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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第十章:動
80/159

****


「あぁ、暇だなぁ」

 シエラは大きく欠伸をしながら、ごろん、と仰向けに寝そべった。あれから連絡が入り、地下神殿に入るまで二日ほど待たなければならない事を告げられた。

 地下神殿は今までは国の最高魔術師のみが入る事を許されており、そこにシエラ達が入る事は異例中の異例らしい。その為現在シエラ達が神殿に入るための準備がなされている――というのは、ハロルドからの情報だ。

 昨日は疲れからかシエラ達は全員部屋の中に篭っていた。ハロルドからも部屋からはなるべく出ないようにと釘を刺されている。二日も何もせずに篭るというのは退屈でたまらない。幸いこの埃っぽく薄暗い部屋の奥には、大きな本棚が一つ置かれていた。ウエーバーやユファ、ラミーナはその本で見事に暇つぶしをしている。

「……暇だなぁ」

「……あぁ」

「珍しく意見が合うね。俺も暇だ」

 しかし、それ以外の男性人とシエラは暇を持て余していた。バイソンは部屋の隅っこで腹筋や背筋、腕立て伏せなど筋トレに勤しんでいたものの、さすがにもうノルマをこなしてしまったらしい。

「俺、このままミイラになりそうだ」

「……あーあ、きっと今もどこかで俺を待ってるレディーがいるっていうのに。部屋から出られないなんて」

「まずお前はその口を塞ぐ訓練からはじめたらどうだ?」

「クラウド、サルバナ……うるさい」

 隅っこで寝転がっているバイソンの隣で、シエラは小さく溜め息を吐く。ただでさえそんなに広くない部屋なのだ。騒いだり暴れたりするのだけは勘弁してほしい。

「それにしても、この部屋窓がねぇんだよなー」

 バイソンは壁をぐるりと見渡して、大げさに肩を竦めてみせた。確かにこの部屋には窓が無い。お陰で外の光は入らないは、時間は把握できないは、精神的に参るはで、あまり良い事はない。

「空気の入れ替えもできねぇんじゃ、気分も悪くなるよなー……」

「新鮮な空気が吸いたいね……」

 シエラとバイソンはがっくりと肩を下ろす。すると今まで本に集中して黙り込んでいたラミーナが、つと面を上げた。

「なら、城外に出てみる? 城の外なら、出歩いても多少平気だと思うわよ」

「えっ!?」

 シエラとバイソンは素っ頓狂な声を上げて身を乗り出した。

「お、おいラミーナ。部屋の外に出るなって言われてて、城の外に出るっておかしくないか?」

「そうだよ! ハロルドさんに出るなって言われるんだし」

 シエラとバイソンがそれぞれ反論すると、ラミーナは落ち着いた表情で「まぁ、そうなんだけどね」と続けた。

「多分、あいつが、何より陛下が心配してるのは、反体制派にあたし達の存在を知られる事よ。今ガイバー国内は結構荒れててね。“死霊の大火”以後各地で反乱や暴動が相次いでいるの」

「なら、尚更町に出るって危ないんじゃない?」

「確かに反体制派は市民が過半数を占めているわ。でも、この王城の中にも……いるのよ」

 囁くように言われた最後の部分に、シエラの肌はあわ立った。

「つまり、味方じゃない官僚や貴族に知られたくないってわけ」

「な、なるほど」

 そういう事であるなら確かに街中にいた方がいいのかもしれない。ラミーナはともかく、シエラ達は本来ここにいるべき人間ではない。あっさりと部外者だと知られてしまう。しかし、街に出ればシエラ達もただの市民と同じ。見た目だけでは判断の仕様も無い。

「ハロルドを呼べば、多分人目につかずに城の外に出してくれるわ」

 どうする?

 どこか挑発するようなラミーナの問いかけに、シエラとバイソンの好奇心はどうしようもなく擽られる。

「……そんな風に言われちゃ、外に出たくなるってもんだよな!」

 バイソンがにかっと笑うと、ラミーナは「分かったわ」と自分の荷物の中から水晶玉を取り出した。水晶玉は吸い込まれそうなほど澄んでいて、シエラは水晶に映る自分を凝視してしまう。ラミーナが魔力を込めると水晶は仄かに光り出し、ハロルドの姿を映し出す。しかし、それは一瞬の事で、ハロルドが手を翳した瞬間、映像はぷつりと切れてしまった。

「……ちょっと、何よ!」

 ラミーナが苛立った声を発すると、部屋の扉が静かに開かれた。姿を現したのは、今水晶に映っていたハロルドその人である。

「悪いな。緊急事態だったんだ」

「あら。とてもそうは見えないけれど……」

 ラミーナが皮肉を込めてそういうと、ハロルドは肩を竦めて「まぁ、俺なりに焦ってるんだよ」と強張った声音で呟いた。

「……どうしたっていうのよ」

 一瞬にして、ラミーナの表情が鋭くなる。ハロルドは一呼吸置くと、少し早口で話し始める。

「実はな、今朝からこの首都全域で激しい暴動が起きている。今はその鎮圧に追われてるんだ」

「なっ!? ちょっと、それどういう事よ」

「そのまんまだ。お前も知っているだろう。死霊の大火以後のこの国の情勢を」

 その一言に、ラミーナはぐっと言葉を詰まらせた。悔しそうに顔を歪めており、拳はきつく握られている。

「……まさか、一昨日の火事が原因?」

 押し殺すように紡がれた言葉に、ハロルドは顔を逸らす。

「いや、そこまでは明確じゃない。ただ、ありえない話ではないだろうな」

 仮面で表情は見えないものの、恐らく今彼が困惑しているであろう事は容易に想像できた。シエラ達は事態を飲み込めていないものの、今ガイバーが陥っている状況が良くないものである事は分かる。

「今分かっている事は暴徒がこの城に向かっていること。大量の武器を所持していること。この二つだ」

「あら、諜報部隊にしては出来の悪い仕事内容じゃない?」

「うるせぇ。政府もそれなりの対策はしてきたが、今回はあまりにも突然なんだ。俺たちだってたった数時間ぽっちで情報全ては把握できない」

 今迫っている状況はともかく、普通に会話しているラミーナを見て、シエラはどこか安心した。いつも通りのラミーナだ。しかし、暴徒が迫ってきているという点については最悪の展開だろう。

「……それよりも、暴動が鎮圧されなければ、私達の目的はどうなるんだ」

 ユファの冷静なツッコミにシエラも激しく首を縦に振る。神殿に入るのは明日だ。このまま暴徒にこの城を制圧されてしまっては、神殿に入る事もままならなくなってしまう。

「それについてだが、まずは適合者の安全確保が優先される事になった。いざとなれば他国に空間魔法で飛ばす事も止むをえん」

「そんなっ!」

 シエラは思わず声を上げた。確かに正しい判断なのかもしれないけれど、それでは根本的解決には繋がらないのではないだろうか。

「今から神殿に入る事は不可能なのか?」

 クラウドが眉間に皺を寄せると、ハロルドは頭を振った。

「それは俺だろうと陛下だろうと出来ない相談だ。あそこの管理はたった一人の魔術師によってなされている。あの神殿が開くのは王位継承式ぐらいなもんでな。入る事自体が異例なんだよ」

 ハロルドはそう言うと、部屋の扉を開けてシエラ達に出るように促した。しかし、シエラ達は動けない。もしもを考えてしまうと、どうにも踏ん切りがつかないのだ。クラウドやウエーバーでさえ、この予想外の事態に戸惑っている。ハロルドは小さく舌打ちすると、諭すような声でシエラ達に語りかけ始めた。

「いいか? 今はあぁだこうだと議論している場合じゃないんだ。もしもがあってからじゃ遅いんだよ。お前達は絶対に死んじゃならない人間なんだ。俺には守る義務がある。そしてこれは命令だ。俺と共に城外に出ろ」

 あまりの威圧感に、シエラ達は一瞬意志とは関係なく身体が反応しそうになった。

 ハロルドの静かな憤りにシエラ達が気おされた瞬間、見知らぬ青年が「ハルさん!」と部屋に駆け込んできた。薄桃色の短い髪の毛に、優しそうな垂れ目をした青年だった。ハロルドと同じ黒装束に身を包んでいるが、仮面はしていない。ハロルドは青年を見るやいなや「仮面は外すなと言ってるだろうが! このバカ!」と怒鳴った。

「す、すんません!!」

 青年は慌てて仮面をつけると、改めてハロルドに向かって口を開く。

「報告します! Aブロックに配置されていた鎮圧部隊が突破されました! また、今回の暴動のきっかけはやはり先日の火事だったようです! それと、どうやら暴動の目的は“地下資源の押収及びそれに関する立ち退き”への反対運動という情報が入りました」

 一気に捲くし立てられた難しい言葉の数々に、シエラの頭は一気に思考停止状態まで追い詰められる。一体何の話をしているのだろうか。尋ねられる雰囲気でもないので、今は黙って成り行きを見守るばかりだ。

「おい、ちょっと待て。地下資源の“押収”だって? そんな話は一度も聞いた事ないぞ」

 ハロルドは不可解だと言わんばかりに、腕組をして顎でラミーナをしゃくった。ラミーナは「あたしも初耳よ」と苛立ち混じりに呟く。

「じ、自分も初耳っす!」

「お前の意見は聞いてねぇ!」

「す、すんません!」

 ハロルドは青年を一喝すると、小さく舌打した。

「おいラミーナ。お前これどう思うよ」

 ハロルドは自嘲気味に笑いながら、ラミーナに背を向ける。ラミーナは暫し逡巡してから、ゆっくりと顔を上げた。

「恐らく、情報操作されたんだと思うわ。死霊の大火以後、反乱が起き始めた事を考えれば……まず間違いなく、あの女が絡んでるはず」

「……皮肉な話だな」

 嘲るように紡がれたその言葉には、短いながら強い悲しみと憤りを感じる。シエラ達にはどう足掻いても覆す事のできない、立ち入る事さえできない事情が垣間見えてくる。もしかしたら、ラミーナが背負っている悲しみの一パーセントですら理解していないのではないか。そんな風に、シエラは思った。

「とにかく、まず民衆の誤解を解かないと話にならないわ。陛下にも、情報はいっているのよね?」

「う、ウス! さっき自分が報告してきたッス!」

 青年がラミーナに敬礼すると、ラミーナは「よし!」と親指を突き立てる。

「確かに地下資源の話は数年前持ち上がっていたけど、押収や立ち退きなんて話はなかったはずよ。ハロルド、あんた地下資源のある地域とか町って知ってる?」

「一箇所だけならな。……けど、まだあると決まったわけじゃない。地下資源についてはどれもこれも不確定な事なんだよ」

 ラミーナはそれを聞くと、顎に手を当てて目を閉じた。きっと今は、集中して深く思考を巡らせているのだろう。

「……やっぱり、陛下に潔白を証明してもらう他、道はなさそうね」

「王家の威厳が地に落ちたとしてもか?」

「たとえそうでも、陛下は世に名だたる名君として歴史に刻まれるでしょうね」

「陛下がそれを望んでいると?」

「望んでいなくても、時代が答えを出すわ」

「ちょ、ストップ! 二人とも脱線してる!」

 火花を散らしている二人の間に、慌ててシエラは割り込んだ。自分よりも身長が高く、また国政に精通している二人に口出しするのは恐ろしいけれど、ここで言わなければいけないと、シエラは思った。

「難しい事はよく分からないけど、二人とも根本がズレちゃってない!? 簡単な事じゃないけれど、きちんと話し合うべきじゃないの!? 力で押さえつけたら、きっとまた町の人は不満を爆発させるよ」

 論破されてしまうかもしれない。バカだと罵られるかもしれない。端から相手にもされないかもしれない。色んな恐怖がシエラを蝕む。

 けれど、ここで引き下がるわけにはいかなかった。引き下がったら、人間として、適合者としての目的を忘れてしまうような気がする。ラミーナとハロルドは沈黙し、シエラを見つめたまま固まっている。

「……私、バカだからよく分からない事沢山あるよ。でもね、力では何も解決しないって事ぐらい分かる! 意志を伝える為に言葉があるなら、ちゃんと使おうよ!」

 シエラが必死になって叫ぶと、ラミーナははっとしたような表情になった。それから、遠いところにあった何かを探り当てたような、ちくりと胸を刺すような儚い顔つきになる。

「まさか、あんたがそんな事言うなんてね……」

 ラミーナは小さく口角を上げた。

「そう、よね。あたし、一番大事な事忘れたみたい。……でもねシエラ。無理なのよ。こんなところまで来て今更話し合いなんて、きっと民衆が許さないわ」

「そんな……」

 何故諦めてしまうのだろう。先ほどの口ぶりからするにラミーナもハロルドも、それなりに国王に進言できる立場にいる。それなのに、諦めてしまうというのか。

「シエラ……」

 ウエーバーが、優しくシエラの肩に手を置いた。シエラは呆然とした表情のまま、ゆっくりと首を横に動かす。

「どうして? ねぇ、私達って何のためにここにいるの? どうして、こんな事になってるの……?」

 確かめるように紡ぎだした言葉に、シエラは自分で言っていて哀しくなってきた。旅が始まった頃は、分からない事も多かったけれど、その分目的ははっきりしていた。それが、今はこんなに複雑で、大きな悲しみや意図に包まれてしまっている。すると、クラウドがウエーバーの手をシエラから離させた。

「おい、何諦めムード入ってんだよ。まだ暴動が鎮圧できないって決まったわけじゃねぇだろうが。諦めるなって言いながら、お前も大前提からして諦めてんじゃねぇよ」

 クラウドは呆れたようにそう言い放ち、それから壁に立てかけてあった剣を手に取った。シエラはクラウドに促されるように顔を上げる。

「ほら、こうなりゃ強行突破と行こうじゃねぇか」

「えっ?」

 クラウドは剣を担ぎながら、部屋の扉に手をかけた。ラミーナやハロルドでさえ、唖然としたまま動けずにいる。

「緊急事態だ。悠長に準備ができるまで待つってのもバカな話だろ。せめて、神殿に行くぐらいのあがきはしたっていいと思うんだけどな」

「……はは、確かにそうだな! 何にもしねぇでメソメソしてるより、今出来る事をやろうじゃねーか!」

 バイソンも次いで部屋を出る。それからユファも「私も同感だ」と扉に向かって歩き出す。シエラは何だか心が軽くなったような気がした。

「おやおや。皆やる気満々だね」

「……ラミーナさん。どうしますか? 僕達に、どうしてほしいですか?」

 サルバナの穏やかな笑みと、ウエーバーの真っ直ぐな瞳に、ラミーナは息が詰まった。それから逡巡する仕草を見せ、意を決したように口を開く。

「あたしに力を貸して! あたしは、この負の連鎖を止めたい! 姉さんを、止めたいの……」

 ラミーナがそう言えば、シエラ達の口元には自然と笑みが浮かんでいた。

「任せとけって」

「あぁ、全力を尽くそう」

「レディーの頼みとあれば、断る理由なんて無いよ」

「僕達、仲間じゃないですか」

「ラミーナ、大丈夫だよ」

「……行くぞ」

 クラウドは踵を返すと、シエラ達を引き連れて歩き出す。ラミーナは力強い笑みを浮かべて、しっかりとした足取りで踏み出した。ハロルドはシエラ達の行動を黙って見つめ、それから隣にいた青年を一瞥する。

「……仕事に戻るぞ」

「えっ、いいんすか?」

「あぁ。あいつらなら、大丈夫だろ」

 青年はその言葉に深々と頷く。このときハロルドが何を思ったのか、仮面の下を知る者はいなかった。

 ハロルドと離れたシエラ達は、ラミーナの案内で神殿へと向かっていた。すれ違う人々はシエラ達を奇妙な目で見ては、先頭を走るラミーナを一瞥して顔を逸らす。その事にどこか違和感を感じながらも、シエラ達は城の奥へ地下へと走る。渡り廊下を突っ切った時、外の様子が一望できた。街からは火の手や煙が上がっており、それだけも市中の混乱が相当なものであると察せられる。

「……ひでぇな」

 隣を走るバイソンの言葉に、シエラも頷く。渡り廊下が終わり再び広い廊下に出る。ラミーナは左手に見える階段を下りると、右にある扉に手をかける。

 それから何事かを呟くと、扉は仄かに発光してから音を立てて開いた。そこからはただひたすらに螺旋階段が覗いている。シエラ達はラミーナに続くようにそれを下りはじめる。ディアナの王城でも長い螺旋階段を使った覚えがあるが、ここも相当に長い階段だ。

 螺旋の中央が空洞になっており、微かな灯りが暗い階段を照らしている。気が滅入りそうになった頃、ようやく終わりが見えた。下から、強い光がシエラ達の影を揺らめかしている。

 ラミーナは全員に静かにするように合図を出す。そっと下を覗けば、真っ白なローブに薄紫色の布で顔を覆った人々が横たわっていた。彼らの側に横たわっている杖の先から、魔法で作られた光が段々と頼りなくなっていく。ラミーナは階段を駆け下りると、慌てて倒れている人々の側へと歩み寄る。ラミーナは彼らをゆっくりと抱き起こし、揺すっている。 

「大丈夫!? しっかりしなさい!」

 しかし、ラミーナの声にも小さな呻き声が返ってくるのみだ。彼らには一見しただけでは負傷は見当たらない。

「……俺たちの前に、誰かここにきたって事かな」

 周囲を見回しているサルバナが、警戒しながら呟く。ラミーナも一つ頷くと、ゆっくりと立ち上がる。

「可能性は高いわね。それに、この塔にいるはずの兵士がいないわ」

 ラミーナは真剣な眼差しで周囲を見回し、そして目の前にある堅固そうな扉を見やった。

「……さて、鬼が出るか蛇が出るか。はたまた、美しき破滅の魔女か」

 茶化すようにサルバナが笑う。ラミーナは意を決したように扉に手をかけ、扉は不気味な音を立てながらゆっくりと開いていく。漆黒の闇がその隙間から溢れ出て、シエラ達の心を引きずり込もうとしてくる。観音開きの扉が全開になり、ラミーナは深く息を吸い込んだ。シエラ達も互いの顔を見合せ、小さく頷きあう。

 一歩、闇の中へとラミーナは足を踏み入れる。暗くてよく分からないが、どうやら中は洞窟のようになっているらしい。凸凹とした地面に気をつけながら、慎重にシエラ達は進んでいく。暫く進むと、再び扉が現れた。先ほどの鉄の扉とは違い、こちらは木で出来ている。その扉はラミーナが目の前にくると、光を帯びて一人でに開いた。突然の光に、思わずシエラ達は目を覆う。光を強く感じたのは一瞬で、少しずつ目が慣れ始める。

「……これは」

 ユファの言葉に、シエラも腕の隙間から扉の中へと視線を向けた。ゴツゴツとした岩に囲まれたその空間は、下に円を描くように窪んでいる。しかも岩はただの岩ではなく、よく目を凝らして見てみれば、それは水晶だった。円状に窪んだその空間は思いのほか広く、数十メートルの幅がある。更にその先を見れば、奥に真っ白な祠があった。暗闇の中でも一際目を惹くそれ。しかし、その祠の前に、佇んでいる一人の女性が。

「やはり、来たわね」

「ルミーナ……ッ!!」

 ラミーナが奥歯を噛み締めながら声を荒げた。ラミーナの姉――ルミーナは、静かに微笑を湛えるとラミーナに向き合った。その手には、ルダロッタでコトノに見せられた日記と同じものが握られている。

「もしかして、それ……」

 シエラが呟くと同時に、ラミーナがルミーナ目掛けて飛び掛っていた。

「ラミーナ!!」

 殺気の篭った鋭い視線で、ラミーナはルミーナに氷の槍を幾つも放った。しかしそれはルミーナには当たらずに四散する。

「駄目よ、ラミーナ。そんな風に殺気と一緒に感情まで出しちゃったら。教えたはずでしょう?」

「う、るさい……!!」

 ラミーナは肩で息をしながら実の姉を睨みつけている。ルミーナは手に持っている古ぼけた本をぱらぱらと捲り、シエラ達にわざとらしく見せ付けてきた。

「あなた達は、これが欲しいのでしょう?」

「あぁ、そうだ。それが必要だ」

 クラウドが剣の柄に手をかけながら、ルミーナに言葉を返す。しかし不思議な事に、彼女が手にしている日記も、遠目から見ても白紙であった。もしかして鍵となっている日記も、全てが揃わないと読めないのだろうか。

 ――でも、ここは凄い暗いし。目の錯覚かも……。

 シエラは小さく頭を振ってから、意識をルミーナへと集中させる。ルミーナの顔は、見れば見るほどラミーナそっくりだ。目がラミーナに比べやや釣り目気味で、僅かに唇も薄く、背も高い。しかし、本当に良く似ている。ウェーブのかかった薄桃色の髪の毛に、金の十字架のネックレス。

 大きくラミーナと違うのは、纏っている雰囲気だろうか。どこか冷たく、キリキリと張り詰めた空気を内に秘めている。ラミーナより随分と大人の色香を醸し出しており、先ほどから口元には絶えず笑みが湛えられている。

「ルミーナ、あんたがなんでここにいるのよ」

 堪えるように、押し殺された低い声音でラミーナが口を開く。その肩は僅かに震えていた。

「そう、ね。しいて言うなら、少しあなたと話がしたかったからよ。それに、これも見てみたかったの」

 そう言ってルミーナは日記を顔を横に持ってくる。けれど、彼女の眉間には僅かに皺が寄っていた。

「けれど、残念。これは私では読めないようね。やっぱり、適合者にしか読めないのかしら?」

 ルミーナの言葉に、シエラとユファは顔を見合わせる。ルミーナが読めていないと言う事は、やはりあの日記も白紙なのだ。ユファは小さな声で「とりあえず、あの日記は取り戻さなければいけないな」と言った。シエラは小さく頷きながらも、内心で冷や汗を流している。相手はラミーナの姉だ。いくらこちらが人数で勝っていても、そう簡単にはいかないだろう。

「……あら、どうしたの? てっきりまた飛び掛ってくるのかと思ったけれど」

 明らかな挑発だ。先ほどのラミーナの事を言っているのだろう。ラミーナは忌々しげに自分の姉を見つめている。そして何かを言い募ろうと口を開き、視線を逸らした。

「冷たき奏、刹那の雪花、御魂の在り処――アイス・フレア」

 感情の篭っていない凍て付いた声でラミーナが詠唱する。そして彼女が指を弾いた瞬間、ルミーナを幾つもの氷柱が取り囲む。ラミーナが手を下に振り翳した。氷柱はルミーナ目掛けて発射する。ルミーナは相変わらず笑っていた。

 氷柱が当たる。シエラがそう思った瞬間、ルミーナの目の前で氷柱は砕け散った。しかしルミーナは反撃には出ない。ラミーナもこれ以上の攻撃をしようとはしなかった。その代わり、視線を逸らしたままラミーナは口を開く。

「……姉さん、教えて。死霊の大火は、あの大火事は、本当に姉さんがやった事なの?」

 ラミーナは強く拳を握った。逸らしていた視線をルミーナにしっかりと合わせ、頼りない光で彼女を見ている。ルミーナは今まで浮かべてた笑みを掻き消すと、冷え切った瞳でラミーナを見やった。

「えぇ、そうよ。私がやったわ。あなただって見ていたじゃない。魔物と一緒にいた私を。私の部下、上司の死体を」

「……そうよ、見たわよ。でも、信じたくなかったのよ! あたしの姉さんが、そんな事をするなんて、信じられなかったのよ!!」

 空を裂くラミーナの叫び声。しかしルミーナは眉一つ動かさない。

「ねぇ、どうしてそんな事をしたの? なんで姉さんなの? 姉さん、あなたに何があったの?」

 問いかけるラミーナの姿はあまりにも痛ましく、シエラは胸がつまる思いだ。ルミーナは暫し目を閉じると、呆れたように溜め息を吐き肩を竦めた。

「……私は、ただ自分の道を選んだだけ」

 突き放すような、哀れむような声音だった。ルミーナは胸元で揺れている金の十字架に触れる。

「それに、前も言ったじゃない。全ては彼の為、私の為。そして、この世界の為なの。ラミーナ、あなたもいずれ分かるわ。この世界が、今の世の中が、どれほど醜く歪んでしまっているか」

「……彼って誰よ? それに姉さんは、その歪みを知ったから国を裏切ったっていうの?」

 ラミーナは戸惑った表情でルミーナの言葉を反芻している。確かにルミーナの言った彼という人物は引っかかる。

「“彼”には、あなた達もあった事があるはずよ。彼はね、私に色んな事を教えてくれたわ。二千年前の事や、魔物の事。それから、魔法っていうものについてもね」

 “彼”の事を話しているルミーナは、何故だかとても幸せそうだ。凍て付いた表情が、僅かだが柔らかくなっている。それにしても、ルミーナの話を聞く限りシエラには一人の人物の顔が浮かんでしまって仕方が無い。正直あまり思い出したくない人物だ。まさかな、と思いつつシエラは頭を振った。

「……魔法が一体どれだけ私達人間に恩恵を与えてくれたか、それは計り知れないわ。けど、その分失ってしまったものもあるのよ」

 ルミーナは日記を握り締めながら、怨嗟の念が篭ったように吐き捨てる。

「だから私は、この世界があるべき姿に戻る事を願うの」

「それが、姉さんの望みなの? 今ある他人の幸せを奪ってでも、成し遂げたい事なの?」

 幸せを奪う。その言葉に、僅かにだがルミーナの肩が揺れた。ラミーナが更に言い募ろうとした時、ルミーナの笑い声がそれを掻き消す。

「えぇ、そうよ。ふふ。私はね、この世界を変えたいのよ。在るべき姿に戻したいわ。それが私と彼の願いだもの。どんな犠牲も払ってみせる。それにねラミーナ、今更そんな事を聞いて、あなたどうするつもり? 私を説得したところで、どうなるっていうの?」

 静かな微笑みと、激しい心のうちが互いにせめぎあう。まさに今のルミーナだ。吐露する心は激情に駆られており、一方でそれを表情には出さない。ラミーナは一呼吸置いてから、小さく笑ってみせた。

「そうね。姉さんの言う通り、どうにもならないわ。あたしは法に縛られた、ただの復讐者だもの。あたしが姉さんを殺すっていう使命は、変わりようが無いわ」

 ラミーナは、静かにそう言った。強く握られた拳は小刻みに震えている。無理やりに上げていた口角は次第に下がっていき、口は一文字に結ばれた。

「だから、だからあたしは……!!」

 瞬間、ラミーナはルミーナに向かって飛び出した。無数の氷柱が現れ、ルミーナに発射されていく。ラミーナは左手を薙いでその手に氷を纏う。形成されたのは氷の槍だ。ルミーナは無言で空いている方の指を鳴らす。するとラミーナの放った氷柱の周りに火の玉が浮かび上がった。火の玉は次第に強く燃え、あっという間に氷柱を溶かしてしまう。

 ラミーナは左手の槍をルミーナの心臓目掛けて放つ。しかしルミーナはひらりと動いて攻撃をかわす。するとルミーナの足元が急に光りだす。それに気づいたルミーナは空中に飛び上がった。その瞬間、凄まじい雷撃が迸った。ルミーナのいた地面は真っ黒に焦げてしまっている。

「あら、てっきりあなた一人だと思っていたわ」

「チッ」

 雷撃を放ったクラウドは舌打ちをしてルミーナを睨みつけている。ルミーナは鼻でラミーナを笑うと、再び指を鳴らした。ボン、と彼女の後ろで何かが弾ける。

「甘いわよ」

 ルミーナはウエーバーに視線を向けると、二回指を鳴らす。ウエーバーはすかさず手を翳すと魔法陣を出現させる。ウエーバーの目の前に突然火の玉が現れたと思えば、ウエーバーは咄嗟に魔法陣でそれを防ぐ。

 火の粉が舞い、激しく魔法陣とぶつかり合っている。ユファは数珠を構え詠唱する。ラミーナもそれに合わせて詠唱する。二人分の氷柱がルミーナを取り囲む。

「……その程度なの?」

 しかし、氷柱は一瞬にして消え去った。つぶてが辺りに飛び散る。

「残念ね。……それに、もう時間切れよ」

「!?」

 ごうっ、と神殿内に強い風が突然吹き荒れ始める。ルミーナの足元には薄緑色の光が揺らめく。

「逃げる気!?」

 ラミーナが叫べば、ルミーナは淡く微笑む。

「明後日の夜、カルタゴの丘に来なさい。あなたにも、この世界の歪みを教えてあげるわ」

「なん……――」

 突風が吹き荒れ、ラミーナの言葉は飲み込まれてしまう。あまりの強さにシエラは目を覆ってしまった。暫くして風が吹き止むと、もうそこにルミーナの姿は無かった。

 まるで今までいた彼女がまやかしか何かだったかのように思えてきてしまうほど、神殿は静寂に満ち満ちている。ラミーナは悔しげに歯軋りをしながら、神殿の奥にある祠へと足を進めていく。ユファも興味があるのか、ラミーナの後に続いて歩き出した。シエラやクラウド達はその場から動く事ができず、ただ呆然と立ち尽くす事しか出来ない。心には、大きな“しこり”が残っている。

 シエラはラミーナの後ろ姿を見つめた。いつもは大人びて頼もしく見える背中が、今はとても小さく見える。無理に何か言葉を紡ぐ必要はないかもしれない。けれどシエラは、この空気を壊すために、言葉を発さなければならないような気がするのだ。

「……どうしたら、いいんだろうね」

 ふと口をついて出た言葉は、とりとめもない、どうしようもない現実を改めて突きつけただけのものだった。クラウドの剣を鞘に収める音が、空しく響く。ウエーバーはしっかりと前を向きながら「分かりません。分かりませんが……」と呟く。

「ラミーナさんが、まだ折れてない事だけは分かります」

 その言葉に、シエラははっとする。確かに、今の彼女から哀しみは伝わってくる。けれど、諦めや絶望は感じられない。クラウドは腕を組み「ま、カルタゴの丘ってとこに行けばいいんだろ」と薄く笑って見せた。シエラは「うん」と明るく頷く。

 ――ラミーナが諦めてないなら、私も諦めない。私に何が出来るかなんて、わからないけど。でも、それでもやれるだけの事をやってみよう。

「ま、大丈夫だって」

 バイソンの明るい声音が、暗い神殿で仄かに光となった。




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