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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第九章:大
74/159

****



「うっわあぁぁあぁぁああ!!!?」

 緊急警報と、シエラが叫んだのはほぼ同時だった。シエラは叫びながらゴロゴロと部屋の中を転がっていく。正確には、船が大きく傾いたのだ。突然伝わってきた振動に、ラミーナとユファも壁に身体を打ち付けている。船は全体的に右に大きく傾いており、シエラ達も備え付けの家具も荷物も全て右側によっている。

「いったぁ……」

 振動は止んだものの、未だに船は傾いている。一体何が起こったのかと思い身体を起こせば、船内にアナウンスが流れた。

「只今突然の砂嵐により、船体が大きく傾いております。床に設置されているカバーを外してベルトを着用なさるか、近くにあるものにしっかりとお掴まり下さい」

 シエラは辺りを見回すが、掴まれそうな突起物は近くにない。ラミーナ達はベッド下の床に収まっていたベルトを引っ張り出し、それに掴まっている。

「シエラも掴まんなさい!」

 ラミーナがこちら側に手を伸ばしてくれるが、急な坂道になってしまっている床を上手く上れるか。シエラは意を決すると右足に力をいれ、大きく飛び上がった。奇跡的にシエラの左手をラミーナが捕まえてくれた。シエラはそのままラミーナに引っ張られ、ベルトまで誘導される。ほっと一息吐くと、また船が大きく左右に揺れた。脳内を引っ掻き回されるような感覚に、シエラは吐き気を催したが、何とか気合で踏ん張る。

「……凄い、砂嵐だな」

 ユファは歯を食いしばりながら必死にベルトに掴まっている。

「もう! ルダロッタまであと少しだってのに!」

 ラミーナは悪態を吐くと、だん、と大きく地団太を踏んだ。そう、順調に行けば今日ルダロッタに到着する予定なのだ。しかも先ほどあと一時間ほどだというアナウンスが入ったばかり。ここにきてまさか自然現象に妨害されるとは思わなかった。シエラは両手でベルトを握り締め、足を突っ張らせる。

 まだ船は揺れている。ゴゴゴゴ、という地鳴りのような音も聞こえてきている。暫くするとようやく船は落ち着き、静けさが訪れる。

 シエラ達は水平になった床にゆっくりと立ち上がった。それから入り口に向かい、そろりと廊下に顔を出す。すると右隣からクラウド達が、左隣からはアスタ達が顔を出した。お互い無事なのを確認すると、シエラはほっと溜め息を吐く。しかし、今度はどこからかガコン、ガコン、と何だか嫌な音が聞こえ始めた。シエラ達は顔を引きつらせながら顔を見合わせ、それから部屋を出る。

「……もしかしたら、船体が激しく損傷しているのかも」

 ティムは顎に手を当てながら、低い声でそう言う。シエラの顔がさーっと青くなる。

「……現実的過ぎて笑えないわね」

「ラミーナさん、真顔で言わないで下さい」

「それにしても、ルダロッタはもう目と鼻の先なんだろう? 砂嵐なんてついてないよねー」

「……てめぇはどこまで楽観的なんだ」

「ははっ、まぁ仕方ねぇよな! とりあえず、着くまで大人しくしてようぜ」

「それもそうね。シエラちゃん達も怪我はない?」

「あ、大丈夫、です」

 そう、良かったわ。アスタは優しく微笑む。

 バイソンの言った通り、ここは下手に騒ぐよりも乗務員から指示があるまで大人しくしているのが無難だろう。シエラ達はそれぞれ部屋に戻り、めちゃくちゃに荒れた部屋を整理する作業に取り掛かった。ベッドなどの重たい家具も、船体が左右に揺れたせいで大幅に動いてしまっている。シエラ達は三人がかりで重いものから元の位置に移動させ、ついでスタンドなどの小物を戻す。

「……あぁ、疲れた」

 大体が終わる頃にはラミーナも疲れ果ててぐったりとしている。すると、丁度アナウンスが流れ始める。

「まもなくルダロッタに到着いたします。お客様はそれぞれ準備をしてください。本日は誠にご利用ありがとうございました」

 シエラ達は鞄を掴み、互いに頷き合う。

「……さて、行きましょうか」

「うん!」

 そして、大きく部屋の扉を開け放った。


 数十分後。

 船がルダロッタについてから、シエラ達はティムの手伝いをしていた。貿易の荷物を船から運び出すのだ。本来は乗務員が行う仕事なのだが、彼らは先ほどの砂嵐の修復作業に駆り出されている。

 どれもこれも大切な商品なので、シエラ達も手つきは慎重だ。最後の小包を台車に乗せ終えると、ティムは車輪の上についているボタンを押す。すると車輪に巻きつけられているベルトが回りだし、勝手に台車が進みだした。

「えぇ!? なにこれ凄い!」

 シエラが驚きの声を上げると、ティムは誇らしげに胸を張る。

「これはブラドワールの最新技術で出来てるんだ! 知り合いの貿易商人が安くで売ってくれたんだよ」

「へぇー、さすがねぇ。やっぱり科学の国の異名は伊達じゃないわ」

 ラミーナも感心したように台車に見入っている。ティムは嬉しそうにはにかむと、台車の前方についている棒を掴む。

「でも、真っ直ぐにしか進まないんだ。だから、手動で引っ張ったりしないといけないんだけどね」

 それからシエラ達はティムに案内されて“最果ての谷”を目指す。この谷を渡り、シエラ達はルダロッタという“神の国”へと入るのだ。

 ――ついに、ついにここまで来たんだ……。

 林に囲まれた道を歩きながら、シエラは自分が掌に汗を掻いている事に気づく。ちらりと隣を歩いているクラウドを見上げれば、彼も少しだけ、いつもより緊張した面持ちだ。暫く経つと、突然林が切り開き、目の前につり橋が見えた。植物で出来た、今にも切れてしまいそうな橋だ。

「誰か……いるのかしら?」

 ラミーナの呟きに、全員の視線が釘付けになる。つり橋の傍らに、白い衣を身に纏った誰かがいた。顔も覆われており、身体のラインを隠す衣のせいで性別さえも分からない。すると、バイソンの肩に乗っかっていたイヴが「きゅーん」と怯えたように小さく鳴いた。

「どうしたんだ、イヴ?」

 バイソンはイヴの顔を覗き込む。イヴは小刻みに身体を震わせており、あの白衣の者に怯えている。シエラはイヴが心配になったが、今はイヴの元にはいけない。大会が終わってから、何故かイヴはシエラに寄り付かなくなってしまったのだ。

 大会終了直後はそうでもなかったが、船に乗ってからイヴは掌を返したようにシエラに寄り付かなくなった。だから今までの三日間はずっとバイソンに任せていたのだ。

「……皆さん、あれが神です」

 ティムは少し強張った声音で告げると、橋の少し手前で車輪の自動回転をとめた。シエラ達に会釈し、橋を渡るようにと視線で促している。シエラ達は頷くと、白衣の者の横を通り過ぎ橋に一歩踏み出す。ギシギシ、と危なげな音が響く。対岸まではざっと二十メートル。シエラはラミーナの後ろを歩きながら、今度は落ちないようにと細心の注意を払う。

 ――そうだよね。あの時みたいに、助かる可能性なんてないんだから。

 ゼインに入国する際に通った崖での落下事件を、シエラは鮮明に思い出せる。もう少しで全員渡りきれる、という時に、後ろからブチ、ブチ、という嫌な音が聞こえてきた。後ろを振り返れば、なんとあの白衣の者がつり橋を切っているではないか。

「なっ!?」

「早くわたれ!! 走るんだ!」

 後ろからクラウドに叫ばれ、シエラは全速力で対岸まで走った。来た方の縄が切られたせいで、橋は安定せずに大きく揺れる。最後尾のウエーバーが何とか地面に足をつけた瞬間、つり橋は完全に壊れて、だらしなく片側に垂れてしまった。

 白衣の者が今一体どんな表情をしているのか、窺い知る事はできない。が、隣にいるティムの表情は驚愕に凍り付いている。シエラは白衣の者を睨みつけ、ラミーナに引っ張られるようにして先に進んだ。林道を突き進んでいくと、段々と霧が立ち込めてきた。不気味な雰囲気が漂いはじめ、バイソンの腕の中にいるイヴは白い毛並みが青くなっている。

「……ここは、本当に神の国なのか?」

 ぽつり、とユファが呟く。

 確かに濃霧の立ち込めるこの不気味さは、神の国と、不夜の国と形容するに相応しくないように思える。話に聞いた神の国は、もっと美しく、緑に覆われた純白の場所だ。その時シエラは、どくん、と大きく宝玉が高鳴るのを感じた。まるで早く進めと急かされるような、そんな気分になる。数分林道を歩いていくと、霧で霞んでいるものの、門らしきものが見えてきた。シエラ達は目を凝らしながら、確実にそれに近づいていく。

  林を抜けると、すぐ目の前にそれは聳えていた。霧で一番上は目視する事ができない。とても大きな門である事は分かるのだが、どれほどなのかは分からない。

「ねぇ、あの模様って……」

 隣にいるラミーナが驚いたように、門の中心を指差す。そこには、二本の線が螺旋をなして、その上部に半月に掛かった十字架が入っている模様が描かれていた。

「あれは……確かゼインの国境付近で見たものと同じ、だな」

「あぁ、あん時見たやつか!」

「そういえばあったね、あんな模様」

「どうして、ここに同じものが描かれているんでしょうか?」

 皆の口ぶりからするに、どうやらあの模様を見た事があるらしい。シエラもマフィオの遺跡の中で、同じものを見た。ただ一人クラウドはよく分かっていないらしく「おい、何のことだ?」と首を傾げている。

「あたし達、あんた達が禁断の森に落っこちた後、ゼインの国境付近でね。大きな門を見つけたの。その門に、これと同じ模様が彫られてたのよ」

 ラミーナが説明すると、クラウドは納得したらしい。しかしこの模様の意味を知るものは誰も居ない。するとイヴがか細く「きゅーん……」と、全員を急かすように鳴いた。シエラははっとして、それから門を開こうと近づくが。

「シエラ、近づかない方がいい」

 サルバナに牽制されてしまった。シエラは驚いてサルバナを見上げるが、彼は珍しく硬い面持ちでいる。

「この門、結界が貼ってあるよ。それも、相当強力な、ね」

「そうなの? 何も、分からないけどな……」

 シエラはもう一度門を見やる。特に何も感じない。シエラがそういう察知能力に長けていないのも事実なので、ここは大人しくサルバナの指示に従おう。

「それでサルバナ。どうすればいいのよ?」

 ラミーナが溜め息を吐くと、サルバナはへらりと笑って「それは俺にもわからないんだよねー」と言ってのけた。ラミーナはぴくりと眉間を痙攣させたが、何とか怒りを静めたらしい。ゆっくりと息を吐き出している。

「きゅーん!」

 すると、イヴが怯えながらも声高らかに鳴いてみせた。途端にイヴから煙が出ると、光の粒子が辺り全体を包み込む。シエラ達が目を開けると、そこにいたのはフォックスのイヴではなく、あの神の使いの女性だった。美しい銀髪を靡かせながら、彼女は微笑を浮かべて涼やかな目でシエラ達を見ている。

「お久しぶり、ですね」

 彼女はシエラ達を見ると、にこりと微笑む。

「ナールの適合者様は、はじめまして」

「ふふ、はじめまして。いやぁ、驚いたな。まさかイヴの代わりにこんな素敵なレディーに会えるだなんて」

 サルバナもにこやかに挨拶すると、女性は真剣な眼差しでシエラ達を見回す。

「皆様が、この先に入るには……今一度の共鳴が必要です」

「共鳴、ですか……」

「はい。しかも今度は、個々ではなく皆様全員での共鳴です」

 つまり、適合者全員による巨大な共鳴という事になる。シエラとクラウドは二度、シエラとバイソンは一度共鳴している。また、ユファの時はシエラ、クラウド、ウエーバー、ラミーナ、バイソンでの共鳴が起こっている。

「……そしてこの先は、あなた方にとって、ある意味で危険です。どうか覚悟してお進み下さい。そして、迷わないで。ただひたすらに、真っ直ぐ進んでください」

「あっ……!」

 女性はそういうと、再び光の粒子となってしまった。そしてその粒子は煌きながら門の中に吸い込まれるようにして消えてしまう。

「……迷わず進め、か」

「そう、ですよね。ここに来て、今更ですよね。……やりましょう」

 ウエーバーが凛とした表情でそう言えば、シエラ達もそれに応えるまでだ。それに、不思議と恐くない。皆とならば、絶対に大丈夫。そんな理由もない自信が、シエラの中で湧き上がってくる。

「んじゃ、いっちょやってみっか! ……って、どうやりゃいいんだ?」

「バッカねー。今まで共鳴した時を思い出せばいい話じゃない」

「でも、手が触れ合った時と、そうじゃない時があるんだけどよ?」

「何よそれ。……じゃぁどうすればいいのよ~!」

 ラミーナとバイソンが言い合っていると、クラウドがシエラの元にやってきた。そして何か言いたげにこちらをじっと見下ろしてきている。シエラは仕方ない、という風に肩を竦めてラミーナとバイソンをいさめる。

「二人ともストップ。とりあえず落ち着こう。それに大丈夫だよ。皆で意識を合わせれば、きっと共鳴できるから」

「……むぅ。まさかあんたに諭される日が来るなんて」

「ラミーナそれどういう意味?」

「なんでもないわ~」

「まっ、とりあえず気合でやりゃーいいんだな!」

 それも少し違うけど。シエラは苦笑いを浮かべる。そして全員が円になって向かい合わせになると、それぞれ小さく笑い合う。大丈夫。不思議と、顔を見れば心が落ち着く。シエラはゆっくりと目を閉じて、自分、そしてクラウド、ウエーバー、ラミーナ、バイソン、ユファ、サルバナへと意識を持って行く。

 ――宝玉。お願い、私と、私たちと……共鳴して。

 シエラが心の中で念じれば、身体からほのかな光があふれ出す。それはクラウド達も同じで、そして次の瞬間には目を焼き尽くすほどの強大な光へと変わる。優しく温かな鼓動が、全身を包み込む。とくん、とくん、と。自分が生きている証がリズムとなって刻み込まれていく。

「……ようやく、来たか」

 その瞬間、凛と澄んだ声が聞こえた。風が巻き起こり、意識が浮上する。真っ白な世界に飲み込まれ、今自分がどこに立っているのかも分からなく。ただ安らかな宝玉の鼓動を感じながら、気がついた時にはシエラ達は違う場所にいた。

 濃霧が立ち込める暗い場所ではなく、柔らかな陽の光が降り注ぐ、優しい場所。シエラはクラウド達がすぐ傍にいる事を確認すると、辺りを見回す。白い石畳が敷き詰められ、これまた純白の柱が聳え、神殿も純白でできている。またその近くには柔らかい新緑が広がっており、木々は色とりどりの果実を実らせている。花も美しく咲き乱れており、燃えるような赤い花や透き通るような純白、空のような青色など、様々なものがあった。

 振り返れば、数十メートル後ろに、先ほど見た大門が聳えているのが見える。どうやら、無事門の中に入れたらしい。こちら側にも同じくあの模様が刻まれていた。

 しかし奇妙な事が一つ。ここには、誰もいないのだ。先ほどの白衣を身に纏った者もいなければ、人間もいない。シエラ達以外は、本当に誰の気配もない。これだけ純白の美しい世界が広がっているというのに、誰もいないとなると逆に不気味さを感じる。

「……奥に、行ってみるか」

 クラウドの呟きに、シエラは頷く。カツ、カツ、とシエラ達の足音だけが木霊する。暫く辺りを散策してみるものの、人っ子一人見当たらない。本当に、どうしたというのだろうか。ユファは念入りに柱などを調べており、ラミーナも何か情報はないかと目を凝らしている。

「……皆、やはり、奥に進もう。ここに誰かが住んでいる形跡はない」

 ユファの言葉に、シエラ達は無言で足を進める。ユファの話によれば、定期的に誰かが手入れをしたりしている形跡は見られるが、ずっと生活しているような痕跡はないらしい。

「とにかく、あの女の人の言葉の通り、“真っ直ぐ進もう”」

 それからシエラ達は、とにかくひたすら、真っ直ぐに石畳を進み続けた。どこまで行っても似たような景色しか広がっておらず、時間感覚さえも奪われ始めた頃、突然、景色が変わった。劇的に、ではないが、しかし確実に変化は訪れた。石畳は終わり、辺りは壁に覆われてしまっている。そしてその塀の裏側には木々が生い茂っている。そして石畳の最後の先には、黒い大木が一本、堂々と立っている。シエラ達がそれに近づくと、突然その木の中に吸い込まれてしまったのだ。

「うわぁぁああ!?」

 お尻に衝撃が走った時には、そこはまた別の場所だった。シエラは痛む腰をさすりながら立ち上がる。

 真っ白な建物は変わらない、が。そこには“人”がいた。正確にいえば、人と全く同じ姿をした、別の生き物たちだ。彼らは皆銀髪で、瞳の色は青色だ。シエラが美しいその容姿に目を惹かれていると、いつの間にか周りをぐるりと囲まれてしまっていた。

「え、ちょ……?」

 しかも相手は敵意むき出しだ。クラウドが剣を構えるが、相手は眉一つ動かさない。ほぼ無表情で、シエラ達の事を取り囲んでいる。

「人間が、こんな所まで何をしにきた」

 しゃがれた声が、後ろの方から聞こえてきた。シエラ達を囲んでいた円が綺麗に二つに分かれると、後ろから老人が歩いてきた。長い銀髪を揺らしながら歩いてくる姿は、まるで威厳が凝り固まってできた存在であるかのように思える。

「あの、私たち、その、試練をですね……」

「試練だと!? 何をふざけた事を。ここは貴様らのような下賎な者たちが来て良い場所ではない」

 シエラは途中で言葉を遮られたことと、それから老人の横暴な言い方に腹が立った。シエラが一歩踏み出そうとすると、老人は持っていた杖を振り回す。

「え!?」

 てっきり威嚇だと思っていたシエラは、自分の足が何故地面から離れているのか分からない。身体が宙に浮き上がり、数メートル上空まで勝手に上昇していく。

「シエラ!」

 ラミーナ達が叫ぶ。シエラはすっかりパニックになってしまい、何をどうしたら良いのかすら浮かばない。

「己のあるべき場所に帰るが良い!」

 そう言って、老人がもう一度杖を振ろうとしたとき、

「止めよ!」

と、凛々しく澄んだ声が辺りに木霊した。

 周りを囲んでいた者達が蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、シエラ達と老人、そして声の主が対峙する。

 声の主は意志の強い瞳でシエラ達の前までやってくると、シエラを見上げてすっと目を細めた。するとシエラの身体はゆっくりと下降をはじめ、地面に足をつけることができた。シエラは改めて声の主を見つめる。性別はどこからどう見ても女性だ。女性というよりも、少女に近い。見た目はシエラと同い年ぐらいだ。美しい銀髪をトップでお団子にしており、纏う空気は氷のように冷たい。少女は老人に視線を向けると、ゆっくりと息を吐き出す。

「私の許可無く何をしておる。メウノよ、その人間達は七大国から遣わされた適合者ぞ。御主の判断でどうこうして良い相手ではないわ。――さがりゃ!」

 老人は少女に一喝され、悔しそうに顔を歪めながらどこかへと消え去った。少女はそれを見届けると、今度こそシエラ達に向き合った。

「ようこそ、適合者達。長旅ご苦労であったな。私はコトノ。遠慮なくコトノと呼んでくれ。さて、奥の神殿にて、詳しい話をしようではないか。……私について来るが良い」

 コトノは手早くそういうと、踵を返して歩き出す。シエラ達は呆気に取られながらも、何とか足を動かし彼女の後を追う。真っ直ぐ顔を上げてみれば、目の前には巨大な上に伸びる真っ白な階段が見た。階段の上には、これまた純白の、荘厳な神殿が。シエラ達が神殿を見上げていると、いつの間にかコトノは階段の最終段に佇んでいた。手招きされるがまま、シエラ達も長い長い階段を上り始める。上り終える頃には息はすっかり上がっており、シエラは汗を拭いながら下を見下ろした。

「わぁ……!!」

 真っ白な美しい建造物に、鮮やかな花々や新緑が眼下に広がっている。これは絶景だ。風も気持ちよく吹いており、シエラの茶髪をさらっていく。

「……綺麗、だな」

「そうね。こんな絶景が見れるだなんて……思わなかった」

 ラミーナとユファも感動しているようで、感嘆の溜め息を漏らしている。シエラは神殿に一歩踏み込み、それからその圧倒的芸術性に思わず目を見開いた。天井一面に美しい絵画のようなものが描かれており、優しい太陽の光が更にこの空間に柔らかな温かみを持たせている。

 シエラ達は奥に進み、大きな扉までたどり着く。いつの間にかコトノの姿が見えなくなっており、シエラが扉を開けるか悩んでいると、クラウドが手をのばしてきた。

「……ほら、行くぞ」

 クラウドは力を込めて、その大きな扉を開ける。奥の上座には玉座があり、そこにはなんとコトノが座っていた。後ろには神の遣いであるあの女性もいる。

 コトノはにっこりと笑うと、シエラ達にもっと近くまでくるように手招きする。僅かに警戒心を抱きながらも、シエラ達はコトノの元まで歩み寄った。

「改めて。ようこそ、ルダロッタへ。歓迎するぞ、適合者諸君。私は現在国を預かっている“最高神”のコトノだ」

「えっ!?」

 最高神。つまり、神の長であり、このルダロッタの王様というわけだ。こんな少女が王である事も勿論だが、わざわざ彼女がシエラ達を案内したというのも奇妙な感じがする。

「……はい、はーい。質問してもいいかしら?」

 するとラミーナが真顔で手を上げた。コトノは「うむ、構わぬ」とこくりと頷き返す。

「なんで、わざわざ“王”であるあなたが迎えに?」

 シエラが思った事まんまだった。ラミーナは怪訝そうな顔でコトノと、その後ろに控えている“神の遣い”を見比べている。

「……その質問に答えるには、御主たちに、私達という存在を知ってもらう必要がある」

 コトノは神妙な面持ちでそう告げると、ゆっくりと語りだした。

「まず、私は“最高神”であって、“王”ではない。いわば、人間達との交渉の代表だ。私達には役割上での上下関係など存在せぬ。ただ、強い者が、力ある者が上に立つ」

 凛とした瞳には嘘偽りがない事を教えてくれる。つまり姿形は同じであっても、人間と神では基本的な社会構造が多少なり違うという事になる。人間も、上に立つのは権力や地位という――武力ではない“力”を持つ者たちだ。

「……なるほどね。だからあなたがあたし達を向かえに来ようと、なんら立場的にも体面としても問題ないのね」

「そういう事じゃ」

 にっこりと、コトノは笑う。その屈託のない笑顔は、シエラと同世代の少女のそれだった。

「さて、そろそろ本題に入ろうか」

 その一言に、シエラは鼓動の高まりを感じた。コトノは双眸を細め、慈しむような視線をシエラに向ける。

「……適合者よ。何故、御主達は聖玉を封印せねばならないか、よくよく考えた事があるか?」

 不意打ちな質問に、一瞬シエラ達は言葉を詰まらせる。

「そんなの、世界が崩壊しちまうからじゃねぇのか?」

 しかしすぐにバイソンが当たり前だろう、というニュアンスで返答すれば、コトノは緩々と頭を振った。

「確かに聖玉は世界の均衡を保っておるよ。けれど、封印がなくなったからといって、崩壊はせぬ。それは御主達人間の思い込みだ。……聖玉というのは、今の“良い状態を留め置く”……そういう力だ。まぁ、封印が解ければある意味で今ある世界は崩壊し、消滅するだろうがな」

 一体、彼女は何を言っているのだろう。シエラは自分の頭の中にある常識が、今まで信じてきたそれが、一瞬にして崩れていくのを感じた。世界を救う。それがシエラ達適合者に課せられた使命。それはこの旅の目的であり、決して揺るがないものだったはずなのに。今まさに、シエラの中で脆くも崩れ去ろうとしている。するとコトノは、呆然としているシエラ達を見て笑った。

「それほど驚く事か? 考えてもみよ。聖玉が作られたのは二千年前。……それ以前にも、この世界はあったのだぞ。妙だとは思わんのか? 聖玉が無ければ世界が消滅するのならば、当の昔にこの世界は消え去っている、とな」

 コトノの至極まっとうな意見に、誰も二の句が継げない。確かにそうだ。

 殆ど何も分かっていないとはいえ、二千年――正確には、聖玉が創造される――以前より、世界は存在していた。一体いつから、自分たちの認識はズレていたのだろうか。旅が始まってから徐々に? それとも旅が始まる前から? ――答えはきっと、生れ落ちた瞬間からだろう。

 自分たちが人間として生活してからずっと。聖玉がこの世界の均衡を守っていると知ってからずっと、自分たちは大きな勘違いをしてきたのだ。コトノは未だに言葉を発せ無いシエラ達に、柔らかく微笑んでみせる。

「……御主達が勘違いしておったのも、仕方ない事やも知れぬな。人は私達に比べて短命で、愚かで、忘れやすい。……何も知らぬ、赤子よの」

 その瞬間、シエラ達の中で、何かが切れた。ラミーナが肩を震わせながら「ちょっと……聞き捨てならないわね」と言ったのがきっかけだった。

「確かにあたし達は、神という存在からしたら小さくて愚かしいかもしれないわ。けどね! だからってそれを言い訳にするつもりも、バカにされる謂れもないわ!」

「……そうだな。種族としての矜持ぐらい、まだ持っている」

「……コトノ。なら、私達に教えて。知らないとバカにするなら、それでいいから。今から私たちに、知っている事を教えて!」

 女性陣の剣幕に、コトノと男性陣はただただ圧倒されるばかり。クラウド、ウエーバー、バイソン、サルバナは苦笑いを浮かべながら三人揃って「女って、凄い」と呟いている始末だ。コトノは暫し呆然と口を開けていたが、はっと我に返ると、腹を抱えて笑い出した。

「あっはははっはははっは!! あははっはははっはははは!!!!」

「……え、今の笑うところ?」

 シエラがすかさずツッコミを入れると、コトノは「すまぬ、すまぬ」と目尻に浮かんだ涙を拭っている。

「すまない。御主達の思わぬ反応に、少々ツボをくすぐられたわ。……そうか。知らぬなら知りたいと、そう申すのだな?」

 シエラ達が力強く頷いてみせると、コトノは満足げな表情を浮かべた。

「よかろう。ならば、私の知っている事を教えてやろう。……存分に、己が肌で感じるがよい」

 コトノが手を翳すと、突然真っ白な空間がシエラ達を飲み込んだ。心地よい浮遊感に包まれながら、ゆっくりと目を開く。そこには、見た事もないほど荒れ果てた大地が広がっていた。

 水や草木は枯れ果て、地面にはひびが入っており隆起が起きている。空を覆い尽くしているのは真っ黒な分厚い雲。そして、シエラ達の目を惹いたのは、夥しい数の魔物たちと、人間。恐らく、髪の色からして人間ではなく神だろうが。

「これは、かつて私たちの先祖と魔物が争った時の光景だ。世界は荒廃し、見るも無残な有様であろう?」

 シエラ達があまりの光景に目を奪われていると、突然脳内にコトノの声が響きはじめる。シエラはその言葉を聞きながら、ディアナの図書館で知った「異形なるもの同士の戦争」を思い出した。これが、あの本に書いてあった出来事の実情か。どこか冷めた目で景色を見やるシエラの隣で、クラウドは何かに耐えるように強く拳を握っている。

「……そしてその後、聖玉が作られた」

 ぱっ、と一瞬にして目の前の景色が変わる。そこには緑豊かで美しい、まるでルダロッタが世界の全てになったかのような、光に満ちた世界が広がっていた。

「これが、同じ世界ですって? ……信じられないわ」

「僕達の住んでいる“今”とも、悲惨な“過去”とも違いますね」

「こりゃーすげぇな」

 各々、感嘆の溜め息が漏れる。シエラも、先ほどとは違った意味で言葉を失った。こんな世界が広がっていたなんて、誰が知りえただろう。場面は次々に切り替わり、美しかった世界はその後どんどん変わっていく。緑は少しずつ減少していき、人口は増加していく様子が、目の前に映し出される。

「……聖玉が作られてすぐは、この世界はとても美しかった。しかし、人間は戦争を繰り返し、自然は奪われた。聖玉の力を持ってしても、森林は、花は、生き物は、次々に失われていく」

 コトノの言葉は、重くシエラ達の心にのしかかる。どうしようもない思いが渦巻き、景色はいつの間にかシエラ達が見慣れた“今”の世界になっていた。シエラ達を飲み込んだ白い空間も消え去っており、コトノは哀しげな表情で頬杖をついている。

「聖玉が、どれほどの力を持つか分かったであろう? 荒廃した世界を、命を取り戻す事も容易い。それに、災害のない世の中は安全であろう? ……しかし、己のエゴで均衡を保った世界は、なんと醜いものか」

 嘆くコトノに、シエラはやるせない気持ちになる。それにエゴという言い回しも引っかかる。シエラの思った事がコトノには分かったらしく、彼女は薄く笑った。

「……己の欲求の為に作らせたものを、エゴと言わずなんという?」

 そう、たった一言だけ零した。まるでその目は全てを映し、全てを理解し、全てを見渡しているかのような、そんな憂いさえ感じさせる。

「……コトノ。あなたは、一体何者なの? なんでそんなに知ってるの?」

 シエラが問えば、彼女はゆっくりと口角を吊り上げる。神が一体何年生きるのかは知らない。けれど、先ほどの事といい、コトノは相当長い年月を過ごしてきたことが伺える。

「……何故、と問われても、私の記憶にあっただけの事だからよ。私とて全ては知らぬ。ただ、私の意識の奥底に、初めから眠っておっただけの事ゆえな」

 しかし、そんなシエラの考えとは裏腹に、コトノは予想外の答えを出してきた。

「どんな風に御主が考えておるか、私には伝わったぞ。私はな、シエラ。何もそんなに長くは生きておらぬ。この国にいる同族の中でも、本当に若い方だからな」

「い、一体、コトノは何年生きているの?」

 シエラは固唾を呑み、彼女の答えを待つ。

「およそ百年、と言ったところかの」

「……年齢詐称もいいとこだな」

 コトノの誇らしげな表情を一瞥し、クラウドはザックリと言い放つ。シエラは思わず「ぶはぁっ」と噴出してしまい、他のメンバーは笑いを堪えたり唖然としていたりと、マチマチの反応を示している。

「……おい御主、それはどういう意味だ? 私がババアとでも言いたいのか? 見た目と年齢考えろとでも言いたいのか?」

 コトノはゴロツキのような柄の悪い目つきでクラウドを睨みつける。しかしクラウドは少し口角を上げて「いや別に」と目を逸らした。

「よぅし、よかろう! そんなに言うならば御主を叩きのめしてやるわ」

「お、お止め下さいっ。コトノ様……」

 コトノが勢いよく立ち上がると、そこで初めて後ろの女性が言葉を発した。慌てながら何とかコトノを座らせ、クラウドに困惑した視線を送る。

「ナルダンの適合者様も、コトノ様を煽られないで下さい! ……神というのは、長寿であるが故に、身体の成長が著しく遅いのです。コトノ様は一年ほど前に、やっとこのお姿へとお成りになったばかりで」

「う、うるさいわっ! 余計な事を言うでない!」

 どうやらコトノは自分の年齢の事を気にしているらしい。女性曰く、神は百歳を超えたあたりからが思春期の始まりらしい。女性はそれを言った後すぐ、コトノによって口をふさがれた。コトノは仕切りなおしという風に一度咳払いをすると、改めてシエラ達に向き直った。

「それで? 他に質問はないか?」

 するとラミーナがまた挙手する。

「さっき言っていた、“自分の欲求の為に作らせた”ってどういう意味? それと、“記憶が意識の奥底にあった”ってことも、どういう事なの?」

 コトノは熱心に尋ねるラミーナに「御主は好奇心旺盛なのだな」と感心したように頷く。

「……だが、その答えを知るにはまだ時期尚早というものだ。御主達は今、知る事が大切だが、知り過ぎれば御主達は迷うだろう。迷う事が悪しき事だなどとは思わぬ。時には迷いも必要。だがな、今の御主達には迷いは妨げなのだ」

 コトノの真っ直ぐな言葉に、暫しラミーナは考える素振りをみせる。そしてつと顔を上げて、

「……なら、逆に聞くわ。あたし達があなたの話を聞いて迷うという確証はどこにあるの?」

コトノ以上に、真っ直ぐな言葉をぶつけた。

 コトノはその言葉を待っていたかのような、それでいて、決して触れて欲しくは無かったかのような、切なげな表情を見せる。

「聞けば迷う。必ず、な。それが御主達の意志に関わらずとも、心は揺れる。状況がそうさせるのだ。だから私は、今この場では話さぬよ。来るべき時期になるまで、何があろうとも話さぬ」

 彼女は揺るがない、と、その場にいる誰もが理解した。今この場でこれ以上何か言っても、時間を無駄にするだけである事は明白だった。シエラはぎゅっと服の裾を握り締める。少し、一度に多くの事を知りすぎたかもしれない。覆った自分の常識、知らなかった世界の理。知りたいのに、上手く頭と心の折り合いがつかない。理性と本能がせめぎ合う。

 その時、宝玉が僅かに疼いた。

「ロベルティーナ、そなたは、何を望む?」

 声が響く。頭の中に響く声は、前にも聞いたものを同じだった。けれど、今のはどことなく縋り付くような声音で。シエラは無性に哀しみが込み上げてきた。何も哀しい事などないのに。何も心苦しい事などないのに。宝玉が疼くだけで、シエラの感情は簡単に揺さぶられる。

「シエラ? 大丈夫か?」

「う、ん……。平気」

 隣にいるユファが首を傾げながら小声で尋ねてきた。シエラは引きつりながらも口角を上げる。

 ユファは眉間に皺を作り、「……疼く、のか?」と切なげに呟く。そういえばゼインの大会中に、彼女だけには打ち明けたな、とシエラは思い出した。ならば隠しても仕方ない。シエラは一つ頷いてから「でも、大丈夫だから」と付け足す。シエラは気力で視線を持ち上げる。コトノは黙ったままどこか一点を見つめており、ふいにシエラの視線に気づいたのか顔を上げた。

「……今日はもう疲れたであろう。ゆっくりと休むが良い。詳しい話は、また明日しよう」

 コトノはそれだけ言うと、玉座から立ち上がる。目で後ろに控えていた女性に指示をすると、次の瞬間にはそこから忽然と姿を消していた。

「それでは皆様、こちらにどうぞ」

 シエラ達は女性に案内されるまま、一度神殿の外に出た。外は相変わらず明るい。恐らく、普段ならば今は夕方あたりだろう。不夜の国だけあってずっと太陽が出ているせいか、時間の感覚がおかしくなりそうだ。

 階段は下りずに、女性は入り口を左手に曲がる。神殿の後ろ側に回り込むと、地下へと続く階段があった。そこを進んでいくと、中にはきちんとした部屋が広がっていた。ベッドや風呂や洗面所もあり、普通に生活できるものが一通り揃っている。

「今日はこちらをお使いください。本来ならば本殿をお使いいただきたいのですが……今日は、恐らく荒れますので」

「?」

 最後の言葉が引っかかるが、女性はそれだけ言うと部屋から出て行ってしまった。シエラはようやく落ち着けた事もあって、安堵の溜め息を吐いていた。部屋は今いる談話室を基点に、左手には二つ寝室があり、右手には風呂やトイレ、台所などの生活空間が設備されている。

「なんだか、ここで誰かが一人暮らししてみるみたいな感じね」

 ラミーナが部屋を見回した後に漏らした感想だ。これにはシエラも頷ける。地下室とはいえ神殿には似つかわしくない。それに内装も一般家庭の人間の住むようなものだ。

「……とりあえず、今日は休みましょうか」

 ラミーナのその一言に、全員が肩の力を抜いた。




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