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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第七章:進
51/159


 ロベルティーナ国王が崩御した。この報せは瞬く間に八大国中に駆け巡り、次の日には小国にも知れ渡った。シエラは新聞を片手に、ただ呆然と椅子に腰掛けている。

 別段哀しいとは思っていない。王女であるファウナとは面識はあるが、その父であるロベルティーナ国王とは何ら関わりがないのだ。国王が身体の弱い人で、前々から体調を崩していたのは知っていた。けれど、まさかこんな大変な時に逝ってしまったとは。国民の不安はこれから一層募るだろうし、世界情勢も多少なり変化する筈だ。しかしシエラは、ファウナは今どんな気持ちなのだろうか、そればかり考えてしまっていた。シエラにはただの国王であっても、ファウナにとってはかけがえのない家族だ。それを思うと、シエラの胸の奥は痛む。シエラは無理矢理思考を停止して、ゆっくりと窓の外へと視線を向ける。

 昨日の襲撃によって王城と、王都の外壁などは多大な被害を受けた。瓦礫の撤去や負傷した兵士達の手当てなどで、国の関係者はおおわらわである。幸いなことに一般人には本当に何の被害もなかった。それが一番の不思議であるが、シエラはほっと胸を撫で下ろしている。今も尚慌しく動き回る兵士や指示を出す貴族や大臣たち。ディアナ政府は今回の襲撃はもみ消す方向らしい。たかが七人に、しかも魔物を引き連れた得体の知れない連中にこんな有様とは、国として非常にまずいのだ。難しい話はシエラにはよく分からないが、結局のところ体裁が一番なのだろう。シエラがそんな事を考えていると、部屋の扉が控えめにノックされた。

「シエラ、体調はどうですか?」

 ひょっこりと顔を覗かせてきたのはウエーバーだ。その両手には篭いっぱいの果物がある。

「私は全然大丈夫。それより、兵士の人たちは?」

「殆どの人は峠を超えたようです。今のところ、死者は一人も出ていませんよ」

「そっか、良かった」

 シエラはほっと胸を撫で下ろす。今シエラ達はローテーションで、救護所の手伝いをしている。特に魔力の強大なシエラは、致命傷を負った兵士の治癒魔法に力を貸すことが多い。勿論、ある程度の治療をしてから、魔法で生きれる可能性を伸ばすだけのことだ。

 せめて少しでも長く生きて欲しい。あんな無駄な、無益な戦いで命を落とさないでほしい。今まで思ったことのない感情がシエラの中で芽生えていた。他人に無関係で無関心だったはずなのに、目の前で傷ついた人を放っておけなくなっている自分に、シエラは顔を顰める。

 ――……私が関われば、皆嫌な顔してたのに。

 今はそれがない。ロベルティーナを、アレンダを出れば誰も自分を知らない。その感覚が新鮮で、居心地が良くて。クラウド達のような不思議な縁で結ばれた仲間がいて、笑いあえて、苦楽を共にして。

 ――なんで私、こんなに幸せなんだろ。

 世界が消えてしまうかもしれない、世界の命運をかけた旅をしているのに、今のシエラは幸福に満たされている。

 ――駄目だ、なんか暗い事しか考えられない。……明るくできないや。

 笑い飛ばしてしまいたい事は沢山ある。それなのに、表情筋がなくなってしまったようにシエラの表情は変化しない。

「シエラ、どうしたんですか?」

 隣にいるウエーバーが心配そうに顔を覗きこんできた。しかし、シエラは曖昧な視線を送ると、また思考に沈んでいく。今現在、八大国のうち二国が大きな打撃を受けている。今回のディアナの事は報道される事はないだろうが、それでも人から人に話は伝わる。全てを揉み消す事は誰にも出来はしないのだから。この影響が一体どれぐらい他国に伝わるのか、その影響のほどはシエラには全く分からない。ややこしい話は苦手だ。苦手なはずなのに、考えずにはいられない。不安で不安で、怖くてたまらないのだ。もしかしたら次に失うのは――。ふとそんな考えが頭を過ぎり、シエラは自己嫌悪に陥る。

 ――最初の頃は、もっとちゃんと前向きだったはずなのにな。

 シエラは溜め息を漏らした。すると、脳天に凄まじい衝撃がはしった。

「いったぁあぁ!!」

「うじうじしてんじゃねぇよ気色わりぃ!」

 シエラが勢いよく顔を上げると、そこには不機嫌そうなクラウドの顔があった。

「ク、クラウドさん……っ」

「一人で抱え込むなって言ってんだろうが! らしくねぇ事してんじゃねぇ!」

「な……っ! 私だって馬鹿じゃないんだから考えるわよ!!」

「お前が馬鹿じゃなかったら世の中の誰を馬鹿って言うんだよ! 大体なぁ」

「ストップ! 二人とも止めて下さい!」

 いがみ合う二人の間に、ウエーバーが慌てて割り込む。シエラは拳骨で痛む頭部を擦りながら、涙目でクラウドを睨みつける。しかし逆に睨み返されてしまい、シエラは少しだけ肩を震わせた。

「……お前は、考えてどうしたいんだよ」

「え?」

 唐突に訊ねられ、シエラは目を丸くする。相変わらずクラウドの眉間には皺が深々と刻まれていて、目つきだって悪い。けれど、シエラのことを真っ直ぐに見てくる。

「お前は、考えた結果から何かしたいって思ったのかよ」

 言われて気づいた。確かに色々と考えた。けれど、そこからシエラ自身は何も導き出してもいないし、決断も下していない。ただ感傷的になって、暗くなっただけだ。クラウドは呆れたように溜め息を吐くと、もう一度シエラに拳骨を落とした。

「考えなしの悩みなんてな、さっさと忘れちまえ。……そんで、目の前に集中しろ」

 クラウドはそれだけ言うと、部屋の奥にあるシャワー室へと消えて行った。

 その場に取り残されたシエラとウエーバーは、ぽかんと口を開けたまま動けずにいる。確かにクラウドの言う通りかもしれない。くよくよしないで、今と向き合えたら、きっと自ずと見えてくるものがあるのかもしれない。今までだってそうだったじゃないか。シエラは自分に言い聞かせるように心の中で呟く。それにしても――。

「人のこと馬鹿って言いすぎなのよクラウドの馬鹿――――――!!」

 シエラはシャワー室に向かって叫んだ。

「シ、シエラ!?」

「それに殴りすぎなのよこの堅物が! 頭割れたらどうしてくれんの!? 大体、あんただって私と一つしか歳違わないじゃん! なぁに偉そうに言ってんのよ馬鹿! クラウドの馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! ばーーかーー!!」

 息を荒げてシエラが捲くし立てると、隣にいるウエーバーは心底驚いたようで、間抜けな表情で突っ立っている。

 シエラは呼吸を整えると、再び口を開き。

「クラウドのおたんこなす!! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!! このば――」

「るせぇ! 部屋ん中で叫ぶな!」

「ふべ――ッ!!」

 シャワー室から飛んで来た洗面器が顔面にヒットした。扉からは腰にタオルを巻き髪の濡れたクラウドが、不機嫌オーラをむき出しにして立っている。

「文句あるなら直接言え! 大体、人の気遣いってのが分かんないのかてめぇは!」

「知るか馬鹿! 気遣うならもっと優しくしろこの剣オタクが!」

「てめ……! ……そうか、そんなに殴られたいか」

「殴る前に殴ってやるわ!」

「ちょ、おま……ッ!?」

 シエラの思いがけない行動に、クラウドは反応できなかった。ぱこーんと小気味良い音が響き、クラウドは鼻を押さえてうずくまっている。

「はっ、ざまぁ」

 シエラはクラウドを見下しながら鼻で笑う。先ほどクラウドが投げてきた洗面器を、今度はシエラが投げ返したのだ。

「てんめぇ……」

 クラウドは立ち上がると落ちている洗面器を拾い上げ、そして大きく振りかぶった。ぶん、っと風を切る音が聞こえ、真っ直ぐにシエラ目掛けて飛んでくる。しかしシエラはそれを避けると、ベッドに置いてある枕を手に取り、すかさず投げる。クラウドは枕を受け止めると、再び風を切って振りかぶる。

「あの、二人とも……?」

 困惑しているウエーバーを他所に、二人の無駄に激しい攻防戦は続く。部屋のありとあらゆる投げられるものを手にしていくシエラと、それを投げ返すクラウド。やっている事が非常に子供染みている。そして勿論のことながら部屋はどんどん荒れていく。

 ウエーバーがどうしたものかと首を捻っていると、部屋の扉が開いた。そして、鬼の形相のラミーナがそこにはいた。

 ウエーバーは身を固くしながらもそっと部屋の隅へと逃げる。シエラとクラウドはラミーナの存在に気づいていないのか、未だに戦っている。それに運悪く、シエラの投げた枕がラミーナの顔に当たってしまった。二人はやっと動きを止める。

「あんたたちねぇ~……」

「ひぃっ!」

「……その、なんだ。す、すまなかった」

 クラウドがすぐさま謝るものの、ラミーナは般若の笑みを浮かべながら二人に近づいていく。そして。

「いっ!!!?」

「ッ!!!!」

 ゴツン、ゴツン、というニ撃を加える音が部屋に響く。ウエーバーは唖然とした表情で、うずくまっている二人を見やる。

「元気結構! 喧嘩上等両成敗! 分かったらさっさと片付ける! ウエーバー、あんたもよ!」

「は、はい!」

 ウエーバーは姿勢よく気をつけの状態で返事をする。シエラは渋々立ち上がり、床に散乱している枕やタオルやらを拾い集めていく。クラウドは自分が投げた洗面器片手にシャワー室に戻り、部屋にはシエラ達の物音とシャワーの音しか聞こえなくなる。けれど先ほどまでの重苦しい雰囲気はそこにはなく、いつも通りのシエラに戻っていた。部屋の片付けが終わる頃にはクラウドもシャワー室から出てきており、ラミーナの機嫌も直っている。

「そういえば、二人ともどうしたの?」

 まだ交代の時間ではないはずだ。シエラが首を傾げると、ラミーナが「ちょっと聞いてよ!!」と癇癪を起こす。

「なんか適合者にはこんな事させられない、とか何とか言って邪魔者扱いされたのよ!? 信じられない! こっちが国家構成員の一人としてやらせろって言っても聞きゃしないのよの!!」

「え……」

「それは俺も言われたな。……いや、だがそれだけならまだいいじゃねーか」

「なによ、あんた何かされたわけ?」

「されたっつーか、追い掛け回された」

「はぁ!?」

 疲れたように呟いたクラウドに、シエラとラミーナは声を揃える。

「稽古つけてくれって、変な三つ子に。なんであんな元気なんだよ」

「三つ子ですか。……って、彼らに会ったんですか!?」

 珍しくウエーバーが身を乗り出す。クラウドは目を丸くしながらもこくこくと頷いた。

「あの三兄弟は元気、というかめちゃくちゃですから。……すみません」

「ウエーバーが謝ることじゃないと思うよ」

「いや、でも本当にあの三人には僕も手を焼いているというか……」

 がっくりと肩を落とすウエーバーが、シエラは何だか少し不憫に思えてきた。クラウドとはまた違った意味で、苦労人のオーラが滲んでいる。

「その三兄弟って、歳幾つなの?」

「二十三です」

「に……っ!?」

 シエラは驚きで言葉をつまらせる。てっきりウエーバーと同じ歳ぐらいなのかと思った。国家構成員、というか職につけるのは普通学校を卒業してからが一般的だ。ウエーバーはまだ十四歳だから、本来はまだ普通学校に通っている年齢だが、本人の話によると去年飛び級をして卒業したらしい。だからシエラはてっきり、彼らもそんな天才という部類に入るのかと思ったわけである。

「まぁ、身長は俺よりもデカかったしな」

「クラウドより大きいの!? ……ってことは百八十センチはあるのか」

「ですが、騎士団の中でも腕は確かですよ」

 ウエーバーは慌てたようにそう付け足す。何はともあれ少し変わっているらしい。どんな人物なのかは、あまり知りたくないというか、関わり合いになりたくないが。

「……そういえば、サルバナってどこ行ったの」

 ふとシエラが時計に目をやると、短針は二を、長針は十二を差していた。この部屋にはありがたいことにちゃんとした時計があるため、太陽の位置を確認しなくて済む。予定ではシエラがサルバナと交代する時間なのだが、帰って来る気配がない。

「知るかあんな奴」

「なーんか、クラウドとサルバナって仲悪いよね。まだ会ったばっかなのに」

「あんなチャラチャラした奴は嫌いだ」

「おや、それを言うなら俺だって、君みたいなスマートじゃない奴は嫌いだよ」

「サルバナ!!」

 何時の間にいたのか、サルバナは部屋の扉に凭れかかっていた。そして何故かクラウドと火花を散らしている。全く、いつどこに仲の悪く要素があったというのか。シエラが溜め息を吐いて立ち上がろうとすると、ユファとバイソンも戻ってきた。

「あれ、なんでユファとバイソンも……?」

「今日は上がれってさ。もう俺たちに出来る仕事はないからってよ」

「それより、誰か鎖か縄をくれ。……この男、目を離すとフラフラと消えてしまう」

「あはははー、ヤダなー。別に消えてるわけじゃないよ。レディー達が俺を呼ぶんだ」

「……よし、俺も協力しよう」

「そうか、助かる」

「ちょっとちょっと! なんでクラウドとユファで妙な連帯感生まれてんの!?」

 シエラは慌てて両手を振りどうにか止めようとする。サルバナは笑っているし、バイソンはバイソンでシャワー室に消えてしまった。

「気づけばナンパ、ナンパ、ナンパ……。あんた、一体何しにここにいると思ってるんだ」

 ユファの突き刺さるような鋭い視線を受けても、サルバナは涼しげな顔をしている。

「ん? 何しにって勿論、レディー達の心のケアだよ。ほら、こんな大変な時こそ心に余裕が無いと」

 しかも全く反省の色がない。どうやらこれはサルバナの気質らしい。それならクラウドと反りが合わないのも頷ける。クラウドはもう何も言う気も起きないらしく、眉間に深々と皺を刻んだまま黙り込んでいる。

「なんていうか、色々濃いですね」

「はぁ。……これから大丈夫なのかしら」

 二人の呟きはシエラも同じだ。色々と濃い、というか濃すぎやしなかとも思う。しかし仲間が揃ったという事の心強さもある。シエラは複雑な心情のまま、曖昧に笑った。


 翌日、シエラは重い頭を無理矢理起こした。今日は改めて国立図書館に行く日だ。館長の体調もそろそろ回復しただろう。一昨日の襲撃で影響を受けたという連絡も入っていない。ふと隣を見ると、まだラミーナとユファは眠っている。

 ――二人より先に起きるなんて、今日ってなんか起こるかも。

 普段一番最後に起きるのがシエラなだけに、ちょっと口角が上がった。ぐっすりと眠っている二人を起こさないようにそっとベッドから抜け出し、カーテンの隙間から外を覗く。

 朝陽が東から徐々に上り始めている。部屋にある時計を見ると、時刻は五時を示していた。まだあと一時間は寝る事ができる。しかし、シエラは洗面所へと向かい、さっさと身支度を整えてしまう。

「きゅーん?」

 部屋の扉に手をかけると、イヴがじっとこちらを見ていた。

「イヴも行く?」

 シエラがそう訊ねると、イヴは嬉しそうに飛び跳ねて駆け寄ってくる。シエラはイヴを肩に乗せてから扉を開き、廊下の奥にある螺旋階段を下った。

「んー、朝だぁ」

 少し冷たい空気が気持ちいい。まだ兵士達も起きていないらしく、城はやけに静かだ。東の塔と西の塔を繋ぐ通路から庭に出ると、そこには瓦礫が大量に積まれている。ディアナ女王が気に入っていたらしい薔薇の庭園も相変わらずめちゃくちゃだ。噴水は無事だが、水は止まっている。シエラは噴水の前までくると、静かな水面を覗き込む。

「きゅーん」

「……いよいよ、ルダロッタに向かうんだね」

 どんな試練が待っているのか。一体何をするのか。

「分からない事も沢山だけど、クラウドの言う通りだね」

 悩む暇があるなら、ちょっとでも出来る事をする。

「きゅーん!」

 イヴも賛成するかのように元気に鳴いてくれた。シエラは東の方向を見つめながら、ぐっと拳を握った。

 そして、時刻は今現在十時半。

 シエラ達は国立図書館の入り口に立っている。今日はこの間に比べ些か利用者が少ないように感じる。襲撃の影響なのか、それとも単に午前中だからなのか。とにかく、今回は何の騒ぎもなしに無事に目的を果たしたい。

 図書館の中に入れば、館長が待っていたましたと言わんばかりに早速やってきた。顔はこの間と変わらないが、雰囲気が少し違う。なんというか、偽者とは違いキリッとしている。挨拶も手短に、シエラ達は図書館の奥へと通される。そこには「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたプレートが掲げられた、重々しい扉があった。オレイド館長が鍵を差込むと、重々しい音と共に扉が開く。

「どうぞ。こちらには今から二千年以前の資料を収めてあります」

「ありがとうございます」

「いえいえ。それと、資料は貴重なものばかりですので、これを」

 差し出されたのは、人数分の手袋だ。確かに貴重な資料ならばそのぐらいの配慮はいるだろう。

「では、何かありましたら遠慮なく呼んで下さい」

 そう言うと、オレイド館長は一礼して去って行った。シエラ達は棚に収められている本に視線を這わせる。中は薄暗く、三十畳ほどの少し小さめの部屋だった。予想よりも資料の数が少ないことに驚きつつも、手にとってはパラパラと捲っていく。

「ラミーナさん、ランプはありませんか?」

 入り口付近に立っていたラミーナに、ウエーバーが問いかける。ラミーナは辺りを見回し、小さなボタンと部屋の中央に取り付けられているランプを見つけた。

「これかしら」

 ボタンを押すと温かい色のランプが点灯する。ウエーバーは礼を言うと、再び本へと視線を集中させた。

「きゅーん」

「え?」

 シエラはイヴが目の前にある本を注視していることに気づき、首を傾げつつもそれを手に取る。

「これに何かあるの?」

 ぱらぱらと捲ると、最初の数十ページは全く読めない古代文字だったのに、途中から文字が現代のものに変わった。

 書き出しは「この本を読んだ人間へ」と書かれている。

「――ここから記すのは、私の主観だ。私が見て思ったこと、感じたことを、未来に向けて送る。先にも記したとおり、私は命を救われた。他でもない、英雄たちに。どうか忘れないで欲しい。神は決して『神』などではない。我ら祖先が信じた、全知全能の存在ではない。私たちと何ら変わらぬ、少し変わった思考を持つ、心と知恵を持った生物だ。私たちは縋るのではなく、切り開かなければならない。それは文明の起こりであり、我らの発展だ。魔法は異端ではなく、これからどんどん普及するだろう。魔女などという括りもなくなるだろう。そして再び英雄は生まれる。何度でも何度でも、私たちが立ち上がるたびに、英雄は生まれる。勇敢な彼女がそうであったように、聡明な彼らがそうであったように」

 そこまで読んで、シエラは別のページへと進む。現代語で書かれた部分はこの筆者の思いが長々と綴られている。知りたいのは前の部分、古代文字で書かれたものだ。シエラは後ろにるユファの肩を叩く。

「ねぇユファ。……これ、読める?」

 古代文字の部分を見せると、ユファはすっと目を細めた。そして暫し沈黙したあと、「あっ」と声をあげ本に顔を近づける。冒頭部分にまでページを遡り、食い入るように本を読む。

「……これは」

「え、何か分かったの?」

「あぁ。……皆、ちょっと来てくれ」

 ユファは全員を集めると、本の最初の部分を開いて見せた。

「今から翻訳する。よく聞いてくれ」

 空気が、張り詰める。シエラは固唾を呑んで、イヴを抱きかかえながら見守る。

「私は子供ながらに思った。気高く美しい、真の女神は存在するのだと。今思えば、私は他人には経験し得ない稀有な体験をしたのだ。皮肉なことに、英雄の誕生は神の国であった。英雄は神の国を発ってから三年の月日を過ごし、私たちを救ってくれた」

「どういう、こと?」

 英雄の誕生は神の国。もしそのままの意味ならば、リディア達はルダロッタ出身という事になり、旅の出発地もルダロッタという事になる。

「リディアは人間じゃなかったのか?」

 バイソンの呟きにシエラも頷く。言い伝えではリディアは人間のはずだ。

「いや、これは何もリディア一人を言っているわけじゃないだろ。英雄――つまり、適合者って事も考えられる」

「そうね。リディアは神々に懇願され七人の従者と共に旅をした。言い伝えはこうでしょ?」

「英雄はルダロッタで出会い、そこから旅に出た。こうも取れるってことかい」

 益々分からなくなる。ただ、リディア達がルダロッタから出発したというのは確実だろう。

「続きには、こうあるぞ。――暫くし、独立運動の気運が高まったのも懐かしい。私も、英雄には遠く及ばないが色々な地を見て回った。なるほど、世界は広いらしい。たが先にあった異形なる者たちの戦いは、今も爪あとが残っている。風の噂では、彼らは遠くに逃げてしまったらしい。私も祖父の話からしか聞いたことがないが、彼らは当たり前に魔法を使うのだという。私としては嬉しいことなので、是非一度会ってみたい」

「なんかこの筆者呑気ね」

「た、確かに……」

「それより、内容だ。……異形、魔法とくればこれは魔物ってことか」

 そこでシエラは、前にマフィオで見た文献を思い出した。あれには異形なるもの同士の戦いがあり、彼らは皆この土地を去ってしまった、と記述されていた。

「神と魔物で、戦争があった……?」

「どうやら、そうらしいな。私も前に別の資料で、似たような事を目にしたよ」

 ユファも思案しながら、ゆっくりと言葉を漏らす。神と魔物の戦争など、世界史では一度も耳にした事がない。そもそもロディーラの世界史は二千年より前の事は何も分からないのだ。ただ世界で最初に生まれたのは神で、リディアたちが聖玉を作った。世界の創世記はそこから始まっている。それに五百年前の大恐慌とリディア達との千五百年の月日も曖昧だ。シエラは如何に普通学校で得た知識が乏しかったか、今実感している。

「けど、これでやっと少しは収穫があったな」

「そうね。……リディア達については、まだまだ謎だらけだけど」

 クラウドとラミーナの言う通りだ。やっと知れたが、まだこれはほんの一部に過ぎない。シエラは本棚に目を移し、何かないかと視線を彷徨わせる。

「……それにしても、ルダロッタが旅の出発地だったことは、その時既にナルダン達もいたって事かい?」

「それについては記述が見られない。英雄の誕生が、リディア一人を指すのか、どうなのか……」

「ていうかさ、英雄は三年の旅をしたってことだよね。ここの、ほら」

「三年の月日を過ごし、の部分か」

 つまりリディア達はルダロッタから三年をかけて世界を回ったという事になる。当時に馬車があったかはともかく、三年で世界全てを見て回れるものだろうか。

「つーか、リディア達ってどう出会ったんだ?」

 バイソンの呟きに視線が集まる。彼は困ったように頬を掻きながら「だってよぉ、俺たちにみたいに適合者って決まってなかったんだろ」と言い切った。

「確かにそこら辺も謎ですよね。……そもそも、何故出発がルダロッタだったのでしょう」

「リディア達の旅は神に懇願されて始まったからじゃない?」

「それが一番有力かもね。でも、確かにリディアとナルダン達適合者の出会いは気になるわね」

「ふふ、面白くなってきたじゃないか」

 謎が謎を呼ぶ。考えれば考えるほど分からなくなる。今話していることは全て憶測に過ぎない。ただ確実なのは、リディア達の旅はルダロッタから始まったということ、かつて神と魔物の戦争があったこと、この二つだ。

「……きゅーん」

「イヴ、どうしたの?」

 すると、イヴがシエラの裾を引っ張り、本棚の下側にある本に視線を送ってきた。

「今度はあの本って事?」

「きゅーん」

 シエラはイヴが示している、背表紙もぼろぼろの赤褐色の本を手に取る。

「うわ、これも古代文字だし……」

 シエラはぱらぱらと捲ってからユファに手渡す。ユファは一ページを捲り、中身を読んでいく。

「……これは」

「どうしたの?」

 顔を顰めたユファに、シエラ達は首を傾げる。

「この本に書かれているのは、魔女と、その迫害についてだ」

「魔女? 迫害?」

 シエラが疑問符を浮かべると、ラミーナが淡く笑った。

「魔女っていうのは、元々は差別用語なのよ。今でこそ魔法は当たり前だけどね。昔は女で魔法を使える人口が少なかったから」

「そう、なの……?」

 初めて聞いたシエラは、目を丸くした。前に男尊女卑の記事を見つけたときに、似たようなことを見た気もするが。魔法が使えるからと差別されるのは今のロディーラでは考えられないことだ。

「でも、ラミーナって魔女部隊に所属してるんじゃ……」

 ラミーナの所属する部署は確か「王族直属魔女部隊」だったはず。

「えぇ、そうよ。魔女部隊は元々差別に苦しむ女性を救うための、第七代ガイバー国王によって創られたものなの」

「確か、当時の国王も魔女だったんですよね」

「よく知っているじゃない。カイゼル=ガイバー国王は確かに魔女だったわ。魔女をあえて王室に登用することで、差別をなくそうとなさったそうよ」

 へぇー、とシエラは思わず感心してしまった。そんな時代背景があったとは驚きだ。しかも国王が同じ魔女と呼ばれる女性を救うために創った、という辺りがまたかっこいい。

「そういえば、リディアとディアナも魔女だったんだろう?」

 英雄八人のうち、二人は女性だ。ロベルティーナ王国を作った、英雄の中心人物リディアと、適合者でディアナ王国を作ったディアナ。特にリディアの方はその類稀なる強大な魔力で、神に見初められたという伝説がある。

「だが、リディアは後に神の力を授かったと聞く。……いよいよ、どこまでが真実か分からないな」

 考古学者のユファでさえ二千年前以前のことは知らない事ばかりだと言う。何故だか分からないが、二千年前以前の歴史については一般人は深く追求できないようになっているらしい。

 ――でも、私たちは知らないといけないんだ。

 謎に包まれた二千年前に、世界に何が起こっていたのか。何故聖玉が生まれたのか、リディアは何者なのか。静寂が、シエラ達を包み込んだ。




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