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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第九章:大
72/159

****


「――うーん、暇だなぁ」

 シエラはベッドに背中から沈み込む。ルダロッタへ向かう船は、順調に巨大砂漠を進んでいる。到着までは三日半かかる。シエラは疲れた両足を放り出し、ふぅと息を吐き出した。ゼインで行われた大会が終わってから一日が経つ。アギヤの計らいでイシャ達に港まで送ってもらい、その後は時間ギリギリで船に乗り込んだ。

 ――なーんか、昨日はあっという間だったなぁ。

 大会で疲れていた事もあり、昨日はすぐに入浴して寝てしまった。しかも船は勝手に動いてくれるから、今朝は久々に朝寝坊までしてしまったのである。

 ――ラミーナとユファ、どこ行ったのかな?

 起きた時から二人の姿が見えない。朝食――と言っても寝坊したので中途半端な時間だったが――を食べに食堂に行った時も、二人の姿は見かけなかった。

「……よしっ」

 折角だから船内を探検でもしよう。シエラはベッドから飛び起きると、勢いよく部屋の扉を開けた。窓の外は燦々(さんさん)と太陽が煌いており、砂漠が一面に広がっている。船内は優しいクリーム色で統一されており、浮遊しているため強風でも吹かない限りは非常に穏やかだ。

「そういえば、他にお客さんっていないのかな……」

 昨日乗船した際には自分達以外は誰も見なかった。ルダロッタなんて観光で行く場所でもないだろうから、仕方ないのかもしれないが。シエラは真っ直ぐ伸びた廊下を突き当たりまで進み、階段を下りて食堂に向かう。ふと視線を動かせば、食堂の窓際の席に一人の少女が座っていた。ふんわりとした黒髪を前で二房三つ編みにしている。一瞬シエラはその黒髪からアン=ローゼンを彷彿とさせた。しかし、目の前にいる少女はあどけない顔で窓の外を眺めている。年の頃も、まだ十歳かそこらだろう。

 シエラが少女の事を凝視していると、そこに同じく黒髪の女性がやってきた。きっと少女の母親なのだろう。少女は女性の顔を見るとぱっと花が咲いたような笑顔になる。二人は手をつないで、そのまま食堂を出て行った。シエラは少女が座っていた席まで行くと、そこから外の景色を眺める。

 なんて事はない、相変わらずの広大な砂漠が広がっていた。視線をふと下に向ければ、そこには丸い金色の何かが落ちていた。円形上部には鎖がついており、鎖がついている部分にはハートの形があしらわれている。そのハートの下部につけられているボタンのようなものを押せば、カチリと蓋が開く。時計だ。

 シエラは初めて懐中時計の実物に触れた。ロディーラでは時計は貴族が持つものだ。学校や店などでは振り子時計、街中では日時計などがあり、個人で時計を持つことはあまりない。そもそも学校で太陽の位置からおおよその時間を知る術は教えられている。だから、シエラは初めてきちんと触れる時計に少なからず感動していた。

 ――凄い可愛いな。……これ、さっきの子のかな。

 少女がいなくなった方を見つめてから、シエラはもう一度懐中時計に視線を落とす。時を刻む針が、シエラの鼓動を高鳴らせる。何故だろう、見つめていると誰かに、何かに急かされているような気分になる。

「おい」

「……は?」

「何ぼさっと突っ立てんだよ」

 シエラは声の主を見ると、思い切り顔をしかめてみせた。

「なんだクラウドか」

「……なんだってなんだよ」

「いやぁ、べっつにー」

 シエラは懐中時計に蓋をすると、軽く肩を竦める。クラウドはシエラの手に収まっているそれを見ると、「どうしたんだ?」と首を捻っている。

「落としもの。あとで届けようかと思って」

 シエラがそう言えば、クラウドは納得したようで「そうか」と短く相槌を打つ。彼はシエラの向かいに腰をおろすと、またいつもの如く剣の手入れを始めた。食堂でやるなよ、とは流石に口が裂けても言えない。シエラは渋々椅子に座り、それからクラウドの剣を見つめた。いつもいつも白銀の刃は綺麗で刃こぼれ一つなく、クラウドが剣をとても大切にしている事がよく分かる。シエラはふと口元を緩め、クラウドに

「そういえば、いつから剣士になろうと思ったの?」

と尋ねた。

 するとクラウドは剣の手入れを一旦止めて、「いつから、と言われてもな。……ただ、物心ついた頃にはもう剣士になるんだと思っていた」とどこか遠くを見つめながら呟く。クラウドの出身国ナルダンは、別名騎士の国とも呼ばれている。それは建国者であるナルダンがとても優秀な騎士で、国家形成の際に騎士または剣士を重要視したからでもある。

「そっか、剣士になる事が当たり前だったのか」

 まるで自分とは歩んできた人生そのものが違う。なんだか、シエラはちっぽけな自分という存在を痛感したような気がする。するとクラウドは眉間に皺を寄せて溜め息を吐く。

「おい、また下らねぇ事考えてんじゃねーだろうな」

「さぁ、クラウドには分からないよ」

「……は、何言ってんだ? 言われなきゃ分からないのは当たり前だろ」

 一瞬の沈黙。

 この男今なんて?

 そしてシエラははっとした。そういえば、この台詞は前にも一度言われた。大会中、宝玉が疼いてしかたなかった時があった。あの時もクラウドに同じ事を言われたのだ。それが無性におかしくて、シエラはくつくつと笑い出す。クラウドは突然笑い出したシエラに目を丸くし、それから「な、なんだよ……」と心配げな眼差しを寄越してきた。

「な、なんでもない……! あはは、そっか、そっか。ごめん、クラウドってそういう人だったね」

 シエラが腹を抱えながらそう言えば、クラウドは益々訳が分からないという風な顔をした。シエラはニヤニヤしながら「まぁ細かい事は気にしないで。ほらほら、手が止まってるよ」とクラウドの剣に視線を落とす。

 クラウドは不満そうな顔で再び手を動かし始める。シエラは「そのままで良いから、ちょっと愚痴に付き合ってよ」と笑う。クラウドは無言で頷く。シエラはそれを見届けてから、ゆっくりと口を開く。

「私さ、こう見えても運動神経だけは昔っから良いほうだったんだ。今も昔も魔法はからっきしだけどね。……んで、結構な元気な悪ガキで近所じゃ有名だったの」

 シエラは自分が小さい頃を思い出しながらとつとつと話す。

「男の子たちに混じって、木登りしたりちょっとした魔法で悪戯したり……。正直、女の子たちとおままごとするよりも、そっちの方が楽しかった」

 でも、とシエラは続ける。

「そのせいかな、幼馴染とはあんまり仲良くなかった」

 シエラは窓に映る自分を見つめた。 

「幼馴染はさ、どっちかって言うと頭が良くて大人しい子だったんだ。でも魔法の腕はピカイチで、私はそれが羨ましかった」

 自分には敵わないと、何度も思った。自分では真似できない、及びもつかないような存在だと、思っている。

「今思うと、子供って恐いよね。……気づいたら、周りに誰もいないんだもん」

「……まぁ、お前の魔力は凄まじいからな」

 そこでクラウドが呟きを漏らす。それが何だか嬉しくて、シエラは小さくはにかんだ。

「私、自分じゃ全然分からないの。自分の魔力が他人に比べてどれぐらい大きいのか。具体的にどんな風に皆が感じてるのか……分からないの」

 友達だと思っていた子から初めて避けられた時、シエラは目の前が真っ暗になった。どうしたら良いか分からなくて、話しかけてもまるでそこに居ないかのような扱いをされて。

「……だからさ、私凄い嬉しかった。最初クラウドに出会ったとき、何も気にせずにいてくれたから」

 シエラが笑うと、クラウドは目を丸くして、それから困ったように眉を下げる。こんなに素直に自分の気持ちを伝えられる日がくるなんて、シエラ自身驚きだ。クラウドはそっぽを向いているが、その頬はほんのりと赤――くはなく、寧ろ青ざめている。

「……あー、なんだ、その。……熱でもあるのか?」

「おいこら待て私の真摯な目を見ろ喧嘩売ってんのか」

 シエラは笑顔で拳を鳴らすと、クラウドは真顔で「いや、それ以外考えられない」と言ってきた。これは流石のシエラも驚きである。

「人の真剣な身の上話を……!! もういい、クラウドになんか話しかけてやるもんか! バーカバーカ!」

「悪かったな。……それじゃ、すまないついでに、今度は俺も話していいか?」

「め、珍しい……!」

「なんて言うと思ったか間抜け」

「な……っ!!」

 シエラは再び目を丸くさせた。一体いつの間にこの男は冗談を言うなんて高等技術を身につけたんだ。シエラは口をあんぐりとさせ、それからテーブルに身を乗り出した。

「ちょっと! そこまで言うなら聞きたいんだけど。別に減るもんじゃないんだから言っちゃいなよ!」

「……なんでそんなにノリノリなんだ」

「えっ、いやっ、別にノリノリじゃないし! ただちょっとたまには話聞くのもいいなぁって思っただけだし!」

 シエラは乗り出した上半身を元に戻すと、ツン、とそっぽを向いて頬を膨らませる。するとクラウドはクツクツと喉の奥で笑い、それから「からかって悪かったよ」と剣を仕舞いながら謝ってきた。

「……ほんと、俺もまだまだだ」

「うん、クラウドはもっと明るくなった方がいいよ」

「はぁ?」

「取っ付きにくいとか言われた事ない? いっつも眉間に皺寄せてるし。ずっと怒ってるみたい」

「……む」

 クラウドは自分の眉間に手を当てて、何か考えるように視線を上に向けている。

「……そういえば、以前祖父にも似たような事を言われた気がするな」

「クラウドのおじいちゃんに?」

「……あぁ。『ガキの癖に何をそんなに考える必要がある』と、少々怒られたな」

「へぇー。それって何歳の時?」

「確か……俺が四歳の時だったか」

「あぁそれなら私でも言うよ絶対」

 シエラが呆れた目でそう言えば、クラウドは心外だな、と目を吊り上げる。やっぱりクラウドは小さくてもクラウドなんだな、とシエラは口元を緩めた。

「でも、クラウドのおじいちゃんってちょっと想像できないなぁ。やっぱりすっごい厳しい人だった?」

 シエラが楽しそうに想像しながら尋ねると、クラウドは意外な事に顔をしかめた。

「いや……祖父は厳格というよりも、どちらかと言えば大らかな人だった。まぁ、気ままな雲のような人ってところか」

「へぇ。意外。クラウドみたいな子供には、やっぱり厳格な人が傍にいるもんだと思ってた」

「……そうだな。その点では父がそうだった。俺も兄上も、父上にはよく怒られていたな」

 どこか懐かしそうに話すクラウドに、シエラは目を細める。でも何だか、まるで遠い昔の事のように話すクラウドは、やはり青少年らしからない。一つ年上とは到底思えないような、どっしりとした心持だ。

「っていうか、クラウドってお兄ちゃんいたんだ?」

「あぁ、七つ年上の兄がいる」

「七つ!? ……って、バイソンっていうもっと凄いのがいたか」

「そうだな」

 バイソンの末の妹はまだ五歳だ。それを考えると七つ年上なんて大した差ではないように思えてくる。

「あれ? 七つっていうと……」

「あぁ、ちょうど同い年だ」

「やっぱり」

 クラウドは今十七歳だ。そしてクラウドの兄は七つ上だから二十四歳。つまり、バイソンとクラウドの兄は同い年という事になる。でも、とシエラは笑いを堪える。

「バイソンとクラウドのお兄ちゃんって全然違うでしょ? 同い年なのに違うなー、とか思わなかった?」

「……どう、かな。あまり変わらないような気がする。兄上は、少々……祖父の血を濃く受け継いでいる感じだしな」

「……うっわぁ、どうしよう。クラウドのお兄ちゃん想像できない」

 シエラはクラウドの少し引きつった笑顔を見て、苦笑いを浮かべた。クラウドの表情から、尊敬はしているのだろう。けれど少しだけ、苦労の色が滲み出ている。シエラがその様子に苦笑いを浮かべていると、クラウドは少しはっとしたように口元に手を当てた。

「……少々、喋りすぎた」

「はは。確かに最近さ、クラウドちょっとだけお喋りさんになったよね」

「……なんだそれ」

 シエラは楽しそうに肩を竦めてみせると、片付けをして近くを通ったウェイターに声をかける。飲み物を注文すると、クラウドもついでとばかりに注文した。

「そういえばさー、クラウドのその剣っていつから使ってるの? なんか、綺麗だけど年季入ってる感じするし」

 シエラは立て掛けられているクラウドの剣に視線を向ける。するとクラウドは剣を愛しそうに見つめ、ゆっくりと柄に手を伸ばした。

「これは……祖父より賜ったんだ」

「おじいちゃんから?」

「あぁ。……祖父の愛刀のうちの一振りなんだ」

 クラウドは本当に優しい顔つきで自分の剣に触れる。そんな顔もするのか、とシエラは温かくも少し切ない気持ちになった。この短い時間で、思いのほか沢山クラウドの事を知れたと思う。 

 ――他人の事情が気になるなんて……変な私。

 今まで他人の事なんてどうでも良かった。そう、思っていた。けれど最近気づいた事がある。それは、今まで自分がバカな感情を抱いていたかという事。知りたいなら聞けばいい。気になるなら尋ねればいい。そんな簡単で、とても単純な事さえ出来なくなっていた。周りからの無反応が恐くて、哀しくて。いつしか全てを諦めて、勝手に自己完結して。凄く、勿体無い事をしてきた。この旅が始まって、それはシエラが学んだことであり分かったことだ。そしてそれを気づかせてくれたのは、他でもない適合者であるみんなだ。

「……どうした?」

 シエラがそんな事を考えていたら、いつの間にか飲み物が運ばれてきていた。クラウドの声に我に返り、彼に視線を向けると、彼は眉間に皺を寄せていなかった。シエラは運ばれてきたトロピカルジュースに口をつけながら、ちらりと窓の外を見やる。

「……おや、これは珍しい組み合わせだね」

 すると突然後ろから声がかかってきた。シエラはくるりと後ろを向く。

「サルバナ?」

 目の前に立っていたのはサルバナだった。やけに楽しそうに笑っており、シエラの隣に腰を下ろすとウェイターを呼びつける。

「俺にもこれと同じものを」

 サルバナは今シエラの飲んでいるジュースを指差す。確かにこれは見た目も綺麗だしおいしそうだ。

 ――でもなんでだろ。サルバナと同じものを飲むって複雑だ……。

 シエラは隣に座っているサルバナを横目で見上げる。

「ん? 俺の顔に何かついてる?」

「あーまぁしいて言うならデッカいゴミが」

「あははー、もうシエラってば相変わらずつれないよねー。今流行ってるツンデレって君の事を言うんだねきっと」

「いやいや私サルバナ語分からないんで標準語でお願いしやす。ていうかツンデレってなにそれ」

 シエラは笑顔で言ってくるサルバナに笑顔で言い返す。向かいに座っているクラウドがこちらを見ながら「下らねぇ」とか「不毛な」とか思ってそうな視線を寄越してきていたが、ここは一旦気づかないフリをしよう。

「ていうか、サルバナこそどうしたの?」

 シエラが話を変えるように尋ねれば、サルバナは二が苦笑いを浮かべた。

「いやぁ、最初は大人しく読書をしてたんだけど。どうにも、閉鎖的空間ていうのは暇でね」

「……まぁ、確かに」

 シエラも暇だから部屋から出てきたクチだ。気持ちはよく分かる。クラウドも少し渋面を浮かべているものの、同じらしく口角が上がっていた。

「……やっぱ、皆暇だよね」

 シエラが呟くと、何だか重苦しい空気が流れる。

「……それじゃ、暇つぶしにゲームでもやるかい?」

「ゲーム?」

「あぁ。丁度トランプがあってね。なんならポーカーでもどうかなって」

「……暇人め」

「ん? 君だって暇だったんだろ? それとも、俺に勝つ自信ないのかな?」

「あぁ!? ……よし、やってろうじゃねーか」

 うっわぁ、クラウド単純。とは流石に言えない。しかしそこでシエラはとても重要な事に気づく。

「はい! 私ポーカーやった事ないから分からない!」

 シエラが元気よくそう言うと、サルバナからは温かい目で、クラウドからは冷たい目で見られた。あまりの温度差の違いに、シエラは一瞬だが鳥肌が立ってしまう。

「それじゃ、やりながら説明……って言ってもなぁ、手札見ちゃうと意味ないゲームだし」

「俺とてめぇでやりながら説明すりゃいいじゃねぇか」

「あ、じゃぁそれでいい。見ながら覚える!」

 丁度隣にサルバナがいるので、きっとクラウドよりも丁寧に教えてくれるだろう。そう思い、サルバナがトランプをケースから取り出すのを見送った。

 ――そしてそれから数十分後。

「……くそ、また負けたっ!!」

「はは、これで三連敗だね」

「もう一回だ! 大体、てめぇだってさっき俺に三連敗しただろうが!」

「へぇ、喧嘩売るんだ? いいよ。もう一回だ」

 シエラは遠い目で目の前にいる二人を見つめる。二人で白熱してしまい、もうかれこれ何十回も繰り返している。お互い、どうにも負けるのが嫌らしい。負ければ再戦を申し込む、の繰り返ししかしていない。

 ――しかも私の存在は空気ですか。

 丁寧に教えてくれたのは最初の一回だけだった。とりあえず手札の役の強さを競うゲームだというのは理解できたものの、あとはさっぱりだ。ちなみに一回目の勝者はクラウド。奴がサルバナを挑発さえしなければこんな事にはならなかった、絶対に。シエラはもう呆れて口を挟む気にもならない。

 ――うぅ、結局暇になっちゃったじゃん。

 シエラは邪魔にならないようにゆっくりと席を立つ。すると流石にサルバナが「おや、どこに行くんだい?」と首を傾げる。

「いや、ちょっと疲れたから部屋戻るわ」

 お前らのせいでな!

 とは、言ってやりたかったが言えなかった。それになんだかんだ、口喧嘩しながらもあの二人は最近仲が良いように見える。そこを邪魔してまでゲームに参加したくはなかった。シエラは食堂から部屋に戻る廊下を歩きながら、何か角の近くで動いているのに気づく。

 ――あれ? あの子って……。

 三つ編の黒髪少女。間違いない、先ほど懐中時計を落とした少女だ。シエラは彼女の近くにいくと、控えめに声をかけた。すると彼女はよほどびっくりしたのか、「うきゃぁ!」という奇妙な叫び声を出す。

「あ、驚かせてごめんね?」

「い、いえ! 変な声出してごめんさい……」

 少女はしゅん、と項垂れる。なんだかそのしおらしさが可愛くて、シエラは思わず口元を緩めた。

「あの、もしかして何か探してたりする?」

「え?」

「いやぁ、なんかそう見えたから」

 シエラが愛想笑いを浮かべると、少女は口角と目じりを下げて、今にも泣き出しそうな顔になる。シエラがぎょっとすると、少女は泣かないように目をきつく食いしばった。

「あ、の! 時計を探してて、ですね……」

 やっぱり、とシエラは内心で安堵する。これで彼女が落とし主でなかったら結構恥ずかしい。シエラはポケットから先ほど拾った可愛らしい時計を取り出し、少女の掌に乗せた。

「もしかして、これ?」

 小首を傾げれば、見る見るうちに少女の顔が明るくなっていく。花が咲く、というのはこういう事をいうのだろうな、とシエラは口元をまた綻ばせる。

「ありがとうございます!!」

 少女は思い切り頭を下げると、そのままバタバタと廊下の奥へと走り去っていった。シエラも部屋の方向が一緒なので、その後をついて行くように歩き出す。

 進んでいくと、丁度少女が部屋の中に入ろうとしているところだった。そこには少女の母親もおり、彼女はシエラに気づいたらしくこちらを見てきた。シエラは反射でお辞儀をする。なんだか少し気まずいなぁ、と思いながら部屋に向かおうとする。

「あの、先ほどは娘がありがとうございました」

「あ、いえ……大した事では」

 母親の方から声をかけてきたので、シエラは小さく笑みを浮かべた。

「もし良ければお茶でも一緒にどうですか? 娘のお礼もしたいですし」

「お礼なんてとんでもないですよ。たまたま拾っただけなんで」

 シエラが一歩引くと、母親は何かを考えるような仕草を見せ、

「では、私の話し相手になってくれませんか?」

と提案してきた。

 結局、シエラは誘いをお断り切れずに部屋にお邪魔する事にした。女性はティーポットに入っている紅茶をカップに注ぐ。ゆらりと湯気がたっており、シエラは目の前に差し出されたそれを思わず見つめてしまう。

「ふふ。それにしても、この船で他の方に会うのは久しぶり」

 少女の母親は楽しげにそう言うと、一口紅茶を運ぶ。

「あなたは、ご家族とルダロッタ旅行?」

「あー、まぁ、家族というより仲間内で」

「あら、じゃぁ学生さん? 確かにルダロッタは綺麗だし遺跡も沢山で、観光にはいい所なのよ」

 にこにこと笑う女性に、シエラは苦笑いしか返せない。そもそも目的は観光ではないし、旅行でもない。けれど本当の事なんて言えるわけもない。それに仲間内なのは本当の事だから何も嘘は言ってない――と、内心で言い訳をつらつらと並べ立てる。

 ――ていうか、ルダロッタってそんな簡単に入れちゃう場所なの!?

 と、最後に一番気になるツッコミを入れた。

「えと……あー……」

 気分を変えようと、何かこちらから尋ねようと思ったが、上手く言葉が出てこない。

「あ、申し遅れました。私、アスタ=ウェッジウッドと申します。ここで知り合えたのも何かの縁ですね」

「そ、そうですね。私はシエラ=ロベラッティです」

「まぁシエラちゃんって言うのね! とても可愛らしい名前! それとこちら、娘のエイサです」

 ぺこり、と目の前の少女がお辞儀する。

「えーと、それでアスタさん。アスタさんはなんでこの船に?」

 シエラが先ほどの質問を逆にすれば、彼女はふふ、と優雅に笑う。

「私は仕事です。仕事と言っても、主人の付き添いなのですけどね。ね、エイサ?」

「うん! お父様はね、貿易商人なの!」

「へぇー、貿易の仕事をしてるんだ」

 なんだかスケールが大きくて格好いいなぁ、なんてシエラが零すと、エイサは嬉しそうに笑った。

 今気づいたけれど、エイサとアスタの笑った顔はとてもよく似ている。アスタはエイサの持っている懐中時計を見つめながら、話を続ける。

「ルダロッタの神々は、実はとても珍しい物好きでね。ルダロッタの金を輸出する代わりに、ナールで流行っているファッションや、ブラドワールの機械などを輸入しているの」

「うっわぁ、なんか“神”のイメージが変わりそう」

「でしょ? 私も主人と結婚してから知ってびっくりしちゃったの。二ヶ月に一度、こうしてルダロッタに行くのよ。最初は物珍しくて、ルダロッタに行くのが凄い楽しみだったんだけどね。五年も通い続けると、段々慣れて飽きちゃうの」

 段々と会話が弾んできたからか、アスタはとても気さくに話してくれる。しかもシエラの知らなかった事ばかりで、聞いていて飽きないし、何より面白い。

「ちなみに、この子の持っている懐中時計なんかも、今ブラドワールで人気の職人が作ったものなの」

「あの、アスタさんはブラドワールにも行かれるんですか?」

 最近他国に興味が出てきたシエラは、思わず身を乗り出して聞いてしまった。するとアスタは一瞬きょとんとしてから「えぇ、たまにだけどね」と微笑んだ。

「私達、国籍はゼインなんだけどね。一応ルダロッタとの貿易の窓口でもあるのよ。勿論、全てを一手に引き受けてるわけじゃないんだけど。ブラドワールとナールは、商売国だから、よく取引なんかで訪れるの」

「ブラドワールって、どんな国なんですか?」

「そうねぇ……。とにかく、文明が進んでるって感じ。工場なんか機械が導入されつつあるし、科学者も沢山いて……。ちょっと、街が汚くて治安が悪いのが難点なんだけどね」

 そう言われ、シエラは頭の中で勝手なブラドワールを創造する。しかし、機械といわれても殆ど見たこともないので、想像も出来ない。

「でも、街が汚くて治安が悪いって……なんかなぁ」

 シエラが苦笑いを浮かべながら紅茶を口に含む。

「……ふふ、でも色んな国を見てみれば分かるわよ。どこもあまり大差ないって。だって、同じ人間が住んでいるんですもの」

 アスタの思いがけない一言に、シエラははっとした。見れば彼女は相変わらず優雅に笑っており、シエラはゆっくりと息を吐き出して落ち着きを取り戻す。

 同じ人間。国なんて括りは関係ない。肌の色、瞳の色、髪の毛の色が違うだけで、何も変わりはしない。そんな当たり前の事なのに、シエラは自分のズレはじめた感覚に少しだけ驚く。

「まぁ、こんな暗い話なんて止めましょうよ! そういえばシエラちゃん、あなた学生さんって言ったわよね? 良ければ話、聞かせてくれないかしら?」

「あ、はぁ……」

 正直、あまり魔法学校に良い思いではない。けれど、ここで話さないのも空気を壊すだけだ。シエラはカップの淵をなぞりながら、ゆっくりと話し始める。

「……私は、魔法学校に通ってて。魔法学校では、魔法の歴史とか、属性の勉強とか、色々するんです」

 シエラにとっては、殆ど覚えているんだか覚えていないんだか、曖昧なものばかりだ。

「実習もあって、習った魔法を実際に発動してみたり、戦う為の訓練をしたり」

「訓練? えぇ!? じゃぁシエラちゃんも剣とか持ったりしてたの!?」

「そう、ですね。魔道具の剣とか。基本的には皆魔法で戦うんですけど。私、その、あんまり魔法得意じゃなくて」

 あんまりどころか丸っきりのからっきしなのだが、そこら辺は深く話さないでおこう。突っ込まれたら終わりだけれど。そこは祈るばかりだ。

「でも凄いわー! その年で訓練なんて。大変じゃない? それに女の子じゃない!」

「あ、はは……。でも、学校によって違うみたいですし」

 大丈夫ですよ、と呟く。なんだか話しながら、嘘は言っていないのに心苦しい気持ちでいっぱいになる。アスタはおかわりの紅茶を注ぎながら「でも凄いわねぇ」と言う。

「私ならすぐ音を上げちゃいそう。剣なんて持った事もないし。それにね、私もあまり魔法は得意じゃないの」

 アスタの言葉に、シエラは目を丸くする。

「あら、そんな不思議? 結構いるものよ。魔法って、確かに“当たり前”だけど、何も皆が使いこなせるわけじゃないのよ」

 シエラは残りの紅茶を飲み干す。喉が渇いて仕方ない。息を大きく吐き出しながらカップをテーブルに置けば、アスタが笑いながらおかわりを注いでくれた。

「だから、ね? そんな気にする必要ないと思うわ。もっと自分に誇りを持つべきよ。……なんて、初対面のおばさんが何言ってんのって感じよね」

「そ、そんな事ないです……!!」

 シエラは勢い余って身を乗り出してしまう。しかしすぐに冷静になると、途端に恥ずかしくなった。落ち着こうとゆっくりと腰を下ろす。アスタは優しく微笑んでおり、エイサは訳が分からずきょとんとしている。

「……えと、ごめんなさい。でも、アスタさんの言葉、嬉しい、です。私、そんな風に言われた事なかったから……その」

「無理に何か言わなくてもいいのよー。おばさんが色々余計な事言ってごめんなさいね? でも、不思議ねぇ。シエラちゃん見てると、何だか応援したくなっちゃう」

「……は?」

「なんか、恋も知らない不器用な初心な子って感じ。いやぁー、青春っていいわねぇ」

 楽しげに体を捩っているアスタに、シエラは一瞬固まった。結構ズバッとさらりと言われたような気がする。しかもそれを楽しんでいる。色々複雑だ。

「……はっ! 私ったら! ごめんねシエラちゃん、気にしないで!」

「い、いやぁ……はぁ、まぁ……」

 シエラは濁った返事しかできない。アスタはどうやらとても親しみやすい人らしく、何だか一緒に話していて安心できる。

「そういえばシエラちゃん! 学校のお友達と来てるって言ってたわよね!? 好きな子とかいないの!? あ、他の女の子のお友達も連れてきましょうよ! ね? きっとその方が良い暇つぶしになるわ!」

 アスタの提案を断れるわけもなく、寧ろそっちの方が都合が良いと思ったシエラはその言葉に甘えることにした。一度部屋を覗いてみたが、まだユファとラミーナは戻っていないようだった。

「じゃぁ、食堂も見てきましょう?」

 アスタとエイサと共にシエラは食堂に向かう。まだクラウドとサルバナは勝負をしているのだろうかと心配になったが、どうやら杞憂で終わったらしい。そこには二人の姿は無く、代わりにラミーナとユファ、それからウエーバーと、もう一人、見知らぬ男性がいた。

「あら、あなた! どうしたの、そんな若い子に囲まれて! しかも皆可愛い女の子じゃない~」

「……あ、その、僕は男なんです、けど」

 駆け寄って声をかけたアスタに、ウエーバーは控えめに訂正を入れる。そういえば初対面のとき、シエラもウエーバーに似たような事を言ってしまった覚えがある。

 男性は席から立ち上がると、

「紹介します、こちら家内のアスタ、それと娘のエイサです」

ラミーナ達にアスタを紹介する。するとアスタは優雅に微笑んで緩やかに腰を折る。

「どうも、はじめまして。ふふ、今日は色んな方と知り合える日みたい」

 とても嬉しそうに笑うと、アスタは後ろにいるシエラを男性に紹介した。一礼してから、ちらりとラミーナたちを見ると、案の定目を丸くしていた。

「それで、こちらの方たちは?」

 アスタがラミーナ達に目を向けると、三人は立ち上がって「はじめまして。私はラミーナ、こちらウエーバーとユファです。ウェッジウッドさんに色々とお話を伺っていたんです」とぺこりと頭を下げる。ラミーナの敬語でしかも一人称が「私」なんて使うところを見れるなんて、もしかしたら貴重かもしれない。

「まぁまぁ。……もしかして、貴方たちはシエラちゃんのお友達?」

「友達……。えぇ、まぁそんなところです」

 ラミーナは一瞬きょとんとしてから、取り繕うに笑った。それからアスタとエイサ、シエラは近くから椅子を引っ張って席を囲むようにして座る。

「それで? さっきまでどんな話をしてたの?」

 興味津々でアスタが身を乗り出せば、男性は困ったように短い金髪に触れた。

「なにって、仕事の事とか、この船のこととかだよ」

 男性は助けを求めるようにラミーナ達に視線を向ける。ラミーナ達も少し困ったように笑みを浮かべた。それから今までの事をアスタとシエラに男性は話し始める。男性はアスタの夫であり、貿易商人を生業にしている。名前をティム=ウェッジウッドと言い、人の良さそうな優しげな目元が印象的だ。

 ラミーナとユファとウエーバーが機関室近くで迷子になっていたところを偶々発見し、それから色々な話をしていたのだという。それを聞いて思わずシエラは三人を凝視してしまい、テーブルの下でラミーナに太ももをつねられた。シエラは驚きと痛みで一瞬飛び跳ねそうになったが、何とか持ちこたえる。

「それにしても、こんな若い子たちだけでルダロッタに行くなんて凄いわね。反対されなかった?」

「えぇ、大丈夫でした。それに引率の大人もいますから」

 ラミーナがそう言うと、シエラとウエーバーは思わず笑ってしまった。確かに一人成人を迎えて四年になる人がいた。ラミーナの言い回しが妙におかしくて、シエラとウエーバーは目を合わせて笑う。

「そう。なら問題ないわね! 皆は何人ぐらいで来てるのかしら? 大人数ってわけでもなさそうだし……」

「あ、僕達は全員で七人で来てるんですよ」

「あら、じゃぁ仲良しさんの集まりって事ね! いいわぁ、楽しそう! こっちの方にくるのは初めて?」

「はい、初めてです。だから初めて見るものがたくさんで……驚いてます」

 アスタととても普通に話してしまうウエーバーは、とても14歳の男には見えない。社交性に優れているというか、シエラからしたら凄すぎる。

「ルダロッタとこんな風に貿易してるだなんて、初めて知りましたよ。それにルダロッタに観光される方も、意外といるってことも」

「あはは。来るのはほとんど、各国の貴族か、ゼインの富裕層や学生ぐらいだからな」

 ティムはそう言いながら何やら胸ポケットを探る。そして折り畳まれた地図を取り出した。

「まずルダロッタには、この半島のような飛び出ている場所から入るんだ。船着場はここにある。ここから数分ほど歩くと“最果ての谷”にたどり着くんだ」

「最果ての谷?」

「あぁ。この谷を渡らないと、ルダロッタという国には入れない。谷を渡って林を抜ければ、大門が見える。そこに踏み込めば、不夜の国だ」

 不夜の国というのは、ルダロッタの別称だ。あそこは年中夜がなく、太陽の光が降り注いでいるという。そしてそこには、神がいる。

「あの……ティムさんは神に会った事があるんですか?」

「ん? あぁ、一応交渉の時に会っているよ。でも、いつも白い衣を被って顔は見えないし、喋ったりもしない。必要な事は全て思念で伝えてくるんだ」

 見るからにラミーナが残念がっているのが分かった。ティムは「でも、」と言葉を続ける。

「一度だけ、私がまだ新人だった頃に……。一人の女の子と話した事がある。女の子と言っても、相手は私よりも全然年上だったけれど」

「どういうことですか?」

 ティムは今見た感じ三十路過ぎだ。新人という事はきっと二十歳前後。そのティムからしたら全然上ということは、その“女の子”は三十を過ぎていてもおかしくはないはずだが。

 そんなシエラ達の考えが分かったのか、ティムはたしなめるように「チッチッチッ」と人差し指を左右に振らす。

「駄目だよ、彼らを私達人間と同じように考えては。彼らは姿形こそ同じだけど、根本的に違うんだから」

 益々意味が分からなくなる。四人がハテナマークを頭に浮かべていると、ティムは得意げに話し出す。

「見た目はエイサより少し上ぐらいだったけどね。……年齢は、なんと九十を超えていたんだよ」

「きゅ……!?」

「し、信じられないわね」

「……神とは、そんな不思議な生き物なのか」

「驚き、ですね……」

 シエラはちらりとエイサに視線を向ける。正直、この子が九十と言われれば、目を疑いたくなる。それにそもそも信じられない。

「まぁ、それが当たり前だよね。私も最初は信じられなかった。でも、その子の口調や、オーラが“普通”じゃなかったんだよ」

 ティムは昔を思い出しているのか、どこか遠いところを仰ぎ見ている。

「白いマスクの下には、とても美しい銀の御髪。双眸は澄んだ湖のように深く鮮やかな水色があったよ。そして少女でありながら、纏うオーラは神々しく、人間ではないとすぐに分かった」

 でもね、とティムは苦笑いを浮かべる。

「その子は私を見て『そんなに私が珍しいか? そのように見つめられては、私に穴が開いてしまうわ』って笑ったんだ……」

 不思議だよね、とティムは締めくくった。確かに、不思議だ。見た目と中身のギャップは勿論だが、神という生き物にも色々いるのかもしれないと思わせるような話だ。

「あれ以来、神とは一切口を開いてやり取りをしていないけど……。今でも、忘れられないよ」

「あら、そんなに熱心に言われてしまうと、流石に私も妬いちゃうわよ?」

「えぇ~? それは嬉しいけど複雑だなー」

 なんて目の前で仲睦まじく寄り添うオシドリ夫婦に、シエラ達は苦笑いだ。娘のエイサはシエラ達に「いつもこうだから、気にしないでね」と真顔で呟く。

「いや~、でも、こうして可愛い妻と娘に囲まれて私は幸せだな~」

「もうっ、あなたったら! ……でも、本当に。“あの人”に感謝しないとね」

 そう、僅かな寂しさを漂わせながらアスタは言う。エイサは首を傾げながら「あの人ってだぁれ?」と自分の父と母を見上げている。ウエーバーやユファも頷いており、二人は早速一度部屋に戻り、便箋と、小さな紙をラミーナに渡した。

「師匠の名前はヴィンセント=グレゴリウスといいます。貿易商に聞けば恐らく知っている方も多いでしょう。年齢は五年前で確か54歳ぐらいだったから、今はもう還暦間近です。特徴はこちらの紙に書いてあります」

 ティムも先ほどまでの砕けた物言いではなく、とても丁寧な言葉遣いでラミーナに接している。それにしても、師匠さんの名前はとてもかっこいい。不躾にもシエラはそんな事を思ってしまった。

 それからティム達に改めて礼を言い、シエラ達は部屋の前で別れた。ウエーバーは男部屋なので隣だから、ウエーバーとも一旦そのまま別れた。シエラは部屋に入るなり、どっかりとベッドに腰を下ろし大きく溜め息を吐く。以前よりは見知らぬ人と話すのに慣れたとはいえ、やはりまだ緊張する。ラミーナやウエーバーみたくもっと気さくに話せたらいいのだけれど、なかなか上手くはいかない。

「どうしたのよ、大きな溜め息なんて吐いて」

 ラミーナはコップに人数分の麦茶を注ぎながら、ちらりとシエラを一瞥する。それからコップをシエラとユファに渡すと、近くにあった椅子に腰を下ろす。

「まぁ、大方緊張したって感じ? でも珍しいわね。あんたが知らない人と一対一で関わってるなんて」

「んー、まぁ成り行き。落し物拾ったらあぁなったの。で、ラミーナ達が迷子なんて珍しいじゃん?」

 シエラが茶化すようにそう言えば、二人は気まずそうに顔をしかめる。

「ち、違うんだシエラ。確かに迷子に近かったが、色々あったんだ」

「そ、そうよ! 廊下の明かりが消えちゃって困ってたのよ! 機関室の方って物凄く暗いんだから!」

「ふーん」

 シエラがニヤニヤしながら二人に詰め寄れば、二人はたじたじになってどんどん逃げ腰になっていく。あまり見られる光景ではないので、つい楽しくなってしまう。ラミーナは目をそらして顔を赤くして、「もうっ」と椅子から立ち上がる。少しからかいすぎたかな、とシエラが反省していると、ラミーナがタオルを片手に戻ってきた。

「……それより、ちょっと真面目な話をしていいかしら?」

 ラミーナの顔の赤みは既にひいており、シエラはキリッとした空気に思わず背筋を伸ばした。

「……さっき、話を聞いた中でね。ルダロッタには、貴族たちがたまに旅行にくるそうよ」

「あ、それ私も聞いた。初めてそんな事知ったから、びっくりしちゃった」

「……あぁ、私もだ。ただ、観光で来れるのは入り口付近だけらしいがな」

 そうなのか。シエラはユファに視線を向ける。

「さっき教えてもらったんだ。神達は、随分と奥地に住んでいるらしい。しかも、ちょっとやそっとでは、その奥地には行けない、とも」

「そうなのよ。あたし達が仮に無事ルダロッタの領地に入れたとして。……無事に神の元までたどり着ける保障がどこにあるのかしらね」

 それもそうだ。適合者同士で旅をし、神の国に行き試練をこなし、そして聖玉を封印する。簡単にそう言われたが、実際はそんな簡単ではない。ここまで来るのにだって、グレイやアン達、その他諸々の妨害を受けてきた。その先に危険がないなんて事はありえない。

 ――ルダロッタでは、何もないといいんだけどな。

 フランズのようにアン達から襲撃される可能性もないわけではない。油断は禁物だ。

「まぁとにかく。残り二日はきっちり休みましょう? 何があっても……大丈夫なように」

 最後に含みのある言い方をして、ラミーナは口を閉ざした。シエラもユファも、互いに顔を見合わせて頷きあう。もうすぐ、旅も半分終わってしまう。そう思うと、シエラは解放感よりも何よりも、形容しがたい寂しい気持ちになる。まだ半分あると思えば少しは前向きになれるけれど、それ以上にもっと違う何かがとぐろを巻く。

 ――……そもそも、私は試練を乗り越えられる、のかな……。

 一番足を引っ張りたくない時に足を引っ張りそうで怖い。それに試練の内容が分からないだけに、どんな結末を迎えるのか予想もできない。ただ、良い結果が、良い未来が待つ事を願うばかり。

 ――駄目だ。なんかまた考えが後ろ向きになってる。

 シエラはぎゅっと拳を握り締める。どんな結果が待っていようと、精一杯やるべきことをやるだけなのだ。それ以外、できる事は無い。シエラは窓の外に視線を向け、焼けるような砂漠を遠巻きに見つめた。




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