七
翌日、正午過ぎ。シエラとクラウドは巨大な鉄柵の前に立っていた。
「……レイル、本当にありがとう」
シエラが右手を差し出すと、レイルはその手をやんわりと握り返し、それからシエラの身体を抱き締めた。
「こちらこそ、ありがとう。久々に人と喋れて、楽しかったわ」
シエラはその言葉を聞いて、レイルの身体をきつくきつく抱き締め返す。
「……また、逢いに来るよ。絶対、逢いに来るから」
シエラがそう言うと、レイルは嬉しそうにはにかんでからゆっくりと身体を離した。初めて見るレイルの表情に、シエラもクラウドも僅かに目を見開いた。
「……さて、と。その柵を越えれば、ゼインとの国境は目と鼻の先よ」
レイルの言葉に、二人は鉄柵を見上げた。長さはおよそ十メートル弱というところだ。人が通れそうな隙間もなければ、門のような部分もない。しかも先端は鋭利な棘が幾つもついている。よじ登るのは不可能だ。やっとの思いで森を駆け抜け、ようやく辿り着いたものの、ここから先もまた難関だ。しかし、クラウドは特に焦った様子もない。いつも通り飄々としており、鉄柵という壁もどこ吹く風だ。シエラがじとー、という視線で見ていると、クラウドはその視線に気づいたのか眉間に皺を寄せた。
「……なんだ」
「いんやぁ別に。ただクラウドはこの鉄柵をどう越えるおつもりなのかと思いましてねー。そうですか余裕ですが無理だと思ったのは私だけですか」
シエラが乾いた声でつらつらと述べると、クラウドは「はぁ……」と重い溜め息を吐く。何だか馬鹿にされた気がして、シエラは眉を痙攣させる。するとクラウドはレイルに「……あとで、動物たちに謝っておいてくれ」と頭を下げた。この男は一体何をするつもりなんだ、とシエラが固まっていると、クラウドはすらりと剣を引き抜いた。
「……さて、やるか」
「――へ?」
シエラはクラウドの横顔を見て、思い切り目を見開く。何だか、嫌な予感しかしないのだ。
「――それで、なんでこうなるのかな?」
シエラは竦む足に鞭を打ち、鉄柵に一番近い木の枝の上で立ち上がる。幹に手を立て、下にいるクラウドを思い切り睨みつけてやった。
「仕方ねぇだろ。これ以外にお前は柵の外に出れねぇんだからよ」
――だからってこれは無いだろうが!!
シエラは内心で盛大にツッコミを入れた。
まず、シエラは出来るだけ高い枝に登り、そこから柵の方に飛び降りる。その瞬間に爆発もしくは水系統の魔法で更に跳躍、鉄柵を飛び越えるという作戦だ。まさかクラウドがこんな荒業を提案してくるとは予想外で、シエラは恐怖で足が震えている。
――いや、だってこれ失敗したら死ぬんじゃね?
そもそも、シエラの魔法が成功する確率は低い。いくら最近宝玉の補助により上手く行っているとはいえ、鉄柵を乗り越えられる程度の魔力など調節できない、はずだ。
「いいか、思い切り良くいけよ! 戸惑うな、躊躇うな!」
「うっさいのよ馬鹿クラウドこの剣オタク! 死んだら呪ってやるんだから――!!」
シエラはクラウドに叫んでから、大きく息を吸い込む。ここで一番安全に鉄柵を越えられる魔法を、乏しい知識の中から探し始める。
――……あぁ、フレイムボムとかだと弱すぎるしなぁ。
全くクラウドの馬鹿野郎。もう一度愚痴を零せば、ふと、シエラの記憶が蘇ってきた。前にウエーバーとラミーナに教えてもらった水系の魔法だ。記憶が正しければ、確かあの時は成功せずに思い切りクラウドにぶちまけてしまったはず。
――そうだ、そうだよ! あれが成功したら確実に鉄柵越えられるじゃん!
シエラの目の前に光が差す。こうなったらもう後は成功を宝玉に頼むしかない。よし、とシエラは自分に気合を注入する。
「クラウド、レイル! やるから下がってて!」
シエラが下の二人に力強く言えば、二人は驚いたように目を瞠り、シエラのいる木から距離を取った。シエラは神経を集中させ、飛び降りるために足に力を込める。両手を翳し、手に魔力を練りこむイメージを持つ。
「……水雲と楔――」
シエラは右足に重心を置く。
「こだまし輝け――」
そして思い切り鉄柵に向かって飛び出す。
「天への導き――アクア・ポール!!」
早口に最後まで詠唱すると、両手を地面に向ける。その瞬間、シエラの両手から凄まじい水量を伴った水の柱が出現した。水柱は地面に猛スピードでぶつかる。
ザバァアアァァ。
地面が吸収しきれなくなった水分が森の奥へと流れている。シエラは綺麗な弧を描きながら、水柱の推力により鉄柵の上へ上へと昇っていく。
「やった!!」
「まだだ!」
シエラが喜びの声を上げていると、クラウドが怒号を飛ばしてきた。はっと気づいたときには、確かにシエラは鉄柵を易々と飛び越えてはいたが、このままでは地面にそのまま落下してしまう。
――ヤバイ……!! 何か詠唱しないと!
落下速度は加速し、もうすぐ地面だ。シエラは慌てて、もう一度アクアポールを詠唱する。
「……どうしよう」
詠唱したはいいが、二度目ともなると流石に地面が水浸しだ。しかもここから水量を調節して、徐々に下降していくなどシエラには出来ない。今高さはざっと十五メートルほど。鉄柵よりも幾分か高い位置にいる。
「そのままそこにいろよ!」
クラウドはシエラに向かって森の中から叫ぶ。彼は助走をつけると、シエラの使った木の幹を強く蹴り、空中に飛び上がった。剣の切っ先を地面に向け、そこから魔力を大放出する。そのままクラウドは魔力の推力で鉄柵までくると、棘があるにも関わらずそこを踏み台にした。そしてシエラのいる位置まで大跳躍する。今はもう剣から魔力を放出していないようだ。
「捕まれ!」
シエラは差し出されたクラウドの手をぎゅっと握り締め、それから彼の腰周りに抱きついた。
「そのままにしてろよ!」
落下していく感覚に、シエラは吐き気さえ覚える。しかし不思議と、恐怖はなかった。クラウドは再び切っ先に魔力を集中させ、今度は等間隔で、放出したりしなかったりを繰り返す。抵抗力が加わったお陰か、落下速度は遅くなっていく。シエラはクラウドの腰にへばりついたまま、緩やかな速度で着地した。着地寸前に彼がもう一度魔力を放出してくれたお陰で、衝撃という衝撃も殆ど無かった。
「……助かった」
シエラは腕を解き、へにゃへにゃと地面に座り込みかけて、慌てて立ち上がる。地面は先ほどのアクアポールで非常に水分を含んでいる。座ればたちまち泥まみれだ。一方クラウドは涼しい表情で佇んでおり、シエラは何だか釈然としない。ふと、クラウドが視線を鉄柵の奥――レイルに向けた。シエラも続くように視線を辿れば、彼女は少々驚いてはいたものの、優しく微笑んでいた。
「レイル、本当にありがとう! 元気でね!」
シエラが大きく手を振れば、彼女も振り返してくれる。クラウドも珍しく声を張り上げ「世話になったな!」とレイルに向かって軽く会釈した。二人とレイルは暫くの間視線を交わし、それからゆっくりと互いに踵を返す。シエラとクラウドはゼインに向かって、レイルは森の奥に向かって、歩き出した。
シエラは昨晩とは打って変わって、清々しい気持ちに満たされている。結局、動物たちが昨日以降襲ってこなかったのが不可解でもあるが、今は置いておくことにした。ふとシエラが振り返れば、森は再び濃霧に包まれており、鉄柵さえも目視できなくなっていた。ぞわり、と鳥肌が立った。すると、隣にいるクラウドが強引に腕を引っ張り、シエラに前を向かせる。
「……今は、よせ」
それが一体何に対してなのか分かってしまい、シエラは口をつぐんだ。今は、何も言うべきではない。
シエラは前方に見え始めた関所を見上げ、力強く一歩を踏み出した。




