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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第十一章:光
82/159

 それから、食事を終えたシエラ達は、暫しの睡眠を取る事になった。夜明け前にここを出発し、次についた町で馬車を使う事にしたのだ。さすがに半日ほどは部屋にだらだらといたからといって、あの戦いがあって疲れていないわけがなかった。シエラ達は泥のように眠っている。シエラが何度目かの寝返りを打つと、ゴン、と頭をどこかにぶつけて目が覚めた。

「いった……!!」

 藁を下敷きにしているとはいえ、レンガでできた小屋の柱にぶつかれば当然痛い。シエラは頭を擦り、呻きながらゆっくりと起き上がる。まだ夜明けにはなっていない。

「……寒い」

 シエラは鼻をすする。風雨を凌げるとは言っても隙間風は入ってくる。両手を擦ると、自分の血色の悪さが目に付いた。手の甲は薄紫色になっている。

 ――冬にはまだまだ遠いっていうのになぁ……。

 シエラは大きな欠伸を漏らす。ふと辺りを見回せば、ラミーナの姿がない。どこに行ったのだろうか。トイレか何かだろうとは思いつつも、シエラはそっと小屋から抜け出す。こんな夜更けに一人で出歩くなど、いくらラミーナでも危険極まりない。シエラは小屋から出て、数メートルほど元来た道の方に歩く。すると、シエラは思い切り足を滑らせた。

「うええぇぇえ!!!?」

 素っ頓狂な声を出しながら盛大に転ぶ。しかも数メートルほど下に落ちた。

「いったぁ!! もう、最悪!!」

 お尻を押さえてシエラは叫ぶ。すると、すぐ側で「シエラ……?」と名前を呼ばれた。慌てて視線を持ち上げてみると、目をこれでもかと丸くしたラミーナが立っていた。

「な、なにしてんのよ?」

 戸惑いながら問いかけてきたラミーナに、シエラは

「……うん、まぁ、転んだわけですね」

と、居心地悪そうに答える。しかしラミーナはすぐさま目を吊り上げた。 

「んなの見れば分かるわよ!」

 シエラは思わず「す、すんません!」と謝っていた。ラミーナは屈んでシエラに手を差し伸べる。

「あたしが聞きたいのは、どうしてここにいるのかって事」

 シエラはラミーナの手を取りながら目を逸らした。これは何を言っても怒られそうな予感しかしない。とりあえずは正直に話そうと、口を開く。案の定、ラミーナは呆れたように溜め息を吐いた。

「あんたねぇ、自分の身の安全は考えなかったの?」

「……うん。いや、ていうかそれラミーナに言われたくない!」

「うっ! そ、そりゃあたしも他人の事言えないわよ! でもねぇ、シエラ」

 ラミーナはシエラに続きを言おうと肩を怒らせ、口を閉ざした。シエラはてっきり説教されるものだと思っていた為、拍子抜けしてしまう。けれどよくよく考えてみれば、今はラミーナにとってそんな状況ではない。

「……なんか、駄目ねあたし」

「え?」

 ぽつり、とラミーナが呟く。彼女の視線の先には穏やかな川が流れている。シエラはじっと彼女の横顔を見つめた。

「強がってばっかりで。……本当は、何も出来ないのに」

 普段強気な彼女からは想像できないほど、弱気な発言だ。シエラは眉間に皺を寄せる。

「ラミーナ?」

「ちょっとだけ。あんたにだけ……良い?」

 その問いに、シエラは大きく頷いた。ラミーナは腰を下ろし、じっと川を見る。

「……あたしがまだ六歳だった頃。姉と一緒に初めてお城に上がったわ。子供の頃のあたしは、凄い引っ込み思案で大人しかったの」

「ラミーナが!?」

 シエラははっとして慌てて口を手で覆う。ラミーナは一瞬ジロリと睨んだが、すぐに笑った。

「あたしも、今思うとおかしいの。……まぁなんていうか、昔は姉さんの後ろを黙ってついていく子だったわ」

 昔を懐かしんでいるラミーナは、どこか幸せそうだ。今目の前で起こっている現実が、嘘であるかのように。

「姉と一緒に姫様の側仕えとして働いたわ。働いたって言っても、あたしはほとんど姫様の遊び相手だったけどね。その時にね、姫様から“あなたはもっと堂々としていなさい”って言われたの。姫様だってまだその頃は弱冠七歳なのよ? おかしいわよね。なんでも、昔王子が王妃様に言われた言葉をまんまあたしに言ったらしいの」

「あはは、そうなんだ。なんだか王女様って言っても子供の時は子供なんだね」

 シエラはその場面を想像して笑いを漏らす。

「……それからよ。あたしは少しずつ、自分に自信が持てるようになった。あたしね、ずっと姉さんに憧れてたの。姉さんは、賢くて何でもできて、魔法の才能に恵まれていたわ」

「魔法の才能ならラミーナだって!」

 シエラがそう言うと、ラミーナはケタケタと笑った。

「あたし、正直言うけど才能なんてこれっぽっちもないわよ。……ただ、どうしても、姉さんに追いつきたかった。その一心で勉強したわ。何度も何度も魔法を重ねて、何度も何度も失敗して……」

 ただひたすらに、ラミーナが目指したもの。それは紛れもない、あのルミーナなのだ。シエラは本人の口からそれを聞くことで、今の現実がどれほど彼女にとって辛く悲しいものであるか痛感した。けれど、ラミーナは努力してここまで強くなった。その事に、シエラは自分の不甲斐無さを改めて突きつけられる。

 ――ラミーナは辛くても頑張ったんだ。……それに引きかえ、私は今まで何もしてこなかった。

 そんな自分が、旅をする事で自分の無力を知るのは当然だったのかもしれない。ふとシエラが視線を感じて顔を上げると、ラミーナがじっとこちらを見ていた。

「……ねぇラミーナ。恐くは、なかったの? 何度も失敗して、恐くなかった?」

 シエラは目に力を入れながら尋ねる。ラミーナは穏やかに微笑みながら、夜空を見上げた。

「……恐くないわけないでしょ。最初は凄く嫌だった。現実を、“あたしにはできっこない”っていう事を突きつけられている気がして」

 でもね、とラミーナは続ける。

「何度もやるうちに分かったの。誰だって最初は失敗して当然なんだって。だから、頑張れたの。

それにね、段々やっていくうちにコツも掴んだわ。だからシエラ。今あんたが魔法を上手く使えなかったとしても……磨いて光らないものなんてないのよ」

「ラミーナ……」

 本当はシエラがラミーナを励ますはずだった。それがいつの間にか、シエラがラミーナに励まされている。

「やっぱり、ラミーナには敵わないなぁ……」

 シエラは服の袖で目を擦る。心の奥が温かくて、心地よい。今まで凝り固まっていた何かが、ゆっくりと解けていく。今すぐじゃなくていい。これからでいい。これから少しずつ、努力を積み重ねていけばいい。――導きがシエラを優しく照らしてくれる。

 そしてシエラは、決めた。

「ラミーナ。その……もし良ければ、私に魔法を教えてほしいな」

 シエラがしどろもどろに、視線を逸らしながら口を動かす。ラミーナは一瞬目を丸くしたものの、すぐに相好を崩した。

「あたしで良ければ、勿論!」

 ラミーナは立ち上がり、シエラに手を差し出す。

「さて、そろそろ戻りましょうか? あんまり夜風に当たってると風邪引いちゃうわ」

「そうだね」

 シエラはラミーナの手を借りて立ち上がった。小屋に戻ろうと坂を上ったところで、シエラは人影に気づく。月が雲に隠される。真っ暗な闇でシエラは目を凝らした。仲間のものではないが、どこか見覚えのある姿かたちをしている。そしてその人物が、ゆっくりとこちらを振り返った。月を隠した雲が流れていく。

「――グレイ?」

 シエラは思わず、彼の名を呼ぶ。

「やぁシエラ、久しぶりだね」

 にこやかに手を上げてくる彼は、まるで友人にでも会いに来たかのような雰囲気を纏っている。間違いなく、彼はグレイ=ジェルドだ。もうここ二ヶ月近く姿を見ていなかった男が、何故突然に、しかもこんな夜更けに現れたのだろう。ラミーナはシエラを守るように、彼女を背中に隠す。

「あはは、やだなぁ。別に取って食おうなんて思ってないよ」

 グレイは愉快そうに口元を歪めている。相変わらず、奥に潜むものは不気味で凶暴だ。

「あんた、こんな時間に何の用!?」

 ラミーナはきつくグレイの事を睨みつける。過去に対峙したとき、ラミーナはグレイに小馬鹿にされた経験がある。何よりシエラと一緒に謎の男二人組みにつれさられた時、彼女はグレイに歯が立たなかった。

「うーん、まぁ特に用事ってほどの事はないんだよね。久々に顔を見に来ただけっていうか」

「はぁ!?」

 ラミーナは益々訳が分からないといった表情だ。シエラは先ほどから、身の内側から湧き上がる恐怖に震えている。それに気づいたらしいグレイが、シエラに向かって微笑みかけた。

「あぁシエラ。大丈夫だよ。そんな風に怯えないで」

「……無理!」

 シエラはラミーナの背中にしがみつきながら、グレイを威嚇する。

「大体、あなたの目的は何なの? どうして私達にちょっかい出すの!?」

 シエラは、最初の頃に彼に問うた事をもう一度口にする。彼は相変わらず謎に包まれている。最近はめっきり接触してこなくなったので、その存在は意識の隅に追いやられていたが。

 グレイは考え込むように顎に手を当てる。どうやら彼にしては珍しく迷っているらしい。前回は見事にはぐらかされてしまっただけに、シエラは今回こそはと期待を込める。

「うーん、そうだなぁ。今ここで話してもいいんだけど、それじゃ芸がないしなぁ」

 何やら当の本人はブツブツと訳の分からない事を呟いている。うんうんと暫く唸ってから、グレイは眉を垂れ下げながらチラリとシエラに視線を寄越した。

「ねぇシエラ。君の質問に答える前に、僕の質問に答えてくれるかい?」

「は?」

 突然何を言い出すかと思えば。ラミーナは視線で止めておきなさい、と言っている。しかし、これは逆に言えばチャンスかもしれない。全く正体も素性も分からないこの男の事を、少しでも知れる可能性がある。

「……分かった、答える」

「交渉成立だね。ねぇ、シエラ。君は……もしかして、レイル=アナトミアという人物に会わなかったかい?」

「ッ!?」

 シエラは彼の質問に全身に鳥肌が立つのを感じた。何故レイルの事を知っているのだろうか。それに何故そんな質問をしてくるのか。シエラには全く理解できない。それ以上に。

「ストーカー……?」

 ありったけの嫌悪感を言葉に乗せる。もう不気味を通り越してひたすらに気持ち悪い。グレイは「あはははは!! ……違うよシエラ! 違うってば!」と笑いながら怒っている始末だ。何だか余計頭に来るし気持ち悪い。よく分かってはいないがラミーナもシエラと一緒になって引いている。

「あんた……そんな趣味があったわけ」

「だから違う!!」

 グレイは必死になって否定している。なんだか普段余裕があるだけに、そうも全力で否定されると却って怪しい。シエラは軽蔑の眼差しをグレイに向けながら、考える。レイルの事はラミーナ達には話していない。

 ここで話して良いものか、悩む。レイル本人からは、彼女の秘密については話す事を禁じられている。しかし彼女に会ったという事実については何も言われていない。

 そうこうしてシエラが悩んでいると、落ち着きを取り戻したグレイは「あぁ、もういいよ」と微笑んだ。

「さっきの君の反応で分かったから。……そうか、君は、レイルに出会ってしまったんだね」

「どういう……意味?」

 まるで、出会ってはいけなかったかのような口ぶりだ。シエラは背後から迫り来る嫌悪感に、冷や汗が吹き出てくる。グレイは穏やかに微笑みながら、風にさらわれていく自分の髪に触れた。

「そのまんまだよ。君はレイルに出会うべきではなかったんだ」

「そんな事、あなたに決められたくない!」

 シエラはグレイに向かって吠える。意味の分からない言葉ばかり並べ立てて、勝手な理屈で話を進めていく。そんなグレイにシエラは腹が立って仕方ない。

「大体、あなたとレイルに何の関係があるの!?」

 シエラが声を荒げて問い詰めれば、グレイは悲しげに瞳を揺らして俯いた。何かを懐かしむように、優しげな顔つきになっている。

「……俺とレイルは、幼馴染だった」

「……え?」

 瞬間、シエラは衝撃のあまり微動だにできなかった。レイルがシエラとクラウドに話してくれた事が、一気に脳内を駆け巡る。

『だから、私は……彼の為に……彼を救いたいのに……! 世界は、世界は、世界は……!!』

 レイルが涙ながらに語ってくれた、心からの願い。それは今でもシエラの脳裏にこびりついている。けれどシエラは、信じたく気持ちでいっぱいだ。

 ――だって、だって……!! レイルは幼馴染の“彼”を救いたいって……!!

 もしグレイの言葉が真実ならば、レイルが救いたいのはグレイという事になる。頭の中がぐちゃぐちゃになって、認めたくないとシエラの心が悲鳴を上げた。

「ちょっと待ってよ。……あなたがレイルと幼馴染?」

 シエラが瞠目して確かめるように問いかければ、グレイは静かに微笑んだまま頷いた。グレイはそっとシエラに手を伸ばす。

「シエラ。君は、この“ゲーム”の立役者の一人なんだよ。……そんな君が、レイルという“登場し得ない”役者と出会う事は、あってはならないんだ」

「どういう、意味? ゲーム? 役者? ……止めてよ。そんな風に、あなたに言われたくない!」

 シエラは整理のつかない頭を押さえながら、覚束ない足取りでニ、三歩あとずさった。この男の得体の知れない部分は、シエラにとって恐怖そのものでしかない。グレイという存在の歪さが、この闇夜に紛れてしまって更に不気味さを出している。シエラが後ろに下がると、グレイも一歩前に進む。ラミーナはシエラとグレイの真ん中に立ちはだかり、魔力を練った右手を翳した。

「それ以上、近づかないで!」

 ラミーナが威嚇するものの、グレイはどこ吹く風だ。すると、突然小屋の方から雷撃が飛んできた。グレイは宙に浮いてその迸る雷撃を避ける。視線を小屋の入り口に向ければ、そこにはクラウドとユファ、ウエーバーが立っていた。その後ろにはサルバナとバイソンも控えている。

「……何のまねかな?」

 グレイは声のトーンを落とし、五人をねめつけた。

「それはこっちの台詞だ。夜中にうるせぇんだよ。嫌がらせかこの野郎」

 クラウドは不機嫌丸出しで剣の切っ先をグレイに向けている。「グレイの事嫌ってますランキング」第一位のクラウドが登場したからには、この場もきっと穏やかには終わらない。グレイに切っ先を向けているクラウドは寝起きで苛立っているらしく、それはもう海のように深く眉間に皺を刻んでいる。

「別に嫌がらせしたつもりはないんだけどなぁ。……ま、いいや」

 グレイは地に脚をつけると、ユファとサルバナに向かって笑いかける。

「君達が、ダリアミとナールの適合者だね。はじめまして、俺はグレイ=ジェルド」

 しかし、ユファとサルバナは何も言葉を返さない。サルバナにいたっては「男に挨拶されたってなぁ」とぼやいている始末だ。

「あんた、こんな夜更けに何の用だ」

 ユファが語気を強めて言えば、グレイは「んー」と笑顔で首を傾げている。

 ――さっき顔見にきただけとかほざいてただろうが!!

 と、シエラは内心で癇癪を起こしたけれど、口にするのは止めておいた。ユファは怪訝そうな表情でグレイの事をじっと見つめている。グレイは楽しげに小首をかしげたまま笑う。

「俺が何故ここにいるのか、そんな事はどうでもいいんじゃないかな。……どうせ君たちに世界なんて救えやしないんだ」

「どういう意味だよ」

 聞き捨てならない。クラウドはそんな気持ちを込めただろう視線でグレイを睨み付けた。シエラとしても今の彼の言葉は不可解だ。

「そのまんまだよ。君たちはいずれ宝玉を奪われる。もし仮に聖玉を封印できたとしても、世界は崩壊するしかない。――そういう、運命なんだ」

 抗いようのない大きな濁流に飲み込まれる。それが、運命。グレイは独り言のように呟く。クラウドは剣の柄を握る手に力を込める。シエラも眉を吊り上げながら、一歩前に歩み出た。

「俺たちは、絶対にこの旅を、何一つ欠けさせる事なく終わらせてみせる……!!」

「あなたの言葉なんて、私たちは信じない!!」

 二人の声が闇夜に響く。どれもこれも、グレイは全てを知っているようにシエラ達に話してくる。それが全て過去に対する話ならばまだ聞く耳も持てるだろう。けれど、彼が言ったのは未来の、これから切り開かれていく“道”の数々だ。シエラは拳を強く握る。

「あなたが何を企もうと、私たちが目指すものは変わらない。聖玉だって、ちゃんと封印してみせる!」

 できっこないだなんて言わせない。できないだなんて泣き言は、旅に出ると決めた時に捨てた。シエラは真っ直ぐにグレイを見つめる。あの日見た、ファウナの涙は、いつだってシエラの心を奮い立たせている。どんなに挫けそうになったとしても、支えてくれる仲間がいる。

 ――だから、私は戦うんだ。

 足を引っ張っても、心が折れそうになっても、それでもシエラを引っ張ってくれる大切な人たちがそこにいるから。グレイはシエラの強い気持ちを感じ取ったのか、ふっと肩の力を抜いた。

「……今の君たちには、何を言っても無駄のようだね」

「今だけじゃねぇ。てめぇの言葉に聞く耳なんざ持ってねぇんだよ!」

 クラウドはグレイに向かって切りかかる。切っ先が僅かに彼の髪を掠め、はらはらと切られた髪の毛が宙に舞った。次の瞬間には、無数の火の玉がグレイを囲んでいる。ウエーバーだ。火の玉はウエーバーが指を鳴らす音に呼応して、次々に爆発を起こす。

 しかし、爆発を起こしても数秒ほどで、煙はおろか火の玉そのものが消えてしまう。靄のなくなった場所には、無傷のグレイが佇んでいた。

「……やはり、単純な魔法勝負では分が悪いですね」

 ウエーバーは両手から魔方陣を出現させる。その表情には僅かに焦りが滲んでいた。ユファやサルバナも、今のグレイの応戦でその底知れない実力に気づいたらしい。腰を低くして戦闘態勢だ。

「彼は一体何者なんだ?」

 ユファは数珠を持ち直しながら、ちらりとグレイを見やる。ウエーバーとクラウドは目配せをすると、おもむろに口を開く。

「その、僕たちにもよく分からないんです。目的は教えてくれませんし。ただ、頻繁に手を出してくるというか、旅の邪魔をしてくるというか……」

 ウエーバーがそう曖昧に答えると、ユファは「分かった。とにかく、敵である事には変わりないな」と敵意を剥き出しにする。サルバナはへらりと笑い「男かぁ。レディーに追いかけられるならまだ歓迎のしようもあるっていうのに」とぼやいている。

「……さて、どうしますか? ただの魔法では彼には届きませんし」

 冷静にウエーバーが尋ねれば、

「ま、どっちにしろいっちょ懲らしめてやらねぇとな」

と、バイソンが拳を構えた。

「あの、バイソンさん? まさか魔法が駄目だから拳で、とか思ってません?」

「え、駄目なのか?」

「いや、駄目って事はありませんが……」

 ウエーバーは苦笑いを浮かべて言い淀む。バイソンはノリノリで、グレイを殴り飛ばす準備万端らしい。纏っている雰囲気は、本物だ。

「あんたが本気なんて珍しいな」

 クラウドが不敵に口角を上げてみせると、バイソンは拳を擦りながら「強い奴と戦えるってんなら、俺だって本気になるさ」と無邪気に笑う。

「それに、たまには俺だって役に立たないとな!」

 バイソンは勢いをつけるとそのままグレイに突っ込んでいく。グレイはひらりひらりとバイソンのパンチを避ける。顔面めがけて繰り出されるストレートやアッパー、腹部を狙ったボディブロー。どれもこれもバイソンの動きは俊敏だ。しかし、それをグレイは軽やかな動きでかわしていく。

「悪いけど、俺は肉弾戦みたいなのは苦手でね」

 グレイは右手を翳す。ぞっとするような殺気を放ったそれは、一瞬にしてバイソンの目の前に現れる。

「うげっ!?」

 バイソンは慌てて蹴りでグレイの手を弾く。そのまま後ろに下がり、グレイから間を取った。バイソンの額には、尋常ではない汗が浮かんでいる。

「……ふーん。戦い方は、なかなかスマートじゃないか。ま、ちょっと俺の主義には反する人物のようだけどね」

 サルバナは冷静に言い放つと、すっと双眸を細めた。気づけば、グレイの周囲を紫色の霧が覆っている。次いで、動きを封じるように地面から鎖まで出現した。グレイの手足は鎖に縛られる。けれど、グレイは目を見開くだけで、焦りの色は滲ませていない。

「へぇ。まさか生でこの魔法を体験できるとは思わなかったな」

「……冥土の土産に調度いいだろう?」

 サルバナは嘲るように笑う。グレイは腕を動かそうと試みるが、鎖はびくともしない。紫色の霧は次第に玉という形を帯びていく。目に見えて質量を持ち始めているのが分かるほどだ。さらにその周りには、ウエーバーとラミーナが出現させた火の玉まで浮かび上がっている。グレイは視線をしきりに動かしながら、シエラ達の顔色を窺う。クラウドが眉間に皺を寄せて剣を構えた瞬間、グレイは一気に魔力を解放した。

「ッ!!」

「きゃっ……!!」

 あまりにも凄まじい魔力にシエラ達は気圧される。激しい風が巻き起こり、シエラ達を吹き飛ばさんと荒れ狂う。肌に当たる度に全身が痛む。まるで風そのものが攻撃してくるようだ。 

 ――こんな魔力、凄すぎる……!! 

 先ほどの一瞬で、グレイが魔法を使ったような仕草は見受けられなかった。これほど爆発的な魔力を秘めていたという事にも驚きだが、魔力だけで暴風を巻き起こすという芸当も人間離れしている。そのとき、シエラは自分の身体が地面から離れたのを感じた。しかし、気づいた時にももう遅く。足は完全に地面を離れていた。

「ちょ、え、ウソぉぉおぉおぉ!?」

 シエラは宙に浮きながらバタバタと手足を動かす。これだけの暴風ならば飛んだ瞬間に遠くに吹き飛ばされるはずだ。しかし、シエラは逆巻く風の中で浮遊している。

「なんで!? ていうか助けて!!」

 シエラは顔を真っ青にして叫ぶ。仲間達は吹き飛ばされないように踏ん張る事で精一杯だ。シエラに視線を向けても動く事ができない。グレイだけは楽しそうに笑っている。縛っていた鎖はおろか火の玉でさえ、もうどこかへと消え去ってしまっていた。シエラは思い切り彼の事を睨み付けた。

「ねぇ、おろしてよ!! 風操ってるのあなたでしょ!?」

「うーん、下からの眺めもいいんだけどなぁ……」

「はぁ!? 何言ってんの!? アホ、バカ、サイテー!!」

 シエラは顔を赤くしたり青くしたりしながら、グレイに向かって叫ぶ。その様子をグレイは楽しそうに眺めながら、手を鳴らした。すると暴風はぴたりと止み、シエラは優しい風に乗せられてグレイの元まで運ばれる。

「ちょ、やだやだ!!」

 途中で暴れるシエラだったが、どういう仕組みなのか気流から逃れる事ができなかった。グレイは暴れるシエラを捕まえると、優しい手つきで彼女を抱きしめる。

「離して!!」

 シエラはあまりにも突然の事に目を白黒させた。しかしグレイはシエラが暴れても離してはくれない。

「てめぇ……!!」

 クラウドがグレイ目掛けて切りかかろうとするが、見えない壁に阻まれて先に進めない。壁によって弾き飛ばされたクラウドは地面に倒れこんでいる。

「クラウド!!」

 シエラが駆け寄ろうともがくが、グレイの腕によって頑固に絡めとられて動けない。眉を吊り上げたシエラがグレイを振り仰げば、彼はとても悲しそうに、悔しそうに顔を歪ませていた。

「……君は、君達は、本当にどこまでも似ているんだね」

「何のこと?」

 グレイはどこか遠くを見つめる。いつも彼は、シエラ達を通して何か違うものを見ているような気がする。もう絶対に戻ってはこないものに必死で縋り付いているような、迷子の幼子のような、そんな瞳をしている。

「……シエラ!!」

 そのとき、ラミーナが強く名を呼んだ。シエラは、はっとして我に返る。このまま流されてしまうところだった。シエラはグレイの腕の中で身を縮める。

「シエラ……?」

 グレイが下を向いた瞬間、シエラは思い切り――グレイのあご先目掛けてジャンプした。

「いっ!!!?」

 シエラの後頭部は見事グレイのあごにぶつかり、グレイはあまりの痛みにシエラから腕を離す。その隙にシエラは走って逃げる。どうやら今のでグレイは怯んだらしく、見えない壁も消えていた。シエラはクラウドの元まで駆け寄ると、その背中に隠れる。クラウドはシエラを守るようにして、グレイとの間に立ち塞がった。

 あごを押さえながら、グレイは忌々しげにクラウドを睨む。まるで長年の因縁でもあるような、陰湿で険悪な雰囲気だ。

「……“ナルダン”っていう存在は、いつもいつも俺の邪魔をするんだね。本当に、忌々しい」

 吐き出された言葉は呪詛だ。深い恨みがまざまざと感じられる。クラウドは「邪魔してんのはそっちだろ」と真顔で言い放ち、空いている左手でシエラの腕を掴むと、そのままバイソンに向けて引っ張った。

「おっと」

 バイソンはふらついているシエラを抱きとめると、クラウドをちらりと見やる。

「あんまし暴れんなよ」

「……善処する」

 そう呟いた瞬間、電光石火の速さでクラウドはグレイに切りかかっていた。グレイも魔法で作り出した剣を手に取り応戦している。剣を操る腕は確実にクラウドの方が上だ。しかし、グレイから危機感というものは微塵も伝わってこない。

 人をおちょくる、いつもの彼だ。

 クラウドはグレイに重い一撃を入れる。グレイの手に衝撃が直接響く。怯んだ一瞬を見逃さず、クラウドは強引にグレイに足払いをきめた。グレイの身体が倒れる。クラウドは素早く剣を振りかぶった。しかし、グレイは空いている左手から炎を出現させる。クラウドは目を見開く。

 ドガァァアン。

 深い夜空の下に爆発音が轟いた。

「クラウド!!」

 シエラは咄嗟に叫んで、駆け出そうとした。けれどバイソンに腕を引っ張られその場に踏み止まる。土煙がもくもくと立ち込めている。その中から何かが飛び出してきた。グレイだ。彼は眉根を寄せながらも口角を吊り上げている。

「やっぱり、君は気に食わない男だ」

 その視線の先にはクラウドがいる。土煙が完全に晴れると、土を顔につけたクラウドが立っていた。先ほどの爆発で飛び散った土だろう。クラウドの顔だけではなく、腕や足にも土は付着している。

「……それは俺の台詞だ」

 クラウドは剣を一度鞘にしまう。グレイとクラウドの視線がぶつかり合う。張り詰めた緊張感の中に、鋭利な殺気が潜んでいる。グレイは右手を翳すと、小さな火の玉を出現させた。その炎の色は赤ではなく、不気味な緑色だ。火の玉はゆらりと揺らめくと、シエラの目の前に現れる。

「な、なに?」

 突然のことにシエラが怪訝そうな顔をすると、グレイは指を鳴らした。瞬間、火の玉は小さく弾けた。シエラの瞳に、強く強くその残像が焼きつく。

「う……っ」

 シエラは眩暈に襲われて、頭を抑える。

「てめぇ、今何をした!?」

 クラウドはグレイを睨み付けた。グレイ本人はただ静かに笑っているだけで、何も答えない。その代わり、違う言葉をつむいだ。

「君達が旅を続けるっていうなら、俺は何度だって立ち塞がるよ」

 深い闇夜に、グレイの言葉は不気味なほど染み渡る。

 生温い風が吹き抜けた。次の瞬間には、グレイの姿はどこにもなかった。まるで空気に溶けてしまったみたいに。この場にはシエラ達の戸惑いと、静けさだけが取り残された。



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