五
その日の夜、シエラは宿屋の部屋で一人大人しく荷物の整理をしていた。明日の三回戦で当たるのは四十四組の選手達。そして三回戦第一試合は、一組目のカイザーズの勝利に終わり、どのチームも順当に駒を進めている、という印象を受けた。
今現在ユファは部屋に取り付けられているシャワー室を使っており、ラミーナは先ほど用事があると言って部屋を出て行った。シエラは特にやることもなく、呆けながらベッドに寝転んでいる。暇だ、と呟きながら寝返りを打てば、シャワー室からユファが出てきた。濡れた髪をタオルで拭きながら、彼女は相変わらず右目に眼帯を付けている。
「ねぇユファ。ユファっていつも眼帯つけてるよね。寝るときもだけど、お風呂入るときも?」
ほんの出来心で聞いたつもりが、ユファは一瞬翳りを見せた。それからすぐに顔を上げて「基本的にはな」と小さく笑う。
シエラはユファとの間に流れ始めた微妙な雰囲気を打開しようと、あえて明るく「なんか眼帯ってちょっとかっこいいかも」と笑った。するとユファはまたもや顔を俯かせて、今度はか細い声で「……こんなもの、無い方がいいに決まっている」とやや棘のある言い方をした。ユファが眼帯――恐らく、眼帯をしている原因――を嫌悪しているのだと、ありありと伝わってくる。それが自分が魔力を嫌っているのと同じ雰囲気で、シエラは思わず言葉を詰まらせた。自分で地雷を踏んでしまい、シエラはいたたまれない気持ちになる。
「な、なんか飲み物貰ってくるよ……」
そう言うと、シエラはそそくさと部屋を出た。原因は自分にあるのだから、放置するのは悪いかもしれないが、今はこうするのが最善だろう。
重たい気持ちで宿屋の一階に下りる。共同フロアのフロントに言えば飲み物を入れてくれるので、そこで貰おうと階段を下りて真っ直ぐ歩く。左手にある部屋のノブに手をかけて開けようとしたとき、隣からラミーナの声が聞こえた。辺りを見回すが、どこにもラミーナの姿は無い。思い切って扉を開けるが、共同フロアにもラミーナの姿は無い。
シエラは一度扉を閉め、まさかと思い、共同フロアの隣にある部屋の扉を凝視した。詮索は止そう、と思いつつもシエラの耳は扉に吸い寄せられる。中からはラミーナと、それからウエーバーの声が聞こえた。どうやら二人で何か話しているらしい。
それにしても、こんな所で話すなんて、よっぽど大切な話に違いない。そして何より、あまりシエラ達に聞かせたくない話なのだ。
シエラが聞き耳を立てていると、
「それで、アークは勢力を拡大していると……?」
「えぇ、そうよ。それに、小国だけでなく、少しずつ大国にも浸透していってるわ」
と本当に深刻な話をしていた。
シエラとラミーナが拉致されてから、あれ以降のアークとの接触は無い。そもそもアークが一体何を目的としているのか、根本的なことが分からない。勿論、それを言うならアンやグレイ達だってそうだ。
「現状は深刻ですね。しかも、ブラドワールやクエレ列島などでは、今も余震が続いているとか」
「らしいわね。けど、なんで極東だけなのかしら」
「それは何とも……。ですが、恐らくアークは今後そちらを中心に活動するかもしれません」
「つけ込むわねぇ。それと、前にフランズの図書館で捕らえた“偽館長”、あれどうなったの?」
偽館長。そうだ、深紅のマントを羽織った青年は、一体どうなったのだろうか。シエラは真剣に聞き耳を立てる。しかし残念ながら後ろを通る他の宿泊客に奇妙な目で見られている事に、シエラ本人は全く気づいていない。
「それが一向に口を割らないんですよ。彼が一体どこに本を送ったのか。彼自身はフォーカス出身らしいのですが、それ以外は素性も知れず」
「厄介ね。しかも“革命の国”で名高いフォーカス出身なんて、込み合いすぎよ。で、本は?」
「はい、本は魔物と神に関する書物が一点、無くなっていたそうです」
つまり、彼があの時誰かに送った本はその本、という事になる。シエラは彼がひどく焦っていたのを覚えている。もしかしたら、誰かに命令されて行ったのかもしれない。今はそんな証拠も何もないが。
「ですが、その、確かにその本は貴重な文献ではあるんですが……」
珍しく歯切れの悪いウエーバーに、ラミーナの「どうしたのよ」という訝しげな声が聞こえた。
「……強力な術式が施してあるらしく、並大抵の人間では、まず読む事も叶わないそうです」
すると、部屋の中からダンッ、という何かを拳で叩いたような大きな音が響いた。恐らくラミーナだろう。シエラはドキドキしながらも、二人の会話の続きを聞き取ろうと、もっと耳を扉に近づける。
「……ようするに、それを解こうとしてまで、何か得たい情報があるって事じゃない!」
「お、落ち着いて下さいラミーナさん。確かにそうですけど、でも本当に強力な術式が施してあるそうです。つい最近ではあの書物を読み解けたのは、ダリアミ国王ただ一人と聞きますし……!」
「ダリアミ国王!? なんでそこでダリアミ国王が……」
「あの御方は、“ロディアゼル”ですから」
そのウエーバーの言葉に、今語気を荒げていたラミーナが急に静かになった。シエラは扉の前で一人首を傾げている。
――ロディアゼルって何!?
なんだかロディーラに響きが近いような気もする。とにかく、ダリアミ国王がそのロディアゼルというものだから、何だというのだ。シエラは疑問符を浮かべながら、二人の会話を食い入るように聞いている。
「確かに、ロディアゼルならば納得できるけど。……もし、その送った相手がロディアゼルだったらどうするのよ。悪用されないとも限らないじゃない」
「そこはまだ何とも……。僕もただ祈るばかりです。彼らが、術式を解いてしまわないことを、切に」
ウエーバーの哀愁漂う物言いに、シエラは改めてこの話している内容の深刻さを実感する。そろそろ立ち聞きは止めようかと、シエラが扉から身体を離した瞬間、
「お前、なにやってんだよ」
なんともタイミング悪く、クラウドに声をかけられてしまった。
――まずい、バレる!
シエラは慌ててクラウドの腕を掴むと、隣の共同フロアの扉を勢い良く開ける。そして自分の身体ごとクラウドも一緒に部屋の中に押し入れると、すぐに扉を閉めた。
「……なにしてんだよ」
「う、うっさい! そっちこそ、心臓に悪い事しないでよね!」
共同フロアにはまだ他の客もいたけれど、そんな事お構いなしに、シエラはクラウドにひっくり返った声を浴びせた。
クラウドは一瞬「は?」と口を開けたまま固まったが、すぐにシエラに拳骨を落とす。痛みでシエラが悶えていると、クラウドは「どーせまた下らねぇ事してたんだろ」と言い放った。シエラはその言い草に腹が立ち、キッとクラウドの事を見上げながら睨みつける。クラウドはそんなシエラを無視すると、共同フロアのフロントへとさっさと歩いていく。
シエラもはっとして慌ててその後を追う。ユファに飲み物を、と思っていたのにすっかり道草食ってしまった。クラウドの隣に並ぶと怪訝そうな顔をされたので、思い切りブーツの踵で足を踏んでおく。
「えーっと、ホットミルク二つ下さい」
「てんめぇ……!」
「あ、あとこの剣オタクには水を」
「あぁ、水でいい」
「え、いいの!?」
いじわるで言ったつもりが、クラウドのまさかの反応にシエラが驚いてしまった。確かにクラウドがホットミルク飲んでもそれはそれで似合わないような気がする。
――気がするだけだけど!!
シエラは自分の脳内妄想に激しくツッコミながら、隣にるクラウドの顔を見て噴出した。
「……喧嘩売ってんのかオイ」
「いや、違うんですけども、そうじゃないんですけども……。ブフッ」
「笑い方が完全にバカにしてんな」
二人が言い合いをしていると、フロントの人は苦笑いしながら「はい、どうぞ」とコップを渡してきた。二人はそれぞれ受け取りながら、互いに視線をぶつけ合っている。それはもう、火花が散るほどに。シエラはくるりと踵を返して歩き出す。何だかちょっと子供染みた事をしてしまった、と自己反省したからだ。そのまま共同フロアを出ようとして。
「あ」
両手が塞がっていることに気がついた。扉のノブは回すタイプのものなので、両手が塞がっているシエラでは開けられない。すると、いきなり後ろから手が伸びてきた。
「ほらよ」
「あ、ありがと……」
なんと、クラウドがノブを捻って扉を開けてくれたのだ。思わぬクラウドの優しさに、ちょっとだけドキリとしてしまう。表情は先ほどと変わらない、はずなのだが。
シエラには何だか優しげに見えてしまって、コップを持つ手が僅かに震えた。顔を見られたくなくて、ふいっと逸らして急いで共同フロアを出る。
――ていうか、大体共同フロアなのに扉があるのがおかしいんだ!
と、内心で八つ当たりをしながら、ラミーナたちが話していた部屋の前を通る。もう二人の声は聞こえなかったから、恐らく部屋に戻ったのだろう。階段を上り、廊下を奥に進んでいく。シエラ達の一つ奥がクラウドとウエーバーが使っている部屋だ。そしてその隣がバイソンとサルバナが使っている部屋である。シエラは自分の部屋の前に来ると、後ろを歩いているクラウドをちらりと見上げた。するとクラウドはそれが一体何を意味するのか分かったらしく、小さく溜め息を吐く。
「仕方ねぇな」
「へへ、ありがと」
クラウドの開けてくれた扉の中に入りながら、シエラはちょっとだけはにかんだ。クラウドは「どうって事ない」と呟くと、ぶっきらぼうに扉を閉めてしまった。シエラは苦笑いを浮かべて、部屋の中へと歩いて行く。案の定ベッドにはラミーナとユファの二人が腰掛けていた。
「あら、どこ行ってたの?」
「フロアで、飲み物貰ってきたの」
シエラは二人にホットミルクを差し出す。ラミーナに「あら、あんたは?」と聞かれたので「先に飲んできた」と適当に言っておく。そもそも気まずい空気を壊したくて貰いに行っただけなので、シエラ自身あまり飲む気も無かったのだ。それに立ち聞きもしてしまったから、あまり迂闊に何かを話すとボロが出そうで怖い。そんな訳で、そそくさと自分のベッドにもぐりこむと、シエラは「寝るね、おやすみー」と布団を被る。
「ん、おやすみー」
「あぁ、おやすみ」
二人の返事を聞きながら、シエラの意識は早々に心地よいまどろみに飲み込まれていった。




