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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第八章:風
62/159

幕間

****


 アレンは今、猛烈な怒りをアンに向けていた。自分より頭三つ分ほど背の高いアンを睨みつけながらも、彼女から注がれる無の視線に冷や汗を流している。

「アレン、それぐらいにしておきなって」

「しかしグレイ様! この女今グレイ様を侮辱したんですよ!?」

「侮辱? 笑わせるな。こんな男を侮辱して私に何の得がある」

「まぁまぁアン様も、その辺りでお止めになって下さいまし」

 主人であるグレイがアレンを、従者であるエリーザがアンを、それぞれ諌めあっているが全く効果が無い。グレイはアレンを本気で止める気が無いのか、頬杖をついて口角を上げている。エリーザは小さな少年を見下ろしている自分の主人を宥めつつ、ちらりとグレイを見やった。するとすぐさまアレンが「グレイ様に手を出す気か!!」と怒号を飛ばしてくる。

「てめぇ、そんなに殺されてぇのか! なら俺がやってやるよ! もし次グレイ様を侮辱したら、その時は……」

 ついにアレンは普段グレイに使っている敬語も忘れて、エリーザとアンに向かって敵意をむき出しにし始めた。

「はいはい、分かったわ。ほらアン様、アレンに謝って下さいな」

「エリーザ、何故私が小僧などに……!」

 そう言って抗議するアンの姿はまるで子供だ。エリーザは微笑みながら「アン様の方がお姉さんですもの。それに、これぐらいの事で怒ってどうします? 国を統べるお人になるのならば、ある程度の器量はお持ちになっていないと」と最もな事を言う。

 アレンは二人のやり取りを聞きながら、段々腹が立ってきた。自分は子供ではない。だからそんな扱いをするな。怒りで肩がわなわなと震える。

 グレイを守るためならばなんだってする。それがたとえ作戦に必要不可欠な駒であろうと、主人に仇為す者ならば容赦はしない。アレンは右手に魔力を込める。

 ――こんな奴らに……俺が劣るわけがない!!

 グレイに全幅の信頼を寄せられていないという事など、アレンはとうの昔から知っていた。けれど悔しいと思わない日は一日足りとてない。

 ――グレイ様の力にならない俺なんて、生きている意味がないんだよ!

 アレンが殺気の篭った一撃を叩き込もうとした瞬間、グレイが「アレン」と名を呼んだ。弾かれるように視線を向ければ、グレイは目を細めて心底楽しそうに笑っていた。

「君の気持ちは嬉しいけど、それ以上やったら俺は君にお仕置きするよ? ……勿論エリーザにも、アンにもね」

「反吐が出る。失せろ道化」

 アンは口汚くグレイを罵り、どっかりと椅子に腰を下ろす。アレンはまた逆毛を立ててアンを睨むが、彼女はどこ吹く風だ。隣にいるエリーザは、アレンと対峙するようにしてアンの隣に佇む。

 ここは宮殿の奥の、そのまた更に奥にある古ぼけた屋敷だ。蔓植物が外壁を覆い、鬱蒼とした庭園に囲まれている。その一室でアンとグレイ、エリーザとアレンは対面していた。

「それで、貴様が今日ここを訪れた理由は何だ」

 アンは単刀直入に聞くと、目の前で笑っているグレイを睨みつける。グレイはアンに睨まれると益々愉快そうに口元を歪め、それからアレンに水晶を渡す。

「ここに映っているのは、フランズで君たちが戦ったときの映像だ。……さて、アン。君は何故あんな半端な形で、しかも死者を一人も出さずに撤退したんだい?」

 アレンは掌にある水晶を壊さないように、手に力が行き過ぎないように意識を集中させる。目の前にいる女はグレイの命令に背き、王城に大した被害もなく撤退した。

 適合者と刺客の戦いにおいてもそうだ。彼らの経験値としては、あれでは不十分なのだ。もっと生死の境界線で戦ってもらわなければ、意味が無い。しかしアンはグレイとアレンを一瞥すると「下らんな」と吐き捨てた。

「……私たちの目的は何だ。無作為な殺戮か? それとも七大国陥落か? ……違うだろうが、この愚か者。私は目的以外の行動はしない。それに適合者など、いつでも殺せる」

 アンの言葉にエリーザは心酔しているのか、うんうんとしきりに頷いている。アレンがそれが気に入らず、思わず舌打ちしていた。

「……なるほど、ね。君なりの考えがあったわけだ。それならいいよ。ま、少し甘いと思うけど」

 グレイは愉快そうに喉の奥で笑うと、その獣の瞳で目の前の三人を射抜く。灰色の暗い怨嗟の目で見れれるだけで、アレンはこの人についてきて良かったと強く思える。アレンにとって畏怖とは、まさにグレイそのものだ。彼こそが世界を回すべき人間であり、彼の目的こそが自分の生きる至高の理由になる。ゴミの掃き溜めで生きていた自分にとって、彼はあまりにも眩しく、それでいて暗く深い。彼はまるで月のような存在なのだ。

「……ねぇアン。次は俺のお願い、ちゃーんと聞いて欲しいんだけどな」

「ふざけるな、誰が貴様の命令など――」

「目的、果たしたくないの?」

 月があやしく笑った瞬間、アンは言葉を止めた。悔しそうに表情が歪み、下唇を噛み締めている。爪が自分の肉に食い込むほど力を入れており、目は細められている。

 そうだ、この女は逆らえない。最終的には月に還るしかない、馬鹿で哀れな兎なのだ。

 アレンはアンを内心で嘲笑う。先ほどまで殺してしまいたくて仕方なかった相手に、思わず同情してしまう。このゲームの主催者は彼だ。盤上は全て彼の思いのままに操られ、絶対的存在によって統制されているのだ。

「はは、アンは物分りがよくて助かるよ。そうだな、次はいよいよルダロッタだからね。……アン、できるだけ君の力で滅茶苦茶にしておいでよ」

 神の国を、原初の神の力で破壊してこい。グレイの言っている事はまさにそれだ。まるで身内同士での潰しあいのような惨い事をさせる。しかしグレイの心が痛む事はないし、アレンがそれを止める理由も無い。ただアンは命令に従うほか道は無い。エリーザでさえ、黙ってアンのことを見つめている始末だ。

「……貴様は、本当に下種だな」

 アンはそれだけ呟くと、荒々しく部屋を出て行ってしまう。その後を追う形でエリーザも姿を消し、部屋にはグレイとアレンの二人きりである。

 アレンは主人の横顔を眺めながら、持っている水晶に力を込めた。魔力を注げば、そこには先日のディアナ襲撃の映像が映し出される。アレンは水晶の中の土煙を一瞥すると、映像を消してグレイに向きなおった。

「グレイ様、如何しましょうか?」

「そうだね。とりあえず、君はアークの方を何とかしてもらおうかな?」

「……例の、宗教活動ですね」

 小国を中心にしていた宗教活動は、ここ数日では全国各地にまで及んでいる。魂という廃れていた概念を与え、絆を信じさせてる。グレイに言わせるとそれは「適合者の真似事」でありかつての思想を今一度ロディーラに広めているだけに過ぎない、らしい。

 アレンは主人の言葉を思い出しながら、腑に落ちない点に思考をめぐらせる。絆など信じさせて、一体何になる。己という存在が他者と繋がっていると再認識させ、一体何が達成される。

「アレン」

「はい」

「……アークの主要活動拠点、調べてこれる?」

「お任せください。ご命令とあらば、潰してきますが」

「いや、それはいいよ。まだ時期尚早だ。俺たちもあまり大きく動くと、目をつけられるからね」

 グレイはつまらなさそうに呟くと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。アレンは主人の背を見上げながら、水晶を強く握り締める。

 ――俺が、やるんだ。俺が……この方の為に。

 ほの暗い灰色の瞳は、どこか自分を彷彿とさせる。だから、自分もこの人から離れられないのかもしれない。

 アレンは主人の後を追うように、暗闇の中に溶け込んでいった。





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