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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第八章:風
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 大会三日目。現在時刻は正午前。シエラ達は三回戦の舞台に立っていた。三回戦第六試合。これが終わればあとは準々決勝、準決勝、そして決勝戦だ。今日は準決勝までを全て消化し、明日決勝戦が開催される。

 今日の先鋒はサルバナ。彼は涼しげな顔で舞台に立ち、相手の男性を見ている。中背ではあるが身体はとても筋肉質で、その手にはヌンチャクが握られている。

「ゴングはとっくに鳴ってるよ。こないのかい?」

 サルバナはあえて男性に話しかけるが、彼は腰を落としたままじっと動かない。サルバナは一つ溜め息を落とすと、ゆっくりと一歩を踏み出す。サルバナが一歩進むにつれ相手選手は警戒を強め、姿勢を低くしていく。シエラはその二人の様子を固唾を呑んで見守っている。

 するとサルバナが一気に走り出し、一気に相手の懐に飛び込んだ。予想外だったのか、相手選手は僅かにヌンチャクを振るのが遅かった。

 サルバナは相手の腹部目掛けて蹴りを入れると、間髪いれずに横っ腹にも一撃を入れる。相手は何とか持ち堪えると、今度はヌンチャクを振り翳した。サルバナの顔面に一気に振り下ろされたそれを、サルバナはひょいと避ける。そして身体を捻って、相手の手元を蹴りつけた。

「!!」

「勝負あり、だね」

 ヌンチャクが天高く舞う。サルバナは驚く男性の首元に手刀を入れた。どさり、と相手選手は意識を失って倒れ込む。会場からはどっと歓声が沸き、サルバナは手馴れたようにそれに手を振った。

「お疲れ」

「ははっ、心が篭ってないなぁ」

「そう?」

 シエラがサルバナにタオルを差し出すと、彼はけらけらと笑う。そしてその横をユファが通り抜け、舞台へと上がっていく。ワイズの声と観衆の声が混じりあう中、ユファと相手選手は舞台に立つ。相手の男性は長槍を持っており、くるくると回している。

 ユファはゴングの音と共に飛び出し、一気に間合いを詰める。長い分、懐に入ってしまえばこちらが優勢になるのは明白だ。しかし、男性に近づく前にユファは突然数メートル後ろに吹っ飛ぶ。シエラ達は何が起きたのか分からず、ユファの事を凝視する。

 ユファはすぐさま起き上がるが、腹部を押さえて苦痛の表情を浮かべている。相手は槍を振り回しながら、ユファに突進していく。ユファは間一髪で相手の突きを避けるものの、またしても突然吹っ飛ばされる。

「ユファ!!」

「大丈夫だ、問題ない」

 シエラの叫びにユファはそれだけ返すと、今度は自分から相手に突っ込んでいく。槍の動きは完全に見切れている。しかし何故か吹っ飛ばされる。

 シエラは目を凝らして相手の動きを見てみる。不自然なところや何か魔法を使っている気配は無い。ユファは暫し槍の攻撃を耐え忍び、タイミングを見計らって自分から後ろに下がる。すると先ほどまでユファの居た所で、何かがぶつかったと思われる音がした。しかしそれを確かめる間もなく、相手がユファに槍を突き出してきた。ユファはそれを避けると、槍の血溜から柄にかけて手を滑らせ、そして石突の部分に触れる。

「や、めろ!!」

 その瞬間男性は激昂し、ユファを腕で強く押した。ユファは済んでのところで倒れるの防ぐと、手をばねにして数メートル後退する。相手は息を荒げてユファを睨みつけている。しかしユファは表情を変える事はなく、静かに右手を翳した。

「……その姿を示せ」

「!!」

 ユファがそう言った瞬間、彼女の手首に巻かれている数珠がカッと光った。そしてその光は舞台を覆うと、すぐさま収束する。シエラは舞台上に転がっているそれに、目を剥いた。じゃらり、と槍の石突から鎖が二つ伸びており、その先にはそれぞれ直径五十センチほどの鉄球がついている。

「透過してた……ってこと?」

 シエラのその呟きと共に、会場からはブーイングの嵐が。男性は顔を真っ赤にしてユファを睨みつけるが、逆にユファに鋭い視線を浴びせられた。

「あんたのやった事は、規約に書いてなかったからルール違反じゃない。だから私は咎めない。しかし」

 言葉の途中でユファはゆっくりと男性に向かって歩き出す。

「容赦はしないぞ」

 口角を上げると共に、ユファは男性を場外に吹き飛ばしていた。あまりにも一瞬のことで、会場は僅かに静寂に包まれる。無残にも場外に倒れている男性は、前歯が数本折らており、大量の鼻血も出ている。

「しょ、勝者ユファ選手――!!」

 やっと搾り出されたワイズの言葉により、ようやく会場も元の空気に戻る。倒れている男性はすぐさま病院に送られる事になり、担架で運ばれていく姿は何とも残念なものだった。

「ユ、ユファ……」

 シエラがおずおずと声をかけると、ユファは少しだけ笑ってみせる。しかし纏う空気はどこか剣呑としている。シエラが困惑しているのが分かったのか、ユファは笑ったまま「私は不正も、不正紛いも嫌いなんだ」と言った。その時シエラの背筋が凍りついたのは秘密である。

 そして今の試合は議論の末に有効試合となり、また今後の武器を透過しての使用は禁止となった。シエラとしては、寧ろ今まで規約に無かった事の方が驚きなのだが、今は置いておこう。クラウドは眉間に皺を寄せながら舞台に向かい、会場も先ほどの事のせいであまり盛り上がっていない。

「クラウド、大丈夫! 空気無視して頑張って!」

「……まるで俺が空気読めない奴みたいな言い方だな」

 シエラの応援に溜め息を吐き、クラウドは相手と向かい合う。獲物は剣。年の頃は三十代前と言ったところか。がっしりとした体躯に、ほどよくついた筋肉が目に付く。黒の短髪がさらりと風に揺れ、クラウドは剣に手をかけた。

 ワイズの合図で、ゴングが鳴り響く。

 クラウドは飛び上がると勢いよく剣を振り下ろし、そして間髪入れずに足払いをする。相手はその素早さに戸惑ったようだが、間一髪で足払いを避けると、今度は反撃に出た。金属のぶつかる音がシエラの耳朶に届く。激しい攻防に、観客も沸き立っている。声援や野次などが飛び交い、先ほどよりも熱気が凄まじい。野次馬たちもこんな暑い中、よく元気に声などはれるものだ、などとシエラは感心してしまう。自分なら連日こうも応援に参加などできない。

 ――暑いし暑いし、とにかく暑いし面倒くさいし。

 正午前という事もあり今の気温は相当高いはずだ。そもそもゼインが乾燥地帯で暑いというのに、こんな事をしていて熱中症にならないのだろうか。

 しかも砂漠の中にある為、昼と夜との温度差が激しい。シエラはため息を吐く。クラウドの早い剣さばきに目も身体も追いつかなくなってきたらしい。相手選手は息が上がっている。それどころか腕の動きに段々とキレがなくなってきている。

「……なんであんな動けるの」

 クラウドのぬるぬる動く身体に、シエラは嫌味っぽく呟いた。なんだかクラウドだけには時々だが、無性にイラッとする。シエラにも全く理由が分からないのだが、どうしてだがイラッとするのだ。

 ――えぇ、私が捻くれてるのは知ってますとも。知ってるけどさ。……だからなんなんだ!!

 シエラは内心で勢いよく地団駄を踏む。知っているけど分からないんだ、と勝手に怒りを感じながらふくれっ面で試合を眺める。クラウドが相手の剣を上空に弾き飛ばした。刃が真っ二つに折れ、その切っ先部分は舞台に、柄の部分は場外に落下する。

「勝者、クラウド選手です!! フォックス、なんと準々決勝進出です! しかもリーダーのシエラ選手、今まで一度も試合に出ていません! なんという温存の仕方でしょうか!」

 別段全員が試合に参加するという規定はない。しかしシエラは、どうにもワイズの言葉が揶揄しているように聞こえてならない。

 ――ま、別にいいや。

 イヴ奪還が今回の目的だ。試合に出ないのでは、監督不行き届きの責任を取れていない気もするけれど、それとこれはまた別だ。迂闊に試合に出て魔法を失敗して、闘技場ごと吹っ飛ばしては話にならない。それにクラウド達なら大丈夫だ。何の心配も問題も無い。

 シエラはよし、と小さく意気込んで舞台から降りてきたクラウドを出迎えた。しかしシエラはクラウドと目が合うなり、溜め息を吐かれる。

「……ねぇクラウド? 人の顔見て溜め息ってどういう事かな?」

「…………いや、気のせいだろ」

 ――シラ切ったよ! なんでここでシラ切ってんのこいつ!!

 シエラはクラウドを睨みつけながら、ユファと並んで控え室の中に入った。出番がまたすぐに来るので、シエラ達は控え室を抜けると、その奥にある違う控え室に移動する。次の試合はカイザーズと十三組の準々決勝だ。それが終われば二十二組とバレンダスの準々決勝、そしてブルームと三十五組の準々決勝が行われる。

 シエラ達の試合はその後だ。それが終われば準決勝が行われ、明日は決勝だ。上手くイヴが取り返せるといいのだが、そんなに簡単に行くのかとつい心配になってしまう。すると、外から物凄い歓声が聞こえてきた。

「な、なに!?」

「試合で何かあったのか?」

「ちょっと見てくるよ」

「……俺も行ってくる」

 そう言うと、クラウドとサルバナは控え室を後にした。シエラは膝を抱えて、うずくまる。

 少しだけ、また宝玉が疼いた。最近、前にも増して宝玉が疼きだす。昨日も感じたそれは、なんだかどうして懐かしくて、温かくて、切なくて、胸が苦しくなる。そういえば、とシエラは旅立った最初の日を思い出した。あの日も、よく分からない懐かしさに背中を押されたのだ。朝目覚めた時、本当にその感覚がよく分からなったけれど、今なら少し理解できる。

 その時、シエラの頭の中で突然断片が飛び交いはじめる。 

 血まみれの手。あざ笑う誰か。優しい笑顔。泣いているあの人。陰鬱とした瞳。渇望する心。毅然とした態度。檻の中の恐怖。そして――曇天の中立ち込める爆煙。

「……ッ!」

「シエラ、どうした?」

 自分が自分じゃなくなるような気がして、シエラは駆け寄ってきたユファにしがみついた。疼く、疼く。どうしようもなく、疼く。

「シエラ、本当に大丈夫か? 昨日も……」

「宝玉が、疼くの」

 ユファの言葉を遮るように早口で言えば、彼女は目を丸くした。

「お願い。他の皆には言わないで。……お願い」

「……シエラ」

「私なら大丈夫。……大丈夫、だから」

「……あぁ、分かった」

 ユファが微笑んで頷いてくれる。シエラは胸を撫で下ろすと、ユファに笑いかけた。

 すると丁度クラウドとサルバナが戻ってきた。二人とも、なんだか少し顔つきが険しい。先ほど、一体何が起きたというのだろうか。そう思っていると、サルバナが肩を竦めてみせた。

「彼ら、ほんといい趣味してるよね」

「圧倒的だが、まさかあんな事をするとはな」

「?」

 シエラとユファが顔を見合わせて首を傾げていると、クラウドとサルバナが経緯を話し出す。二人が客席に行くと、反対側の客席に十三組の選手達が三人、吹っ飛ばされていたのだという。しかもそれを受け取っていたのは、バレンダスの面々。カイザーズは宣戦布告として、バレンダスに倒した選手を送りつけたというわけだ。

「しかも試合内容も凄まじかったね。……さっきの歓声は、最初に選手が吹き飛ばされた時のものだってさ」

「……なるほどな。どうやら、イヴを取り返すのは中々骨が折れるようだ」

「だが、俺達は勝つしかないだろう」

 三人の会話を聞きながら、シエラは一人ふらりと控え室を出た。後ろ手に扉を閉め、どうしようかと歩き出すといきなり後ろから手を掴まれる。驚いて振り返れば、眉間に皺を寄せたクラウドがそこにいた。シエラが顔をしかめると「どこ行くんだよ」と咎めるような口調でクラウドは尋ねる。しかしシエラは答えない。

 ――なんとなく、出たくなったんだよ。

 そんな事、言えない。言いたくない。シエラが黙り込んでいると、クラウドは更に手を握る力を強くした。

「……クラウド、痛い」

 シエラがキッと睨むが、クラウドは少しだけ眉根を下げて「……また何か起きてからじゃ、遅いんだよ」と呟いた。

「なっ……!!」

 ――何よ、人が毎回毎回何か引き起こしてるみたいに!!

 シエラは乱暴にクラウドの手を振り払うと、ズンズンと廊下を突き進む。何で、こんな下らない事で意固地になっているのか、シエラにも分からなかった。ただ、役に立てない自分が惨めで、宝玉にすぐ振り回される自分が情けなくて、こんな事ですぐ捻くれる自分が嫌いだと思った。

 シエラは大仰に溜め息を吐いてからクラウドを睨みつける。


「どうせクラウドには私の気持ちなんて分からない」


 僻み捻くれたその言葉は、自分で見ても可愛げなんて一欠片もない。これでクラウドも手を離してくれるだろうと思ったが、シエラは引っ張られる感覚に目を丸くした。胸倉を掴まれ、背中を壁に押し付けれる。間近には、眉間に深々と皺を刻んだクラウドの顔があった。

「甘えるなよ。そんなの当たり前だろ。お前の本当の気持ちなんて、言われないと分からねぇよ」

 あまりにも正論過ぎる言葉で返されて、シエラはぽかんと口を開けたまま動けない。

 そんな真っ直ぐな言葉なんて今更だ。今更過ぎる。もっと早く言ってもらいたかった。もっと早く、その言葉を誰かに言って欲しかった。

 ――こんな風に胸倉を掴んで、面と向かってそんな事言うなんて……。ずるい、ずるいよ。

 押し付けられた背中が痛む。けれど、もっと痛いのは心だと、シエラはクラウドの拳に視線を落とす。

 まるで深い部分に槍でも突き立てられたような感覚だ。素手で無遠慮に掴まれたそれは、ズキズキと疼いて広がっていく。けれど何故だろう。少しだけ、嬉しいのだ。こんな風に誰かに深い部分を晒すのは、恥ずかしいと思う一方で、なんて楽なんだろうかと心地よささえ感じる。

「……バカだよ。ほんと、バカ」

 シエラが小さく笑いながらそう言えば、

「バカなのはお互い様だろ」

クラウドも小さく口角を上げて見せた。

 クラウドはそっと胸倉から手を離すと、今度はシエラの頭に手をおいた。そしてわしゃわしゃと頭を強く撫でる。

「ちょ、クラウド!?」

「うるせー、黙ってろ。……一人で抱えたって、いい事なんかねぇんだからな。大体、お前はいつもいつも何考えてんのか分かんねぇし、考えてる素振りの割りには殆ど考えなしで猪突猛進だしよ」

「う、うるさいなぁ! 考えたって分かんない事だってあるじゃん! それに私別に猪突猛進じゃない!!」

 シエラはクラウドの言葉にすぐさま反論すると、彼の手を振り払った。怒っているわけではないが、一つしかない歳の差以上のものを強く感じてしまう。それが無性に悔しいのだ。

 いつの間にかクラウドの眉間の皺は無くなっており、シエラはほっとしつつも何だか納得できない。結局丸く収まったのだから良い筈なのだが、それがクラウドというのがどうにも首を傾げたくなる。シエラが唸っていると、控え室の扉が開きひょっこりとサルバナとユファが顔を出してきた。

「二人ともさ、痴話喧嘩はそれぐらいにしなよ」

「サルバナ、この二人に痴話喧嘩と言うのは語弊があるのではないか?」

「ユファ、いいんだよ。男女の微妙な仲ってのは、色々とあるもんだから」

「そう、なのか……?」

 二人の奇妙なやり取りにシエラは嫌な予感を抱く。このままではユファに間違った認識を植えつけてしまいかねない。シエラがサルバナを睨むと、彼は「あはは」と愉快そうに笑い声を上げる。

「サルバナ、ユファに変な事教えないで!」

「変な事なんて教えてないよ。それにあながち間違ってないじゃないか」

「うるせぇ。こいつは行動を起こすとややこしいが、お前は口を開くとややこしいんだよ」

「ちょ、それどういう意味クラウド!?」

「心外だなぁ。俺は別にいつも本当の事を言ってるのに」

「シエラ、あながち間違ってないとはどういう事だ?」

「ユファごめんね今ちょっとそこの女好きバカ殴るから」

 シエラ達がぎゃいぎゃい騒いでいると、舞台の方から物凄い歓声とどよめきが聞こえてきた。シエラはサルバナに向けた拳を引っ込める。

 順番的に恐らく、今はバレンダスが準々決勝を戦っていたのだろう。どちらが勝ったのかは分からないが、順当に考えればバレンダスだろう。

「見に行くかい?」

 サルバナの問いかけに、今度は全員が首を横に振った。どちらが勝とうが、結局は全員倒すと決めたのだ。ここで揺らぐ必要もない。イヴ奪還の為に、目の前の敵を倒す。それだけだ。

 シエラも、ぐらついていた気持ちがやっと固まった。ウジウジしていても始まらない。クラウドの言う通り、悩みなんてものは捨て去ろう。シエラは拳を握り締め、小さな決意を胸にしまった。



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