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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第七章:進
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****


「……はぁ、はぁ、はぁ」

 森には、クラウドの荒い息が木霊している。シエラはぐったりした腕を彼の肩に、身体は背中に預けている。

「左に避けなさい!」

「はぁ、はぁ……ッ!!」

 レイルの叫びにクラウドは咄嗟に左に飛ぶ。すると大熊が現れ、クラウドに向かってその鋭い爪を振り下ろしてきた。地面は穿たれ、クラウドは舌打ちをして再び走り出す。かれこれ一時間ほど、クラウド達は走り続けている。今朝目が覚めると、森は異様な空気が濃密になっていた。

 しかもシエラが昨晩の雨のせいか熱を出してしまい、自分で動くこともままならない。けれど足を止めることはできないので、クラウドが背負って走っているのだ。先頭を走るレイルは反撃できないクラウドに気を配りつつ、前を走っている。先ほどから動物たちはクラウドばかりを狙ってくる。レイルには一切手出ししない。元々侵入者はシエラとクラウドの二人だが、それでもクラウドは違和感を感じずにはいられなかった。

 ――なんで、あいつは攻撃されない? 

「右に避けて! 来るわよ!」

「くそっ!」

 クラウドは地面を強く蹴り上げ、木の幹に向かって跳躍し、木をバネにして方向転換する。ドガァァン、と凄まじい音が聞こえ後ろを振り向けば、大熊が一匹から三匹に増えていた。

 ――下手に反撃もできねぇし。……どうする。

 クラウドは肩越しにシエラを見やる。頬は赤く伝わってくる体温も熱い。呼吸も荒く、見るからに衰弱してしまっていた。片手でシエラを背負いながら、戦えないこともない。しかしクラウドが戦ってしまったら、衝撃はそのままシエラにも伝わる。何より相手を刺激してしまえば、本気で戦えない分、劣勢に立たされるのは目に見えている。

 いくら騎士団で戦闘訓練を日々受けているクラウドといえど、流石にこの状況はピンチといって良い。そろそろどこかで身体を休めないと、腕が痺れてきて使い物にならなくなりそうだ。この森は今敵しかいない。そんな中、休める場所などあるのかは分からない。とにかく今は、少しでもシエラの体調が回復するのを祈るばかりである。

「二人とも、こっちよ!」

 すると突然レイルが方向を変えて走り始める。クラウドは慌てて身体を捻る。森の中を駆けて行くと、そこには泉があった。レイルはそこで辺りを警戒しながらも立ち止まっている。

「一度、ここで休憩しましょう。……シエラを」

 レイルはクラウドに両手を差し出し、シエラを受け取ると、ゆっくりと草むらに寝かせた。タオルを水で濡らし、彼女の汗を拭き取っていく。クラウドも手で水をすくい、喉を潤す。そして自分の鞄から水筒を取り出し、新しく水を入れておく。シエラの水筒にも同様のことを行い、クラウドはようやく肩の力を抜いた。まだここも安全ではないのだろう。クラウドは顔を洗い、再び水を飲む。

「あと少し、頑張れそう?」

「あぁ」

 クラウドが力強く答えると、レイルは胸を撫で下ろす。シエラは相変わらず荒い呼吸を繰り返している。

 ――ったく、こんなとこでくたばんじゃねーぞ。

 クラウドはシエラに檄を飛ばすと、ゆっくりと身体を起こし、慎重に負ぶった。レイルがその様子に微笑みを浮かべていたのがなんだか癪だったが、今は相手にしないことにする。再びレイルに案内されながら、クラウドは走り出した。

「出口まではまだかかるわ。……とりあえず、神殿までは踏ん張って頂戴」

 レイルはそう言うと、「右前の方から来るわよ!」とクラウドに叫ぶ。現れたのはまたもや大熊だ。しかも先ほどと同じで三匹。クラウドは軽快な身のこなしで相手の攻撃を避けると、その振り下ろされた腕を地面に代わりに強く蹴りつけた。

「地面より跳ねるな」

 地面よりも柔らかい分、同じ力でもより遠くに着地できた。クラウドは小さく感動しつつも、足の回転を速める。動物たちの猛攻を必死でかわしながら、再びかれこれ一時間ほど走っていると、今度は白い柱が見えた。そこには同じく白い石でできた建物もあり、中は空洞だが何本もの柱によって支えられている。レイルはそこに駆け込み、クラウドもそれに続く。奥に進めば、そこは昼間だというのに薄暗い。ふと天井を見上げてみれば、クラウドは言葉を失った。

「これは……」

 そこには“世界”が広がっていた。一体誰がこんなものを。そう問いたくなるような壮大な一枚の絵が、そこには存在していた。中央には顔のよく似た――全く同じと言ってもいい――二人の人物が向かい合っている。どうやら一つの物語か何かになっているようで、ずっと奥から絵は続いていた。

「……あの顔のよく似た二人は、アールフィルトとローディラルト」

「なん、だと……?」

 アールフィルト、すなわち原初の神。そして、あの刺客を率いているアン=ローゼンは自らをアールフィルトだと名乗っていた。クラウドの驚きはもう一つある。

「……ローディラルトってのは、何だ」

 ローディラルト。なんだか名前がロディーラに近しい。しかしレイルは答えない。曖昧に笑っているだけで、すぐに足を進めて奥に行ってしまう。クラウドが後を追うと、更に奥には棺のようなものが置いてある。その真向かいの壁には、太陽と月、そして人と魔物らしきものが描かれていた。

「これは、一体……」

 なんだ。

 クラウドの呟きは静かに木霊する。今まで知らなかったことが全て明るみになる。そんな錯覚さえ起きそうで、クラウドはシエラを背負う腕に力を込めた。レイルは呆然と壁画を見つめ、それからゆっくりとクラウドに向き直った。

「あなた、昨日から私のこと観察してるでしょ」

「!」

 唐突に切り出された話題に、クラウドは不覚にも動揺してしまう。しかしレイルは笑った。

「水も飲まず、食事もろくにせず、汗も掻かず、動物にも襲われない。……不思議で仕方ないでしょう?」

「……あぁ」

 クラウドは諦めたようにレイルの言葉を肯定する。そう、今言った事全てクラウドが疑問に思っていたことだ。レイルという存在が、不思議なのだ。彼女は悪戯っぽく笑うと、その場にぺたりと座り込み、クラウドにも腰掛けるように勧める。クラウドは神経を研ぎ澄ませながら、シエラをゆっくりと寝かせる。先ほどよりは大分呼吸も安定しているように思えた。レイルはシエラを眺めながら、ふっと溜め息を漏らす。

「……いいわ、教えてあげる。私はね、思念体なの」

「思念……体」

「そう、思念体。私の身体はとっくの昔に滅んでいるのよ。だから汗も掻かないし、食事も、たまに少しすれば問題ないの」

 あまりにも予想外のレイルからの打ち明けに、クラウドは開いた口が塞がらない。それどころか、理解できない事象が今目の前で起きているということも認識できずにいる。目の前で喋っている人間は既に死んでいる。

 ――なら、俺は今誰と話してるっていうんだ。

 クラウドは冷や汗が出ていることに気づき、内心で自嘲的な笑みを浮かべた。レイルはそんな彼の心情が分かったのか、毅然とした態度で、はっきりと、

「私はレイル=アナトミア。それ以外の何者でもないわ」

そう言った。

 クラウドは追究しようとする言葉をぐっと押し留め、代わりにシエラへと視線を落とす。

「こいつが、眠ってくれてて助かった」

 クラウドがそう言うと、レイルは優しく微笑んだ。




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