさないわ!」

 ラミーナが魔力を込めると、巨人の腕は更に素早くなった。しかしその分ルミーナも魔力を使い、腕から逃れようと素早くなっていく。そしてルミーナは石で出来た門の影に隠れた。巨人の腕が迫る。しかし、拳が門を破壊する事はない。ラミーナは歯痒そうだ。

「……乱暴したら、遺跡が壊れちゃうわよ」

「そのぐらい気をつけてるわよ!!」

 ラミーナは叫ぶ。

 どうやらラミーナもこの丘にある遺跡たちを壊したくはないようだ。けれどそれでは戦えない。巨人の上では指先でルミーナを捕まえようと動き出す。

 ルミーナは門の裏側に身を潜ませながら移動していく。

「チィッ!」

 ちょこまかと身を隠すルミーナにラミーナは舌打ちする。すると突然ルミーナが飛び出してきた。彼女の指から氷のつぶてが放たれる。それと同時に巨人はデコピンをした。直接指はルミーナに当たっていない。しかし、ルミーナと氷のつぶては共に後方に吹き飛ばされた。彼女は壁に背中を打ちつけ、痛みに呻く。

「えっ!?」

 シエラは目を見開いた。

「……恐らく、風だ」

「風?」

 シエラは隣にいるクラウドを怪訝そうな目で見やる。

「魔力で風を圧縮して、一気にそれを放つ。……ま、そんな感じだろうな」

「……ただのデコピンじゃないんだ」

 デコピン、恐るべし。

 シエラは能天気にそんな事を思った。しかしラミーナは遺跡に気を遣っているのか、追撃をしようとしない。それに考古学者でもあり、遺跡を大切にしているユファの目の前だという事もあるのだろう。

「……さすがに、痛かったわね」

 ルミーナは少しふらつきながら起き上がる。彼女の瞳にはこれまで以上に燃え滾るような光が宿っていた。

「けど、甘いわ」

「ッ!?」

 とてつもない冷気を感じ、シエラ達は視線を上空に向ける。

「腕が凍ってる!」

 巨人の腕は、指先から徐々に氷に覆われていく。恐らく冷気を感じたのはあの氷が原因だろう。それにしてもあれほど大きな腕を凍らせてしまえる魔力量と、その技術は天才としか言いようがない。ふと術者であるラミーナの腕を見やる。すると、彼女の腕までも凍ってしまっているではないか。

「ラミーナ!!」

 シエラが叫ぶ。しかし、ラミーナは薄っすらと笑っているだけだ。

「……この程度の氷なんて、どうって事ないわ」

 ラミーナはペンダントに魔力を込める。巨人の腕はそれに呼応して熱を帯び始めた。腕から水蒸気が発生し始める。が、次の瞬間無数の光の矢が出現した。腕は矢に取り囲まれる。このままではラミーナもろとも腕は串刺しにされてしまう。

「これで、終わりね」

 ルミーナの合図で、矢は腕へと放たれた。

 しかし。

「え――?」

 光の矢が腕を串刺しにする事はなかった。腕は光に包まれると、氷を破り小さな粒子へと姿を変えた。そしてラミーナを守るように彼女の元へと降り注ぐ。光の矢は砂のように消え失せ、ラミーナの腕を覆っていた氷もいつのまにか解けていた。

 粒子はラミーナの足元に降り積もる。そして、ラミーナがルミーナを真っ直ぐ射抜いた。瞬間、粒子は一直線にルミーナへと向かう。

 ルミーナは慌てて魔方陣を出現させる。しかし、間に合わなかった。粒子はルミーナを捉えるとすぐさま形を変えていく。再び腕に戻ったのだ。けれど今度は手首より先の部分しか出現していない。

「……ま、さかこんな能力があったなんて」

 ルミーナは腕に握られて、息も絶え絶えだ。残った粒子は天空で黄金の魔方陣を描いている。その中心には高密度に圧縮された魔力が集っている。 

「……焼結せよ氷結せよ、我が身に纏いし万物よ、我が剣となり我が矛となれ。汝の剣は今我が元に――シャインズ・ブレスト!!」

 光が収束し、魔力が爆発する。黄金の魔方陣から一筋の光が放たれた。光は一直線にルミーナに向かう。

 衝撃と閃光。耳をつんざく轟音と目を覆う爆煙。闇夜において一際輝きを放つ、破壊の光。

 魔方陣は魔力を出し切ると、夜空に消えてしまった。光の粒子たちもラミーナのペンダントへと戻っていく。しかし、ルミーナが煙の中から落ちてこない。次第に靄が晴れていく。静けさを取り戻した丘に、冷たい風が吹き抜けた。

「……おい、あれ」

 バイソンが煙の中心部を指差す。そこには、薄っすらと人影が見える。

「今の一撃を受けて、まだ生きてるのか」

 ユファは目を細め、数珠に触れた。しかし、ラミーナはゆっくりと姉が落ちてくるだろう場所へと歩いていく。

 シエラはじっと目を凝らす。姿を現したルミーナは、もうボロボロだった。彼女の目の前には、消えかかった魔法陣が一つ。

 それが完全に消え去ると同時に、ルミーナも人形のように力なく、地面に向かって落ちていく。

「きゃ!!」

 ラミーナは勢い良く落ちてくる姉を抱きとめる。そのままラミーナが下敷きになり、二人とも地面に倒れこんだ。全身を強く打ちつけたらしく、ラミーナの表情には苦悶が覗える。

「ラミーナ……」

 シエラ達はゆっくりと二人に近づいていく。ラミーナはルミーナを自分の上からどかすと、緩慢な動きで自分の姉の頬に触れた。

「……っ」

 その右手には風前の灯火のような魔力が込められている。恐らく先ほどの魔法でラミーナも魔力を使い切ってしまっているのだろう。そんな僅かな魔力しか残っていなくても、ラミーナは彼女を殺そうとしている。気を失っているルミーナは、傷ついてなお人を魅了する輝きを失っていない。そして何より、本当にラミーナに似ている。

 シエラは寂しげなラミーナの背中を見つめた。何か声をかけるべきなのか。それさえも、分からない。

「うっ……」

 すると、ルミーナが薄っすらと目を開けた。彼女はラミーナの顔を見ると、穏やかに微笑んで見せた。

「まさか、あなたに負ける日がくるなんて……」

 先ほどまでとは別人のような穏やかさだ。ルミーナの荒い呼吸が夜空に溶ける。

「あたしに負けたんじゃないわ。姉さんは“アレ”に負けたのよ」

 “アレ”というのは、恐らく先ほどペンダントから出てきた巨人の腕だろう。ルミーナは痛み目を細めながら、小さく頭を振った。

「それは……違うわ。“アレ”は私には召喚できないもの。……成長したのね」

 その言葉に、ラミーナは目を見開く。きっとその言葉はラミーナが長年待ち望んでいたものだ。

「何よ。……なんで今更、そんな風に言うのよ」

 だからこそ、きっとこの場では言ってほしくなかったのかもしれない。ルミーナはそっとラミーナの頬に触れた。

「不思議ね。負けた今となっては……もう何も思わないわ」

「なっ!? そんなの都合よすぎるわよ!!」

 ラミーナは思わず声を荒げる。ルミーナはただ微笑んでいるだけだ。

「そうね。私は都合の良い女よ。だから、最期にあなたに言っておきたい事があるの」

 ごくり、とラミーナの喉が上下する。

「――私は、後悔してないわ」

 ルミーナは、たった一言そう言った。それが、きっと彼女の全てなのだろう。シエラやラミーナ達と道は違っても、彼女の心は真っ直ぐだったのだ。

 ラミーナは静かに頬を濡らす。自分の腕に抱かれながら穏やかな顔で目を閉じた姉を、じっと見つめている。二人の胸元で、ペンダントが煌いた。

 シエラ達は黙って彼女の背中を見守る事しかできない。こんなに悲しい別れが、この旅で待っていたなんて――誰が知っていただろう。

 ――ラミーナ……。

 今彼女は何を思っているのか。もしかしたら、彼女は実の姉と争わなくてすんだのではないだろうか。そんな風に、シエラは思えてしまう。

「……誰か、日記を取ってきてくれない?」

 ぽつり、とラミーナが言う。シエラとクラウドが顔を見合わせ、先ほどルミーナが日記をおいた柱へと走っていく。そこには魔法でできた籠はなく、日記だけが置かれている。

「コレって……」

 シエラが日記をぺらぺらとめくる。白紙ではなく、何か文字が書いてある。その事に安堵しつつ、やはりシエラには解読できない。

「きゅーん……」

「イヴ!?」

 シエラは素っ頓狂な声を上げた。なんだか久々にイヴの顔を見た気がする。イヴはシエラの肩に飛び移ると、眉を垂らしてじっと日記を見つめた。

「どうしたの?」

 シエラはもう一度日記に目を通す。相変わらず何も分からない。

「とりあえず戻るぞ」

「うん。そうだね」

 二人は踵を返して皆の元へ向かう。

 シエラとクラウドが戻ってくると、他のメンバーの視線が一斉にこちらに集中した。シエラはしっかりと日記を見せる。真白いそれを見ると、全員心なしか安堵の表情を浮かべた。

「一応、中身も見てみたけど……私にはさっぱりだよ。ユファ、読める?」

 シエラは日記をユファに差し出す。ユファは受け取ってからぺらぺらと捲り出す。

「どう……?」

「……これは」

 ユファが言い淀む。何か問題があるのだろうか。そんなシエラの懸念を打ち払うかのように、ユファは「とりあえず、一度態勢を整えてから、きちんと解読してみよう」と呟いた。

「んじゃ、これからどうっすかな?」

「……そう、ですね。とりあえずラミーナさん、どうしますか?」 

 ウエーバーは控えめに横たわっているルミーナを見た。どうやら、彼女の扱いについてどうするのか聞いているらしい。ラミーナは「そうね」と思案するように顎に手を当てた。すると、どこからともなく「心配するな」という声が降ってきた。シエラ達は辺りを見回す。つい最近聞いたばかりの、どこかくぐもった声。

「……うおっ!!」

 バイソンが驚きの声を上げた。それにつられて視線を動かしたシエラ達も次々に「うわぁ!?」と声をあげる。いつの間にか、彼はラミーナの傍らに立っていたのだ。闇夜にまぎれる仮面の男――ハロルドは、じっとルミーナを見つめている。

「まさか、本当にやってのけるとはな」

「……そう、ね。あたしもちょっと驚いたわ」

 ラミーナはそう言って力なく笑う。ハロルドはそれには何も返さずに、静かに両の手のひらを合わせた。

 横たわるルミーナの下に、魔法陣が現れる。魔法陣が光ると同時に、地面から真っ黒の棺が徐々に出現してくる。それはすっぽりとルミーナを包み込むように現れ、完全に彼女を覆ってしまった。

「これは俺達が預かる。安心しろ。きちんと陛下にも、お前の両親にも伝えておく」

「えぇ、お願いするわ」

 その言葉を聞くと、ハロルドが右手を上げた。瞬間、どこからともなく、ハロルドと同じ仮面をつけた人々が四人現れる。彼らは棺を囲むようにして、魔力を練り始めた。棺を上下から挟むようにして、新たな魔法陣が光り始める。上から迫る魔法陣が棺を通過し、魔法陣同士がぴったりとくっつく。すると、棺が一瞬にして一枚の札へと変わってしまった。ハロルドはそれを拾い上げる。そして、もう一度ラミーナを見やった。 

「……大丈夫よ」

 ラミーナは柳眉を下げながら、いつものように笑ってみせる。

 風が丘を吹き抜けていく。ハロルド達は、無言のままその場から姿を消してしまった。ハロルド達がいなくなり、シエラ達からも緊張感がなくなる。一度に沢山の事が起きすぎて、シエラの頭はそろそろパンクしそうだ。

「……じゃ、街に戻りましょうか」

 そう言ってラミーナは立ち上がろうとし――ゆっくりと体のバランスを崩した。

「ラミーナ!?」

 慌ててシエラ達が彼女を抱きとめる。ラミーナは力なくシエラの腕に触れた。

「ちょっと……魔力、使いすぎたみたいね」

 大丈夫よ。掠れた声で言ったきり、ラミーナの意識は切れてしまった。シエラとユファは二人でしっかりとラミーナの体を支える。

「……やっぱり、あれだけの“モノ”を使えば当然ですよね」

「仕方ないな。……街に戻って、俺達も休もう」

 クラウドが締めくくり、シエラ達もそれに頷く。カルタゴの丘に、夜の静けさが舞い戻った。



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