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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第九章:大
73/159

幕間

****


 ランティアは螺旋階段を昇りながら、ぼんやりと目の前の景色を眺めていた。白き巨塔の窓から見える景色は、辺り一面廃墟だ。瓦礫の隙間から見える雑草は生い茂り、蔓が複雑に絡みついている。

「……本当に、悪趣味だな。ここも、あんたも」

 ランティアがそう呟きながら扉を開けば、奥の間にいたアハトは口元を僅かに歪めた。

「それが養父に向かって言う言葉か?」

「……育ててくれる事に感謝はしてる。けどな、それとこれとは別なんだよ」

 今更文句を言うつもりはない。否定するつもりも、肯定するつもりも、何も無い。最早アハトの行いはランティアにとってはどうでもいいものだった。

「ならば、何故お前はここにくる」

 アハトは解せないという風にランティアに問いかけるが、ランティアは薄っすらと笑うだけで何も言わない。眼鏡の奥の瞳は、もう随分と前から輝きを宿さなくなっている。

「最近、お前は取り繕う事も止めたのだな」

「何のことだ?」

「ツヴァイが言っていた。前は、今よりもとっつきやすかった、と。最近、学校でも滅多に口を開かないらしいな」

「俺の勝手だろ。……必要もないのに、なんで喋らないといけないんだ」

 ランティアはつまらなさそうに吐き捨てると、ゆっくりと一歩前に踏み出す。

「俺は、どうでもいいんだ。世界がどうなろうと、あんたの目的がどうなろうと、ツヴァイが何をどう思おうと。……俺には、関係ない」

 それを聞き、アハトは理解できないと肩を竦めてみせた。そして自分と、そしてランティアの身に纏っているアークの装束――赤いマントについている十字架の入った大きなボタンを指差した。

「お前にも言ったはずだ。 その十字架を背負う覚悟があるならば、私に協力しろ、と。覚悟の無い奴など、邪魔なだけだ。私は不必要な犠牲者を出す事を望まぬ」

 アハトは語気を強めてランティアに言い放つ。ランティアはそれを聞いても眉一つ動かさない。それどころか、少しだけ口角を上げてみせる。

「……はっ。何を今更偉そうに。不必要な犠牲者だと? 笑わせるな。必要なら他人を簡単に殺せる男が、そんな綺麗事言うのか。自分の受けた痛みを、世界に復讐しようとしている男が、何を――」

「黙れ……!!」

 その時初めて、ランティアはアハトが叫ぶのを見た。怒りで肩はワナワナと震えており、呼吸も荒い。アハトはランティアに近づくと、彼の胸倉を思い切り掴みかかった。

「口を慎め! 私が受けた痛みが、お前に分かるものか! 目の前で大切な者を、守るべき者を奪われた私の気持ちが! ランティア、お前は……!」

 それ以上、アハトは何も言わなかった。ランティアはただ目の前の老人を無表情で見下ろしているだけ。けれど、内心は腸が煮えくり返る思いだった。ランティアがアハトに攻撃を加えようとしたとき、突然身体に衝撃が走った。ランティアは左足を即座に後ろに滑らせ、アハトから距離を取る。

「あーあー。駄目じゃないですか、先輩」

「……ツヴァイ、邪魔だ」

「いやですよ。さすがにこればっかりは譲れません」

 ランティアの目の前にいるのは、水色のツインテールをなびかせたツヴァイだった。ツヴァイはアハトとランティアの真ん中に立っている。

「先輩、駄目ですよ。アハトを乱すような事しちゃ。……アハトも、本当は分かってるのにね? 言わなきゃ気が済まなかったのよね?」

 にこにこへらへら。ランティアはそんなツヴァイの表情を見ると、段々と苛立ちが増していく。

 そして気づけば、ランティアは強く地面を蹴り上げ光の槍を手にしていた。鋭い衝撃音が空間に響き渡り、アハトは仕方なさそうに数歩身を引いた。ツヴァイは同じく光の槍を手に持っており、それがランティアのものと激しくぶつかりあっている。ランティアは無表情で槍を振るっているが、ツヴァイはどこか嬉しそうだ。

「私、先輩とこんな形とはいえ戦えて嬉しいです。……ねぇ先輩。どうして私じゃ駄目なんですか?」

 ツヴァイは魔方陣を足の裏から出すと、回し蹴りでランティアの槍を弾く。ランティアは槍をすぐさま手放すと空いている左手から水の矢を放った。

「きゃっ!?」

 ツヴァイは容赦ない至近距離からの攻撃に驚き、咄嗟に避けてしまった。後ろには、アハトがいる。ツヴァイは右手を翳し、それから見えない糸を引くように強く右手を後ろに持っていく。その瞬間ランティアの放った水の矢は消え去り、間一髪でアハトに当たる事はなかった。

「……殊勝なことだな」

 ランティアはそれだけ言うと、興が冷めたようでもう攻撃しようとはしない。今ランティアの心には、何もない。冷え切った氷が更に冷気を纏い、もう感覚さえも薄れている。

「せん、ぱい。……なんで、ですか? 最近おかしいですよ。どうしちゃったんですか?」

 ツヴァイが必死に語りかけるものの、ランティアは無反応だ。ついには、アハトがランティアの傍まで歩み寄っていく。

「アハト……!!」

 止めようとするツヴァイを片手で制し、アハトはランティアの目の前にやってくる。

「……先ほどは、私が大人げなかった。だがな」

 パァアン。甲高い音が部屋に響き渡り、ツヴァイはこれでもかというほど目を丸くした。ランティアも目を見開いており、頬は赤く腫れている。

「いい加減にしなさい」

 アハトは厳しい声音でランティアに向かってそう言うと、そのまま部屋を出て行ってしまった。部屋に残されたツヴァイとランティアは、突然の事に呆けたまま動けずにいる。ランティアはその時、久しぶりに自分の心にあった塊がほぐれたのを感じた。心配そうにこちらを見ているツヴァイの顔が、今はとても幼く、あどけなく見える。

「は、はは、ははははは……!!!!」

 ランティアが突然笑い出すと、ツヴァイはきょとんとして、それからにっこりと微笑んだ。

 バカらしい。自分が、自分以外の全てが。何もかもが、バカらしい。バカらしくてたまらない。

 それなのに今は、腹の底から笑いたくて仕方ない。ひとしきり笑ったあと、歪み、狂い、どこで道を間違えたのか分からないほどに捻じ曲がった自分を、ランティアは心の中で嘲った。



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